05 魔法使いは空を飛べない
鐘楼に続く螺旋階段を上り切る頃には、多くの悲鳴が上がっていた。
広場を見下ろすと、魔法部隊が防御魔法を使ってるのが見える。研究所の連中も居るみたいだな。
視線を空中を飛ぶドラゴンに移す。
……あれは、ブレスの予備動作。
炎の魔法を集め、ドラゴンめがけて炎の塊を放つ。
ドラゴンは予備動作をやめて魔法を回避すると、こちらに目を向けた。
あいつ。
紫だけど、ケウスとは全然似てないな。
『エル。顕現の許可を』
メラニー。
「許可する」
体の周囲に闇と風の魔法を集める。
今度は俺の居る方角に向かって、ドラゴンがブレスの予備動作をする。
『魔法陣を使え』
メラニーが描いた闇の魔法陣の上に乗る。
そして、ドラゴンから放たれた輝くブレスに対抗して、闇の魔法を放つ。
ブレスと俺の魔法がぶつかって均衡する。
『紫竜はぁ、雷属性だよねぇ?』
ってことは、力比べだ。
雷属性の根源的な属性は温度を上げる神に由来する力。
そして、闇属性の根源的な属性は温度を下げる神に由来する力だ。
「今は夜なんだ。負けるかよ!」
闇の魔法陣のおかげで闇の魔法が集めやすい。
このまま、押し切る!
『エル。ボクも力を貸すよ』
イリスが顕現して氷の刃を作り出し、ドラゴンに向かって放つ。
『あたしもぉ』
ユールも顕現し、ドラゴンに向かって真空の刃を発生させる。
二人の攻撃でドラゴンが怯み、ブレスの勢いが衰えた。
行ける。
闇の魔法を膨らませ、そのまま闇の帳でドラゴンを包む。
『ふふふ。逃がさないわぁ』
ユールが加勢してるみたいだな。
ドラゴンが闇の塊の中でもがいても、這い出てくる様子はない。
その塊めがけて、今度は氷の魔法を集めて作った刃を幾重にも突き刺す。
……あぁ、くそ。
攻撃が入ってるのに、手ごたえが全然ないぞ。
もっと、効果的にダメージを与えられる方法は……。
ドラゴンが暴れ、闇の塊から爪が飛び出す。
まずい。
闇を引き裂いて出てきたドラゴンが、俺に向かって飛んでくる。
「バニラ、ナターシャ。顕現してくれ。礼拝堂を頼む」
『了解』
『まかせて』
腰の鞘から俺のレイピア……、イリデッセンスを抜いて右手に構え、闇の魔法で自分の影を作って姿を消し、風の魔法で上空に飛び上がる。
ドラゴンが俺の影に爪で攻撃したのを見ながら、両手でドラゴンの背にイリデッセンスを突き刺す。
刺さった。
けど、ドラゴンは怯みもせずに空高く飛び立った。
風と真空の魔法で編んだロープを作って、ドラゴンの首に巻き付ける。
捕まえた。
礼拝堂は……?
ここから見る限り、大きなダメージはなさそうだ。
『気をつけてー』
ドラゴンは乱暴に首を回しながら、どんどん空高く舞い上がる。そうかと思うと、突然、宙返りした。
振り落とされそうになるのを堪えて、ドラゴンに刺さったイリデッセンスとロープを掴む手に力を込める。
―「天空の覇者が、地上に近づくとはどういうことだ」
ドラゴン王国時代の言語。
ドラゴンの言語は、ドラゴン王国時代から変わらないはずだ。通じると良いけれど。
―「人の身で我の背に乗るとは」
通じた。
―「地上に近づくからだ。何しに来た」
―「何故、守護竜が出てこない」
なんだって?
守護竜が国を守ってたのって、ドラゴン王国時代の話しだろ。
―「我が眷属の力を感じる」
眷属?
同じ紫竜ってことか?
それって、もしかして……。
―「どこから来たんだ」
―「封印の地。神の台座」
氷漬けの神の台座に生き物なんて居ない。
この、時代認識のずれ……。
まさか、ドラゴン王国時代に封印されてたドラゴンが出てきたとでも言うのか?
―「ドラゴン王国時代は終わった。守護竜を抱える国なんてない」
―「地上は、あの人間の支配を受け入れたというのか」
あの人間?
―「呪われた血族め……。ならば、我が食らい尽くし、もう一度真の支配者を教えてやるとしよう」
ドラゴンが急降下する。
「ふざけんな!」
背中からリリーの愛剣、リュヌリアンを抜き、ドラゴンの背に突き刺す。
咆哮が上がり、ドラゴンが空中で暴れる。
―「我が身に傷をつけることのできる剣など!」
リュヌリアンを引き抜くと、ドラゴンから血が噴き出す。
赤。
予想してたことだけど、ブラッドドラゴンだ。
炎と闇の魔法を集めて鎖状に編み、ドラゴンの翼を縛る。もがけばもがくほど翼にダメージが通るはずだ。
「バニラ、ナターシャ、来い!」
下に置いてきた精霊を召喚する。
『広場に居た市民の避難は完了した』
『下は気にしなくても大丈夫よ』
良かった。
二人が俺の体に戻る。
―「何故、精霊が人間に味方するのだ」
魔法使いの存在を知らない?
っていうか。翼の動きを抑えたのに飛行を阻害出来ない。
このまま王都の外に落としてやろうと思ってたのに、どうやって飛んでるんだよ。
けど、さっきより安定した飛行だ。翼が動かせなければ、宙返りや急降下は出来ないんだろう。
ドラゴンの弱点なら知ってる。
首の付け根めがけてリュヌリアンを振り降ろしたところで、ドラゴンが左に旋回し、体勢を崩す。
「っ!」
『エル!』
イリデッセンスのナックルガードに足を絡めたおかげで、ドラゴンの背から落ちずに済んだ。
『もーぅ。冷や冷やさせないで!』
イリデッセンスは、かなり深く刺さっているらしく、簡単に抜けない。
俺を振り落とすのに失敗したドラゴンが、体勢を整える為に翼を動かす。
炎の魔法を編み込んでいるから、翼が動けば動くほど燃えるような痛みが加わるはずなのに。
体を起こし、リュヌリアンを持ち直す。
そして、もう一度、首の付け根を狙って突き刺す。
咆哮。
手ごたえあり、だ。
続けて、もう一撃加えようとしたところで、ドラゴンが宙返りした。
暴れやがって!
無理やりリュヌリアンを振り上げ、首に向かって一撃を加える。
辛うじて傷を負わせた感触はあったが、ドラゴンの背から落とされ、絡みついた魔法のロープのみで宙づりになる。
『エル!』
『危ない!』
ドラゴンの尻尾が大きく振りかぶる。
『イリスちゃん』
『了解』
リュヌリアンを構えたが、目の前で尻尾の動きが止まった。
イリスが宙に出現させた氷に、ユールがドラゴンの尻尾を吸いつける。ドラゴンは暴れながら、氷を破壊した。
そして。
暴れたドラゴンと一緒に落下する。
……やばい。
真下は王都。
避難が完了してる広場に落とせるなら良いけど、住宅地に落とすわけにはいかない。
どこに落ちる?
今から風の魔法を集めてドラゴンの巨体を別の場所に誘導するなんて、無理。
間に合わない。
くそっ。
ドラゴンの首に巻いていた風と真空のロープと、翼を縛っていた炎と闇の鎖を消す。
自由になったドラゴンが、その翼を大きく広げて空を舞った。
そして、落下中の俺に向かって上からブレスを吐く予備動作をする。
……させない。
「イリス、ナターシャ、宿れ!」
『了解』
『まかせて』
剣に氷の力と雪の力が宿る。
ドラゴンのブレスが放たれた瞬間、リュヌリアンを思い切り振る。
重てぇ……。
斬撃はドラゴンのブレスを切り裂き、すべてを氷結させた。
「なっ……」
きらきらと氷結したブレスの一滴一滴が空に舞う。
なんて、常識外れな剣だ。
ここまで出来るなんて。
そして、次の瞬間。
地上から放たれた魔法が俺の脇を通り過ぎる。
金色に輝く大剣。
金色の剣に貫かれたドラゴンは悲鳴にも似た咆哮を上げ、空に昇って行く。
それと同時に、周囲から花火が上がった。
『エル、どうするのぉ?』
落下。
『オイラ、手伝おうかー?』
風の魔法で落下の衝撃を吸収したいところだけど、これだけ高い場所から落ちれば、誰かを巻き込むに違いない。
「だめだ。顕現は許可しない」
精霊は人を殺してはいけない。
「落下地点、掘にするか」
王城の周りにある堀。水に落ちるなら被害も少ないだろう。
風の魔法を集める。
『エル』
知らない精霊の声が聞こえる。
「誰だ?」
『転移の魔法陣で飛べ』
砂の精霊が顕現したかと思うと、急に落下速度が緩やかになった。
『アレクが誘導する』
了解。
空中に、転移の魔法陣を描く。
『飛ぶ』
魔法陣が起動する。
転移する……?
眩暈と、まだ落下しているかのような浮遊感。
でも、それは一瞬。
落ちた先は……。
「おかえり」
菫と碧の瞳。
「アレク」
金色の剣を放った本人。
ラングリオン皇太子、アレクシスの腕の中。
「立てるかい」
「無理」
ドラゴンと魔力比べなんて、もうこりごりだ。
リュヌリアンを振り回した反動の方がきついけど。
持っていた剣が手から落ちる。
「無茶をしたね」
「ブラッドドラゴンだった」
「報告は後で良いよ」
アレクが、俺をその場に降ろす。
花火が近いな。
ここは、城門を見下ろせる城壁の上だ。
「怪我は?」
「してない。疲れただけ」
魔法使いの戦いなんて、そんなものだ。
防御魔法があるから攻撃を食らうことが少ない代わりに、魔力切れで何もできなくなる。
っていうか。
腕が痺れて動かない。
リリー、あの重さの大剣を軽々と振り回してるのか。
「落下地点の選択は理想的だったね。あのまま水に落ちても被害は出なかったよ」
アレクが、リュヌリアンを俺の背の鞘に納める。
「下に居るのって、研究所の連中だけか」
「守備隊も居るよ。例年、堀の周辺は関係者以外立ち入り禁止なんだ」
だったら、ジオに頼んでも大丈夫だったな。
「なんで、アレクが転移の魔方陣を使えるんだ」
転移の魔法陣。
人間を転移させるなんて理論上不可能とされてきたことだ。
現実に、今使えるのは俺だけだと思ってたのに。
「カミーユが研究してるからね」
「なんで、薬学の専門家が転移の魔法陣なんて研究してるんだよ」
「面白そうだから、お願いしたんだ」
アレクが後押ししたのか。
まぁ、カミーユなら、なんでもやるか。
「騒ぎ、どうなってる?」
「今から収束させるよ」
アレクが城門の上に飛ぶ。
そして、花火が止んだ。
「皆、カウントダウンを楽しんでいるかい」
アレクの声が、風に乗って響き渡る。
「せっかくの楽しみに邪魔が入ってしまったね。けれど、ドラゴンの来訪など、騎士の国たるラングリオンにとっては些細なことだろう。恐れる必要はない。さぁ。私からのプレゼントを受け取って欲しい」
アレクが手を上げると、夜空に金色の剣が現れる。
さっき、ドラゴンを貫いたものと同じ魔法。
ラングリオンの王家に伝わる、正当な王位継承権を持つ者だけが所有者となれる聖剣エイルリオン。それを模したものだ。
その剣の先から光の花が咲く。
ここからでも聞こえるほどの、大きな歓声が沸き起こった。
あれは、ラングリオンの王家の紋章、剣花の紋章に使われているのと同じ姿。
聖剣が、その所有者を変える時にだけ咲く花。
最後に咲いたのは、アレクが成人して聖剣の儀式を行った時。聖剣がアレクを所有者と認め、アレクはそれによって皇太子となったのだ。
光の花は、蝶となって夜空に羽ばたき、王都の上空を舞う。
「皆、祭りの続きを楽しもう」
遠くから、皇太子を称える声が聞こえる。
あっという間に祭りの雰囲気に戻ったな。
ラングリオンに竜殺し、アレクシスが居る限り。誰もドラゴンの来訪を不安に思ったりしない。
花火が夜空を彩り始めたところで、アレクが俺の居る場所に戻って来た。
「歩けるかい」
「無理」
「書斎に行こう」
アレクが俺を抱えて飛ぶ。
これ、砂の魔法……?
「砂の魔法って、砂がなくても使えるのか」
「もちろん。魔法とはそういうものだ。エルだって自由に使えるはずだよ」
「教えてくれなかった」
「聞かないからだろう」
いくつかの木の上、そして、桜の庭を経由して、アレクの書斎のバルコニーへ。
「でも、これは攻撃魔法だから、他の人間を抱える時は気をつけるんだよ」
「攻撃魔法?」
「エルと私には効果がないんだ」
砂の魔法。
俺もまだ良く理解していない力だ。
要は、月からやって来た大精霊、レイリスの力なんだけど。
もともとレイリスの力を持っている俺には効果がなく、レイリスと特殊な契約をしているアレクにも効果がない力。
「紅茶とコーヒーどっちが良い?」
「コーヒー」
「かしこまりました」
アレクのメイドのアニエスが返事をする。
「少し休むと良い」
書斎の中には、アニエスのほかに、もう一人、メイドのライーザが控えている。
「ドラゴンはどこに行ったんだ?」
「目視で確認できたのは北西。グリフとローグに追わせている」
二人とも、アレクの近衛騎士だ。
「ドラゴンのスピードに敵うのかよ」
「王都の外で待機させていたからね。近場に降りるなら確認できるだろう」
すでに手配済み、か。
ソファーに座る。
「そういえば、ローグは何色にしたんだ?」
アレクはいつも、自分の近衛騎士に特別な色のマントを贈っている。
「黒紅だよ」
「それ、黒なのか?紅なのか?」
「赤みがかった黒だね」
黒紅のローグバル。
パーシバルは知ってるのかな。
「あのドラゴンは、おそらくドラゴン王国時代に封印されたドラゴンだ。神の台座から来たって言っていた。今の時代を知らない。魔法使いの存在を知らない」
「神の台座か……」
オービュミル大陸の北。もっと詳しい位置を言うなら、西の果てのグラシアル女王国の北に、神の台座はある。
氷の大精霊によって氷漬けにされていた場所だが、その氷の大精霊は、もう居ない。
「自分の眷属の力を感じるって言っていた。アレクが殺したドラゴンのカーバンクルのことかもしれない」
カーバンクルは竜殺しの証。
ドラゴンが死んだ瞬間、その脳がドラゴンの眉間で結晶化し、宝石になると言われている。
「カーバンクルが生前のドラゴンの力を秘めていると?」
以前、アレクが紫竜ケウスを殺した際に持ち帰ったカーバンクルは、アレクの盾の装飾になっている。
「だから、王都に来たのかな。魔法研究所に調べてもらおうか」
魔法研究所に頼めば、何らかの力を持っているものかどうかがわかるだろう。
「ライーザ。陛下に報告を」
「かしこまりました。盾の調査依頼はいかがいたしましょう」
「休み明けで良いよ」
「新年の御視察にはお持ちになりませんか」
「ん……。別のものを用意しよう」
「かしこまりました」
ライーザが部屋を出る。
相変わらず忙しいな。
「エルは、ドラゴンとその大剣で戦っていたのかな」
大剣を振り回したのなんて生まれて初めてだ。
「ドラゴンと戦うなら大剣じゃないと無理だろ。これの名前はリュヌリアン。リリーの剣で、名工ルミエールの作品だ。月の石でできているらしい。魔法を斬れる剣で、大精霊が宿っても破壊されなかったんだ」
「そういえば、ドラゴンのブレスを斬っていたね。あれは精霊の力を宿していたからか」
良く見てたな。
「リリーの真似だよ。全然、使いこなせなかった」
リリーなら、もっと上手く扱えただろう。
ドラゴンを逃がすことなく仕留めていたかもしれない。
「いつものレイピアは?」
「あ。……あいつに刺さったままだ」
回収できなかった。
「刺さったまま?エルのレイピアは、ドラゴンの皮膚を貫通したってことかい」
そういえば、ドラゴンの皮膚を貫通してたな。
ドラゴンは気付いてなかったみたいだけど。
イリデッセンスはドラゴンの皮膚に傷をつけられるレイピア……?
全然気にせず使っていたけれど、それってすごくないか?
片手剣ですら、ドラゴンの皮膚を貫けるものなんて、そうそうないだろう。
「大剣と真っ向勝負しても折れないレイピアなんだ。それに、プラチナ鉱だから杖と同じぐらい軽い。名前はイリデッセンス。リリーが作ったんだよ」
「リリーシアが、作った?」
アレクが驚いてるの、久しぶりに見たな。
俺だって、びっくりしたんだ。
「リリーはルミエールの弟子だ」
アレクが考え込むように口元を抑える。
「どうしたんだ」
「女性にしておくのがもったいないね」
「どういう意味だ」
「今すぐにでも、手元に置きたい」
「やらないからな」
アレクが笑う。
「エル、相談があるんだけど」
「絶対やらないぞ」
「しばらく、死んで欲しい」
「は?」
なんだって?