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第四章:揺れる朝

 夜は、まだ完全には終わっていなかった。

 契霊の儀式を終えた広場には、燃え残った薪の匂いと、沈黙だけが漂っていた。


 風は止み、空は鈍い灰色を湛え、誰もが息を飲んだまま、次の一言を探している。

 その中心に立つのは、長老・嘉凛だった。

 杖の先で石をひとつ、軽く打つ音が、重力を孕んで空気を切り裂く。


 「……これにて、契霊の儀は完了とする」

 その言葉には、時間と信仰の重みが宿っていた。  嘉凛は広場を一望しながら、静かに続ける。

 「意志によって結ばれし契約は、掟の中で最も優先されるもの。 今この場より、烈月と花英の結びを、正式なものと認める」


 ざわ、と風のような気配が村人たちの間を走った。

 けれど、誰ひとり声はあげなかった。

 怒りを抱える者、理解を拒む者、不安を噛み殺す者——。

 様々な想いが、この夜の静けさの中に封じられていた。


 凌岩は何か言いかけたが、嘉凛の視線を一瞬受けて、それを呑み込んだ。

 村の者たちは、命じられたわけでもないのに、ひとりまたひとりと広場を離れていく。

 草を踏む音だけが、名残のように地を鳴らした。

 誰もが、この儀式が一つの時代の終わりを告げたことを、皮膚の奥で理解していた。


 やがて、広場にはふたりだけが残った。

 桃の枝が、夜の風にかすかに揺れ、その花弁がはらりと烈月の肩に触れた。 

 烈月は、手のひらを見つめたまま、小さく息を吐いた。

「……これで、よかったのかな」

 ぽつりと、誰にともなくつぶやいたその声は、かき消えるほどに弱々しかった。

 花英は何も言わなかった。ただ隣に立ち、じっと夜空の色を見上げていた。

 その表情は静かで、けれど何か、強いものが内に燃えているようだった。


 夜が、少しずつ、終わろうとしていた。

 

◇ ◇ ◇


 朝。

 空は、昨日の夜などなかったかのように、あまりにも澄みきっていた。

 けれど、村を包む空気には、何か目に見えぬ膜のようなものが張りついていた。

 家々の戸が軋む音、土間で火を起こす音、かすれた笑い声。

 すべてが、ほんのわずかにずれて、噛み合わない。

 言葉は小さく、視線は交わらず、足音は速くなった。

 まるで誰もが、この朝の冷たさに意味を与えまいとしているようだった。


 だが、そんな空気のなかに、ひときわ明るい声が響いた。

「おはよーっ!!」

 烈月の声が、空に向かってはじける。

 太陽に負けない笑顔で、彼は誰にともなく手をぶんぶんと振りながら、村の道を元気よく歩いていく。


 その明るさは、昨日の儀式がまるで夢だったかのような軽やかさで、けれど——誰も返事をしなかった。


 子供たちは彼の姿を見つけると、ふいと道を逸れ、別の方向へと走っていった。

 大人たちは、視線を伏せたまま、早足で通り過ぎていく。

 それでも、烈月はまったく気にするそぶりもなく、いつものように鼻歌まじりに歩き続けた。


 向かったのは、村の外れ。

 誰も近づかなくなった、桃園の跡地だった。

 手入れの途絶えた若木たちが、朝の風に身を任せて揺れている。烈月はその真ん中に立ち、目を細めて深く息を吸い込んだ。

 さらさらと、葉擦れの音が耳に心地よく響いた。

「あれ?ここの桃の木、なんか元気になってるような……?」

「……あなたのおかげですよ」

「え?」

 振り返ると、花英が微笑みながら立っていた。

「あなたが私と契約したことで、精霊の加護がこの地に流れました。あなたの祖母の庭にある老木も、ここの木々も。また水を吸い上げ、枝葉を伸ばし続けるでしょう。まだ、生きていけます」

 烈月は少し驚いたように目を瞬かせた。

「そうか……って、お前の力って結構すごいんだな。強さっていうのとは違うけど」

 烈月が拾った桃の葉をくるくると指先で回しながら言うと、花英は首を傾げた。

「……そうでもないですよ。それよりも……。大丈夫なのですか?」

「えっ、何が?」

「昨日から、どことなく元気がないように見えるんです。無理をして、笑っているような……そんな感じがして」

 烈月は、一瞬動きを止めた。


指の上の葉が、風に吹かれて地面へ落ちる。

「……そうかな」

 ぽつりとつぶやいたその声は、どこか戸惑っていた。そして少しだけ間を置いて、今度はしっかりとした声で、烈月が言った。

「……そんなことないよ。だって……花英がそばにいてくれるし」

 その言葉に、花英は一瞬だけ目を見開き——それから、小さく笑った。


  ふたりは丘をなぞるように歩きながら、野菜畑のある村の東端へと足を向けていた。

   午前の陽は柔らかく、風には干した藁の匂いと、まだ湿り気を帯びた土の香りが混じっていた。

 ふと、遠くから賑やかな声が聞こえてきた。

 ——訓練所の方角だ。


 笑い声。掛け声。誰かが走り、誰かが構える。木剣が空を裂き、地を蹴る音が重なる。

 視線を向けると、訓練場の端に凌岩と数人の少年たちが集まっていた。

 彼らは模擬戦の真っ最中で、互いに剣を交えながら、じゃれ合うように汗を飛ばしていた。


 その光景は、つい数日前までは烈月の居場所だった。

 輪の中で声を張り、剣を振り、笑い合っていた記憶が、遠くの音のように胸の奥でよみがえる。

 烈月は、柵の影からそれを静かに眺めていた。

 目を細め、息をするように静かに立ち尽くす。


「……楽しそうですね」

 花英がぽつりと呟く。

 烈月は小さく肩をすくめて笑った。

「まあな。でも、いいんだ。俺が選んだことだし。みんなの反応も、あれはあれで正しいと思ってる」

 その声には、悔しさも寂しさも見えなかった。ただ、少し遠くを見るような視線があるだけだった。


 そのとき、訓練場の周辺が一瞬しんと静まり返った。

 凌岩がこちらに気づいたのだ。


 彼は木剣を肩に担ぎ、仲間に何か言い残してから、ひとりこちらへと歩いてきた。

 足取りは早く、砂を蹴り上げながら一直線に向かってくる。

 烈月はそれを見ても、ほんの少しも動かなかった。

「……よく来れたな、ここに」

 凌岩の声は低く、張りつめていた。

睨みつけるような目に、烈月はまっすぐ応じる。

「えっ、うん。だって、ここ通り道だし」

 あっけらかんとした声だった。

花英が隣で一瞬たじろぐ。凌岩の拳がぎゅっと棍を握りしめたのがわかった。

「ふざけてんのか……」

「ふざけてないよ。練習の邪魔したのならごめん」

 その返答は、どこまでも飄々としていて、少しも敵意を返すものではなかった。


 けれどその“動じなさ”こそが、凌岩の怒りをさらに煽る。

「……あいつら、もうお前のこと、仲間だと思ってねえよ」

「そっか」

「誰も、お前の味方じゃねえ」

「うん、知ってる」

「それでも、平気な顔してるのかよ!」

 怒鳴るような声が響いたとき、烈月はほんの少しだけ目を伏せた。

 そして、それきり口元にいつもの笑みを戻した。


「ごめんな、凌岩。でもさ——」

 視線を上げたその目は、どこまでも澄んでいた。

「俺は昨日のこと、後悔してないし、これからもするつもりはない」


 しばらく、沈黙が流れた。


 凌岩はその場で数秒、烈月を睨んだまま動かなかった。

 何かを言いたそうに、しかしもう何も言葉が追いつかないような、そんな顔。


 そして、彼はふいに背を向けた。

 それは怒りでも憎しみでもなく。


 ——烈月という存在を、理解できなかった者の背だった。

ここまでお読みいただきありがとうございます!

引き続き、どうぞよろしくお願いします。

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