00 逆手に取る
王国暦六〇七年、リヨンの二十九日。
ラングリオン王国、王都。
「パッセ、居るか?」
ランチの時間が過ぎ、準備中の看板がかかっている店の扉を開くと、馴染みの店主が台所から顔を出す。
「もう帰って来たのか。エル」
「もう、ってどういう意味だよ」
「お前は一度旅に出ると一月ぐらいふらふらしてるだろ。去年は年末に居なかったんじゃなかったか?」
「年越しは家族と過ごしたかったから、出かける予定じゃなかったんだよ」
なのに、ルイスとキャロルが、リリーと温泉に行って来いなんて言うから。
「それで急いで帰って来たのか」
「ルイスとキャロルが一緒に行くなら、もう少しのんびりしても良かったけど」
「馬鹿だな。新婚夫婦について行きたがる子供がいるわけないだろう」
同じ理由で、ルイスとキャロルに断られたのを思い出す。
「で?何の用だ?」
カウンターの上に、持って来たバスケットを置く。
「土産」
「土産?」
バスケットにかけていた布を取る。
「ミラベルだ」
「おぉ。すごい量だな。どこで仕入れて来たんだ?」
「貰ったんだ。プリュムで」
「プリュム?」
「ミラベルの産地で有名な温泉村だよ」
「また、変なところに行って来たな。セズディセット山に行ってきたんだろ?」
「そうだよ」
セズディセット山の温泉地といえば、カメリアとメディアが有名だ。どちらも観光地として整備されていて、賑わっている。
プリュムは有名な温泉地から少し離れた場所にある村で、交通の便も少し悪く、温泉が湧いていることも、あまり知られていないような場所だ。
静かな場所でのんびりしたかったから、その村を選んだのだけど。ミラベル収穫の最盛期だったプリュムは、忙しくて、どこも宿を閉めていた。泊まった宿は少し無理を言って開けてもらった場所だ。サービスは何もしなくて良いから貸切で泊めてくれって頼んだのだけど、何かと世話を焼いてもらった。
「良い場所だったぜ」
ピアノとバイオリンまで貸してもらったし。リリーとの演奏はとても楽しかった。
やっぱり、ルイスとキャロルも連れて行けば良かったな。
養子として引き取ってから旅行になんて全然連れて行ってない。あそこは自然が豊かでのんびりできるところだったし、今度は家族皆で行こう。
「泊まった宿の女将が、土産にってミラベルを分けてくれたんだ」
リリーが女将に気に入られて、帰り際に大量に貰ったのだ。
ここに持って来たのだって、貰った分の半分ぐらい。リリーがミラベルのジャムにして結婚式に来た連中に配っていたけど、それでもまだ残ってる。
「すごいな。これだけあれば……」
甘い果実はそのまま食べても美味しいのだけど。
「ミラベルのワインが作れるだろ?」
「目的はそれか」
「当然」
パッセなら、上手く作ってくれると思ったから。
「飲み頃になるには、一か月はかかるぞ」
「じゃあ、それぐらいに飲みに来る。頼んだぜ」
「了解」
さてと。
リリーを迎えに行くか。
リリーは今日、マリーに焼き立てのミラベルのタルトを届けると言って、オルロワール家に行っている。
オルロワール家があるのは、王都の富裕区、セントラルの東側だ。
※
オルロワール家。
玄関先で待っていると、すぐにメイドがリリーを連れてきた。
「リリー。迎えに来たぜ」
リリーシア・クラニス。
長い漆黒の髪を高い位置で二つに結んだ、輝く黒い瞳の持ち主。
背が低く華奢ななりにも関わらず、その背には身長とそう変わらない長さの大剣・リュヌリアンを背負っている。大剣を持っているのに鎧を着ていないなんて違和感があるけれど。どんな恰好であろうとも、愛剣だけは常に持ち歩かないと気が済まないらしい。
もう、王都の誰もが見慣れた光景だろう。
「エル。迎えに来てくれてありがとう」
リリーが微笑む。
「もう用事が終わったの?」
「ミラベルを渡して来るだけだからな」
「そっか」
「行こうぜ」
「うん」
リリーと一緒にオルロワール家を出る。
今日は、これから買い物に行く予定だ。年末の買い出しは今日で最後。買い忘れがないようにしないと。
「あのね、エル」
「ん?」
「私、剣術大会に出たいんだけど……」
「は?」
『剣術大会って何?』
『毎年ラングリオンでやってる大会よぉ』
グラシアル出身なら、ラングリオンの行事には詳しくないだろう。
剣術大会は、ラングリオンでバロンスの十三日から十七日まである真剣勝負の大会だ。
『マリーから聞いたのか?』
「うん」
『リリー、参加するのー?』
「まだ決めてないんだけど……」
リリーが俺を見上げる。
「あの……。だめかな」
「俺が何て答えるかわかってて聞いてるんだろ?」
「そうだけど……」
なら、聞く必要なんてないはずだ。
肯定の返事をすれば喜ぶ顔が見られるけど、冗談じゃない。
否定の返事をすれば落ち込むのが目に見えてるんだけど。
「あの、本当にだめ?私……」
何も言わなくても、落ち込んでる。
どうすれば良いんだ。
あぁ、もう。
「リリー。決闘だ」
「え?決闘?」
諦めさせることが出来る方法。
「私と戦ってくれるの?」
「そうだよ」
……喜んでる。
「勝った方が負けた方の願いを聞く。これでどうだ?」
「もちろん!ありがとう、エル」
可愛い。
その顔、すごく好きなんだけど。
どうして、このタイミングなんだ。
王都、中央広場の南東。
王都守備隊三番隊の宿舎に、三番隊隊長のガラハドが居る。
「こんにちは」
「おぉ。夫婦そろって何の用だ?」
「演習場借りるぜ」
「演習場?まさか、また決闘でもやろうって言うのか」
「はい」
喜んで言うことじゃないだろ、リリー。
「また賭けでもしてるのか?リリーシアの頼みぐらい聞いてやれ」
「何も頼まれてないよ」
俺に賛成して欲しいみたいだけど。直接言われたわけじゃない。
「暇なら審判をしてくれ」
「審判ぐらいやってやるが。良いのか?」
「良いんだよ。演習用の武器は要らない。リリー、真剣勝負だ。リュヌリアンを使え」
「えっ?」
「手加減しない」
演習場に入って、短刀の鞘が付いたベルトを付け替える。それから、左手にレイピアのイリデッセンスを、右手に短刀を持つ。
『あれ?いつもと逆?』
「あぁ」
いつもだったら、右にレイピアを持って左に短刀を構えるからな。
ベルトの位置を変えたのも、その為だ。
今日の目的はリリーを敗北させることだから。
『エルにリリーが斬れるのぉ?』
「斬らないよ」
リリーに怪我させるなんて考えられない。
『え?じゃあ、負けてあげるの?』
「そんなわけないだろ」
『やっぱり、リリーに出場して欲しくないんだね』
当たり前だ。
少し遅れて、リリーとガラハドが来る。
「エル、負けないよ」
リリーがリュヌリアンを抜いて構える。
相変わらず、すごい迫力だ。
「あぁ。かかって来い」
イリデッセンスと短刀を逆手に持って構えると、リリーが眉をひそめる。
いつもと得物の持ち手も構えも違うから戸惑っているんだろう。
……やることは一つだ。
「では、合図を」
ガラハドが右手を上げる。
そして。
「はじめっ!」
合図と共に短刀を腰の鞘に戻す。そして、右手をリリーの死角となる後方に隠しながら風の魔法で加速し、一気にリリーとの間合いを詰める。
「!」
予想通り。リリーの攻撃は利き手側からの袈裟斬り。
その攻撃は見慣れてる。
リリーの初撃は、大きな粗もなく、次の攻撃も繰り出しやすい良い形だ。でも、今回は意味がない。
左手で持ったイリデッセンスにリリーのリュヌリアンを当てる。
理想的な場所で交差した。ここまで大剣を振った状態なら、他の動きに持って行くのは難しいだろう。今から攻撃の手を止めようとしても無駄。そのままリュヌリアンを振り切ってもらう。
真空の魔法でリュヌリアンをイリデッセンスに引きつける。闇の魔法で自分の影を作りながら、リュヌリアンを引っ張ったまま右側を走り抜け、リリーの背後へ回る。
リリーは闇の魔法の影響で、まだ俺が右手に居ると思っているはずだけど。
「あ……」
コントロールを失った大剣ごと体勢を崩したリリーの首に右手を当てる。
「終わりだ」
「……」
攻撃の手を封じられ、何も出来ないまま背後に回られたとあれば降参するしかないだろう。
大人しくリリーがリュヌリアンを手放す。
「勝者、エルロック」
ガラハドの声が響く。
勝ったけど。
「ごめん、リリー」
「えっ?」
リリーが俺の右手に触れる。
「いつ、しまったの?」
「開始の合図の直後だよ」
リリーが項垂れる。
ようやく、俺が短刀を持ってないことに気づいたか。
「リリー、約束だ」
「はい」
リリーが目に見えるほど落ち込んだ顔で振り返る。
さっきは、あんなに喜んでいたのに。
「俺の願いはこうだ。剣術大会が終わるまで、リュヌリアンの持ち主を俺にする」
「えっ?」
リリーが顔を上げる。
「あの、大会に出場しちゃダメって言うんじゃ……」
「リュヌリアンなしで出場できるのか?」
リリーの背からリュヌリアンの鞘を取って、落ちているリュヌリアンをその鞘に納める。
重い。
良く、こんな大剣振り回してるな。かなりの重量だ。
「ほら、行くぞ」
いつまでも、こんなところに居ても仕方ない。
「はい」
鞘に納めたリュヌリアンを背負って、リリーを連れて演習場の入口へ向かう。
……なんだ、あのギャラリーは。
「パーシバル」
三番隊の隊員たちだ。さっきから居たっけ?
「お前ら、暇なのか」
「今回は何を賭けてたんっすか?」
「これだよ」
背負っているリュヌリアンを指す。
「良いなぁ。リリーシアさん、その剣、エルロックさんにあげちゃったんですか?」
「えっ。あげてないよ!」
リリーが慌てて否定する。
「剣術大会まで、エルに預かってもらうことになったんだ」
「また、変わった約束っすね。リリーシアさんが勝ったら何をもらう予定だったんっすか?」
「えっと……」
「関係ないだろ。邪魔したな」
さて。どうやってリリーの機嫌を直すかな。