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感情線

 大泥棒ロバートは今日も略奪の限りを尽くしていた。

 泥棒で、犯罪者であるにも関わらず気は小さい。僅かな物音だけで飛び上がって逃げてしまう臆病者だった。しかし泥棒としての腕は確かで、今まで被害に遭った人は数知れず。

 大泥棒ロバートは街のお尋ね者でもあり、ロバートの確かな情報を掴んだり、捕まえた相手には莫大な懸賞金が与えられていた。



 手元が良く見える綺麗な月の夜。ロバートはとある民家に忍び入っていた。

 今日も金目の物を盗んで、静かに逃げようと何度も頭の中で試行錯誤。

 二階の窓を叩き破って家の中に入ろうとするが、意外にも窓に施錠が施されておらず、ロバート自身も余計な手間が省けて助かったと思った。

 月明かりに照らされた窓に黒くて大きな足がにゅっと。音を殺して進むその姿はさながら幽霊。

 ロバートは部屋の中をぐるりと見回した。一見すると子ども部屋のようだが、真夜中だというのに子どもがベッドに寝ていない。

 不審に思いながらも、金品がありそうな一階のリビングへと進んで行く。


 リビングには誰もおらず、人が寝静まっている気配も無い。ますます不審に思いながらも取りあえずリビングの棚という棚全てを調べた。

 しかしリビングには金目の物は見あたらず、食堂にも、寝室にもどこにも無かった。ロバートは空き家の可能性を疑ったが、確かに最近まで生活していた事が見受けられる。

「まさか、俺の行動が既に知られていて、金目の物を先に隠してしまったのか?」

 途端にロバートは焦った。今まで自分が盗みで失敗した事など一度も無かったから。


 その時、部屋の照明が点けられ、眩い光が部屋を覆った。

 心の中で焦りながら、さっきまで暗闇に目が慣れていたせいで周りが眩しくて見えずにいた。


「あなたは誰?」

  それはまだ幼い少女の声。驚いたのはロバートだけではなく、少女も同様だった。

 目が慣れてきて、改めて少女の姿を見る。まだ十歳にも満たないであろう栗色の髪と青い瞳のパジャマ姿の少女がロバートを見つめていた。

 見られた。ロバートは瞬時に悟った。見られてしまった以上仕方がない。もう逃げるしか。

 少女に背を向けて、一目散に逃げようと体勢を整えた瞬間、背後から何かが倒れる音。

 恐るおそる見てみると、そこには床に倒れた少女の姿。気のせいか、少女は終始荒い息を吸ったり吐いたりしている。


 それは殆ど反射で、ロバートは思わず少女を抱き起こす。

 体を触っただけでも理解してしまう酷い熱。少女は病気を患っていたのだった。



 少女の名前はレイチェルと言った。レイチェルは生まれた頃から体が弱くて、毎日ベッドで寝ていたらしい。

「君の両親は?」

 ロバートはぶっきらぼうに尋ねる。本当は金目の物を奪って逃げたかったのに、今はその全てが拒絶されている。

 調子の狂っているロバートとは反対にレイチェルは随分とご機嫌な様子だった。

「お父さんとお母さんはお仕事よ。いつもは早く帰ってくるのだけれど、今日は少し遅いみたい」

 仕事? そんな筈はない。なぜならロバートが金目の物を奪おうとした時には既に何も無かったのだから。それにこんな真夜中に病気の子どもを置いて仕事に行く両親なんかいない。

 そう考えて、初めて気付いた。ああ、この子は親に捨てられてしまったのだと。

「あなたの手、大きいね。お父さんと同じだ」

 レイチェルはロバートの手を握り、にっこりと微笑んだ。その態度にロバートは驚いて何も言えずにいた。だってレイチェルが握ったその手は凡そ何十人もの大切な宝を奪ってきた手だったのだから。

 ロバートはますます調子が狂ってしまっていた。本当なら子どもなんて気にせずに逃げてしまえば良いはずなのに、なぜだかそれが出来ずにいたのだった。


「ねえ、あなたのポケットの中に入っている丸い物は何?」

 赤い顔で、熱にうなされながらレイチェルは尋ねる。ロバートはレイチェルがこの食べ物を知らない事に驚き、同時にこれを食べさせてみたいと思った。

「食べてみるかい?」


 ロバートの太い指の先に摘まれた物。丸くて綺麗に輝いていて。

 レイチェルは何の疑いもなくそれを頬張った。



 次の日も、また次の日もロバートは夜レイチェルの家に訪ねに行った。レイチェルに対して同情を向けた訳ではない、ただあの少女ともっと話したいと思っていた。

 レイチェルはロバートの持ってきた食べ物をよく食べた。特に好物だったのはロバートと初めて会った夜、ロバートが分けてくれた丸くてキラキラと光っていて、甘くて固い食べ物だった。


 その日はレイチェルにもっと喜んで貰おうと大きな袋を持ってきた。

「それは何? また美味しい物?」

 ロバートは違うと答えた。美味しい物よりももっと素晴らしい物だとも。

 袋の中身は今までロバートが奪ってきた宝石や金の一部だった。今日はそれをレイチェルに渡して喜んで貰おうと思っていたのだ。

 しかしレイチェルの反応は悪く、難しい顔をしながらロバートに尋ねた。

「これは、食べ物じゃないよ」

「ああ違う。でも食べ物よりももっと便利な物だ」

「何で? こんな物食べられなければ意味は無いし、こんなに持ってあなたはどうするつもりなの?」

 その言葉に、ロバートの動きは止まった。そして代わりに考える。確かに、自分は今まで宝石などの価値がある物を集めてきたが、それを集めてどうしようという事は考えていなかった。

「お金じゃ欲しい物は手に入らないよ。私はあなたの食べ物が好きなのに」

 悲しそうな表情でレイチェルは俯いた。ロバートは何も言えずに黙り込んでしまう。


 しばらくして、レイチェルは呻きだした。咳を交えた嗚咽。異常な光景にロバートは立ち尽くすままでいた。

 白い毛布に赤い斑点模様が広がる。異常な咳を交えてレイチェルは吐血していたのだ。

 病気が悪化してしまったのだとすぐに理解した。



 レイチェルは肺の病気を患っていて、治せない病気では無いらしい。しかし家は貧乏で満足に治療が出来ないんだとか。 それを聞いたロバートはレイチェルの家から飛び出した。今のロバートなら盗んだ金でレイチェルの病気を治してもらえると考えたからだ。

 自分の正体がばれてしまう事など考えずにロバートは無我夢中になって医者を探す。ロバートの容姿は既に判明されていて、本当はレイチェルと会う事すら危険だというのに。そこまで彼を突き動かすのは一体何なのか。

 すれ違う人はロバートを見ると叫んだ。当然だ、天下の大泥棒が横を通り抜けたのだから。

 人々は揃ってロバートの名前を叫んだ。中には酷い暴言を叫んだり、石を投げてきた人もいる。遠くで笛の音が鳴った、警察がロバートを見つけた合図だった。

 内心恐怖で縮こまりながらも、震える足を押し殺して走った。よたよたと頼りない足取りに右に行ったり左に行ったり。


 この広場を抜ければすぐに医者の居る診療所だ。ロバートは急に心が軽くなり足取りも元に戻った。

 そうして広場に入った途端、ガクンと。


 足の力が抜けた。ロバートは訳が分からないまま石畳の地面に転がり、手に持っていた盗品の数々とレイチェルに渡す為の食べ物が転がった。

 金属の鈍い音と食べ物の軽い音。カラカラと小気味良い音を立てながら転がるそれはロバートがレイチェルに初めてあげた食べ物。

 地面にはガラス玉のようにそれが転がっていた。


 ロバートは力が抜けた足を見る。膝の関節が撃ち抜かれていて、熱い。

 ドクドクと流れる赤い液体、激痛のあまりに涙を流した。

 ロバートが倒れた所を確認すると広場の物陰からゾロゾロと姿を現したのは警官達。それぞれ銃を握っていて、構える先はロバート。

「大泥棒ロバート、遂に見つけたぞ。観念しろ」

 誰かが叫んでいた。しかしそれはロバートの耳に届く事なく、ただ痛みにおののくばかり。

 レイチェルの事を考え、今度は両腕を使って地面を這いずって進んだ。すると今度は左腕を撃たれる。

 血飛沫が飛び、顔にまでかかる。血を流しすぎたせいか、耳なりが聞こえ、視界は真っ白に変わっていた。

 もう、動けない。それでもレイチェルを助けたいという一心で、ロバートは死力を尽くして起き上がった。


「この金で、レイチェルを助けてやってくれ」

 そう叫ぼうと息を吸い込んだ瞬間にロバートは最後まで叫ぶことすら許されずに、撃たれた。

 全てが鈍く進む。警官の歓喜も、倒れるロバートの姿も。

 水っぽい音を立てて地面に倒れると、ロバートはそれっきり動かなくなった。



 数年前に街を恐怖に陥れた大泥棒ロバートが眠る墓に一人の少女が立っていた。少女は以前ロバートに優しくしてもらっていたレイチェル。

 あの後、レイチェルは家の様子の異変に気付いた隣人に助けられたという。隣人から治療を受け、肺の病気もすっかり治っていた。

 しかしレイチェルは知っていた。ロバートが最後まで自分の為に命を張って救ってくれようとした事を。もっとも、その事実を知ったのは最近なのだが。


 墓石すら立てられていない盛り上がった土に紫苑とレイチェルがロバートと初めて会った時に貰ったあの食べ物を置いた。

 その想いはきっと届くと信じて。

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