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グッド・フレンド

 物事には必ず終わりが来るんだって分かっている。僕はそれを認めたくないだけだった。

 一週間前、付き合っていた恋人と別れた。原因は分からない、もしかしたら相手が純粋すぎたのかもしれない。

 とにかく、まともに付き合う前に一方的に別れられてしまった。付き合って日が浅かったせいか、痛みは少ない。でもそれ以上にこの程度の痛みしか感じられなかった僕に途方もなく嫌気が差していた。

 どうでもいい。自暴自棄の波と自虐の雨に打たれて無関心のまま電車に乗り込んだ。

 その矢先だ。人身事故による遅延、イラつきがピークに達した。

 誰もが同じ気持ちみたいだ。貧乏ゆすりをしたり、小さい声で悪態をついている。


 数時間かけて帰宅した僕はのろい動きでノートパソコンを立ち上げると、暇つぶしにチャットを開いてみた。一対一のチャット方式だ。

 何回かは出会い目的の男だったりとろくなことがない。現実では大声でどなり散らすことなんてできないから、ネットの中だけでどなり散らした。

 自分が黒く染まっていくのが分かった気がした。ぽっかりと空いてしまった穴、どうやってもふさぐ方法が見つからない。

 もう何回目の再開だろう、相手の顔も分からないのに、なんでこんなに必死になっているんだろう。

 恋人と別れたことが気になっているんじゃない。一方的に別れを告げてきた彼女に、たった一言「さようなら」が言えなかったのがとても心残りだったのだ。好きとか関係なく彼女の力になってあげたいと思っていたけれど、結局だめだった。


 定型化した挨拶。「こんばんは」って打つだけで言葉の紡ぎ合いが始まる。

 チャットをした相手は二十四歳の女性だった。名前は、ハンドルネームだろうけど「くぅ」って言った。

 最初、僕は彼女のことを反応の薄い、つまらない女だと思った。何を話しても短い返事で、言葉に装飾もない。

 話していくうちにくぅは僕に心を開いてくれた「海が好き」だとか「カモメが好き」だとか。「前世はカモメだった」には笑ったな。

 不思議な人だ、包容力があるというか、ついついなんでも話してしまいそうになる。

 でも突然の「あなたにあまえたい」っていう、くぅのたった一言に心が揺らいだ。あれだけ別れた恋人との心残りがあったはずなのに、たったそれだけで心が揺らいでしまった。

 そして、他人には話すべきではないのだろうに、僕は恋人との出会いから別れまでを告げてしまったのだ。

 自慢したかったわけじゃない。認めてもらいたかったのだ、僕はここまで彼女に優しくしたんだ。それを認めてくれ、褒めてくれって。

 傍から見たらただのバカだ。でもそのバカの言葉をくぅはしっかりと聞いてくれていた。


 しばらく無言を貫いていたくぅは、僕が話し終るとゆっくりと話をしてくれた。

 その口調は目には見えなくてもまるで聖母だ。

「この前ね、ボランティアの人に会ったの。あなたと私よりもずっと年が離れている人よ、そこで彼はいままで過去を箱の中に詰めて逃げ出そうとする私の生き方を変えてくれたの」

 突然話した言葉、一体なんなのだろうと思ったけれど、僕が感じたことをそのまま告げてみた。

「いい出会いをしたみたいだね」

「そうね、いままでは後ろ向きの生き方をしていたわ。それこそ、さっきのあなたみたいに、つらいことをそんなに仲良くもない人に話して逃げていた。でもね、それじゃいけないって分かったの。どんなにつらくても自分が歩んできた過去を大切にしなきゃいけないって」

「……」

 僕のキーを打つ手が止まった。それがあまりにもダイレクトに心に響いたから。この人に甘えてしまいたいと本気で思ってしまった。

 ただ一言だけ褒めてほしい、その掌で優しく撫でてほしい。

「甘えてもいい?」

 普通なら気持ち悪がられるだろう。でもくぅは何の迷いもなくこう言った。

「いいよ、どんどん甘えてね」

 僕は彼女に胸の内を晒しきった。別れた彼女とどうしてうまくいかなかったのだろうかとか、そういった汚い部分も全部。

 汚い部分すら出し切ってしまった僕は泣くことしかできなくなっていた。でもそれをしてしまったら、本当に嫌われてしまうかもしれない。

 でもそれを許してほしかったから聞いた。

「いいよ。今日は貴重な、人前で泣ける日だよ」

 心の堤防が決壊した。もう、何がなんだか分からなくなって目から大粒の涙を流しながら。画面の向こうにいる彼女に撫でられている気がした。感触も温かみもまったく感じないのに、とても落ち着くことが出来た。


「すこし、違う話をしようか」

 僕の心情をくみ取ってくれたのか、くぅは話題を変えてくれる。僕もそれに沿って話を始めた。

 本当に他愛もない話だ。休日は何をやっているのとか、友達はどれくらいいるのとか。時間が過ぎていくのがとても速く感じた。気が付いた時には二時間があっという間に経過していたのだ。

「くぅのメールアドレス、聞けないかな?」

 それは思い切った質問だ。というのも、くぅは友達があまり多くない人らしい。厚かましいとは思いながらも、くぅの友達になりたかったのだ。

「なんで?」

 そう返ってくるのは、当然のことだろう。だから僕は即座に答えた。

「友達になりたいから」

 ネットの中で、友達なんておかしいかもしれない。でも今は彼女に対する感謝の気持ちでいっぱいだった。

「私たち、もう友達だよ。こんなにいっぱい話し合った仲じゃない」

 いつだって彼女の態度は毅然と落ち着いていた。優雅ともいえるその振る舞いに僕は焦がれていたのかもしれない。

「こうやって一瞬一瞬を大切にすることも大事よね、たとえこの場だけの関係だったとしても、私はあなたを忘れずにいられるよ」

「それでね、あの日こんなことがあったんだなって考えると、ちょっと切ないけど、クスって笑える日が来ると思うんだ。それはずっと一緒だと永遠に分からないものだと思うから」

 

 でも、それでも……

「僕は、あなたとずっと話がしていたい」

「君の粘り強さにはこまったものねぇ……」

 顔が見えていなくても分かる。くぅは僕と別れたくない、でもそれ以上にこの一瞬の出会いを大切にしていきたいのだ。


「どうやら、あなたの胸に空いた小さな穴に、長くお邪魔しすぎちゃったみたいね。ごめんなさい」

 視界がうるんだ。ここで会話するまでずっとぽっかりと空いていた胸の穴は、いつの間にか綺麗に満たされていたんだ。それがなんで満たされていたのかは言うまでもない。

 この人と別れたくない、そんなバカみたいなことを本気で望んでしまった。

「私はね、あなたの立ち上がりを手伝う役なんだ。ここであなたが立ち上がって、頑張って歩いて行くのを見送るのが私の仕事」

「今度はあなたが優しくする機会に立ち会ってあげなさいね。大丈夫、あなたならきっとできるよ」

 いつの間にか、また諭されていた。あれだけ心が荒れていたのに、今ではウソみたいに穏やかになっている。


 そしていつの間にか、別れの覚悟もできていた。

「一期一会っていうけどさ、くぅとまた出会える気がするんだ」

「ここだけの話ね、願っていれば叶うって、本当みたいよ」

「本当?」

「うん、だからね。願いましょう」

「うん」

「あなたとはここでお別れになるけれど、また辛かった時に思い出してくれれば別の私があなたを助けてくれる。そう思うと、世界って割と楽しく見えるんだよ」

「分かった」

「たくさんの人と出会いなさいね、チャットでも実生活でも。精一杯呼吸して、もっともっといい男になりなさい」

「はい」

 涙を抑えることが出来なくなっていた。そもそもその気もなくなっていた。

 何年ぶりだろう、他人の前でこんなに堂々と泣くなんて。

「そろそろお別れね」

「うん。ほんとうに、ほんとうにありがとう」

「ううん、こちらこそありがとう」

「じゃあね、大切なともだち」

 さようならは言わないよ。僕たちは友達だから、またいつか会えるって絶対信じている。


 そうして僕たちは、また違う道へと歩き出して行ったんだ。


§


 物事には必ず終わりが来るんだって分かっている。ただそれは必ずしも悪いことばかりではないってことは最近知った。

 僕のぽっかりと空いてしまった小さな穴の中で、くぅは今でも僕を支えてくれている。

 今度は僕が他の人を支える番だ。


 さぁ、出番を迎えた。

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