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旧作3-1  作者: 智枝 理子
Ⅰ.王都編
14/149

12 お茶汲みは基本のお仕事

「背筋を伸ばして。姿勢が悪いようなら、何度でもやり直します」

「……はい」

「返事は?」

「はい」

「それでは、書斎に行ってもらいます。アレクシス様に恥をかかせることのないように。出来ないことが一つでもあった場合、すべての教育をやり直します」

 あれを、もう一度繰り返すなんて考えられない。

「身だしなみの確認を」

「はい」

 鏡に向かって、身だしなみを整える。

 整えると言っても、エミリーが完璧に整えたんだから、やることがないだろう。

「クロエ。リボンが曲がっています」

 胸の上のリボンの角度を、エミリーが直す。

 ただでさえハイネックで首を締め付けられるメイド服は苦しいのに。リボンなんて、ただの飾りだ。

 だいたい、こんなの、動いていればすぐに角度なんて変わるだろう。

 エミリーが睨む。

 あぁ。面倒だ。チェックし直そう。

 長い黒髪の上に乗ったカチューシャの角度を整え、眼鏡をかけ直す。

 鏡の中のブラッドアイと目が合う。

 ひざ下まである黒いスカートの中、両方の太ももには短剣が忍ばせてある。

 振り返って、エプロンのリボンを……。もう一度結び直すか。

「こちらの手袋を」

 エミリーから白い手袋を受け取る。

 そうだ。その前に、飴を舐めておかないと。

 口の中に飴を入れて、手袋を身に着ける。

「くれぐれも、粗相のないように」

「はい」

 何度目だ。

「今日お越しになられる方々の御名前は」

「オルロワール伯爵家より長男のアルベール様。ヴァジュイル辺境伯とそのご令嬢、エメロード様。ドーラ子爵とそのご令嬢アルシオーヌ様」

 一通り、暗記した名前を羅列する。

「では、参りましょう」

 エミリーに続いて、部屋を出る。

「?」

 あれ?

「どうかされましたか?」

 宝物塔を見る。

 何か、物音がしたような気がしたけれど。

 気のせいかな。

「いいえ」

 エミリーに続いて、皇太子の棟を出る。


 ※


 複雑な道を通って、皇太子の書斎へ。

「お。新人か」

 皇太子の近衛騎士、銀朱のツァレン。

「クロエと申します」

 スカートを軽く上げて、足を折り、挨拶をする。

「美人じゃないか」

「ツァレン様。クロエにはお触れにならないよう」

「わかってるって」

 エミリーが扉を開く。

 ツァレンの脇を抜けて、部屋に入る。

「おはよう。エミリー、クロエ」

 部屋には、メイドのアニエスとライーザが居る。

「おはようございます」

「おはようございます、アレクシス様」

「エミリーは仕事に戻るように」

「はい」

 え?

「クロエ。失敗は許されません」

「はい」

 エミリーが部屋を出て行く。

 最後まで面倒見るんじゃないのかよ。

「クロエ、おいで」

「はい」

 皇太子、アレクシス。

 机に向かっている間は眼鏡をかけていることが多い。

「この書類を頼むよ。ライーザ、コーヒーを」

「私が用意いたしましょう」

「じゃあ、クロエに頼もうか」

 サイフォンにコーヒーをセットし、マッチを擦ってランプに火を灯す。

「今日の客人は?」

「オルロワール伯爵家より長男のアルベール様。ヴァジュイル辺境伯とそのご令嬢、エメロード様。ドーラ子爵とそのご令嬢アルシオーヌ様です」

 さっき繰り返したばかりの人名を上げていく。

「張り切っているね、クロエ」

 くすくすと笑いながら皇太子が言う。

「こちらのお世話は、私一人で十分です」

「だそうだよ。アニエス、エミリーを手伝っておいで」

「かしこまりました」

「ライーザ。ピアノの調律をしておいてくれないか」

「はい」

 アニエスが書斎を出て、ライーザが隣の部屋に入る。ライーザが入った続き部屋には、ピアノとバイオリンが置いてある。たまに皇太子が呼んだ楽士が演奏するのも、貴族が連れて来た楽士が演奏を行うのも隣の部屋だ。

 コーヒーが入った。

 カップに注ぎ、皇太子の前へ持っていく。

「クロエの分は淹れなかったのか」

「私はメイドです」

「似合っているね」

 メイド衣装が似合うって言われて、喜ぶ奴、居るのか?

「誰も居ない時は、ゆっくりしたら良い」

「アレクシス様がいらっしゃいます」

「そうだったね」

 渡された書類に目を通す。

「仕事をしようか」

 謁見の約束をしてた連中が来る前に、少しでも仕事を進めよう。


 ※


 約束をしていた貴族が、次々とライーザの案内で皇太子の書斎にやって来る。

「アルベール様です」

 客人用のコーヒーを用意していると、アルベールが入ってくる。

「良い土産を持ってきてやったぞ」

 アルベール。

 皇太子の養成所時代の同期で、オルロワール家を継ぐ長男。

 皇太子とは旧知の仲。

「お預かりします」

 アルベールが持つ紙包みを受け取る。

「なんだ、このメイドは」

 そんなにじろじろ見るな。

「新しいメイドだよ」

 包みの中身は、ショコラか。

「新しいメイド?」

 包みの半量を皿に移し、コーヒーと一緒にテーブルへ出す。

「名前はクロエ。美人だろう」

「今度は何の遊びだ。吸血鬼種なんて趣味が悪い」

「クロエを恋人にしようと思って」

「メイドを皇太子が恋人に?とんだ醜聞だ」

「他の貴族たちがどんな顔をするかな」

「そんなことをしたって、お前の婚約者騒動は終わらないぞ。だいたい、舞踏会でも黒髪の女に手を出して」

 舞踏会って、立秋の三日の?

「噂になってるのかな」

「当然だ。あの仮面の娘、出所がわからないって貴族連中がぼやいてたぞ。シュヴァイン家に情報操作をさせてるな?あれは誰だ」

 黒髪に仮面の娘?

 ……誰かに黒髪のかつらでもかぶせてたのか?

「内緒。アル、剣術大会、オルロワール家は誰を出すか決めたのかい」

「今年は出さない。マリーはお前の婚約者候補になるつもりはないからな」

「マリアンヌはリックのお気に入りだからね」

 リック。

 国王の第一子、フェリックス王子。

「マリーはリック王子を毛嫌いしてるぞ」

「そうだったかな」

「アレクは誰を出すんだ?」

「エルだよ」

「エルロック?……良く承諾したな」

「エルは私に甘いからね」

「お前がエルロックに甘い、の間違いじゃないのか。……っていうか、死んでることになってるんだろ?」

「死んでるなんて発表はしてないよ。堀から見つからなかっただけだ」

「何をしようとしてる?」

「最初に言ったよ。クロエを恋人にするって」

「吸血鬼種を婚約者にするって?」

「叔父上に彼女を嫡子として迎えてもらえるよう頼んでるところなんだ。そうすれば私の婚約者として、身分に問題ないだろう」

「叔父って、ヌサカン子爵?……吸血鬼種を嫡子に認めるのか?」

 ジュワユーズ地方北方の領地を任されているヌサカン子爵。

 ジュワユーズ地方と言えば、王都のあるアルマス地方との境に、温泉が湧くことで有名なセズディセット山がある。

 現在のヌサカン子爵は、温泉好きだった国王の弟がヌサカン家に迎えられて引き継ぐことになった。

 王弟の嫡子なら、王族の血も濃く混ざっていることになる。見た目上は皇太子といとこの関係。血筋で文句を言われることはなさそうだけど……。

「叔父上には貸しがあるからね。きっと快諾してくれるよ」

「お前に借りを作ることほど恐ろしいことはないな。……それなら剣術大会の前に婚約を発表したら良いだろ?」

「せっかく盛り上がっているのだから、楽しみたいじゃないか。貴族たちがわざわざ王都に来て経済を活性化させてくれるならありがたいことだよ」

「金持ち連中は払いが良いからな。でも、守備隊がマナーがなっていないってぼやいてたぞ」

「礼儀知らずは注意しておこう。剣術大会に参加できなくなるっていうのはどうかな」

「そりゃあ、効き目がありそうだ。……でも、アレク。本当にそれが理由か?」

「彼女を婚約者にする為には、ヌサカン子爵の嫡子であるというだけでは難しいと思うんだ」

 やっぱり、それはただの予防線か。

「そうだな。貴族連中に圧力かけて黙らせることは出来るが、そんなことをすれば将来、彼女の立場を悪くするだろう。南西に居る連中は、未だに吸血鬼種と吸血鬼を混同してるような奴らだ。納得しないぜ」

 吸血鬼種は、この国では未だに迫害の対象。

 特に南西部、神聖王国クエスタニアに近い地域はその様子が顕著だ。

 クエスタニアは吸血鬼を討伐した光の魔法使いの子孫の国と言われている。吸血鬼種への人種差別が根強い。

「逆だよ。差別は、トップから変えていかなければね。奴隷制度を廃止した初代国王ですら、吸血鬼種への迫害を止められなかった。私は、根本からその考えを変えたいと思う。現に王都では、エルのおかげで吸血鬼種への偏見がなくなった」

「エルロックはブラッドアイなだけで、吸血鬼種じゃないぞ」

「エルが王都に来た頃は、みんな吸血鬼種と言っていたよ。アルもそう思ってたんじゃないかな」

「……ブラッドアイは珍しいからな」

「でも、それは変わった。王都では誰もリリーシアの黒髪を責めないよ。きっと、この国も変われるはずだ」

「はず、か。お前らしくない言い方だな」

 本当に。

「お前にそこまで言わせる相手なのか、彼女は」

「もちろん」

「わかったよ。俺に協力してほしいことはあるか?」

「オルロワール家からも名代を出して他家をけん制してくれると嬉しいかな。剣術大会でエルが優勝すれば、彼女との婚約を望みにする予定なんだ。たとえ吸血鬼種だったとしても剣術大会の願いは絶対。良い婚約発表の場になると思わないかい」

「陛下の狙いを逆手に取るってわけか。その場で決めてしまえば、誰も文句言えないからな……。検討してみよう。剣術大会のトーナメント表もいじってやる」

「頼むよ」

「エルは負けられないな」

「そうだね」

「偽名で出場させるのか?」

「本名で出場しなければならないなんて規定はないよ」

「お前が出た時もそうしたな」

 仮面の騎士、レクスとして出場した皇太子は、見事に剣術大会で優勝した。

 優勝した時に出した願いが、カカオの関税撤廃だ。

「美味しいね。このショコラは手作り?」

「うちのショコラティエが作ったんだ」

「クロエも食べてみるかい」

 仕事中だろ。

「結構です」

「なんだ。連れないな」

「職務に忠実なんだ。何でもできるからね」

「本当にな」

 嫌味か。それは。

「ところで、今日は何の用事かな」

 ……ようやく本題か。

「グラシアル女王国から姫君がいらっしゃる」

「姫?」

「あぁ。グラシアルが新体制になってから、諸国の挨拶巡りを始めたらしい。新女王はティリシア女王。姫の名前はメルリシア姫」

 ようやくグラシアルの政変は落ち着いたか。

「新生女王国において、二人は外交大使という位置づけだ。オービュミル大陸の西方を女王が、東方を姫が回る。メルリシア姫は、カミーユの研究室に呼ぶ予定だったアリシア嬢と一緒にラングリオンに来るらしい」

 転移の魔法陣の研究か……。

「アリシア嬢も女王縁の貴族だって話しだな。現在日程の調整中だが、剣術大会の観覧を希望されてるそうだ」

「警備が大変だね」

「王族の公式訪問だからな。姫の一行はオルロワール家でもてなすよ。剣術大会時の来賓の扱いについては、父が陛下と相談中だ」

「なら、こちらですることはなさそうだね」

「挨拶ぐらいだろうな。……ところで、女王とその姫君っていうのは黒髪だって話しを知っているか?」

「知らないな。アリシア嬢は銀髪と聞いているけどね」

「エルロックの嫁の名前、リリーシアだったよな?」

「そうだよ」

「女王に縁のある娘じゃないだろうな」

「どう思う?クロエ」

 なんでこっちに振るんだよ。

「マリアンヌ様がお詳しいのでは」

「あぁ。マリーはあの娘を豪く気に入ってるからな。……今日の用事はそれだけだ。じゃあな、アレク」

「またね、アル」

 アルベールが書斎を出る。


「クロエ。菓子を下げてくれるかい」

「はい」

「次はヴァジュイル辺境伯を」

「はい」

 ライーザが部屋を出る。

 今日、謁見予定の貴族は、全員到着済み。

 謁見の順番は皇太子が決める。

 というか、アルベールの到着を待ってはじまった。皇太子が話しをしたかったのは、アルベールだけなのだろう。

 テーブルを片付けて、新しいコーヒーの準備に取り掛かる。

「紅茶にしてくれるかい」

「はい」

 コーヒーの準備をやめて、茶葉を計量する。

「菓子は、マカロンでも出しておこうか」

「はい」

 器にマカロンを並べる。

 紅茶の準備が出来る頃に、ライーザが次の客を連れて来る。

「ヴァジュイル辺境伯をお連れいたしました」

 辺境伯と、その令嬢が入室する。

「お久しぶりです、皇太子殿下」

「久しぶりだね。伯爵」

「エメロードと申します」

 着飾った緑の髪の女性が頭を下げる。

 ライーザが二人を案内し、二人が座ったのを見計らって、紅茶とマカロンをテーブルに並べる。

「見かけない顔ですね」

「新しいメイドだよ。クロエ、御挨拶を」

「はい。クロエと申します」

 スカートを軽く上げて挨拶をする。

「どのような趣向で?」

「お気に入りなんだ」

「御戯れを」

 皇太子が吸血鬼種を傍に置くなんてあり得ないからな。

「今日はどのような用件かな」

「珍しい真珠が手に入りましたので、お持ちいたしました」

 エメロードが、持っていた小箱を机の上で開く。

「ピンク色だね」

 皇太子が真珠を手に取って眺める。

「球形も輝きも美しい」

「是非、お納めください」

「これより珍しい真珠を見たことがあるよ」

「どのような?」

「透き通るような青みのある真珠。マーメイドの涙と言われている」

「真珠の世界では有名な話しですね。ご存知でしたか」

「曰くつきの真珠だからね」

「あれは流浪の真珠と呼ばれ、常に片割れを探す真珠です」

「二つをそろえた人物を知っているよ」

「まさか」

「あれより欲しい真珠は今のところないかな。クロエ、おいで」

「はい」

「指輪と腕輪、どちらが欲しい?」

「仕事に支障がないものを」

「それならペンダントかな。職人に加工させよう」

 皇太子が小箱に真珠を戻す。

「ライーザ」

「はい」

 ライーザが小箱を運ぶ。

「エメロードも伯爵に連れ回されて大変だね」

「……いえ、そんなことは」

「最近、何故か姫を連れてくる貴族が多いものだから。どうせ剣術大会に来るのだから、無理に連れ回さなくても良いと思わないかい」

「それが貴族の務めですから。お気に召した方はいらっしゃいましたか?」

「今、興味があるのは黒髪の女性だけかな」

「未来の国王がそんな調子では、陛下の心労も絶えないでしょう」

「不思議だね。父上の心労を増やす気などないのだけど」

「王室に醜聞を持ち込むことのないよう」

「何の話しかな」

 皇太子の我儘に付き合わされる連中は大変だな。

 単純に、王室の血を守る為に貴族は自分の娘を嫁がせようとしているんじゃないのか?

「一つ確認しておきたいことがございます」

「なんだい」

「殿下が剣術大会に出ることはございませんね?」

「大会のルールは変わらない。残念ながら、私は出られないよ」

 剣術大会の優勝者は大会に出られない。

「安心いたしました」

「用件は以上かな」

「はい。では、失礼いたします」

 ライーザに連れられて、ヴァジュイル辺境伯がエメロードと共に退室する。

 ……何しに来たんだ。


 アニエスが部屋に入って来る。

「戻りました」

「アニエス。お茶の準備を」

「はい」

 アニエスがテーブルを片付け、お茶の準備を始める。

「クロエ、おいで」

 腕を引かれて、皇太子の膝に座る。

「もう少し、協力的にならないかな」

 ドロップがなくなって来た。

「メイドの仕事を忠実にこなすよう、エミリーから言われています」

 ポケットからドロップの瓶を取り出すと、皇太子が中から一つ取る。

「優秀な返事だね」

 瓶をポケットにしまう。

「剣術大会でアレクシス様の名代が負けた方が、国民の為になるのでは」

 由緒正しい血筋の姫が皇太子の婚約者になるなら、陛下も国民も喜ぶだろう。

 視界の端で、扉が開くのが見える。

「私は、自分の欲しいものしか傍に置かないんだ」

 口にドロップを入れられる。

 そんなこと知ってる。

 ちょっと嫌味を言ってみたくなっただけだ。

 口の中にドロップの香りが広がる。そろそろこの味にも飽きてきた。

「ドーラ子爵をお連れいたしました」

 ライーザの声が聞こえて扉の方を見ると、子爵とその令嬢が驚いた顔をしている。

 立ち上がって、皇太子の後ろに立つ。


 皇太子が吸血鬼種のメイドに御執着、という噂は何日で知れ渡るかな。

 いや。舞踏会で皇太子が踊ったという、黒髪の女性がすでに噂になっている。

 それに加えて、グラシアルから剣術大会に合わせて来るのは、黒髪の姫。

―今、興味があるのは黒髪の女性だけかな。

 どこまで計算して噂を広めてるんだ?

 


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