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旧作3-1  作者: 智枝 理子
序章
2/149

Fleue de Lune

 良く晴れた、輝く望月の晩。

 ラングリオンの王都、セントラルのイーストサイドにあるオルロワール家の敷地内に、風の魔法で塀を越えた黒い影が入る。

「トラップは?」

『いくつか設置されているが、回避するのは簡単だ』

「案内してくれ」

『了解』

 右へ、左へ。

 闇の精霊の指示に従って、影が走る。

 闇の魔法で完全に姿を隠した彼を見つけることは、一般の衛兵はもちろん、闇の精霊ですら難しい。当然、彼と共にある闇の精霊も、彼の姿を正確に把握しているわけではない。しかし、長い付き合いの二人にとって、お互いの存在を視認せずに走り抜けることなど造作もないことだった。

 衛兵が監視する目の前を通って屋敷の傍に近づいた影は、風の魔法の補助を使って木の枝に登ると、あらかじめ開けておくよう打ち合わせていた窓から屋敷の中へ侵入する。

「誰?」

 物音に気付いた女性が暗闇の中で声を上げる。

 部屋に居たオルロワール家の令嬢、マリアンヌが光の魔法で周囲を照らすと、闇の魔法が解け、侵入者が姿を現す。

「俺だよ」

 金髪に紅の瞳。

 この国では少々目立つ容姿を持つ彼の名は、エルロック。

「遅かったじゃない。エル」

 マリアンヌの話を無視して、エルロックは窓から外を確認する。

 先ほどマリアンヌが放った光が衛兵の気を引いた可能性があったが、どうやら外は静かなようだ。

 確認が済むと、彼は空を見上げた。

 天上で月が煌々と光り輝いている。

「時間通りだろ」

 今は月が南中する深夜。約束の時間だ。

 光の魔法を使ったことを責めたいところではあったが、夜間に顔の見えない侵入者が来たとなれば無理もないだろう。それに、口論に割く時間はない。

「メラニー。誰も居ない?」

『マリー以外は誰も居ない』

 契約者の呼びかけに闇の精霊、メラニーが答える。

「失礼ね。言われた通り人払いはしてあるわ」

『マリーはちゃんと約束は守るわよ』

 マリアンヌと彼女と契約する光の精霊、ナインシェの抗議に、エルロックが肩をすくめる。

「なら良いけど。さっそく始めるぞ。説明してた通り、まずはナインシェと契約を解除してくれ」

「理由は教えてくれないの」

「教えない」

 エルロックの言葉に不満そうな顔をしながらも、マリアンヌはその言葉に従う。

「ナインシェ、お願いできる?」

『もちろん』

「光の精霊、ナインシェよ。マリアンヌの名の元に、契約の終了を宣言する」

『マリアンヌ。契約の終了を受け入れよう』

 顕現したナインシェの体から、黄金の巻き毛が一房落ちる。それは、マリアンヌが契約時にナインシェに渡したものだ。

「なんだか寂しいわ。体の一部を失ったみたい」

 マリアンヌが震えるように自分の体を両腕で抱く。

『ちょっとの間だけだよ。そうだよね?エル』

「大丈夫。終わったら元通りだから。次はメリブを顕現させてくれ」

「メリブ、顕現して」

 エルロックの目の前に、マリアンヌと契約している水の精霊、メリブが顕現する。

「久しぶり」

『久しぶりね、エル』

 傷ついた水の精霊にエルロックが触れる。

 彼は以前、傷ついた精霊を見たことがあった。その精霊もまた、今のメリブの姿と同様に、血が滴るように落ちる一本の糸を引いていた。傷ついた精霊は、そこから魔力が流れ続ける。魔力とは精霊の命そのもの。魔力をすべて失えば死に至る。

 最も、それは人間と契約することで緩和される状態でもある。傷を治すには至らないが、メリブはマリアンヌと契約することで、マリアンヌから魔力を得ている。

「待ってて。すぐに傷を治すから」

『エル……。心配だわ。こんな秘密裏に行わなきゃいけないなんて。安全な方法なの?』

「大丈夫。安全だし、誰も傷つかない」

「ねぇ。こんな時間じゃないといけない理由もあるの?」

「あるよ」

 淡く光る石をエルロックが取り出す。

「それが賢者の石?」

「違う。俺は賢者の石なんて作ったことはない」

「え?だって、精霊の傷を癒したことがあるんでしょう?」

 エルロックが眉をしかめる。

「なんでそんなこと知ってるんだよ」

 マリアンヌが気まずそうに視線をそらす。

「精霊が噂してたのよ。エルが誰かの傷を癒したって。そんなこと出来るのなんて賢者の石だけじゃない。違うの?」

 精霊の噂話を聞く機会など、どこにあるというのか。この話がどこで漏れたのかは知らないが、エルロックには看過できないことでもある。お喋りで噂好きな彼女のことだ。彼が賢者の石を作れるという話をあちこちで言いふらしているに違いない。

 ため息を一つ吐いて、エルロックは話を戻す。

「精霊の傷を癒すことは出来る。でも、方法については誰にも喋るな」

「わかってるわよ」

 その約束が守られる保証が何処かにあれば良いが。

 賢者の石とは全く別物のそれを窓辺に置くと、エルロックは祈るようにその場に跪く。

 それは、リリーシアが砂漠から持って来た石。月光を浴び続け、月の力で満たされた月の石だ。

「月の女神よ。どうか祈りを聞いてくれ。傷ついた精霊を癒す為に、その力を分けて欲しい」


 天上で輝く月から、一筋の光が月の石に降りる。

 そして、月の力で煌めく月の石から、輝く一輪の花が芽吹く。


「なんて綺麗な花なの……」

「月の花だ」

 花に触れないように気をつけながら、エルロックは一輪の花が咲いた石をマリアンヌに差し出す。

「この花を手に取って」

 マリアンヌが触れると、彼女が触れた部分から、月の花がさらさらと崩れていく。

「え……?」

「これで良いんだ」

 二人の目の前には、もう月の花はない。

「良いって、どういうこと?これで、いったい何が……」

「ほら」

『あ……』

 メリブが光り輝き、体から垂れていた糸が消えていく。

『魔力が満ちていく……』

『すごいよ、エル。メリブに力が溢れてる』

 ナインシェがメリブの周りを飛び回る。光の精霊に負けないほど、水の精霊は光輝いていた。

「どういうことなの?」

 やがて光は収束し、メリブは水の精霊としての落ち着きを取り戻す。

「メリブ、調子は?」

『えぇ、傷も治って元通りよ。力が溢れてる。ありがとう、エル』

「良かった」

 メリブから垂れ下がる糸はない。メリブの傷は完全に癒されたのだ。

『どうして、こんなことが起こったの?』

「少しは教えてくれても良いんじゃない?」

「この花は月の力の結晶。本来なら月の精霊を癒すことしか出来ないけど、人間の魔力を回復することも出来るんだ」

「人間の魔力を?」

 マリアンヌが少し考えた後、頷く。

「そういうこと」

 人間が一度に貯めておける魔力には限りがある。それを超えた分はすべて契約関係にある精霊が受け取るのが、人間と精霊の契約だ。

 月の花から受け取った過剰な月の力は、マリアンヌを通すことで水の精霊であるメリブの傷を癒す力となる。

 魔法研究所に勤める聡い彼女には、解説など不要だろう。

「ナインシェと契約解除しなければいけなかったのは、メリブにこの力をすべて渡す為だったのね」

「それ以外の方法で確実に癒せる方法が思いつかなかったんだ」

「ちゃんと説明してくれても良いじゃない」

「必要なことは先に話しただろ」

「これって月の石よね?月の石の特性なの?」

「俺以外の人間が願っても月の花は咲かない」

 光の消えた月の石をエルロックが仕舞う。

「どうして?」

「うるさいな。精霊の傷を癒す方法については何も聞かない約束だろ。メリブの傷も癒えたし、俺はもう帰る」

「待って。ナインシェとの契約に立ち会ってよ。エルがナインシェの声を急に聞けなくなったら不信がられるわよ」

 すでに窓から外に出ようとしていたエルロックが、マリアンヌの方に振り返る。

 人間と契約を交わした精霊の声は、基本的に契約者にしか聞こえない状態になる。しかし、第三者が契約に立ち会うと、契約に立ち会った者も声が聞こえるようになるのだ。

 エルロックは、マリアンヌとナインシェの契約に立ち会っていて、その事実は周囲も知っていることだ。その状態が崩れれば、あれこれと詮索されかねない。

「わかったよ」

「ナインシェ。もう一度契約してくれる?」

『もちろん』

 マリアンヌが自分の髪を一房切って、ナインシェに捧げる。

「温度を上げる神に祝福された光の精霊よ。請い願う。我と共に歩み、その力、我のために捧げよ。代償としてこの身の尽きるまで、汝をわが友とし、守り抜くことを誓う」

『マリアンヌ。我は応えよう』

 ナインシェがマリアンヌの髪をその身に取り込む。

『よろしくね』

「よろしくね」

 マリアンヌが胸を撫で下ろす。

「ナインシェが居てくれると落ち着くわ」

『ふふふ。そう言ってくれると嬉しいな』

「じゃあ、俺は行くぞ」

「このお礼はいつかするわ」

「礼なんて要らない。メリブは俺の家族だ。傷ついてるなら治すのは当たり前だろ。それに、マリーはメリブと契約してくれた。それで十分だ」

「当然よ。あんな状態で放っておくなんて無理だもの」

 メリブは彼が幼少時代に一緒に過ごした精霊だ。マリアンヌがメリブの傷を癒す為にメリブと契約してくれたことを、エルロックは感謝している。

『ありがとう。エル、マリー。感謝してもしきれないわ』

「元気になって良かった。また会いに来るよ。それじゃあ」

 闇の魔法で姿を隠したエルロックが、風の魔法で窓の外へ出る。

『同じルートで戻るか?』

「そのつもり」

『了解』

『マリー、気づいたんじゃないのぉ?』

『魔法研究所の人間だからな』

『砂漠にも行ってるみたいだしねー』

 マリアンヌは魔法の専門科だ。今得た情報と自分の持つ知識を繋ぎ合わせれば、彼女が真実にたどり着く可能性は高い。彼が、何者であるか。

「それでも、メリブの傷を治すことが優先だよ」

『エルは優しいね』

「別に、優しいわけじゃない」

 彼にとって、それは当然のこと。

『エル。オルロワール家を出るまで声を出さないように気をつけろ』

『光に当たれば魔法が消えるぞ』

 闇の精霊が、彼の行く先を的確に指示する。

『ほら急いでー』

 侵入時と同様に、エルロックは風の魔法を使ってオルロワール家の塀を越える。

『相変わらずエルって忙しいわ。今日の夜じゃないとだめだったの?』

「満月の晩じゃないとできないんだから仕方ないだろ」

『満月……?』

『今日って満月かしらねぇ』

『少しずれてる気もするが』

「出来たから良いんだよ」

 今日はリヨンの十五日。

 暦と月の満ち欠けが多少ずれるのは良くあることだ。

『リリー、起きてるかな』

 こんな時間にも関わらず、自分を見送ってくれた最愛の人の顔を思い浮かべる。

 リリーシア・クラニス。

 長い黒髪と雪のように白い肌、そして、輝く黒い瞳を持つ少女。

 彼女は氷の精霊と共に、エルロックの帰りを待っているはずだ。

『眠れないんじゃないのぉ?明日は結婚式でぇ、エルの誕生日だものぉ』

『エル、おめでとう』

『おめでとぉ』

『おめでとうー』

『おめでとう』

『おめでとう!』

『おめでとう。エル』

「どっちも明日のことだろ」

 賑やかな精霊のお喋りを聞きながら、エルロックはサウスストリートを南下する。

「ありがとう」

 契約者の小さな呟きに、精霊たちが微笑む。


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