彼女が選んだのは、私ではなかった
彼女は最初から、一人で行くつもりだった。
そう気づいたのは、彼女が未帰還兵となった知らせを受けてからだった。
彼女は婚約者ではあったが、彼女が考えていたことなんて、今もほとんど分かりはしない。
仮初の婚約者、ヴィオラ・バルターク。
彼女との婚約は軍部の政略で決まった。
彼女は身分は低いが優秀で、私は身分が高いことが取り柄だった。
それ以上の理由はない。
軍部で知り合って1年。婚約してからは1ヶ月だけの薄い関係だ。
だから、あの日、彼女が私を選ばなかったのは、単純に信頼が無いからだと受け止めていた。
*****
「本当に1人で行くのか?」
「ええ」
「途中までの道のりは、盾ぐらいにはなれると思うが」
魔神を討伐するという特殊な任務において、私は彼女ほどの力を持っていなかった。
それだけの差だと、あの時は思っていた。
「私……あなたがいると、迷いそうな気がします」
「迷う?」
彼女はその問いには答えなかった。
その言葉の真意を悟ったのは後になってから。
しかし、あの場では小さく微笑む彼女の表情に、馬鹿にされたような気持ちになった。
だから、話題を変えるように質問を重ねたのだ。
「討伐……できそうなのか? 父を庇うわけでは無いが、大勢で挑んで、全員が帰らぬ人になった」
私の父は、魔神討伐の責任者だったが、その命を散らした。預かった部下も全滅だ。
父の死で家門に傷がついた。
だからこそ、この婚約がまとめられたのだろう。
浅ましいことだが、家の命令に従う自分も同罪か。
質問をしておきながら、思考の沼にハマりかけていたとき、彼女は静かに話出した。
「マーツァル侯爵閣下は、戦果を遺されました。そのおかげで、私は戦いを終わらせることができそうです」
父の死の後、対魔神の攻撃魔法が開発され、彼女はその使い手に選ばれた。
「君は、父の死に意味があるかのように語るんだな。あの戦いの後、ほとんどの人間が父を中傷したというのに」
「イグナーツ様は、結果の出なかった過程に意味を感じませんか?」
「……感じないな」
これは、過程に意味をも持たせる会話ではなかったのかもしれないと気づいたのは、後になってから。
「そういえば、イグナーツ様にお願いがあるのです」
唐突に切りだされた言葉に驚いた。
頼まれごとをされるような関係性だと思っても見なかったからだ。
「お願い?」
「母の命日がもう直ぐなので、スイートピーを私の代わりに供えていただけませんか?」
「……承知した」
その後の会話は覚えていない。
2人だけで話したのは、その日が最後だった。
次は出立の日に会話したが、わずかな時間だ。
もう、何を言ったかも覚えていない。
彼女はたった1人で旅立ってしまった。
旅立ちの日に馬にまたがる彼女は、不思議なほどスッキリした顔をしていた。
「ヴィオラ」
私は最後の最後で声をかけた。
彼女は馬上から振り返って、にっこりと微笑んだ。
「イグナーツ様も来てくださったのですね」
「婚約者だからな」
彼女はキョトンとしたあと、少し気まずそうに笑った。
「……そうでしたね」
「花、自分で供えてもいいんじゃないか?」
唐突に言ったその言葉は、自分でも良いもののように思えた。
しかし、彼女は首を横に振った。
「命日に行けませんから」
「命日にこだわるのか?」
「はい。こだわるんです」
彼女はそういうと、にっこりと笑って念を押す。
「お花、スイートピーですよ。お願いします」
そうして、彼女は軽やかに旅立って行った。
馬上に靡く長い淡い髪が、太陽に照らされて煌めいた。
そんな一枚の英雄の絵画のようなシーンだけが、心に残った。
*****
彼女の母の命日は、彼女の出立の3日後だった。
私と彼女は仮初の婚約者だが、そんなささやかな約束を破るほど情がない訳でもない。
彼女の母の墓の近くにある、街の花屋に行って、スイートピーを頼んだ。
「スイートピーですか。喧嘩でもされましたか?」
「……? 婚約者の代わりに、彼女の母に花を供えにきた」
「なるほど。では、単純に故人がお好きだったのかもしれませんね。余計なことを申しました」
店主はそのあとは淡々と花を包んでくれた。
支払いを済ませ、店から立ち去るその時に、問いかける。
「この花は、喧嘩の後に使うのか?」
「気持ちを伝えるお花なのです」
静かに言われた言葉が、胸に積もった。
店を出て、彼女に言われた通り墓参りをした。
丁寧に洗われた墓石は、彼女も出立の直前に寄ったのではないかというほどだ。
私はそこにスイートピーを置いた。
そして、手を合わせる。
喧嘩の後に渡すのであれば、謝罪か、仲直りだろう。
亡くなった母に手向けるにしては、何かが妙だ。
何を謝ることがあるというのだ。
魔神討伐を任された、輝かしい娘から母へーー
「……まさか」
嫌な予感がした。
「ようやく、来られましたか」
突然、声をかけられた。ここの管理人だろうか。
「ようやく、とは?」
「一年前に亡くなってから、手紙で掃除を頼んで、こと付けを送るばかりで、墓に顔を出したのは、初めてでしょう? 気持ちの整理がようやくつきましたか?」
彼女は墓に来ていなかったようだ。
墓の手入れだけは頼んでいたのに。
「……私は代理なのです」
「なるほど。……そうですか。最後の手紙がいつもと様子が違ったので、気持ちが変わったのかと思ったのですがねぇ」
「最後の手紙?」
「はい。今までの感謝を述べていました。まるで……いえ、縁起でもありませんね」
パズルが繋がったのような気がした。
この推理を確かめたくて、城に戻ろうとすると、地面が大きく揺れた。
「あれは……」
管理人の視線の先を追うと、遠目から見ても強大な光の柱が、昼の空を二分するように立ち上っていた。
美しい光だ。
あの光の柱が、魔神との戦いを終えた証だと、この国の誰もが理解しただろう。
しかし、私はもちろんのこと、管理人もなぜか目を伏せた。
「あの光は、眩しすぎますな」
「……お願いがあります」
私は手持ちのお金をそっと取り出した。
「この墓をこれからも、綺麗に維持してください。私も、時折来ますから」
しかし、管理人は首を横に振った。
「ここを管理するのが私の役目です。気持ちの整理ができたなら、こと付は、本人に返そうと思っていたのです」
「……そうですか」
これ以上、何も言えなかった。
*****
城に帰ると、大騒ぎだった。
城は、1人の女性が魔神を封印したという話題で満ちていた。
そのどれもが、彼女がどんな覚悟でそこに至ったのかには、触れていなかった。
それは私にも、わからないことだ。
「イグナーツ」
「大佐。お疲れ様です」
「……この度のことはお悔やみ申し上げます」
このお祭り騒ぎの中で、自分の上官がそのように声をかけてくれるとは意外だった。
だからなのか、私はなんと言うべきか、言葉に詰まってしまった。
「彼女は……強い人だったと、今になって思います」
ようやく絞り出した言葉は、返事にはなっていないただの感情だった。
すると、大佐は首を傾げた。
「……そうなんでしょうか?」
「私という手助けもいらないと、1人で旅立って行ったではありませんか」
「ああ……なるほど。……私は、優しい人だったと思っていました」
「え?」
「……いえ、強い人でもありますね」
それでは、と立ち去ろうとした大佐を、思わず呼び止めた。
「彼女は、最初から知っていたのですか? 封印するしかないことを」
「……あなたは、どう思いますか?」
「それは……」
「もう、あなたの中に答えはあるのでしょう?」
大佐はそう、静かに問い返して、私を置いて行ってしまった。
*****
魔神封印の地に足を踏み入れたのは、それから程なくしてだった。
何度、自問しても分からなかった。
彼女がなぜ、私を連れていくことを選ばなかったのか。
しかし、封印の地に足を踏み入れ、爽やかな風が吹いた時、私は唐突に彼女の言葉を思い出した。
『私……あなたがいると、迷いそうな気がします』
何に迷うのか、今ならわかる気がした。
使命を帯びた彼女も、1人の人間だったのだ。
それから、いくつもの季節を重ねた。
私は定期的にこの封印の地を訪れていた。
封印は、今も変わらずそこにある。
すでに完成されたそれは、維持のために魔力を消費しているようには見えなかった。
――少なくとも、私の知る限りでは。
その封印を見つめながら、私はようやく理解できた。
彼女は、私を選ばなかったのではない。
私を、その場に置かないことを選んだのだ。
全ては「戦いの終結」という結果を出すために。
彼女の選択は正しかったのだろう。
魔神の恐怖から解放され、人々は活気に溢れている。この封印のおかげで、平和はもたらされた。
この封印は維持されるべきだ。
しかし、封印を維持する原理は、どんな手段であってもいい。
私はそっと、ゼラニウムの花を手向けた。
決意をこめて。




