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【Case3】それぞれの人生を彩るもの
常連の渡辺さんはストレートティーしか飲まない。日替わりケーキにフルーツが使われているときだけは追加で注文する。そんな規則性が見えたのは、アルバイト開始から十日ほど経過した頃だった。
浮遊霊のお姉さんを浄化した日以来、新規のお客様との出会いはない。瑞月さんいわく「浄化を望むお客様のご来店は一週間に一人~二人くらい」とのことだ。
そんな穏やかな日々のなか、《ハピネス》の常連さんは男女合わせて十名いると分かった。ほぼ毎日来る人から数日に一回来店する人など様々。常連さん同士顔見知りらしく、同じテーブルで会話している日もある。
私のことも気に入ってくれたようで、十人とも青白い顔で度々話し掛けてくれるのだが……当然チンプンカンプン。瑞月さんから「にこにこ相槌を打つだけで満足してもらえるはずだよ」と言われたため、精いっぱいの笑顔で話を聞くふりをした。
いつの間にか七月も下旬。
学生たちが夏休みを迎えるシーズンだ。
窓を閉め切った店内にいてもセミの鳴き声が騒々しい午後。誰もいないフロアを掃除していると、二階から朔也が下りてきた。右腕にバイクのヘルメットを抱えている。
「お出掛け?」
「まぁね。そろそろうるさいのが来るから」
「……お客さんじゃなくて?」
「れっきとした人間だよ」
「幽霊が見える人?」
「もちろん。蒼唯さんとは違う意味で面倒くさい奴」
朔也の周囲には面倒くさいタイプしかいないのか。そんなことを考えているうちに、彼はお店を出て行った。これから訪れるのは人間……瑞月さんのお知り合いだろうか。朔也の態度を見る限り良い予感はしない。
時刻は午後二時過ぎ。
裏庭で水やりをしていた瑞月さんが店内へ戻ってきた。朔也が出掛けたこと、これから来訪者があると聞いたことを伝える。瑞月さんは「もう」と呆れたように溜め息をつき、右手を腰に当てた。
「あの子は朔也を慕ってここに来るんだから、いてくれないと困るのに」
「すみません。引き止めるべきでしたか?」
「璃乃さんのせいじゃないよ。この時期になると毎年、小憎らしいお邪魔虫が図々しく遊びに来るんだ」
笑顔で毒を吐く瑞月さん。一体どんな人が現れるのだろう――と想像を巡らせ始めた矢先、駐車場の方からエンジン音が聞こえた。車が停まったようだ。
「璃乃さんのことは簡単に説明してあるから。仲良くしてあげてね?」
「は、はぁ……」
バタバタと騒々しい足音が近付いてくる。それが止まったかと思うと、ドアベルがガシャーンと鳴り響いた。いつもカロンと涼やかに揺れるベルが、これほど激しく暴れるのを見たのは初めてだ。
「ういーっす!」
軽快な挨拶とともに現れたのは学ラン姿の男の子。高校生……いや、中学生かもしれない。身長は私と同じくらい――おそらく百五十五センチ前後。小麦色に焼けた肌、朔也にそっくりなツーブロックの黒髪。くりっとした丸い目が可愛らしい。
「おう蒼唯! 相変わらずナヨっちい身体してんじゃん」
「スタイリッシュと言ってくれないかな」
「ちゃんとメシ食ってんの? 来年にはオレに身長抜かれてんじゃね?」
「僕と琥太郎くんの身長差は二十センチ以上あるんだよ? そう簡単に追いつけるわけないでしょ」
二人の歳は十歳以上離れているだろうが、それを感じさせない。まるで同級生のような振舞いだ。
琥太郎と呼ばれた男の子は思い出したように私を見た。慌てて会釈する。
「お前がバイトの女?」
すかさず「こら!」という瑞月さんの声が飛ぶ――朔也を紹介されたときと同じ展開だ。バツが悪そうに笑った琥太郎くんは、ぴしっと背筋を伸ばした。
「はじめまして! オレは白河琥太郎、中学三年生っす!」
「中村璃乃です。よろしくお願いします」
「よろしくー! 自己紹介も済んだことだし、お互いダチと喋る感じで気楽にいこうぜ? な?」
対応に困り、隣の瑞月さんを見上げる。「キミの好きなようにしてくれればいいよ」と言われたため、琥太郎くんに合わせることにした。
「オレ、夏休みと冬休みは毎回ここに泊まりに来てんだ。三年前から」
「この夏休み中ずっと?」
「十日間だけだよ。蒼唯も朔兄も『帰れ』って言うから」
「そうなんだ……。楽しそうだね」
カロン、とドアの開く音が聞こえる。
スーツ姿の男性が大きなキャリーケースを引きながら入ってきた。六十代くらいだろうか。グレーヘアをオールバックにまとめており、紳士的なオーラを纏っている。
琥太郎くんは男性に向かって「サンキュ」と言い、キャリーケースを受け取った。身軽になった男性が気品漂う所作で深々とお辞儀する。
「蒼唯様、先日の件はお役に立てましたでしょうか」
「えぇ。ご協力ありがとうございました」
「そして、こちらの女性が新たな従業員の璃乃様ですね? わたしは琥太郎様のお世話役、西原幹夫と申します」
私と瑞月さんを〝様〟付けするのはともかく、預ける側の琥太郎くんも〝様〟……。
もしかして琥太郎くんは、お金持ちのお坊ちゃまだろうか。
西原さんは執事?
考えてみれば不思議でもない。
瑞月さんのご実家は裕福だと聞いている。同じくらいお金持ちの方々と交流があるだろう。
こちらからも西原さんに挨拶したところで、瑞月さんに名を呼ばれた。
「西原さんは元警視庁勤務のエリートなんだよ? いろんな方面にツテがあって、僕もお世話になってるんだ」
「すごいですね。警察なんて聞いたら身が引き締まる思いです」
西原さんは「もう何年も前の話ですから」と苦笑した。そんな彼が挨拶してお店を去ると同時に、琥太郎くんが「これで自由だぜ!」と宣言する。なんとも清々しい表情だ。
「ところで蒼唯、朔兄は?」
「出掛けてるよ。夕方には戻ると思うけど」
「なんだよ、つまんねー。こうなったら璃乃が朔兄の代わりだ、一緒にゲームしようぜっ」
琥太郎くんはキラキラと瞳を輝かせているが、私は遊びに来ているわけではない。丁重にお断りすると、琥太郎くんの視線が瑞月さんへと移った。
「こんな客の少ない店、蒼唯一人で充分っしょ。朔兄が戻るまでオレと璃乃はゲームする。はい決定!」
……とんでもないワガママボーイだ。朔也が〝面倒くさい奴〟と表現した理由も分かった。瑞月さんは琥太郎くんのワガママに慣れているのか、余裕たっぷりの面持ちをしている。
「キミがそういう態度なら、僕にも考えがあるよ?」
「な、なんだよっ。蒼唯お得意の脅し作戦か?」
「人聞きの悪いことを言わないでくれる? 僕はただ、キミのお泊まりがこの夏限りになってもいいかなと思ってるだけなんだから」
瑞月さん、口元は笑っているのに眼が鋭い……。どうしたらそんなにアンバランスな表情を形成することができるのか。琥太郎くんも瑞月さんの歪な笑みに怯んでしまったようだ。「朔兄が戻るまで一人でいいや」と頬を膨らませた。
「じゃあオレ、朔兄の部屋に荷物運んでくる。着替えたらケーキ食うからな。飲み物はコーラ」
キャリーケースを引いて階段に向かった琥太郎くんは、「重てーなー」と独り言を漏らしながら二階へ上がっていった。瑞月さんの顔にはいつもの王子様スマイルが戻っている。
「騒がしくなってごめんね」
「いえ、大丈夫です。琥太郎くんとはどういったご関係なんですか?」
「霊が見える家系同士のお付き合いだよ」
「ということは、琥太郎くんのご両親も?」
「そうだよ。瑞月家、小鈴家、白河家――僕たちは先祖代々、霊と深くかかわってきたんだ。キミもお店に慣れてきた様子だから、そのあたりのことを近々お話しようかな」
瑞月さんに促されキッチンへ。彼は業務用冷蔵庫の下段を開けた。そこから取り出されたのはペットボトルのコーラ――先ほど琥太郎くんに頼まれた品を用意するのだろう。私はケーキ用のお皿を食器棚から取り出した。
「お手伝いありがとう。申し訳ないけど今日から十日間よろしくね」
「……よろしく?」
「カフェの業務に加えて琥太郎くんの相手もお願いするよ」
琥太郎くんは毎度「遊びに行こうぜ!」とか「夜通しゲームだ!」とか、瑞月さんと朔也を振り回しているらしい。そのためにカフェの営業時間を短縮する日も多いという。それでもお泊まりを拒否しないあたり、「喧嘩するほど仲が良い」という関係なのかもしれない。