02 愛妻家の朝食
「エル、起きて?」
「ん……」
頬を優しくつつかれる。
「おはよう、リリー」
「おはよう、エル。朝食出来たよ」
朝食?
起き上がって、リリーを見る。
あれ?今日は白い服?
違う。
白い……。
「エプロン?」
なんで、メイドみたいな恰好してるんだ?
「うん」
リリーがエプロンの裾を広げる。
フリルのついたエプロン。可愛いけど、実用性は低そうだな。
スカートみたいだ、と思ったら、リリーがエプロンの下に着ているのもワンピースだ。
水色のワンピース。
リリーが自分からこんな服を選ぶなんて珍しい。
「似合ってる」
「え?あの、」
「可愛いよ」
リリーが顔を赤くする。
「すぐ、からかうんだから」
いつも、からかってないって言ってるんだけど。
いつになったらその口癖、治るんだ。
あれ……。
なんで、エプロンの端に血痕がついてるんだ?
「リリー、ちょっと来い」
リリーの両手を掴む。
左指に傷跡がある。
「怪我した?」
「どうしてわかったの?」
「傷跡がある」
エプロンに血がついてるの、気づいてないのか。
「包丁で切っちゃったの。薬をつけたから大丈夫だよ。もう少し、上手くなるように頑張るから」
そういうところも可愛いんだけど。
また、からかってるって言われるからやめておこう。
「先に行ってるね」
「あぁ」
リリーが部屋を出る。
さてと。
ベッドから出て、伸びをする。
「集まれ、精霊たち」
精霊を呼んで、目を閉じて、魔力を集中する。
大地、闇、水、炎、光、冷気、大気、真空、天上と地上を繋ぐ、すべての元素。命。
自然と、世界とに同調し、呼吸を合わせて……。
『エル、ちょっと待ってぇ』
「ユール?」
目を開く。
『あのねぇ、相談があるのぉ』
「相談?」
『大事なことなのぉ』
突然、イリスが顕現する。
『顔合わせて話したら?』
「イリス?なんで俺の許可なく顕現できるんだ」
イリスは俺と契約してるから、俺の許可なく顕現できないはずなのに。
『契約の仕方が中途半端だったからじゃない?』
「今は自分の魔力を使って顕現してるのか?」
『まさか。エルの魔力を使ってるよ』
「なら良いけど」
『良いのかよ。ボク、自分の魔力を使ったって良いんだぞ』
「契約してるんだから、俺の魔力を使え」
『……エルは、そう言うと思ったけどね。エルが死にかけない限りはそうさせてもらうよ』
イリスと交わした契約を思い出す。
―エル、ボクはお前の精霊になる。いいな?
―あぁ。俺はお前を守る。
あれが契約と言えるかどうかわからないほど、大雑把な契約だったけど。
昔から使われている正式な祝詞を使わなかったんだから、しょうがない。
イリスがもともとリリーの精霊だったからかもしれないし、イリスを生んだ氷の大精霊との繋がりや本来の契約者やら、特殊な事情が多かったせいかもしれない。
確定している事実は、今の正式な契約者が俺であることぐらいだ。
「全員、顕現してくれ」
『了解』
闇の精霊、メラニー。
『了解』
大地の精霊、バニラ。
『わかったわ』
雪の精霊、ナターシャ。
『はーい』
風の精霊、ジオ。
『うん』
炎の精霊、アンジュ。
『じゃ、お話ししよっかぁ』
そして、真空の精霊、ユール。
『あのねぇ。しばらく、魔力の集中しないで欲しいのぉ』
「なんで?」
『あたし、このままじゃ、強くなり過ぎちゃうのよねぇ』
「強くなり過ぎる?」
『メラニーもそうだよねぇ?』
『そうだな』
「どういうことだ?」
メラニーとユールは、俺が養成所時代に契約した付き合いの古い精霊だ。
『エル、忘れたのかよ。ボクがエルの魔力で変化したの』
「そういえば、人間の姿になってたな」
イリスと最初に会った時は、鳥の姿だったけど。
『精霊の姿は魔力を映す。あんまり魔力が強くなり過ぎると、強い精霊になるんだよ』
強い精霊って、人の姿をした精霊のことだろう。
一般に目にする精霊は、今のイリスの姿と同じ。花の妖精と同じ、羽の生えた小人の姿だ。羽を持たないのも居るけど、飛べるから一緒だろう。
「強い精霊って、大精霊か?」
『違うよー、エル』
『大精霊って、神様から直接生まれた精霊よね?』
どっちも見た目は人の姿だ。
「何が違うんだ?」
『子供を産めないこととぉ、魔力が桁外れに違うこと以外はぁ、一緒よねぇ』
『大精霊とは、神に近い存在だ』
神に近い存在。
確かに、あれだけ色んな奇跡を起こせるのなら神に近い存在と言うのもわかる。
大精霊と強い精霊っていうのは、根本的に違う存在なんだろう。
でも、人型を取れるほどの強い魔力を保持してるわけだから……。
「人間に強い影響を与える可能性がある?」
『正解ぃ』
エイダの時みたいになる可能性があるってことか。
『だからぁ。あたし、自由に自分の魔力を消費したいのよねぇ』
「俺の魔力を使わないから、常時顕現の許可をしろってことか?」
『だめぇ?』
「それ、俺と契約してる意味あるのかよ」
俺の魔力を使わないなら、精霊側にメリットがないと思うけど。
『あたしはぁ、エルと一緒に居たいものぉ』
「俺の魔力を使わないって言うなら、代わりに俺に何か求めろ」
一方的に俺だけメリットがあるなんて。契約の意味がない。
『そうねぇ……。じゃあ、作って欲しい薬があるのぉ』
「作って欲しい薬?レシピは?」
『ないよぉ。あたしも作れない薬だものぉ』
「ユールが作れない薬?」
そんなの、あるのか?
ユールは錬金術の知識が豊富だ。古い錬金術の知識に詳しい。現代錬金術だって、養成所時代から俺と学んでるから十分過ぎるほど知っているだろう。
たぶん、ユール以上に錬金術の知識を持つ奴なんて居ない。
『作るのは急がないけどぉ。いずれ、必要になると思うのぉ』
「なんだそれ。何に使うんだよ」
『ふふふ。ナ・イ・ショ』
ユールが、人差し指を口に当てて笑う。
『顕現の許可はぁ?』
「なら、ユール。俺がその薬を完成させるまで、自由に顕現することを許可する。メラニーは?」
『私は顕現の許可は必要ない。その代り、闇の魔法を使う時は、私が自分の魔力で発動するようにしよう』
「メラニーの代償は?」
『不要だ。私が自分で魔法を使うのに、誰の魔力を使おうと自由だろう。……どうしてもと言うのなら、たまに光の洞窟に連れて行ってくれ』
光の洞窟は、俺がメラニーと契約した場所。
ラングリオンの聖地・グラム湖のほとりにある洞窟だ。
「わかった。じゃあ、魔法を使う時は頼むよ。……っていうか、みんなも、それで良いのか?俺、一人一人に魔力を送るなんて器用なこと出来ないぞ」
『エル。魔力の集中をしなくても、エルが魔法を使わなければ、日常で得られる魔力の余剰分は私たちに還元されている』
あ。そうだった。
『オイラたちも、このままじゃ強い精霊になっちゃうからねー。それぐらいでちょうど良いよー』
『もう戦う必要ないんだし。そんなにボクらのこと心配しないでよ』
『せっかく新婚なんだから、リリーとのんびりしたら良いじゃない』
『えっと……。結婚してからの一か月間は、リュヌドミエルって言うんだよね?』
「そうだよ」
長話になったな。
そろそろ行かないと、リリーも、ルイスとキャロルも待ってるだろう。
※
「おはよう」
台所に入ると、食器を洗っている音が聞こえる。
「おはよう、エル。お寝坊さんね」
踏み台に乗って洗い物をしているキャロルが振り返る。
「おはよう。遅いよ、エル。もう食べ終わっちゃった」
「悪かったな」
ルイスが飲んでいるのは食後のコーヒーか。
隣に座ると、リリーが俺の前にスープを置く。トレイを持っていると、本当にメイドみたいだな。
あれ?このスープの具……。
「僕とキャロルは、これからアリス礼拝堂に行くからね」
朝食に並んでいるシナモンロールを手に取る。
「朝から?」
あ。このシナモンロール。コーヒーの風味がある。
リリーが作ったのか。
「うん。いろいろ準備があるからね」
毎年、礼拝堂では大晦日に無償で食べ物を配っている。ルイスとキャロルはそれを手伝うらしい。
もともとは貧困層に配っていたもので、パンとワインだけだったのだけど。今では食べ物を持ち寄る人が増えて、訪れる人なら誰にでも配っている。
リリーも、余ったミラベルでタルトを焼いて持って行くらしい。
昨日、焼いてくれたタルトは美味しかったな。
※
「じゃあ、エル、リリー、いってきます」
「いってきます。戸締り宜しくね」
「あぁ。いってらっしゃい」
「いってらっしゃい、ルイス、キャロル」
ルイスとキャロルが出ていく。
それを見送って、ショコラのパンを取る。
こっちは、胡桃とオランジュピールが練りこんであるのか。ショコラのほろ苦さが出ていて美味いな。
リリーが隣に座る。
「あの、どうだった?」
「ん?……美味いよ。どっちのパンも。コーヒーとシナモンって合うんだな」
この組み合わせで作られたパンを食べたのは初めてだ。
「あの、スープは?」
「野菜切ったの、リリーだろ」
「うん」
キャロルの切り方じゃない。
それで、指を怪我したんだろう。
「無理に同じ厚さを目指さなくても良いよ。同じぐらいの大きさなら火の通りは一緒だ」
「うん。もう少し、上手く包丁を使えるようになるから」
「使っていれば、そのうち慣れる」
「頑張るね」
あれだけ剣術の才能があるなら包丁も……。
関係ないか。
「コーヒー淹れるね」
リリーが慣れた手つきでサイフォンを準備する。
その横に置いてあるアルコールランプに、炎の魔法で火を灯す。
「ありがとう」
そうだ。リリーに頼もうと思ってたことがあったんだ。
「リリー、ケーキを焼いてほしいんだけど」
「ケーキ?ガレットデリュヌじゃなくて?」
「ヴィエルジュの十五日はキャロルの誕生日。バロンスの九日は、ルイスの誕生日なんだ」
「誕生日ケーキだね。わかった。どんなのが良いかな」
「キャロルはマロン、ルイスはポワールのケーキを買ってるな」
「栗と梨?」
「あぁ」
結局、毎年同じものを選んでしまう。
「毎年、お祝いしてるんだね」
「親なんだから、それぐらいするよ」
ルイスとキャロルは、俺が養子として引き取ったのだから。