二月の残業と、冷めないかしわうどん
深夜零時。西新のマンションの廊下に、律子のハイヒールの音が虚しく響く。
バッグの中には、天神の岩田屋で買った三千円のテリーヌが入っている。それは愛への土産という名の、律子の「免罪符」だった。
一月。二人の予算は七万円。けれど、その数字は今、律子が家庭を顧みない自分を許すための「買収資金」へと成り下がっていた。
リビングの隅。愛が残したメモの横には、昨日律子が買ってきた高級パンが、一口もつけられないまま皿の上で硬くなっていた。その乾燥した断面が、二人の会話の欠如を嘲笑っているようだ。
「……うどん、温めるね」
パジャマ姿の愛が、暗闇から現れる。彼女の瞳には、怒りよりも深い「諦念」が滲んでいた。
「ごめんなさい、愛。このテリーヌ、明日……」
「いいよ、りっちゃん。カヌレもテリーヌも、もう冷蔵庫がいっぱいだよ」
愛は、黄金色に輝くかしわうどんを律子の前に置いた。
「私はね、三千円のテリーヌが食べたいんじゃなくて、三〇円の卵を一緒に焼きたいの。……りっちゃん、私たちの七万円は、誰のために使ってるの?」
律子は、うどんの熱い汁を啜った。
甘辛い鶏の旨みが、喉を焼く。愛の言葉は、デパ地下のどんな贅沢品よりも、律子の胃を重く沈ませた。
その時、ダイニングテーブルの上で、律子の仕事用スマホが短く、鋭く震えた。
画面に浮かんだのは、名前のない番号。
律子は、愛の視線を避けるように、それを手で覆い隠した。
「……明日、早く帰れたら、天ぷらをしましょう。山菜をたくさん買って」
それは、自分でも守れるか分からない、空虚な「予約票」だった。
「……うん。楽しみにしてる」
愛の微笑みは、春を待つ雪のように冷たく、そして今にも消えてしまいそうだった。




