03 二人きりの時間は大切に
「今年はカウントダウンに居るんだな」
シャルロが本を読みながら白のポーンを動かす。
「カミーユにも言われたな、それ」
黒のポーンを動かす。
「暇なのか」
シャルロが白のナイトを動かす。
「リリーがミラベルのタルトを焼いてるから」
次は、黒のクイーンを。
「逃げてきたのか」
甘いものも、甘い匂いも苦手だ。
だからシャルロの家に来たのだ。
セントラルの官庁通りに弁護士事務所を構えるシャルロは、カミーユと同じく、養成所を卒業した同期。
「本を借りたら帰るよ」
次は、黒のナイトを動かして立ち上がる。
シャルロの書斎には、俺が預けてある本もたくさんあるから、何か持っていこうと思ってたのだ。
そういえば、ドラゴン王国時代のレシピ本があったな。
……あった。これだ。
眼鏡をかけて、ページをめくる。
流石に知らない食材ばかりだ。
ソファーに座って、チェスの駒を動かす。
たぶん、現代の言葉とは違うんだろう。……少量しか使わないのは、香辛料やハーブか?煮込んだ後に取り出すのは、ローリエだろう。似たような名前だ。
あれ?でも、あの木が発見されたのっていつだっけ?もしかしたら原生種?
植物学の本、この部屋にあったっけ……?
シャルロの手が動いたのが見えて、チェス盤を見る。
次は……。ビショップを動かし、また本棚に戻る。
あった。植物学の本。
やっぱり、原生種だったな。使用方法は同じみたいだ。
じゃあ、こっちの食材も原生種だとすると……。
※
養鶏の歴史について載った本を読みながら、チェス盤のルークを動かす。
「チェックメイト」
もう、黒が勝てるのは決まっていたけど、いつもみんなとやる時は、途中でやめないでチェックメイトまでやることにしている。
気を抜くと、たまに引き分けになってしまうけど。
「終わったか」
シャルロが顔を上げ、眉をひそめる。
「エル。何やってるんだ」
「ん?」
「本当に、お前は散らかすのが好きだな」
シャルロがため息をつく。
気が付いたら、書斎の床には本が散乱している。
「何を調べてたんだ?」
「ドラゴン王国時代って、人間は菜食だったかもしれない」
「菜食?そんな話しは聞いたことがない」
「このレシピ本、肉や魚が出てこない。乳製品は使ってるみたいだけど、卵も使ってない。煮物、蒸し物、揚げ物、色々あって面白いんだけど」
「菜食主義者の本じゃないのか」
「そんな説明書きはなかった」
「当時は、家畜を飼っていたはずだが。鶏も……」
「それ。調べたら、鶏は暁鶏と呼ばれ、朝を告げる鳥だったらしい。闘鶏にも使われていた。本には食用にも使われていたって書いてあったけれど、食用には使われていなかったかもしれない。他に飼われてたのは牛や山羊、羊だ。肉食以外の目的で飼っていた可能性もある」
「可能性って。ミルクや羊毛を得る為だけだって?」
「そうだよ。もしくは、ドラゴンへの供物」
「ブラッドドラゴンへの供物か……」
ドラゴンの分類方法の一つ。クレアドラゴンか、ブラッドドラゴンか。
クレアドラゴンは、草食で血の色が透明か乳白色のドラゴン。
ブラッドドラゴンは、肉食で血の色が赤いドラゴンだ。
ドラゴン王国時代は、どの国も守護竜と呼ばれるドラゴンを祀っていた。
ドラゴンは、自身が守護する国を、他のドラゴンや戦争から守っていたのだ。当時、守護竜を持たない国も、街もなかったと言われるほど、ドラゴンは人々の生活と共に在る存在だった。それ故に、この時代はドラゴン王国時代と呼ばれる。
現在、オービュミル大陸で確認されているのはクレアドラゴンのみ。ブラッドドラゴンは人間や家畜を食う為、そのすべてが討伐されている。
「答えが性急過ぎるな」
「これが事実だったら面白いだろ?前に読んだ本に出ていた料理も載っていた。現代にもない、かなり工夫された味付けの料理だ。菜食主義者の連中も、こうやって食べれば美味いのに」
「わかるのか?」
「想像はつくよ。ある程度、現代に通じる食材のことは調べたから、今度作ってやる。……他にも、この時代のレシピ本があれば良いんだけどな。そうしたら時代考証が進む」
「当時の書物を探すのは難しいぞ。今ここに在る本だって、奇跡みたいな存在だ」
ドラゴン王国時代の文献を探すのは難しい。それは、ドラゴン王国時代を終わらせた二つの要因による。
一つは、大規模な戦争。
ドラゴン王国時代の終わりには、クレアドラゴンを祀った国々と、ブラッドドラゴンを祀った国々の間で、大規模な戦争が行われたと言われている。
個々で戦争を行っていた都市国家群が、祀っている守護竜の種類で手を組むようになったと考えられているからだ。クレアドラゴンを祀る人間にしてみれば、肉食のブラッドドラゴンを祀る国は野蛮な国に見えるだろう。ブラッドドラゴンは人間を食うのだ。人身御供を行っていた国の存在だって確認されている。
その戦争は力と力のぶつかり合いで、多くの国や都市がドラゴンによって焼き払われたらしい。
もう一つは、原因不明の大洪水。
ドラゴン王国時代の遺跡の多くは水没し、陸にある遺跡から発掘された当時の文献ですら、一度水を被った為に状態の悪いものが多いのだ。
その状況から、当時よりも水位が上がっている可能性も指摘されている。
大きな地震によって地下水が吹き出したのだとも、どこかに氷塊があってそれが解けたのだとも言われているが、どれも決め手に欠ける。
とにかく、ドラゴン王国時代の文献で状態の良いものは少ないのだ。
「遺跡に潜れば探せるかな」
ドラゴン王国時代の遺跡はいくつか見つかっているが、どれも国の探索はすべて終わっている。
ただ、終了したと言っても、完了しているわけでは無い。人間が立ち入ることが困難なために未探索のまま残っている部分があるのだ。そこに、保存状態の良い資料が存在する可能性はある。
最も、冒険者たちが探索に向かったとしても、ほとんど成果を上げられないのが現状らしい。いつ崩れるともしれない廃墟で、何が棲んでいるかもわからない場所だから当然なんだけど。
「遺跡には近づくな。大地震の後なのに、押しつぶされても知らないぞ」
「大地震?」
「知らないのか?大陸全土が揺れたって話しだぞ。ジェモの二日にあっただろう」
ジェモの二日って……。
グラシアルの女王が滅んだ日。
あの日に大地震?
もしかして、俺が転移中の話しか?
いや。転移の直前、女王の居城だったプレザーブ城が崩壊を始めていた時には、すでに地震が始まっていたのかもしれない。
「地形や地質の変化、水質や水脈の変化、遺跡も一部が倒壊したり、隆起したりしてるらしいな」
「知らなかった」
「お前は結婚式で忙しかったからな」
「忙しかったのはそのせいじゃない」
リリーと結婚式を挙げたのは、リヨンの十六日。
その準備も忙しいと言えば忙しかったけど、一番大変だったのは薬の注文だ。
二か月ぐらい王都を留守にしていたせいで、俺がやっている薬屋は注文の山だった。
あいつら、自分で作れるような薬まで注文しやがって。嫌味か。
俺が店を留守にしている間、同期の連中や知り合いがルイスとキャロルの様子を見に来てくれるのはありがたいけど、決まって、どうでも良い薬を注文していく。
ルイスが作れる薬だってあるのに、わざわざ古代語で書いて行くから、ルイスには読めない。
「遺跡が隆起したってことは、深部に入れるようになったのか?」
「可能性はあるだろう。けど、遺跡は国の管理下にあるんだ。詳しい事はアレクシス様に聞け」
「アレクの管轄なのか?」
「冒険者ギルドを通じて調査させているらしい」
「冒険者ギルドか……」
ギルドに行って仕事を請け負えば、遺跡に入れそうだな。
「エル、忠告は無視するなよ。お前が行けばリリーシアがついて行くだろう」
あぁ、そうだった。
リリーは絶対ついて来る。
しかも遺跡なんて考古学の分野だ。絶対興味があるだろう。
剣術大会を諦めさせた分、遺跡の調査を諦めさせるなんてできない。
どうするかな……。
「コーヒーをお持ちいたしました」
書斎にカーリーが入ってくる。
カーリーはシャルロの事務所で働く弁護士の卵だ。
テーブルで空になったカップを下げると、カーリーが淹れたてのコーヒーを並べる。
「昼食もご用意いたしましょうか?」
「いや、コーヒーだけもらって帰るよ」
コーヒーを飲む。ウフルブレンドだ。
そういえば、リリー、ここでマカロンを食べたって言ってたな。
「カーリー、王都でお勧めのマカロンってあるか?」
「有名なものはグストーのマカロンですね。個人的にはパティスリーエリーゼのものがお勧めです」
エリーゼか。
確か、イーストに店があったな。今度買ってみよう。
「カーリーは年末年始、ここで過ごすのか?」
この時期は皆、実家に帰ると思ったけど。
「当たり前だろ。カーリーの家はここだ」
「え?」
ここ?
「カーリーは俺の妻だ」
「はぁ?それ、知らないぞ。いつ結婚したんだ」
読んでいる本から目を上げずに、シャルロが答える。
「同棲歴が三年以上で事実婚とみなされる」
そんなに前からカーリーと同棲してたのかよ。
「カーリー、エルが散らかした本を片づけておいてくれ」
「はい。かしこまりました」
「ほら、エル。夫婦の時間を邪魔するな。用が終わったなら帰れ」
「わかったよ。結婚おめでとう、シャルロ、カーリー」
いつ結婚したんだか知らないけれど。
「お前らしいな」
「何が?」
「ありがとうございます、エルロック様」