秋光のキッチンと、秘密のコールスロー
「……あなたも、そうでしょ?」
その囁きは、キャベツを刻む音よりも鮮烈に愛の鼓膜を震わせた。
宮脇。テニスで焼けた腕をまくり、自分たちと同じ色彩の指輪を光らせる女。彼女が放つ空気は、律子が大切に守ってきた「天神の静寂」とは違い、もっと雑多で、もっと自由で、少しだけ傲慢なほどに軽やかだった。
「レシピ、盗んでいい? 優しいけど、どこか『正解』を恐れているような味。私のパートナーなら、もっと胡椒を効かせろって言いそう」
宮脇の言葉が、愛の胸に小さな刺を刺す。
このコールスローは、律子が教えてくれた黄金比だ。一分の隙もない、律子の「正しさ」そのもの。それを、この女は一口で「守りに入っている」と見抜いたのか。
西新のマンションに戻ると、律子はいつも通り、法典の森に沈んでいた。
愛は宮脇からの誘いを告げる。ホームパーティー。同じ境遇の仲間たち。
「宮脇さん……。珍しいわね、そういうコミュニティに自ら顔を出す人は。福岡の法曹界にも、隠れ家的に集まっている連中はいるけれど」
律子は「連中」という言葉を使い、どこか冷めた視線を崩さない。
「行ってみようよ、りっちゃん。私たち、二人だけで守ることに必死になりすぎてた気がするの。七万円の予算があれば、誰かに何かを作ってあげる余裕だって……」
「そうね。……『情報の仕入れ』だと思えば、悪くない投資かもしれないわ」
律子のその言い草に、愛は微かな違和感を覚える。
自分にとっての「救い」が、律子にとっては「案件」のひとつに過ぎないのではないか。
愛はキッチンに向かい、余ったキャベツをもう一度刻み始めた。今度は、律子のレシピにはない、粗挽きの黒胡椒をたっぷりと挽き入れる。
ツンとした刺激が鼻を突く。
「……辛いわね、今日の夜食は」
書斎から声をかけてきた律子に、愛は背を向けたまま答えた。
「たまには、これくらい尖ってないと。……外に出るんでしょ?」
二人の食卓に、初めて「他人の視線」というノイズが混じり始めた。
それは新しい彩りであると同時に、律子という盾に守られてきた愛が、初めて自分の「味」を問い直す、孤独な戦いの合図でもあった。




