憂日×優日
満ちてゆく夕焼けの光。高速道路を滑走する2つの車輪。
299,000キロの波動と粒子が私を追い抜き辺りを明るく照らした。
濃い赤紫色とオレンジ色が混同した幻想的な空。自由に宙を軽々しく舞う鳥達はその身が夕焼けに突き刺さっているように見えた。
腹の底に伝わる地響きのようなエンジンの振動。その規則的な振動は私を抱き締めているようで、心地良い。
アクセルを更にふかす。マフラーからほとばしる排ガスなど振り切って、私の体は時速100キロを越した。
つまりこれは君に会う為の軌跡。
夜が明ける前に君と会えるかなという魔法のおまじない。坂の途中で歌った小さな呟き。
「何だよそれ?」笑う君につられて笑う私。だけれどその言葉は笑い事じゃなくて、ほんの少しの本気を孕んだ言霊。
あの店で買ったアイスクリームを一緒に頬張った事がまた出来るようにと願いを込めた儚い想い。空っぽな想いだと笑うかもしれない、馬鹿な願いだと嘲笑うかもしれない。
でもその儚くて馬鹿な願いは私のほんの僅かな本気。いつも嘘と冗談しか吐かない私の精一杯の本音なんだよ。
あの高浜商店で105円で買ったオレンジ味のペアの棒アイス。私は最後まで食べきれなくて結局残してしまったけれど。
食べきれないアイスは夕焼けに溶かされて跡形も無く消えたけれど、あの時の記憶は鮮明に克明に刻み付いている。忘れたくても忘れる事も出来ない呪印と形容しても過言でもないそれ。
こんな事を聞いたら君はまた笑うだろう。でもその事実もやっぱりほんの少し本気で、私はそのほんの少しを君に気付いてほしくてあれこれと試行錯誤を繰り返している。ノート10冊分の私の作戦、100度目の高浜商店の訪問、1,000回目の君の追憶、10,000回目のこの願いが叶った後の予想。
でも君とオレンジ味の棒アイスを食べたのは1回。オレンジ味の棒アイスをまた食べるのは君と一緒に、だからまだそれだけは1回目。
2回目を譲れない。私と私の固い約束。
ある日君が遠くへ行ってしまった事を知った日の事。
悲しみと怒り、自分勝手な憎悪に明け暮れて泣いた日々。
泣いて泣いて泣いて泣いて泣く事すら飽きてしまった日の時にようやく気付かされた。もう君と一緒にあのアイスを食べる事が出来なくなってしまったんだって。
私と君を繋いでいた絆って一体なんだったんだろう? 馬鹿みたいに自問自答。考える度に自分で自分の首を絞めるみたいで自傷行為の繰り返し。
つまりこれは君と私の軋轢。
「裏切り者」ううん。分かっているよ、君は私を裏切っていたりなんかしていない。むしろ私が君を裏切り続けた。
嘘という言葉のナイフで君の胸をザック、ザック、ザック、ザック。
君の心をえぐり出して滅茶苦茶に潰した。でも君はそれでも笑っていた。「何だよそれ?」って。
その笑みを見る度に私の嘘で纏った鎧はどんどん綻んでいって、1パーセントの純情な本当を君にだけに見えるように作り上げていた。
そんな君は、もう、遠くへ。
裏切り者は私の方で、君は他人からしてみたらエゴイストで、私からしてみたら正義のヒーローで、愛しさと感謝で一杯だった。
愛しさと感謝の比率を表したらきっと5:5で、変わらないくらいだけれど、顕微鏡で覗いたら分かる。実は4.99:5.01だって。
愛しさだけなら自分の中に留めておける。その残酷なまでに美しい氷のような愛おしさを抱き締めて死ぬまで抱えて行く事が出来る。だけれど感謝はその人の為に与える為の物だから。
たった0.02でも感謝が勝っているのなら、この想いを届けなきゃ。
「でもどうやって?」ほらまた自問自答。
これは私と君を繋ぐ為の桎梏。
今は夕焼けの中を一人バイクを走らせてあの場所へと向かっている。きっと君には分からないけれど、私には痛い程分かってしまう思い出の場所。
夕日が滲んで消えかかっていた。代わりに顔を出したのが月。それは果たして何を意味していたのだろうか。
もう一度高浜商店へと向かおう。11冊目のノートを用意して、101回目の訪問で、1,001回目の君の追憶で、10,001回目の予想をして。
そして2回目の君と一緒にあのオレンジ味の棒アイスを食べよう。君を見る事はもう出来なくなってしまったけれど、耳を澄ませば聞こえてくるのは君の音。
ただの屁理屈かもしれない。ただ約束という鎖を解き放ちたいだけなのかもしれない。だけれど、君の沢山は私の中にいるってもう分かったから、決め付けてしまったから。
もう約束は果たせるよ。私がペアのオレンジ味のアイスを食べよう。今度は残さないように、頑張れよ。
気付いたんだ、私と君を繋ぎ止める絆を。それは愛でも笑いでもなくて、ちっぽけで単純な物。
私は今からその単純な物を取り戻す為に。
坂の途中で歌った魔法のおまじないはまだ健在だ。私と君はきっと今も歌っている。いやいや君が歌っていなくても、私が君の分まで歌うよ。
魔法のおまじないを小さく呟く唇。風が刃物みたいに私の頬を切り裂く。痛い。
でも痛くても大丈夫だよ。この痛みは君へと向かっているという証拠だから。
君は限界まで私に手を差し伸べた。それを私は取る事が出来なかった。
私が手を取ろうとした時に君はいなかった。だったら今度は私が限界まで君に手を差し伸べれば良いじゃないか。
たとえ君がその手を取る事が出来なくても、私は差し伸べた手を戻すつもりはないよ。それが君への贖罪と感謝だから。
強い夕焼けはまるでファンファーレだ。私はその夕焼けに身を焦がしながら。
私と私の中の約束を果たす為に、君と再び出会う為に。
下らない憂鬱なんて吹き飛ばして、まだ歩み出そう。
どれくらい君が先に行っているなんて知らない。私は走って君へと追い付くから。
美しい空の彼方に私の想いはきっと上る。君がいる最果てまで届いてきっと消える。
強い想いを抱きながら、私の体は夕日へ飲まれて行った。