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1-3:謹んで、お受けいたします

期待に満ちた静寂の中で、エリアーナは、ゆっくりと背筋を伸ばした。

それは、一本の芯が通ったような、美しい所作だった。

そして、前世の記憶の片隅にあった、完璧な作法――王妃教育で唯一(皮肉にも)真面目に取り組み、完璧にマスターしたカーテシーを、音も立てずに披露した。

シルクのドレスが擦れる音すら立てず、彼女の体は滑らかに沈み、そして浮き上がる。

それは、水の都のオペラ座でプリマドンナが喝采に応えるかのような、流麗で、一切の無駄のない、完璧な淑女の礼だった。

「――謹んで、お受けいたしますわ、アズライト殿下」

鈴が鳴るような、静謐な声。

彼女の顔には、絶望も、怒りも、悲しみも、一切浮かんでいなかった。

ただ、長年の重荷からようやく解放される、一抹の安堵すら、その声には含まれていた。

「え……」

予想外の反応に、アズライトとリリアーナが、揃って間の抜けた声を上げた。

彼らが用意してきたであろう、エリアーナが泣き叫んだ場合の「第二のセリフ」は、行き場を失ったようだ。

会場の貴族たちも、目の前で起こったことが信じられない、という顔をしている。

「どういうことだ?」「気でも違ったのか?」「あのクライフェルト嬢が、あっさりと……」

ざわめきが、さざ波のように広がっていく。

エリアーナは、ゆっくりと顔を上げた。その表情は、穏やかな湖面のようで、少しのさざ波すら立っていない。

「殿下。むしろ、感謝申し上げます」

「……な、何を言っている、エリアーナ。負け惜しみか」

アズライトが、ようやく絞り出した声は、動揺に上ずっていた。

「いいえ? 私も、王宮の退屈な茶会には、正直、うんざりしておりましたので」

エリアーナは、ふわりと微笑んだ。

それは、先ほどまでの「地味な令嬢」という評価を覆すほど、妖艶ですらあった。まるで、分厚い仮面を一枚、剥がし落としたかのように。

「特に、あの砂糖の塊と、生焼けのタルトを、延々と『美味しい』と偽り続けねばならない苦行からは、一刻も早く解放されたいと願っておりました。これで私の味覚も、ようやく平穏を取り戻せますわ」

「なっ……!?」

王宮の料理番シェフの威信を、そして王家の権威そのものを、公の場で踏みにじる発言。

アズライトは、顔を真っ赤にして絶句した。

「き、貴様……!」

「ああ、それからリリアーヌ嬢」

エリアーナの視線が、庇われる小動物に移る。

「ひっ……!」

「あなた様の『心を込めた』クッキーを、今後は私が批評アドバイスすることもございません。どうぞご安心なさって。殿下と二人、末永く、その『心』の味を楽しまれますよう」

エリアーナは、彼らを(もうどうでもいい、というように)一瞥しただけで、視線を玉座――アズライトの父であり、この国の頂点に立つ人物へと移した。

「国王陛下。この度の婚約破棄、公爵家クライフェルトけとしては、王家に対し厳重に抗議すべき事案かと存じます。ですが」

彼女は、そこで一呼吸置いた。会場の視線が、再び彼女に集中する。

「私個人の『わがまま』を、一つだけお聞き届け願えませんでしょうか」

「……申してみよ、クライフェルト嬢」

玉座から、威厳ある声が飛ぶ。国王は、この異常な事態を、ただ冷静に、むしろ面白そうに観察していた。


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