10 彼女は実在するのか
「……ってわけで、しばらくアレクの手伝いをすることになったんだ」
ガレットデリュヌをみんなで食べた後、カミーユと一緒に研究室に来て、アレクから頼まれたことを説明をする。
話しながら、ユールに言われた目薬の材料と道具を用意する。
これで作れるのかな。
『蒸留の課程を少し気をつけてねぇ』
了解。
「アレクシス様の好きな人か……」
「俺も会わせてもらってないから知らないけど」
「全然聞いたことがないぞ」
「俺も。……アレクはしばらく王都の外に出てないはずだから、どこかから連れて来たってこともないだろうし。何らかの理由で城に入ったなら話題になるはずだ」
「浮いた話しのない方だからな。あったら絶対話題になるはずなのに。本当にそんな女性、存在するのか?」
「リリーが着てた服は彼女が作ったらしい」
「あの変わったデザインの衣装か。装飾も細かいから、裁縫が得意なんだろうな」
「どこかのお針子だったのかも」
「それも考えられるけど、容姿が、あれなんだろ?」
「そうだよ」
「だったら目立つ。っていうか、王都に居るわけがない」
「そうだよな」
一体、どこで見つけたんだ。
「最近聞いたアレクシス様の噂なんて、皇太子の棟に暗殺者が忍び込んだって話しぐらいだぞ」
「暗殺者だって?」
アレクはそんなこと言ってなかった。
「いつだよ」
「さぁ。俺が聞いたのは年明け前だぜ」
皇太子の棟って、アレクの寝所がある場所だ。
アレクの寝所と、アレクが宝物庫に使っている宝物塔、それから、近衛騎士の部屋とメイドの部屋がある従者の棟がある場所をまとめてそう呼ぶ。
俺が今使ってる部屋も、皇太子の棟にある、従者の棟の一室。
「あそこの警備は頑強だ。侵入者が入るなんて不可能だ」
そもそも王族の居住区に入れる人間は限られている。
警備に当たる兵士も精鋭ぞろいの上に、侵入者対策のトラップだって数多く設置されているのだ。
「それが、何の痕跡も残さずに、皇太子の棟まで侵入したらしいぜ」
「なんだそれ」
現実味の薄い話しだな。
夜間は扉を開けば警報が必ず鳴るトラップが仕掛けられているから、強引に突破すればすぐに守衛に当たる兵士や近衛騎士が飛んでくる。
考えられるとすれば……。日中、警備の薄そうな時間を見計らって、あらかじめ皇太子の棟に侵入しておくことぐらいだけど。アレクは自分の気に入らない人間を傍に置かないことで有名だ。顔の知られていない人間を皇太子の棟に入れるなんてあり得ない。
アレクを暗殺しようなんて計画も無意味だし、皇太子の棟に何の痕跡も残さずに忍び込むことだって不可能。
じゃあ、なんでそんな噂が流れてるんだ?
「どう考えてもデマだな」
「噂なんてそんなもんだろ。っていうか、さっきから何作ってるんだ?」
「目薬」
できた。
これで、ブラッドアイを変えられる。
後は大地の魔法を込めておこう。
「また目薬か。今度は何色に変わるんだ?」
目薬を一滴、左目に垂らす。
薄い膜。黒に変わる時よりも視界がクリアかも。蒸留の作業を上手くできたからかもしれない。
「おお。綺麗な色だな」
「ん。成功だな」
『前の目薬よりも長持ちのはずよぉ。三滴で丸一日持つわぁ』
前のより良い。副作用が少なくて、効果が高いんだな。
『他の人にブラッドアイがばれたら意味ないものぉ。色々改良したのよぉ』
吸血鬼種が極めた技術なのか。
「レシピは?」
「書き起こしてある。三滴で丸一日持つ」
「一日にそんなに使って平気なのかよ」
『大丈夫よぉ』
「平気」
『連続して十日も使い続ければ、目が痛くなるかもしれないけどぉ』
「連続しての使用制限は七日ってとこかな。毎日使うなら、理想は一日二滴ずつで変わらず」
「使い方の幅が広がったな。これ、俺が使ったら何色になるんだ?」
「試してみれば良いだろ。ほら」
カミーユの目に目薬を垂らす。
「あんまり変わらないな」
『ブラッドアイの為の目薬だものぉ』
だよな。
『この目薬の作り方を知ってる人も、ほとんど居ないみたいだけどねぇ』
黒髪にブラッドアイ。
その容姿を持つ人間は、ラングリオンにはほとんど居ない。王都には絶対に居ない。
あれ……?
「暗殺者ってさ。どうなったんだ?」
「なんだよ。デマだって結論付けたんじゃなかったのか」
「その暗殺者が、アレクの好きな人かもって」
「……お前、馬鹿だろ」
「なんだよ。アレクが誰も知らない相手と会うなんて、それぐらいしか考えつかない」
「暗殺者が女の子だったって言うのか?」
「性別なんてわからないだろ」
「変に筋が通ってる答えを出すな。良いか?まず、自分を殺しに来た相手とどうこうなるって考えがあり得ないだろ」
「好きになるのに理由はないだろ」
「……わかったよ。じゃあ、別の視点から否定してやる。リリーシアちゃんが着てた服を作れるぐらい立派な裁縫の腕を持ってる女の子が暗殺者になんてなると思うか?」
「リリーは大剣を自在に使える上に、菓子作りが得意で、鍛冶も得意だぞ」
「世の中に、そんなに才能を持った人間が居ると思うなよ」
「事実だ。誰が捕まえたんだ?」
「皇太子の棟に侵入したなら、近衛騎士が捕まえるだろ」
アレクより先に、近衛騎士の誰かが暗殺者を捕まえる。近衛騎士はアレクの部屋を守ってるから、アレクが先に捕まえるってことはないだろう。
「そもそも、本当に居たかもわからない暗殺者なんだぜ?」
「その噂、何が根拠で広まってるんだ?」
「そんなに気になるなら、シャルロにでも調べてもらうか?」
シャルロなら調べてくれそうだ。
「頼んでおいてくれるか?」
「あぁ。あいつも面白い話しなら乗って来るだろうし。俺も、お前にそんなに言われたら気になって来た」
アレクに好きな人が居るって言われなかったら、ここまで気にしなかったけどな。
暗殺者は本当に皇太子の棟に現れたのか?
……それとも。アレクの好きな人自体が、婚約者騒動を煙に巻く為の作り話し?
「そういや、リリーシアちゃんが堀に飛び込んだって話し、聞いたか?」
「は?なんだよそれ」
「エルが堀に落ちたと思って、飛び込んだんだよ。お前が落下した時、アレクシス様が魔法で岩を出して落としたみたいなんだ」
落ちたの俺じゃないぞ。
っていうか。その、落ちた音は聞いてない。
転移の魔法陣って、感覚的には一瞬で飛んでるはずだけど、案外時間がかかってるのか?
オービュミル大陸全土が揺れた地震だって気づかなかったし、俺が転移した瞬間に岩を落としたなら、俺はその音を聞いてないとおかしいはずだ。
っていうか。リリー。
なんでそう、危ないことばっかりするんだよ。
「夜間に水中に飛び込むなんて自殺行為だ」
「光の精霊に頼んで堀は照らしてもらったぜ」
「照らしただけ?リリーは泳げるのか?」
「泳ぎは得意みたいだぜ。何度も潜水して探してたからな。……本当に。誰の制止も聞かなくて参ったぜ。なんとかマリーが説得して岸に上げたんだ。本当、無茶するよな」
「無茶するのはいつものことだよ」
本当に、いつも何をするかわからない。
「ドラゴンと戦って死んだ奴が何言ってるんだよ。……っていうか、ずっと、店を閉めておく気か?」
「いや、明日から開けるようにルイスに頼んでおく」
店が開いていた方が、知り合いが様子を見に来てくれるだろうし。
「店主が不在で開店か」
「うるさいな」
どうせいつものことだ。
「リリーシアちゃんはずっと、あの黒い服か?」
「可愛いだろ」
「可愛いけど、滅茶苦茶目立つぞ」
「他にも何種類かあるんだ」
「ファッションショーだな。あれなら、迷子になってもすぐ見つかりそうだ」
だと良いけど。
「リリーが見つからなかったら知らせてくれ。俺はリリーを探せるから」
「了解」
ノックが二回あって、扉が開く。
「あの……」
リリーだ。
「じゃあ、俺はそろそろ帰るよ。新婚なのに邪魔したな」
「待って、カミーユさん。これ、この前のレシピで作ってみたの」
リリーがカミーユに包みを渡す。
「この前のレシピ?」
「リリーシアちゃんがマカロンのレシピを知りたがってたから教えたんだよ。上手く行ったかい?」
カミーユは菓子を作るのが得意だからな。
「タイミングが難しいかも。でも、綺麗な艶は出たと思う」
「流石、リリーシアちゃん。お菓子作りが上手い女の子は良いねぇ」
「からかわないで」
誰にでも言うんだな、それ。
「この前一緒に歩いていた人って、恋人?」
「あぁ。そうだけど」
「……そうなんだ」
まだ気にしてたのか。
「それじゃあ、俺はこの辺で。またな。エル、リリーシアちゃん」
「あぁ」
「はい」
部屋を出るカミーユを見送る。
リリーは、納得のいかない顔でそれを眺める。
「何か気になることでもあるのか?」
「うーん」
リリーがうなる。変なことを気にするな。
「ねぇ、エル、」
「リリー、膝枕して」
「……うん」
ソファーに座ったリリーの膝に頭を乗せて、目を閉じる。
心地良くて、忘れていた睡魔が一気に来る。
「寝るの?エル」
「眠くて、限界」
「大丈夫?」
「ん……」




