エピソード5 —1人の星—
2年後
薄明の光がカーテンの隙間から差し込み、室内をぼんやりと照らしている。微かに聞こえる鳥のさえずりと、どこかの家から漂う朝食の香りが、今日も一日が始まることを告げていた。
レイヴァンは、柔らかい布団に沈み込んだまま、隣にいる蓮花の髪を指で撫でた。光を受けた茶色の髪が、いつもより明るく、柔らかく見える。寝返りを打つたびに、淡い光を帯びた髪が、シーツの上でふわりと揺れた。
「……起きるよ」
「やだ」
蓮花は甘えた声とともに、レイヴァンの腕にぎゅっとしがみついてくる。
「仕事、遅れる」
「もうちょっとだけ……」
腕に頬を寄せ、心地よさそうにまどろむ蓮花。その表情があまりにも可愛くて、レイヴァンは思わず小さく笑った。
数年前、こんな穏やかな朝が来るなんて、思いもしなかった。
「ったく……しょうがないな」
レイヴァンは蓮花の頭を軽く撫で、額に優しくキスをした。
満足そうに体を起こす蓮花。
テレビを付けるとニュースキャスターの穏やかな声が流れてきた。
『今夜は数年に一度の天体ショーが観測されます。特定の星の配置が重なることで、夜空には――』
「今夜は星が綺麗らしいぞ」
言いながら服を整えるレイヴァンに、蓮花は名残惜しそうに伸びをしながら微笑む。
「ふぅん……じゃあ、夜、一緒に見よ?」
「……あぁ、また今夜」
レイヴァンは蓮花に別れを告げると仕事へと向かった。
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電車に揺られながら、レイヴァンはぼんやりと窓の外を眺める。都市の喧騒とビルの群が流れていく景色は、見慣れたものになっていた。
今は「晩 零」という名前で社会に出ている
――蓮花と一緒に決めた名前だ。
電車のドアが開き、少し重たい腰を上げレイヴァンは仕事に向かった。
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——夜
1日の仕事をこなし
駅の改札を抜けたとき、ふと空を見上げる。
夜空には幻想的な星空が広がっていた。
「そういえば……ニュースで、今夜の星は数年に一度の……」
言いかけた瞬間、瞳がわずかに揺れる。
頬を、一筋の涙が伝った。
「……あれ?」
何かが、心の奥底から込み上げる。
記憶の断片のような、懐かしさと切なさが入り混じった感情。
「ハハ……星を見て泣くだなんて、ちょっと疲れてるのかな」拭った涙に苦笑しながら、レイヴァンは足を速めた。
――早く帰ろう。蓮花が待ってる。
電車の中は、帰宅ラッシュも過ぎて落ち着いていた。揺れる車両の中で、レイヴァンは心地よい眠気に襲われ、うとうとと目を閉じる。
――キャアアアア!!
突然の悲鳴が車内に響き渡った。
レイヴァンは反射的に目を覚まし、身を起こす。何事かと騒ぎの方を見ると、一人の男がナイフを手に立っていた。
足元には血を流して倒れている乗客。
「……嘘だろ」
叫び声、逃げ惑う人々。
しかし、ナイフを持った男は躊躇なく、次々と人を刺していく。
「誰か……誰か助けて!!」
子供を抱えた母親が震えながら叫んだ。
男はナイフを持ち、ゆっくりと子供へと手を伸ばす。
「やめろ!!」
レイヴァンは、無意識のうちに飛び出していた。
グサッ。
鋭い痛みが腹部を貫く。
男のナイフが、レイヴァンの身体を刺し貫いた。
「くっ……」
だが、レイヴァンは一歩も引かず、そのまま男の手を強く掴む。
「離せっ……離せ!!」
男がもがくが、レイヴァンはナイフを掴んだまま、離さない。
「……お前なんかに……やらせるか……!」
血が溢れ、視界が霞む。誰かが後ろから男に飛びかかり、乗客たちが協力してようやく取り押さえた。
――だが。
「……っ」
力が抜け、レイヴァンの膝が崩れた。
「おい、大丈夫か!?」
誰かの声が遠ざかる。
視界がぼやけ、床に流れる血が革靴を伝うのが見えた。
「……あぁ……蓮花……」
帰らなきゃ。
でも、身体はもう、動かなかった。
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その頃。
蓮花は台所で鼻歌を歌いながら、夕食の準備をしていた。
「今日のご飯はレイの好きな――」
棚の上の皿を取ろうとした瞬間、手が滑った。
ガシャンッ!!
皿が床に落ち、粉々に砕ける。
「……あれ?」
なぜか、ひどく胸がざわつく。
「……レイ?」
蓮花は、ふと窓の外を見た。
そこには、今までにみたこともないほど
幻想的な夜空が広がっていた――。