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【Case2】仕入れの謎と、お客様の謎
瑞月さんの〝会合〟により休日となった今日。ベッドから降りてカーテンを開けると、ギラギラとした太陽の光が飛び込んできた。屋外はとんでもない熱気だろう。
朝食を摂りつつスマホニュースをチェックすると、名古屋の最高気温は三十五度の予報だった。七月初旬でこの気温……八月を迎えるのが恐ろしくなる。
私の車は明日まで戻らない。どこへ行くにも車を使っている身としては、この暑さの中で歩き回る気になれなかった。日が傾き始める頃、自宅から徒歩圏内のスーパーへ買い物に行こう。それまでは部屋の掃除でもするか。
まずは洗濯――と腰を上げた直後、スマホの着信音が鳴った。ディスプレイに出ていた名は昨日登録したばかりの小鈴さん。彼から電話が掛かってくるとは思わなかった。急用かな、なんて考えつつ通話ボタンをフリックする。
『あのさ。今日の夕方時間ある?』
「特に決まった予定はないですけど」
『ならメシ食いに行こうぜ』
「……私と二人きりで?」
『言っとくけど、あんたに気があるわけじゃないから』
「そんなことくらい分かってます。仕事が休みで暇を持て余しているとか?」
『それも違う。うちは特殊なカフェだろ? 俺は蒼唯さんと違って、見ず知らずの女と仲良しこよしで働ける気がしないから。多少なりとも親睦を深めようと思ったんだよ』
昨日も小鈴さんに自宅まで送り届けてもらった。その車中ではほとんど会話をしなかったのに、何か心境の変化でもあったのだろうか。しかしこれは、彼と瑞月さんについて情報を得るチャンスかもしれない。誘いを受けよう。
『じゃ、あんたの家まで迎えに行く。午後六時でいいか?』
「え、あ、はい」
ぷつっと電話が切れてしまった。
予定が決まった以上、早々に動き出さなければ。
洗濯、昼食、後片付け、掃除、メイク、スーパーへの買い出し――やるべきことをひととおり終えて迎えた午後六時。アパート前に黒いセダンが停まった。助手席に乗り込み会釈する。小鈴さんは「あぁ」とだけ言い、車を発進させた。
「あの、小鈴さん? 食事はどこに?」
「その呼び方やめてほしいんだけど」
「……小鈴くん?」
「何でそうなるんだよ。名字はやめろって言ってんの」
「どうしてですか?」
「好きじゃないんだよ。そもそも俺が名乗るには可愛すぎる」
確かに女の子の名前のようでもある。中性的で妖艶な色気を持つ瑞月さんと違い、小鈴さんはワイルドな雰囲気だ。気恥ずかしいのかもしれない。
「じゃあ朔也さんって呼びます」
「朔也でいい。俺もあんたのこと呼び捨てにしてるから」
「分かりました」
「敬語も要らない」
「……そう?」
「そ。俺の方が年下だしさ」
やはり昨日までの小鈴さん――朔也とはまるで違う。突然親睦を深めたいだなんて、瑞月さんから注意でもされたのだろうか。
「メシ、どっか行きたいところある?」
「《ハピネス》のことを話すなら個室居酒屋とかじゃないとまずくない?」
「メシを食べながら辛気臭い話をするつもりはない。あんたの好きな食べ物は?」
「えっと……ポテトかな」
「安上がりだな」
「馬鹿にしてる?」
「いや、気取らない感じで俺は好き。ポテトでいいなら何個でも奢ってやるよ」
結局、近場のファーストフード店へ行くことになった。十分かからず到着するだろう。その間に、朔也の態度が一変した理由を聞いておきたい。
「どうして急に『親睦を深めようと思った』なんて言ったの?」
「……蒼唯さんのせい」
「あぁ、やっぱりそうだったんだ。『バイトの子に優しくしないと〝会合〟に引っ張っていくよ』って言われたとか?」
「んなわけないだろ。死魂に関することだよ」
茶葉に溶かす死魂の仕入れは朔也の仕事だから、またの機会に聞くといい――瑞月さんはそう言っていた。朔也の方も「キミが説明してあげてね」と頼まれたそうだ。
「死魂の仕入れは、うちの客と接すること以上に危険が伴う。ある程度は信頼関係を築いておかないと、同行させるのは難しい」
「私は仕入れ先を知りたかっただけで、『連れて行け』なんて図々しいことは頼んでないよ?」
「口で説明するより見た方が早いじゃん」
「でも危険だって言ったよね? 私みたいに幽霊の声も聞こえない新人、足手まといになるだけじゃない?」
「そうならないように、こうして親睦を深めようとしてるんだろ」
私の仕事はウェイトレス業だけにとどまらない――いずれそんな日が来るのだろうか。不安が溜め息となってこぼれたとき、運転席から「安心しろ」と声がした。
「あんたのことはちゃんと守ってやる。珍しく、蒼唯さんが気に入ったみたいだから」
「……珍しく?」
「気にするな。あんたはただカネをもらうためだけに働けばいい」
相変わらず、ちょこちょこと嫌味を挟んでくるな……。
それにしても、朔也は瑞月さんのことをずいぶん慕っているようだ。〝会合〟というワードで脅されてはいたが、それを理由に従っているわけではないだろう。
「瑞月さんのこと、好きなんだね」
「……そういう表現されると困るけど。あの人には世話になってるし、いろいろ無茶させてるからな」
「何かあったの?」と訊ねたが返事はなかった。
その後は特に会話がないままファーストフード店に到着。ちょうど夕食時ということもあり、テーブルの半数ほどが埋まっていた。注文カウンターにも列ができていたため、並びながらメニューを選ぶ。
「私は期間限定のレッドチリバーガーにする」
「辛いもんが好きなの?」
「うん。辛さレベルは五段階から選べる……せっかくだから悶絶激辛にしてみようかな」
「一番ヤバいやつじゃん。もはや罰ゲームの域だろ」
「朔也は辛いものが苦手?」
「こう見えて甘党なんだ」と彼は肩を竦めた。
代金は朔也が支払うと言ってくれた――「会社クビになったばかりでカネないだろ?」と配慮してくれたが、正しくは「破産した」である。重要なポイントだから間違えないでほしい。
注文した品が出てくると、窓際の二人掛けテーブルを確保した。向かい合って腰掛け、まずは好物のポテトをつまむ。
「あんた、出身も小牧なの?」
「ううん。実家は一宮で、社会人になると同時に一人暮らしを始めたんだ。朔也は?」
「俺は美濃加茂出身。川辺町で働く前はずっとそっちに住んでた」
「小牧方面にはあまり来ない?」
「そんなことないけど。この近くの城にも行ったことがある」
「小牧山城?」
「それ。内部は歴史館になってるだろ?」
小牧山城は自宅アパートから車で十分程度の場所だが、実は一度も足を運んだことがない。お城や歴史にあまり興味がないというのもある。そんな私が知っている小牧山城の知識は、織田信長の居城だったということくらいだ。
「瑞月さんは名古屋出身と聞いたけど、二人はどこで出会ったの?」
「親同士が知り合いだっただけ」
幽霊に絡んでいるの、という言葉が喉元まで出かかった。人の多い店内で話すわけにはいかない。別の話題に切り替えようと思ったが、何を話せばいいのやら。お互い興味を持って出会ったわけでもなく、大した話題が浮かんでこない。
朔也も似たようなことを考えているのか、「帰りはちょっと遠回りするか?」と訊ねてきた。二人きりの車内なら話すことのできる内容も増える。
当たり障りのない会話のみで食事を終え、再び車へ。中途半端になっていた質問へ戻ることにした。
「瑞月さんと朔也のご両親、どんな関係なの?」
「古くからの知り合い。それ以上のことは蒼唯さんに訊けば? 教えるかどうか分からないけど」
朔也は瑞月さんに恩があり、幽霊の浄化を手伝っていると教えてくれた。瑞月さんの方は純粋な気持ちで、幽霊の心を癒してあげたいと考えているらしい。