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Hello

『ハロー、ハロー。聞こえますか? こちらは相変わらずです。そちらはどうですか? 最近は君の声が聞きたくなったよ。こちらは心機一転と言った形。だけれど君がいなくて少し寂しいよ。次に会える時はいつなんだろう?』


   ◇


 それは春、暖かい陽光が窓辺に差し込み、頬を優しく撫でる春風が私に新しい季節の到来を気付かせてくれた。

 光が当たった空気はふわふわと小さい埃がいくつも飛んでいて、ついつい埃を振り払おうとしてしまう。

 窓の外、つまりベランダに置かれているプランター。プランターには色鮮やかな紫色のパンジーが植えられていて、その周りには黄色のミツバチ。ライトブルーの空色に覗かれた私の心はダークブルーに染まっていた。

 そんな心情に陥った理由は幾らだって存在する。自己嫌悪、対人関係のもつれ、破壊衝動等々。

 こうやって自分が壊れて行く様を実感すると嘆きたくなってしまう。他人どころか、自分すらも愛せない宙ぶらりんの幽霊みたいな物。

 もうね、疲れちゃったんだ。

 古びたフローリングに映し出された私の影は薄い紫色に伸びていた。


 孤独だった。

 こういうのを自分で言うのって何だか馬鹿らしいけれど。そう、孤独。

 うん。きっとそれ以上の言葉は存在しないと思うから。

 人通りの多い交差点でも、電車の車内でも、学校でもどこでも、私一人だけで他の人は死んでいる。そんな気がした。

 例えば、真っ暗闇の洞窟を懐中電灯片手に出口を探すような感じ。

 暗闇から襲い掛かる閉塞感、焦燥感、恐怖感……そんなごちゃ混ぜの感情が常に私に降りかかっている感じ。

 だけれど他の人は私の事なんてお構いなしで黄色い笑い声を上げている。

 所詮そんな物なのだ。私と彼等では住む世界が違い過ぎる。

 一種の劣等感。いや、優越感。私はこの世界で一人、私以外は死んでいる。

 だからこうやって歩いて話して笑っている人達は人じゃないの。人間に動物の言葉が分からないのと同様に私と彼等では意味が通じるはずがない。

 だから孤独、一人、誰も私の存在に気が付いてくれない。

 いや、気付いてほしくない。だって私と貴方達じゃ住む世界が違い過ぎるのだもの。


   ◇


『ハロー、ハロー。聞こえますか? こちらは、相変わらずです。季節は夏、桜の季節は終わってしまい、変わりに色鮮やかな若葉の季節が訪れました。また、君に会いたいな、君がいなくなってどれくらいなのだろう? とても寂しいです。また近い内に会えるといいな』


   ◇


 夏が来た、蒸し暑く温度が上昇したこの部屋で気持ちの悪い汗をかきながら私はベッドの上で横になっていた。

 全てが孤独の世界に季節は関係ない、色もない、音も不協和音ばかりのこの世界。

 時々考える。こうやってじっと孤独の世界に耐えていれば、その最果てが見えて来るのだろうかと。その最果てが見えるまで私は耐えられるのだろうかと。最果てには何があって、どんな未来があるのだろうかと。


 暗く広い世界。足元は水浸しの世界、灯りは一切無くて、平衡感覚すら狂う黒一色の世界。

 頭がおかしくなりそうだ、疲れて倒れてしまいそうだ。だけれど、この世界の最果てを見るまでは休む事は出来ない。

 このままじゃおかしくなりそうだったから、自分で頭の中で空想を思い浮かべた。なるべく明るくて、楽しい事を。

 私が今歩いているのは浅い川の中。それを越えれば野原が見えて青空一杯の虹が私を迎えてくれる。

 光がさんさんと降り注ぐ眩しい季節。

 孤独の世界の住人である私にとって私以外の人間は人間じゃない。だからこうやって海岸で水に浸かっている人達もきっと私とは違う何かなのだ。

 つまらなく隔絶された世界に彼等の行動はなんの意味も持たない。

 よくあんな馬鹿な事をして喜んでいられるな。そう歪んだ発想が成り立ってしまうほどだ。

 水平線に浮かぶ白い船、モクモクと白い煙を吐き少しずつ移動している。空の情景は目まぐるしく変わり、大きな雲、小さな雲が矢のように吹き飛んで行く。

 私は窓からそんな世界を見ながら軽く侮蔑する。楽しんでいるのならば勝手に楽しめばいい。私には関係のない話なのだ、所詮は幸せなんて絵空事。

 つまらない怠惰と不幸にまみれた日常に特別まともな物を見つけて私達は幸せって呼ぶ。

 まあ、住む世界が違う私と貴方達では理解のしようがないと思うけれどね。

 ふっと鼻で笑い視線を海から窓の下へと落とす。そこにはカラカラと車輪がアスファルトの上を滑走する音。数人の男の子が麦藁帽子をかぶって、自転車の籠には虫かごを、左手には虫取り網をもって右手でハンドルを操作していた。

「        」

 何を話し合っているのか分からない。そりゃそうだ、私と彼等では住む世界が違っているのだから。私だけがイレギュラーな存在。だから私にとってここは孤独の世界。

 遠い目で男の子達が走り去って行くのを見つめる。

 しかしただ一人、私の方をじっと見ている人がいた。それは先程走り去って行った男の子達とは違い、年齢的に考えて少年と言うよりも、青年と形容した方がいい。

 私は自分の中があの青年に見透かされている気がして、途端に怖くなって、世界と遮断した。


   ◇


『ハロー、ハロー。聞こえていますか? 聞こえているなら僅かでもいいから返事をして。こちらは、相変わらず……とても寂しい、悲しい。私はこの世界でいつまで一人きりなの? 寒いよ、苦しいよ、痛いよ辛いよ。寂しい……。メーデー、メーデー。聞こえるなら返事をして。私を、助けて』


   ◇


 秋になった。

 今日もあの青年は私に会いに来てくれている。夏の暑い日に互いに見つめ合っただけの関係。夏のあの日から彼は毎日私に会いに来て、何かを話して帰る。

 だけれど私には彼の声が届かない。何を話しているのかも分からない。彼のしつこさは呆れを通り越して気味が悪いほど。

 なぜここまで私にこだわるのだろう? 私はその日も、彼の姿が見えなくなるまで世界を遮断した。

 ベランダの植木鉢には赤い花びらのコスモスが植えられてあった。プランターに植えられていたパンジーが枯れてしまったから今度はコスモス。

 正直花はあまり好きじゃない。だけれど、わずかでも心が落ち着く場所を確立しておかないと、私は孤独の世界に押しつぶされてしまうから。

 水色のジョウロには水が一杯入れてある。そのジョウロの水をコスモスに向かってかける。パラパラと分散される水の束はコスモス全体へと降りかかってキラキラと輝いていた。花弁にかかった水は弾け、葉から茎へ、そして地面へと導かれていく。私はその一部始終を見終わると、今度は空に視線を移した。

 夕日が大きな建物の影に隠れる瞬間。幻想的な色で空が変化する。さっきまでオレンジ一色だったこの空は、夕日が隠れた事によって赤から紫へと美術的なグラデーションを生み出していた。夕日に焼かれた黒い雲がフワフワと空の上を漂っている。

 やがては消える運命の雲。それはどこか、私に似ている気がした。

 夕日を背に秋茜がベランダの手すりへと飛んでくる。細長い羽を必死にばたつかせて飛んでいた体も今は休憩。まるで私の存在になんて気が付かないみたいな素振りでわずかな休憩を取ると、また飛び去ってしまった。

 改めて私はこの世界には相応しくないのだなと確認。自分の存在なんて誰にも気付いてもらえないんだとか、孤独な世界で私は一人きりなんだとか、そういう果てのない自虐的な考えが頭の中を巡ってしまう。


 そんな事を考えていると、どうしようもなくなってしまう。

 もう、何もかもが嫌だ。こうやって孤独に染まって行くのも、自分が壊れてしまうのも、何もかもが嫌になってしまった。

 つまり諦め、絶望。孤独の世界の最果てよりも先に自分が壊れてしまう。

 そんな時、自転車のベルの音。下を見るといつもの青年が私に向かって手を振っていた。相変わらず何を話しているのかは分からないが、それでも顔は笑っている。笑って、私に手を振っている。

 本当にこの笑みは偽物じゃないのだろうか?

 分からない。分からない分からない。だけれど、裏切られるかも分からない。

 彼は私の世界の窓の下に立って私の存在に気付いてくれている。

 それだけで孤独の世界に光が差した。

 私は傷付けられるかも知れない危険を省みずに、彼に向かって手を振った。ぎこちない笑み上手く作れたか、下手に作れたかは言うまでもない。

 そしてその行動に返ってきたものとは。


   ◇


『ハロー、ハロー。聞こえていますか? 聞こえているのなら、どうかお願い。返事をして! この世界は私には耐えられない。もうどうにかなってしまいそう。この世界から一分一秒でも自由になりたい、私だけの存在なんて嫌だ。助けて。お願い、助けて……メーデー、メーデー。私はここにいます。貴方の助けが必要です。私を……助けてください』


   ◇


 冬になった。

 暖房器具もない無味乾燥なこの部屋に一人は寒い。息が白くなるなんて事はないけれど、体はガチガチと悲鳴を上げていた。

 動かす度に軋む体。冷たくなる体温に命がかき消えると言う恐怖を感じた。寒い。凍え死んでしまいそうだ。

 バカに寒い明け方。カーテンを開けて空を見ると真っ白い雪が降り積もっていた。私は見上げるような状態で降り行く雪を見送る。孤独の世界で初めて見た雪。

 それはあまりにも残酷なほどに綺麗に輝いて見えた。

 青年と喧嘩をした。喧嘩と言っても彼の言っている言葉が分からないのだから、「多分喧嘩した」なのだけれど。だけれど多分……いや、絶対に喧嘩した。


 それはまだ冬を感じたばかりの寒い日。木枯らしが吹き荒れる冷たい北風が部屋の中に居る私までも襲った。

 いつものように青年は私のもとへと来てくれた。いつも通りの時間帯、いつも通りの私の世界の窓の下で。

 案の定彼は予測通りに来てくれたのだ。しかし私はその時、自虐的な考えに陥っていた。秋のとある日の出来事の時のような時々起こる自虐の波。その時は大抵酷い事を考えて自分を痛み付けて楽しんでいた。

 しかしその日は違った。なぜかは分からないけれど、自分の孤独に苛まれてきた痛みとか辛さを青年にぶつけてしまったのだ。

 私から聞く彼の声は届かないが、彼から聞く私の声は届くかも知れないから。他人を傷付けて私は喜んでいた。

 だから、そう。喧嘩と言うよりも、ただ傷付けたかっただけなのかもしれない。事実私はあの時、人を傷付けて楽しんでいた。

 そこには罪悪感なんて生まれずに、ただ傷付けて悦んでいたのだ。

 あれから青年が来た事を確認するのはやめた。私が今更出て行っても、また傷付けてしまうだけだろうから。

 けじめとして私は窓の外の世界を見ないようにした。また外の世界を見て、外の世界に恋焦がれてしまわぬように。窓にカーテンをかけて、世界を遮断したのだ。私はこれから孤独の世界で生きる。

 そう決めていた筈なのに、心の中で助けを求めてしまった。わずかでもいいから外の世界を見てみたいと思ってしまった。

 自分の心の弱さに嘆き悲しむ。結局私は一人では駄目な人間なんだ。だからこうして私以外のものに憧れている。

 今は明け方、青年が来る時間帯には早すぎる。もとより、あんな酷い事を言ってしまったのだ。もう二度と私の前に姿を現す事はないだろう。

 諦めに似た、けれどどこかに儚い想いを携えた気持ちで窓の下を見たら

 目を疑った。だって有り得ないって思っていたから。それは実際に有り得ない事で、ほんのわずかの期待という概念でしか考えていなかった事だから。

 有り得ないと思った。

 そこにはこの前と変わらずに青年が立っていた。あれだけ酷い言葉を言って傷付けたと言うのに笑って……!

 胸の内に溜め込んでいた痛みとか辛さとか悲しみ怒り不安寂しさが全て決壊した。

 彼は私の存在を認めてくれた。それだけで、私は私の世界に色が付く。

 彼の手がゆっくりと右上で大きな孤を描いた。それは今までよりもずっと大きく、ずっと力強いものだった。

 私もそれに応えるために部屋から出てベランダの手すりに全身を預け両手で大きく孤を描いた。

 冬の寒く凍える程の日。私の心はほんの少しだけ暖かくなった。


   ◇


『ハロー、ハロー。聞こえていますか? こちらの状況は……応答してください、私はここにいます。私を助けて、私を……私』

「ここに居るよ」

『え……?』

『あー。ハロー、ハロー。こちらは相変わらずです。応答願います』

『は、ハロー、ハロー。聞こえました。私はここにいます。貴方をずっと待っていました!』

『ハロー、ハロー。君の言葉は届きました。僕もここにいます。……こんなに近くにいるんだ、普通に話そうよ』

「……うん!」



おしまい

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