四:逃走と反撃
更新が遅れすぎていることをお詫びします。
眼鏡を掛け直し店内に視線を向けるリア。そこには、先ほどまでいなかったレンナ、ワイズ、アイアン、リズが二階に立っていた。
「こりゃ…いったいどういうこった?」
腰に挿してある短刀に右手を添えた状態で誰かに問うアイアン。
「さぁね。久々に来たお客さんは窓からの不法侵入のうえに器物破損のおまけ付き。請求は高くつくよ」
さっきまで料理をしていたのか左手にはおたまを持ったレンナが言った。
「若いもんは物騒じゃな。まずは話し合いをするべきじゃよ。無論、動きを封じてからじゃがな」
左手にはリアが買ってきた本。右手には先端が渦を巻いている樫の杖を持ちながらワイズは二人を制止した。
「けっこう強気なお客さんだねー。殺そうか?」
どこまでも無邪気に『殺す』というリズ。それは恐ろしくもあったが、リアは同情した。
「お菓子を滅茶苦茶にされたからって安易に殺してはダメでしょう? あとでまた買ってあげますよ」
「ホント♪ やったぁ♪」
歓喜の声は一瞬で消え、リア以外の四人は。いや、リア以外の四人もベランダに出た。だが、四人はベランダに出るだけでなくそこから飛び降りた。ただ一人、リアを残して。
「ま、待ってください!」
リアの声は四人には聞こえることはなく、彼らはワノールの街に消えていった。
取り残されたリアは恐る恐る再度店内に視線を向けた。そこには、予想通りと言うべきか、『ダルク』が『在った』。だが、教会で見たときよりも黒く、暗く、醜悪な雰囲気を纏っており、外見は人のそれとはかけ離れてどちらかといえば獣に近い。数歩後ずさり、リアはベランダの手すりに捕まった、はずだった。
「!!」
重力により体は地面に引き寄せられる。抗うことができるわけがなかった。在ると思っていた手すりは丁度、『リアが手をつける部分のみ』が切り取られていた。リアは瞬間的に犯人がアイアンであると確信した。
先程、アイアンは短刀に手を添えた。そして、ベランダへの滑空ともとれる跳躍。その瞬間、彼は手すりを切り取った。そして、今に至る。
元々、ベランダは脆い物だったのだろう。リアの全体重の付加に手すりは耐えることができずに木が折れる音が聞こえた。頭から地面に向かうリアは死を覚悟し瞑目する。
だが、衝撃は思っていたより無く頭ではなく背中と腰に衝撃を感じた。
「ったく。おい、ダイジョブか」
「アイアンさん…」
目を開けて視界に入ったのは腰まである茶髪を後頭部で一本に結わえた少し吊り目の男、アイアンだった。
「行くぞ。ここいらは戦りづれぇんだ。場所を移す」
「はい。わかりまし…た」
そう言いながらリアはアイアンから降り彼の後を追った。後ろでベランダが砕けていく音が
聞こえたが気をとられること無く二人は走っていた。
* * *
店内は凄惨な光景だった。椅子や長机は破砕され先程までリアたちがいたベランダは跡形もなくなっている。
店の中心には『獣』が浮いていた。四足で立ち、尻尾は無数の『闇』の触手。顔は無く、あるのは『異形』。『獣』は闇を引き五人を追った。
* * *
リズ、レンナ、ワイズは噴水広場に来ていた。どうやら、アイアンだけが残りリアを助けに行ったのだろう。
「ここまで来れば大丈夫じゃないかな?」
息を切らすことなくリズは二人に問う。
「そうじゃな。それにこれほどの広さならばワシらも全力が出せる」
リズ同様に息を切らすことなくワイズが言う。『自由人』から噴水広場までの距離は短いとは言い難い距離をワイズは走った。外見年齢は70以上はあるように見えるが、それを感じさせない運動能力がワイズにはある。
「でも…あいつは何をやってるんだい? リアだって一人で逃げれるだろうし」
呼吸を整える様子すら見せずレンナは悪態をつく。どうやら、レンナはリアは一人で逃げられると考えて置き去りにしたらしい。おそらく、他のメンバーも同意見だったのだろう。
だが、アイアンは違った。リアを助けることを前提に行動していた。
「アイアンはぶっきらぼうに見えて誰よりも仲間を信じるからね。アイアンが助けたってことはリアはもう仲間なんだよ♪」
「そんなものかねぇ…」
リズの一言はレンナの機嫌を悪化させた。
「レンナは好きだもんね〜」
意地悪っぽく少し目を吊り上げてリズが笑う。それに反論するレンナの頬は赤い。
「好き!? ち、違うよ。あたいは…リアだって成長してきてるだろうから…って思っただけ……で、アイアンがどうとかは……ない」
「アイアンとは誰も言っておらんな。リズは『好き』としか言うとらん」
ワイズの一言が聞こえたレンナは鋭い眼光で彼を睨みつけた。だが、言われたことを思い返し直ぐに顔を紅潮させる。
「楽しそうだなオイ。オレがなんだって?」
ほかの三人と同様に息を切らすことなくアイアンは噴水広場に姿を現した。少し遅れてリアもアイアンの背後から追ってくる姿が三人は確認できた。だが、彼だけは息を切らし疲労困憊している。運動能力はお世辞にも人並みとは言えないリアだ。ここまで追いつけたことに賞賛の言葉でも送るべきなのだろう。
そう思ったのかレンナは無理に話を変えリアに近づき、四つんばいで地面に崩れ落ちている彼の背中をさする。
「大丈夫かい? よく走ってこれたねぇ、体力ついたんじゃないかい?」
「さす……がに…ここま…で、はしっ……て移動…は辛いで……す」
途切れ途切れだが言葉を発するリア。それを見てアイアンは口を開いた。
「なさけねぇんだよ。男なら体力あって何ぼだろうがよ!」
「アイアンさん…『適材適所』って言葉、わかりますか?」
「あ? 知るか。爺さん、どういう意味だ『テキザイテキショ』って」
「簡単に言えば一番力を発揮できるところに人を配置する。ということじゃ」
やれやれといった感じで肩をすくめワイズはアイアンに教えた。
「で、その『テキザイテキショ』が何だっ言うんだよ」
「僕は肉体派ではなく頭脳派なんですよ。だから、あまり走るのは得意じゃないんです」
呼吸は完全に整い、いつも通りのリアがそこには立っていた。
「そんなのタダの逃げじゃねぇか」
正論である。だが、どう頑張ってもリアは体力などを鍛えることができない。鍛えたとしても既に体力の最大許容量は限界まで溜っているためにリアのこれ以上の体力増加はありえないのだ。
そんな会話をしているとワイズが杖を地面にたたいた。コツンという自分にとっては心地良い音だとリアは思っていた。だが、そんな考えは文字通り『闇』に飲まれる。
リア以外の全員がリアの背後、さっきまで自分が走っていた方向に鋭い視線を送っていた。振り向くのを一瞬拒絶したくなったが、リアは立ち上がり眼鏡を指で掛け直した後、後ろを振り向いた。時間にして僅か二、三秒の動作は不意に首にかかる力によって中断され彼はアイアンの隣へと強制的に移動させられていた。
「今のって……さっきのかい?」
「多分ね。でもまさかリアを狙うとは思わなかったけど」
「一番弱いやつから。とか思ったんじゃねぇのか?」
「『ダルク』に思考があるのか? とすればワシらはどうすればいいのじゃ?」
皆、口々に言葉を発している。この場で冷静な人物はおそらく、『サーカス館』のメンバーだけだろう。噴水広場には多くの人間がいる。子供、大人、老人、男、女。様々な人間がいるが皆一様にココから蜘蛛の子を散らすように逃げた。
「でも…今は昼間ですよ? 『ダルク』は昼は闇や影に潜んでるってリズは言いましたよね!?」
もっともらしい訴えだった。以前、リズは教会でこう言った。
『ダルクは日中は活動をしていない。文字どうり闇になってるから探索は夜にしなくちゃいけない』
と。確かにこう言ったのをリアは覚えている。
「言う必要はないと思ったんだ。稀に、ホントに極稀にだけど『ダルク』は日中でも活動できるタイプがいるんだ。オレたちは…『ブラット』って呼んでるけどね」
「『ブラット』?」
リアは聞き返す。
「『漆黒』を捩ったんだよ」
リズは答えずに代わりにレンナが答えた。
「漆黒に…闇ですか……」
リアの台詞には哀愁が感じられた。それを感じ取ったのはリズだった。彼はリアに問うた。
「どうかしたの?」
「いえ。少しだけ……いえ。何でもありません。ところで…」
顔を上げ立ち上がりアイアンが引っ張った所為で更にズレた眼鏡を右手で直し自分に突進してきた『モノ』が向かった先を見つめた。
「あの『ダルク』はどうするんですか?」
彼が指差す方向には木に追突し体の半分をそれに貫通させて動けなくなっている『ダルク』がいた。
腰から短刀を抜きアイアンが数歩前に出る。
「しゃぁねぇな。俺が殺ってやるよ。直ぐに終わんだろ」
『ダルク』に近づくアイアンだがその足はワイズが目の前に杖を出していることで止まった。片方の眉を吊り上げ、アイアンは言った。
「何だよ爺さんよぉ? まさかワシがやるとでも言うのか」
「違う」
ワイズの声には今までにないくらいに真面目だった。次の瞬間、『ダルク』は変異した。
『ダルク』の体を覆う闇は突っ込んで身動きが取れなくなった木にも纏わり憑き巨大な化け物に変わった。
「変体したぜ…オイ」
「いや…それを言うなら変身だよアイアン」
アイアンの一言は一瞬にして場の空気を緩めた。リズがアイアンに教える姿を見ると何故か微笑ましい光景だった。
「何笑ってんだよリア」
「いえ。でも微笑ましくて。それと、アイアンさんが言った『変体』ですが、変体で正解ですよ。体が変わるんですから」
「そうか。ま、どうでもいいがな」
そんな会話をしている中、『ダルク』、否『ブラット』が動いた。枝に纏わった闇は触手のようにうねり、全員に攻撃を仕掛ける。
ワイズは触手の動きを予測し触手の攻撃範囲を出て。
レンナは軽やかに動き踊るように触手を避け。
アイアンは短刀で近づく触手を切り裂き。
リアは一撃こそ喰らいはしたがそれ以降は最小限の動きで回避し。
リズの周りには偶然にも突風が吹き荒れ、触手は近寄ることもできなかった。
(あの動き…人間にできるもんじゃあねぇよな)
近寄る触手をすべて切り落としているアイアンは『彼』を見て思っていた。
「ワシがやろう。少し下がってくれ」
片膝をつき、ワイズは杖を地面に優しく突き立てた。
コツン。音を言葉に直せばきっとこういう音だろう。コツンという音がした杖の先からは波紋が広がった。一定距離に波紋が広がったのを感覚で確認したワイズは静かに口を開いた。
「地よ。我が意に従いて動け……従わぬならば、その命を閉じろ。
風よ。我が意に従いて動け……従わぬならば、我が意により動け」
「あれは……『魔術』?」
リアはワイズの姿を見て単語を口にした。
『魔術』。それは創造期前半に生み出され、創造期後半にほぼ滅びたといわれる人類が初めて人工的に生み出した『神秘』だった。
ワイズの周りの石畳が宙に浮き、高速で回転し『ブラット』に向かっていった。
聞こえた音は風を切る鋭い悲鳴だけだった。