第七章 七つ目の笑石と、帰路
七つ目の笑石がどこにあるか、ヌラリ翁は教えていなかった。
「最後の石は、自分で見つけるものじゃ」と言っていた。「探しに行くのではなく、気づいたときにある」
ソラは怪獣区を出て、笑界の外縁部に向かった。各区の境界が交差する場所で、どの地区にも属さない空白地帯がある。そこに笑界の「港」があると、エレキから聞いていた。
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港は静かだった。
波があった。笑界に海があることを、ソラは知らなかった。地平線まで、暗い色の水が広がっている。波の音が、他の地区の笑い声とは全く違う音として耳に届いた。
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No.58
モンスター名:シーサー蛇
分類:笑界の守護者
芸人スタイル:語り部
ストーリー概要:笑界の始まりから全ての歴史を知る守護蛇・シーサー蛇。七つの笑石の最後の鍵を持つ存在で、出会った者に「笑いの記憶」を語り継ぐ。三時間語りを行うことで知られる。
見どころ・テーマ:記憶の継承、語ることと笑うこと
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波打ち際に、蛇がいた。
長さは測れないほど長く、胴体がとぐろを巻いて浜辺を半周していた。頭が二つあり、それぞれがシーサーの顔をしていた。
「来たか」と蛇の右の頭が言った。
「来ました」とソラが言った。
「最後の石を探しているか」
「はい」
「では聞かせよう。語り継ぎましょう——笑界のモンスターたちの話を。あなたが出会った者たちの話を。あなたが出会わなかった者たちの話も」
「……どのくらいかかりますか」
「三時間ほど」と左の頭が言った。
ソラは座った。
◆
シーサー蛇は話し始めた。
最初はヌラリ翁の話だった。笑界が生まれた頃からここにいる老妖怪が、最初は何をしていたか。笑いが世界のエネルギーになる前、この場所がどんな場所だったか。
次は御頭Bros——タコ吉とイカ吉が出会った経緯。最初は互いの存在を知らず、別々の海に住んでいた二人が、笑界に来てはじめて「相方」という概念を知ったこと。
カベヤの話は短かった。カベヤは笑界で最も古い芸人の一人で、最初から壁だったわけではない。あまりにも多くの人の話を聞いているうちに、話を吸収する存在になった、という。
ソラが出会わなかった芸人の話も混ざった。名前だけ知っていた者、看板だけ見た者、別の芸人に言及された者——七十六体のモンスターたちが、一人ずつ語られた。
ソラは聞きながら、この旅で出会った顔を一つずつ思い出した。御頭Bros。ヌラリ翁。カベヤ。ウミボ。タヌ吉。ホネ吉とデカスケ。ゴブ太とキマ子。長介。ウル輝とヴァン伯爵。ドロ子とゴレ男。カゲ太とティア子。デビ子。インキュ。サキ。サタ奈。アスミ。ゴモ太。ラド介。キングジョー。バルタ。エレキ。ゼット。レッドとバイラス。ビオ子。デスロ。ガイ。
一人ずつ、確かに出会った。
その出会いが笑界の歴史の一部になっていた。
「……あなたが旅した三百六十五日は、笑界にとっても特別な時間だった」とシーサー蛇の右の頭が言った。「笑えない医師が笑石を集める旅は、笑界の歴史の中でも珍しい記録になった」
「私のようなケースは初めてですか」
「初めてではない。でも、最後まで旅した者の中で、これほど丁寧に笑いと向き合った者は多くない」
ソラは何も言えなかった。
「笑えないことが、あなたの旅の質を下げたとは思わない」と左の頭が言った。「笑えないから、笑いを外から見ることができた。外から見た者の記録は、笑界にとって価値がある」
波の音が続いていた。
ソラは七十六人の顔を、もう一度順番に思い浮かべた。全員に会えたわけではない。でも全員の話を、今、聞いた。
その記憶が——石の形をして、手の中にあった。
七つ目の石が、光っていた。
◆
「七つ目の石は何の石ですか」とソラが聞いた。
「記憶の石」とシーサー蛇が言った。「笑いの記憶を持つ者に宿る石です。あなたは三百六十五日、笑いの記憶を積み重ねてきた。その記憶が石になった」
「笑えなくても、笑いの記憶は積めますか」
「笑えなくても、笑いを見た記憶は本物です。笑いを感じた記憶も。笑いの意味を考えた記憶も。あなたの手帳に書いたこと全てが、笑いの記憶です」
ソラは七つの石を手の中に集めた。
「帰れますか」
「帰れる」とシーサー蛇が言った。「港から出れば、笑界の外に出る。あとは流れに従えばいい」
「……ありがとうございました」
「語ることが仕事だから、感謝は要らない」と蛇が言った。「でも——帰ったら、あなたが聞いた話を覚えていてください。笑界のモンスターたちのことを」
「覚えています」とソラは言った。「忘れません」
◆
港の先に、小さな船があった。
ヌラリ翁が立っていた。
「よく集めましたの」と翁が言った。「三百六十五日。一年」
「正確には三百六十五日と数時間です」とソラが言った。
「相変わらずじゃ」とヌラリ翁が笑った。「さあ、乗りなされ」
ソラは船に乗った。
笑界の風景が流れていった。虹色の空。七層の大気。笑い声でできた川。提灯の光。野外ステージ。怪獣区の広い平野。悪魔区の赤い煉瓦。妖怪区の古い建物。
全部が遠くなった。
「翁」とソラが言った。
「なんじゃ」
「笑界のモンスターたちは、元気ですか」
「元気じゃよ。笑いはエネルギーじゃ。元気でない笑いはない」
「……私のことを覚えていてくれますか、みんな」
「覚えていますとも。笑えない医師の旅は、しばらく語り草になるじゃろう」
ソラは船の縁を握った。
「笑えないままで、よかったのでしょうか」
「笑えないままで、七つ集めましたじゃろ」とヌラリ翁が言った。「それが答えではないかのう」
船が加速した。
光が増えた。
そしてソラは——暗闇の中に入った。
◆
気がついたら、病院の廊下だった。
白い壁。消毒液の匂い。頭上の蛍光灯。
「……地球」
地球だった。
「朝比奈!」という声がした。
振り返ると——田中がいた。ゼフィル号の同僚。宇宙服ではなく、白衣を着て、病院の廊下に立っていた。目が真っ赤だった。
「生きてた。本当に生きてた」
「田中」とソラが言った。
田中が走ってきた。抱きついた。ソラは一瞬硬直して、それから——田中の背中に手を当てた。
「乗組員は」とソラが言った。
「四十六名、帰還確認。あとの——」と田中が言葉を切った。
「三人」とソラが言った。
「……まだ見つかっていない」
ソラはその言葉を聞いて、動けなくなった。
田中の声が聞こえていた。四十六名は無事。でも三人が、まだいない。
ソラは廊下の壁に手をついた。
三人の名前が頭の中に来た。三人の顔が来た。ゼフィル号に乗り込んだ日のことが来た。出発前に全員で撮った写真のことが来た。
喜びと悲しみが、同時にあった。
「同じ場所から来る」——モス子がそう言っていた。笑いと悲しみは同じ場所から来る。喜びと悲しみも、きっと同じ場所から来る。四十六人が帰れた喜びと、三人がまだいないという悲しみが、一点で重なっていた。
涙が出た。
ソラは今まで、笑界でほとんど泣かなかった。カベヤの前で一度だけ泣いたが、それ以来泣いていなかった。
今、泣いていた。
「必ず見つける」とソラは言った。「三人とも、必ず見つける」
「一緒に探す」と田中が言った。「みんなで」
廊下に二人の呼吸が続いた。
◆
【エピローグ】
朝比奈ソラ、二十九歳。
ゼフィル号の船医。外科・宇宙医学・ウイルス学の三分野で博士号を持つ。IQ一九二。笑いのセンスは——未計測のまま。
帰還後、三ヶ月が経った。
三人の乗組員の捜索は続いている。手がかりがないわけではない。笑界と地球の間にある何かの場所に、まだいる可能性がある——そういう仮説が、ソラが持ち帰ったデータから立てられた。
ソラは病院に戻った。白衣を着て、患者を診て、手術をして、記録を書いた。
笑いのセンスは、帰還後も変わっていない。笑えない。でも——何かが変わっている気がした。患者が冗談を言ったとき、以前より一秒早く理解できるようになった。その一秒が何なのか、まだ分からない。
手帳は新しいものに変えた。古い手帳は引き出しの中にある。笑界で書いたこと全てが、そこに残っている。
ある夜、ソラは古い手帳を開いた。
最初のページに、笑界に着いた日のことが書いてある。「酸素濃度二十一パーセント。気圧一・○一気圧。気温二十二度。……生存可能環境」という、医師として最初に書いた記録。
最後のページには、乗組員の名前が全員書いてある。五十二名。三名に丸がついていない。
ソラは手帳を持ったまま、窓の外を見た。
夜空に星が見えた。笑界の星とは違う並び方で、でも同じように光っていた。
笑えない医師の旅は、まだ終わっていない。
三人を見つけるまでは。
(了)




