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~北九州・境界観測録~  砂(短編)

作者: クローム
掲載日:2026/03/25

布石4作目

「100万ドルの夜景」と呼ばれているらしい。

 展望台から見下ろす北九州の街明かりは、宝石を撒き散らしたように眩い。

  だが、しばらく見つめていると、妙な胸騒ぎがした。


 何かが、少しだけ合っていない。

 ピントがずれているわけじゃない。網膜に映る光の粒が、パズルのピースを無理やり嵌め込んだような、微かな「軋み」を立てているのだ。

 あの衒学者――九十九なら、万年筆の先で宙をなぞりながら、こう言うだろう。


「英国式のはずなのに、どうにもそう見えない。レンガの積み方ってのは、ああいう微かな違和感を生むんだ。世界が……少しだけ、重ね書きされているのさ」


 なるほど、と思った。

 違って見えているだけで、間違っているわけじゃない。

 俺はサーモスのボトルから、最後の一口のコーヒーをカップに注いだ。

 立ち昇る湯気が、一瞬だけ街の灯りを歪ませる。その匂いの中に、潮騒のまじった、重たく古い砂の匂いが混ざった気がした。


 俺はその場を離れ、125ccの鉄の馬に火を入れた。

 山を下る道すがら、高架橋の上を長い貨物列車が横切っていくのが見えた。

 ――あれは、くろがね線だったか。

 見慣れているはずの車体が、深い砂底を泳ぐ巨大な魚のように、音もなく闇を滑っていく。

 そのとき、ふと気づいた。


 夜景も、列車も、何も変わっていない。

 ただ、自分の“見え方”の方が、少しだけズレている。

 いや――俺の立っている場所が、ほんの数ミリだけ「砂の上」のように不安定に浮いているのだ。


 そう考えると、すべて辻褄が合った。

 だから、それ以上は気にしないことにした。


 ……それから数日後。

 ふと思い立って、スマホの写真フォルダを見返した。

 あの日撮ったはずの夜景の写真は、どれも真っ白にノイズが走っていた。


 いや、ノイズではない。

 光の一粒一粒が、すべてさらさらとした「白い砂」に変質して、画面を埋め尽くしていたのだ。


 スワイプするたびに、スマホのスピーカーから「ザリッ……」と、靴底で砂を噛むような乾いた音が響いた気がした。


 俺は静かに画面を閉じ、もう一度だけ、皿倉山の方角を振り返った。


 ——あのときの「砂」が、まだどこかに残っている気がして。

読んでいただきありがとうございます。

次回作(長編)は5月15日から投稿予定です。

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