93 賭け
厳重すぎるだろ。この警備。
『なんだか怖い』
『威圧感がすごいわねぇ』
何人もの衛兵とすれ違って、ツァレンとシールが立っている扉の前へ行く。
「エル。一人で来たのか?」
「あぁ」
椿の庭に面した部屋だってロニーが教えてくれたから。
「二人は主命でどこかに行ってるんじゃなかったのか?」
「王都からは出てないぜ」
遠くに行ってたわけじゃないのか。
「それに、今日は大事な用があったからな」
「大事な用?」
「ツァレン。主君がお待ちだ」
「そうだったな」
ツァレンが扉をノックすると、アニエスが扉を開いて出て来る。
「お待ちしておりました。どうぞ」
アニエスに連れられて、部屋の中へ。
続き部屋のたくさんある、広い応接室。
アレクは執務机に向かっていて、ロザリーが隣の応接ソファーで編み物をしている。
テーブルの上には山茶花の花。応接セットの裏にある掃出し窓の先が、椿の庭を見渡せるバルコニーだろう。
「エル」
「アレク」
三日ぶり。
ようやく会えた。
あれ?
「リリーは?」
「カーバンクルの件で話をしに、母上のところに行っているよ」
カーバンクルって。
「フォルテの?」
「あれは彼女のものだからね。母上がリリーシアに似合うように加工させると言っていたよ。随分遠回りして来たようだね」
「遅くなって悪かったよ。ちょっと、クレアの里まで……」
「マーニから聞いたよ」
ルネに言われて俺についてきた精霊。
アレクの傍に行ったんだな。
「棺のことも?」
「あのまま放置しておくわけにはいかなかったから、良い判断だったけれど。あまり無理をしてはいけないよ」
全部、筒抜けだな。
「何やってたんだ?」
「書類の整理だよ。仕事も全然回って来ないから」
「自業自得だろ」
アレクの向かいから、机を見る。
「小麦の収穫が終わっていて良かったよ。収穫時期に雨に降られては困ってしまうからね」
「心配するのはそこか?」
小麦の収穫なんて年末には終わってるはずだ。
「収穫量が減ると小麦の価格が不当に吊り上ってしまう可能性もある。空腹は最大の敵だよ。ただでさえ、こんなに暗い天気が続いて皆、不安になっているだろうからね」
相変わらず、外の景色は暗いからな。
「で?クエスタニアに行く理由は?」
「その前に、支度をしてくると良い」
「支度?」
「こちらへ」
ライーザとアニエスと一緒に隣の部屋に行く。
給湯設備があるってことは、メイドの待機部屋か。
「では、お支度を」
「何の支度だよ」
ライーザが衣装を準備する。
「こちらのお召し物を」
「瞳の色が変わる目薬を使っていただけると助かります」
「……なんで?」
※
理由を教えられないまま支度をして、応接室に戻る。
「まぁ。あなたがクロエなのですね」
ロザリーが楽しそうに微笑む。
「まさか、ロザリーがクロエに会いたかったからこんな恰好させたわけじゃないだろうな」
「いいえ。私よりも会いたがっている方がいらっしゃるんですよ」
「誰だよ、それ」
「ランチまでには戻る予定だよ。クエスタニアの話しをしようか」
「あぁ」
「順番が前後してしまって悪かったね」
内容を知らずに行くことだけ決まってたからな。
「どうぞ」
アニエスがアレクの執務机の向かいに用意した椅子に座る。
「エルは、聖櫃を知っているかい」
「聖櫃?」
なんだか仰々しい名前だな。
「グランツシルト教の何かか?」
アレクが本を開く。
グランツシルト教について解説した本だ。
「これだね」
開いたページに描かれているのは……。
「封印の棺?」
「聖櫃だよ」
「これが?」
「白地に金の縁で装飾された箱。聖なる力で守られていて、どんな武具でも傷つけることが出来ない。中には神の奇跡が詰まっていて、いずれ訪れる終末から世界を救う、と書かれているね」
「どう考えても封印の棺のことじゃないか」
特徴はまるっきり同じ。
「グランツシルト教で保管してるってことか?」
「どうかな。グランツシルト教は、聖櫃が最初に現れたのは千年前、光の勇者の時代だと主張しているんだよ。聖櫃は魔王に対抗するために現れ、開かれたのだと」
「は?」
開かれた?
「これが真実だとすると、少しおかしいね」
「おかしいことだらけだ」
―広い高原の中央に、彼の魂が、その瞳と共に眠る。
棺が開かれているなら、あいつは瞳を取り戻してないとおかしい。でも、俺がこの前見た本体は片目だった。封印の棺が開かれたとは思えない。
それに、アルファド帝国に最初にヴェラチュールが現れたのは、エイダの棺が運ばれた八百年前頃。千年前から目立つ場所に存在してることがわかってるなら、ヴェラチュールが放っておくと思えない。
ヴェラチュールが関わった形跡がないってことは、偽物?
でも、聖櫃の特徴は封印の棺と同じ。封印の棺を知らずに、こんな特徴は書けないはず。
「さっきも言ったけど、聖櫃の起源はグランツシルト教が主張しているだけ。それを裏付ける資料は今のところ存在しないよ。グランツシルト教の前身となった、グランツシルト騎士団が持っていたという話しだけど。……ロザリーは知っているかい」
編み物をしていたロザリーが顔を上げる。
「いいえ。グランツシルト教も、聖櫃の話しも聞いたことがありません」
ロザリーは千年前を見ているわけだけど。グランツシルト教が成立したのは光の勇者の後の時代で、ロザリーが知るわけがないよな。
「けれど、グランツシルト騎士団なら聞いたことがあります。グランツシルトとは光の盾。光の勇者の支援者であり、各地で奉仕活動をしていた騎士団でもあります。弱者の救けとなり、容姿による差別も全くしていません。私もお会いしたことがありますが、彼らの目的は悪魔から人々を救うことで、悪魔ではない者を無暗に攻撃することはありませんでした」
「すごいな。会ったことがあるのか」
まさに生き字引だ。
「きちんと筋を通していた騎士団だったようだね」
「はい。とても人気のある騎士団でしたから」
「それなら、騎士団がグランツシルト教の開祖と言うのは間違いなのかもしれないね」
グランツシルト教のトップは教皇だし、教皇が持っている騎士団はグランツシルト聖堂騎士団。
グランツシルト騎士団の後任という扱いだけど、わざわざ聖堂騎士団なんて名前が変わったのは、本物のグランツシルト騎士団と無関係だからなのかもしれない。
今となっては確かめようもないことだけど。
「その人気が利用されてしまったのかな。グランツシルト教はモルティーガ都市同盟を緩く結束させていた宗教で、神聖王国クエスタニアを成立させる要因にもなっているからね」
「……残念な話しです」
「どちらにしろ、当時、聖櫃があったかどうかは知らないみたいだね」
「魔王の誕生が世界の終末だったとは考えられません。グランツシルト教が言っていることは滅茶苦茶です」
アレクが苦笑する。
「そうだね」
魔王は、人間をプリーギの病から助ける過程で生まれただけだからな。
魔王がその力で人を虐殺し続ければ、世界が終わっていた可能性はあるんだけど。光の勇者が存在すればそれは解決する。終末を予感させる事態にはなっていなかっただろう。
アンシェラートが出て来る方がよっぽど世界の終わりだ。
「どうぞ」
ライーザが俺とアレクの前にコーヒーを並べる。
「グランツシルト教とグランツシルト騎士団の間に明確なつながりが見られない以上、聖櫃は千年前には存在しなかったと考えるのが自然なのかな。……でも、グランツシルト騎士団が千年前に封印の棺を発見し、その意味を知って密かに隠していたという可能性も否定できないね。グランツシルト教は騎士団が隠した棺を探し当て、利用しているのかもしれない。もしくは、聖櫃の起源がヴェラチュールが鳴りを潜めた後……、アルファド帝国が滅んだ後の話しで、最近になって偶然発見した封印の棺を、あたかも千年前から存在したかのように装って聖櫃と呼んでいるのかもしれないし……」
「わかったよ。要は確認してくれば良いんだろ?」
「……そうだね」
アレクがつまらなそうにコーヒーを飲む。
「そんなに暇なのか」
無駄に話しが長い時は、アレクが暇を持て余してる証拠だから。
「暇だよ」
まぁ、あれだけ自由に出歩いていたのが、ここまで制限されればアレクもつまらないだろう。
「で?聖櫃はどこにあるんだよ。グランツシルト教の本山か?」
クエスタニアの中にある、グランツシルト教皇領。王都から離れた山岳地域にあり、教皇が治めるその土地は完全に独立した場所らしい。
「聖櫃があるのは神聖王国クエスタニアの王宮。光の間に保管されているよ」
「王宮にあるのか」
「グランツシルト教の守り手として教皇から預かっているんだ。それを盾に王位の世襲を要求しているとも言われているね」
教皇と国王の立場を対等にしておくための道具?
王権保持に関わる重要なものなら、一般人にはそう簡単に見せなさそうだな。
「それで、マリーと一緒に行けって言ったのか」
マリーと一緒なら、俺も王宮に入れるから。
「こんなことになるなら、以前行った時に確認しておくんだったよ」
グランツシルト教に興味が全くなかったから見て来なかったんだろう。
俺が頼んで見せてくれる可能性は……。いや。マリーが頼めば見せてくれるか。光の間の場所がわかれば、こっそり確認することも出来るんだし、王宮に入れば何とかなるだろう。
本物かどうかは、精霊が見れば一目瞭然。
封印の棺は、人間に見えても精霊には見ることが出来ない。
「偽物なら好きにして構わないけれど、これが本物だと少し危ない。アンシェラートが出て来て、世界は今、終末を迎えようとしているんだ。今こそ神の奇跡を使う時。彼らは棺を開く方法を探すんじゃないかと思ってね」
カミーユから貰ったあれ……。
書類を出して、アレクに渡す。
「転移の魔法陣の解析結果?」
「カミーユたちが解析してくれたんだ。クエスタニアに飛ぶ魔法陣は闇の大精霊の力で封印されている。だから、封印を解けるのは光の大精霊。これはまだ誰にも知られていない情報だ」
「だとすると、条件が整ってるということになるね。クエスタニアには、国を守護している光の大精霊が居る可能性が高いのだし」
「会ったのか?」
「会ってはいないけれど。クエスタニアの王都は光の精霊の力が強い場所だと感じたよ。グラム湖の光の洞窟を思い出す」
だったら、居るのかな。
クエスタニアは光の勇者や光の魔法使いの子孫を名乗っていて、光の大精霊と何らかの繋がりを持っていると見て良いんだし。
「エイダは八百年前、騙されて魔法陣の封印を解いてしまったんだ。同じことが起こるかもしれない」
「そうだね。ヴェラチュールが神を騙って、クエスタニアに封印の棺を開くよう迫る可能性もありそうだ」
あいつが今、どこに居るのか知らないけど。アルファド帝国の皇帝の前にも、アレクの前にも表れてるからな。
「クエスタニアが封印の棺について知識を持っている可能性は低い。でも、危険性を説明する為に情報を提供するのも得策じゃないかな」
封印の棺の話をするなら、転移の魔法陣の話しをしなくちゃいけない。クレアの話しも関わって来るし、簡単に口を滑らせて良い内容じゃないだろう。
そもそも、神聖王国がヴェラチュールを真の神として崇めて結託されたら全面戦争になりかねない。フォルテが持ってた棺で手に入れた力ですら、無限に湧くような強さだったんだ。これ以上、あいつに神の力を渡すわけにはいかない。
封印の棺が絶対に開かない方法があれば良いんだけど……。
あ。
「アレク、一つ案があるんだけど」
「何かな」
「光の大精霊に頼んで、聖櫃の封印を解いてもらうんだ。それで、俺が封印し直してくる」
そうすれば、実質開くのは不可能になるだろう。
「悪くない案だけど。どこで封印するつもりだい」
どこで?
クレアにとって、クエスタニアは重要な出口だ。
あの魔法陣を別の場所に描くわけにはいかない。
だとすると、一時的に棺をクレアの拠点に持って来る?
……無理だな。クエスタニアに了承させる理由も思いつかないし、魔法陣の位置を誰かに知られるのも良くない。
棺の位置がわかれば良いんだけど。
「あ……」
でも。
「どうしたんだい」
「いや。封印の棺を王宮に置いたまま、転移の魔法陣の位置も同じ場所で封印する方法はあるんだけど……」
「精霊玉かな」
「でも、あれはリリー以外の為に作れるとは思えない」
「リリーシアを連れて行けば良いじゃないか」
「は?何言ってるんだよ。連れて行けるわけないだろ」
黒髪のリリーをクエスタニアに連れて行くなんて考えられない。
だいたい、マリーは不利な交渉をしに行くのだ。交渉が失敗すればマリーが危ないって言うのに、相手を逆なでするようなことはできない。
「どちらにしろ、クエスタニアにあるのが本物かどうかの確認が優先だよ。無理はしないようにね」
「わかったよ」
偽物だったらありがたいけど。
アレクの話を聞く限り、本物をどこかに隠してる可能性も捨てきれないんだよな。
ヴェラチュールに見つからない場所に隠し続けてくれれば何の問題もないけど。
向こうの状況もわからないし、まずは情報収集が優先だろう。
「エルは私との約束を覚えているかい」
「約束?」
何か約束したっけ。
「チェスで負けただろう」
―私が勝ったら、今後エルが王都から出る際には、必ず私の近衛騎士を同伴させること。
「あれか。そんなに近衛騎士を外に出したいのかよ」
「ここに居ても、私とロザリーの散歩に付き合う以上の仕事はないからね」
「ツァレンとシールには何をさせてるんだ?」
「皇太子軍編成を頼んでいるよ」
あぁ、そういうわけか。
「亜精霊討伐用?」
「各地の騎士団だけでは、手に負えないようだからね」
外の情報は遮断されてるはずだけど。
王都の現状ぐらい、秘書官の仕事を手伝ってたグリフとロニーから十分聞き出してるだろう。
「すぐに揃うか?」
「エトワールと情報部から引き抜く予定だよ。人選は二人に任せている。身軽な精鋭部隊を二つ編成し、編成が完了次第、出発予定」
二人は軍編成で、グリフとロニーは城内の情報収集。
だとしたら、俺と一緒に行くのは……。
「賭けをしないかい」
「賭け?」
なんだか、嫌な予感がする。
「一番最初にこの部屋に入った近衛騎士を連れて行くというのは?」
「一番最初って……」
「もうすぐ、ローグとマリユスがリリーシアを連れて戻って来る予定なんだ」
どっちにしろ、ローグかマリユスの二択じゃないか。
賭けをする意味なんてなさそうだけど。
「良いよ」
ローグはクエスタニアの出身だから、一緒に行動しやすい。
マリユスがクエスタニアの知識をどれだけ持ってるかは知らないけど、剣術大会でも一緒に上手くやれたし、異国に行くことはマリユスにとっても良い勉強になるだろう。
どちらを選んでも困ることはなさそうだな。
「先に言っておくけれど。エルは、クエスタニアでは私の近衛騎士から絶対に離れないようにね」
『過保護ねぇ』
約束だから、仕方ないけど。
ノックがあって、扉が開く。
「お食事をお持ちいたしました」
「……エミリー」
「エミリーは近衛騎士じゃないから数に入れないよ」
「だよな」
「リリーシアが戻るまで待ってくれるかい」
「かしこまりました。テーブルの準備だけ致しましょう」
「エル、ちょっと良いですか?」
呼ばれて、ロザリーの方を見る。
「なんだ?」
「エルには子供がいると聞きました」
「あぁ」
「手袋を編んでみたんです」
「おぉ」
小さな可愛い手袋。
「それ、すごく可愛いんだけど」
どう考えても赤ん坊のサイズだ。
「わかってて言ってるんだよな?それ」
ロザリーが微笑む。
なんていうか。
アレクの傍にロザリーが居て良かった。
これなら飽きないだろう。




