意図電話
朝六時のアラームで目を覚ました。
突き刺すくらいに冷たい冬の大気を一呼吸。微睡みを覚ますためには充分過ぎる行為だった。
体に纏っていた羽毛布団を剥いで、自分の姿を見て理解。一人で納得、自己完結に自己嫌悪。
昨日の夜、家に帰ってきてからのままの姿。化粧も落とさずに寝てしまっていた。
顔を俯かせて思い出す。昨日起きた嫌な出来事を。本当は思い出す事も億劫なのだけれど。
「もうお前はいらないよ。全然期待していないから」その言葉はさながら鋭いナイフ。
鋭いナイフは私の胸に刺さってするすると滑る。心を抉り取られて、鷲掴みにされた後に握り潰されたみたい。
今まで自分なりに努力してきたと思っていたから、余計に辛く響く言葉だった。他人からみたら私なんか楽天家だと思われるかもしれないけれど、自分の中では全ての努力を惜しんだつもりがないから。
もう、あそこに行く意味なんてない。また無意味に傷付けられるだけなのに、どうして私は起きてしまったのだろう。どうして服を着替えているのだろう。
「どうでもいいや」もう何度目の言葉が溢れる。すっかり口癖になってしまった言葉。
全てが機械的に行われる人生。そこに意志の介入なんて小洒落た物はなくて、毎日が同じように繰り返されるだけ。
疲れも感じない、腹も減らない、何も何も感じない。そう自分に言い聞かせている自分がいた。
化粧台に置かれているクマのぬいぐるみをふと見る。素直に可愛いと思える格好。
その可愛い格好に素直に羨ましい念が沸々と湧き上がる。まるで自分と対照的だったから。
小さい頃から好きだったぬいぐるみ。一人で生活を始めた時もいつもずっと見守ってもらっているようで、妙に安心できるんだっけ。
途端に今までの自分とは一体何だったのだろうと思えてきてしまった。自分の精一杯は他人にとっての僅かで、結局私自身にはなんの意味もないように思えて、喉が押しつぶされた感覚が襲った。
あれだけ心を殺したつもりだったのに、あれだけ自分の人生は機械的に浪費されるだけだと諦めたつもりだったのに。
本当は心を殺しきれていなかったみたいだ。本当は自分の人生を諦めきれていないみたいだ。
「本当に弱いなぁ」呟いた言葉は午前六時の冷たい大気にふわふわと漂っていた。
・・・
しばらくそこでうずくまってしまっていた。
ずっと悩んで考えて自家撞着の繰り返し。
すっかり疲れた心は作り笑いという鎧を纏う事も拒否してどうしようもなくなっていた。
今から外に出る理由もないんじゃないか。私は期待されていないんでしょう。
色々と理由をこじつけてズル休みをしようと考えるやましい頭。
いやいや何そんな事を考えているの。頑張って立ち直れよ。そう励ましてくれる人が欲しい。
そう励ましてくれたら「いやいや君には私の事は分からないでしょう」って言えるから。
ただただ自虐的な思考だけが頭の中を渦巻くだけ。明るい事を考えるなんておよそ不可能で、やっぱりどうしようもなくなっていた。
一体どこで間違えてしまったのだろう。なぜこんなにも辛い目に遭ったのに、立ち上がっていられるんだろう。
自分の強さも自分の弱さもまったく分からなくなっていた。
・・・
午前六時。冷たい空気の中、張り詰めた空気の中に私はいた。
自分自身を考えるため。そんな贅沢な悩みにあれこれ考えを育ませる私はとても滑稽で、だから自分でもその行為を馬鹿らしいと思ってしまう。
望まれて働くのではないのなら、私に働く意味はあるのだろうか。
何もかも、全てが面倒臭い。所詮そんな人生を紡ぐだけなら、紡ぐだけの命の糸の無駄だから。
私が生きただけの糸はあっという間にくしゃくしゃに絡まって、もう解けない程。
人生が機織り機みたいだと言うのなら、私が命の糸で紡いだ布は一体いくらくらいなのだろう。
私があくせく働いて作った布は誰が買ってくれるのだろう。
そんな情けない自分に嫌気が差す。なんで自分はこんなにも弱いのかって。
うずくまっていた私に頭から何かがぶつかる。軽い音と共に顔を上げると、目に入ったのは紙コップで作られた糸電話。
「そういえば、昔こんなのを作っていたなぁ」しみじみと追憶。
そんな時、ふと思い出したのが昔の言葉。いつだったか、誰から受け取ったかも忘れてしまったけれど。
確かその誰かは私と一緒に遊んでくれて、紙コップで作った糸電話を一緒に作ったんだっけ。
言葉だけは今でも私の記憶の中で青鈍色の輝きを放っている。
『一人になりたいのですか? 人の助けはいらないのですか? それ本当ですか?』
突き詰める言葉には様々な意味がある。それがいい意味にしろ、悪い意味にしろ、私の心を揺るがすのは紛れもない事実だったから。
「……」お節介とも受け取れるその言葉。すっかり疲弊した心でもなぜだか再び戦えると思ってしまう。
不思議な言葉の魔法。
それは私の中に紡がれた言葉の糸。その言葉は確かに私の胸に止まっていて、何をしても絶対に切れない気がした。
その言葉が私にとって何よりも大切な物だと知っているから。
『たった一本の糸を通して自分の想いを伝えられるなんて、素敵じゃないか』その言葉の糸が私にそう語りかけているような気がして、何だか胸が一杯になった。
私は人だから。
神様じゃないから、口を開かなければ分からない事だってある。思っているだけでは伝わらない事だってある。
「私って、なんて面倒臭い生き物なんだろう」
呟いた言葉は空に上った。
・・・
ひとしきり泣いたら、また歩み出そう。
今の私にはそれだけの勇気があるから。
心の中の糸電話は切れないでずっと繋がっているから。
さあ、朝がやってきた。