反撃の献立、あるいは過去の再構築
嵐のような親たちの訪問が過ぎ去り、西新のマンションには、耳が痛くなるほどの静寂が戻っていた。
リビングのテーブルには、手付かずの「栗饅頭」と、よし子が置いていった「筑前煮」が、それぞれの故郷の重みを湛えたまま、冷たく鎮座している。
「……ねえ、りっちゃん。これ、どうしようか」
愛が、少し疲れた顔で筑前煮のタッパーを見つめる。
「捨てられないし、でも、このまま食べるのも……なんだか、負けたみたいで悔しいよね」
律子は、眼鏡を外して目元を拭った。重雄が放った「恥を知れ」という言葉の棘は、まだ彼女の胸の奥に刺さったままだ。だが、愛の作った味噌汁を啜った時の父の、あのわずかな表情の緩みを、律子は忘れていなかった。
「……リメイクしましょう、愛。過去をそのまま飲み込むんじゃなくて、私たちの味に作り変えるの。それが、私たちの『回答』よ」
二人は、無言でキッチンに立った。
よし子の作った筑前煮――鶏肉、牛蒡、蓮根。久留米の母の、少し濃いめの甘辛い味付け。それを細かく刻み、炊きたての白米に混ぜ込む。そこに、律子が糸島で見つけた上質な白胡麻と、たっぷりの刻み大葉を散らした。
さらに、重雄の栗饅頭。その中の上品な白餡と栗の甘露煮を丁寧に取り出し、少量の生クリームと和えて、春のイチゴを添えた即席のムースに仕立てる。
西新の七万円の食卓に並んだのは、過去という名の「呪い」を、二人の知恵で「祝福」へと変えた、新しい献立だった。
「美味しい……。お母さんの味なのに、ちゃんとりっちゃんの家の味になってる」
「ええ。過去は消せないけれど、調理法は変えられるわ」
律子は、食事をしながら、愛のスマホを手に取った。
そこには、第10話から第15話まで、欠かさず記録されてきた食卓の歴史がある。湯気に霞む愛の笑顔、二人で囲んだ土鍋、そして、ドアを汚された夜の、あの震える手で食べたポテトサラダ。
「愛。この写真を、全部プリントして。……佐野さんの裁判の、追加証拠として提出するわ」
「えっ、こんなプライベートな写真が、証拠になるの?」
「なるわ。……『不潔な関係』だなんて言わせない。この写真の一枚一枚に宿っているのは、慈しみと、節制と、相手を思いやる尊厳よ。法が、この『生活の質量』を無視できるはずがない」
翌日、律子は天神の事務所で、佐野さんの親族側弁護士と対峙した。
相手は、典型的な「伝統的家族観」を振りかざす老弁護士だった。
「大野先生。いくら内縁を主張されても、婚姻届のない関係に、法的な保護を与える先例は少ない。無駄な抵抗はやめて、依頼人に退去を促しなさい」
律子は、冷徹な笑みを浮かべ、机の上に一冊の分厚いアルバムを置いた。
そこには、愛が撮り溜めた、色彩豊かな「七万円の食卓」が並んでいた。
「先生。これは、私の依頼人が、亡くなったパートナーと共に積み上げてきた『家族の記録』です。一円単位で管理された食費、旬の食材を選び抜く手間、そして、病床の彼女のために作り続けたお粥。……これを『不潔』と呼ぶなら、先生の考える『清らかな家族』とは、一体何を食べて生きているのですか?」
老弁護士は、アルバムのページをめくる手が止まった。
そこにあるのは、イデオロギーではない。ただ、懸命に生きた人間たちの、嘘偽りのない「熱」だった。
「……さらに。私のマンションのドアに『変態』と書き殴った犯人についても、現在、筆跡鑑定と防犯カメラの解析を進めています。お宅のクライアントの関係者が関与しているとなれば、これは不法行為として刑事・民事の両面で追及させていただきます」
律子の声は、西新の夜風のように澄み渡り、そして容赦なく鋭かった。
その日の夜。
律子は、愛と共に、新しく買い足した「春の豆ご飯」を食べていた。
予算七万円。その内訳には、今、戦うための「勇気」という名の隠し味が加わっている。
「……りっちゃん、なんだか今日、かっこいいよ」
「そう? ……豆ご飯、少し塩加減が強かったかしら」
「ううん。これくらいの方が、これからの季節にはちょうどいいよ」
汚されたドアは、もう塗り替えられた。
そして、二人の未来もまた、自分たちの手で、自分たちの味に、新しく塗り替えられようとしていた。




