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五万七千円の安息香(あんそくこう)  作者: 水前寺鯉太郎
シーズン3

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琥珀の休息、あるいは連帯のレシピ

控訴審は、一審のような鮮やかな逆転劇とは程遠い、泥沼の消耗戦と化していた。

 相手方の弁護士は、亡きパートナーが生前に残した断片的な日記やSNSの投稿を繋ぎ合わせ、「これは愛情ではなく、経済的な依存関係に過ぎない」という歪んだ物語を法廷に持ち込んできた。一歩進んでは二歩押し戻される。結審の兆しは見えず、準備書面の山だけが律子のデスクを高く埋めていった。

「……土俵が泥まみれなら、泥の中での戦い方を覚えるまでよ」

 そう言って不敵に笑う律子。けれどその夜、愛に気づかれないよう、書斎でこっそり目薬を差した。

 週末の夜。律子は愛に連れられ、閉店後の「ラルク」のカウンターに座っていた。宮脇が大将に頼んで特別に開けてもらった貸し切りの店内には、佐野やコミュニティの仲間たちが集まっている。

「さあ、律子先生。今夜は六法全書を閉じて、この特製おでんに集中しなさい」

 宮脇が差し出したのは、大きな土鍋で煮込まれた、琥珀色に輝くおでんだった。牛すじ、大根、玉子。そして、愛が西新の練り物屋で見つけてきた、揚げたての丸天。

 出汁の香りが、法廷の冷たい空気で強張っていた律子の肩を、優しく解きほぐしていく。

「……美味しい。出汁が、体に染みるわ」

「でしょ? この牛すじ、昨日の夜から私が下茹でしたんだよ。りっちゃんが書面を書いてる横で、コトコトって」

 愛が誇らしげに小皿に取り分ける。

 佐野が、隣で静かに口を開いた。

「……先生、一人にしないから。私たちも、ここにいるから」

 コミュニティの仲間たちが、次々にグラスを掲げた。

 律子は、丸天を一口頬張った。弾力のある歯ごたえと、魚の旨味。それだけだった。

「……ありがとう。私、独りで戦っているつもりだったけれど、この味を守るために、みんなに背中を押されていたのね」

 深夜、西新への帰り道。愛と手を繋ぎ、夜風を浴びながら歩く。

「ねえ、りっちゃん。明日の朝は、おでんの残り汁でうどんを作ろうか」

「いいわね。……最強の朝ごはんになりそうだわ」

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