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桃花仙縁――異端の精霊と心を繋ぐ旅  作者: 秋初夏生
第一部:契霊

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第三章:運命の日

 その日、烈月リェユエたちは儀式のためにまずは山へと入った。


 冷たい風が岩肌を撫で、遠くで鳥の鳴き声が響く。崑崙山の空は青く澄み渡り、日差しが崖の斜面を照らしている。その岩の中には、赤黒く鈍く光る鉄鉱石が埋まっていた。


 そこから生まれた精霊たち——彼が望んでいた「強き存在」たちが、静かに彼を見つめていた。


 一体目の精霊は、磨かれた鉄鉱石のように滑らかで硬質な身体を持ち、その目はまるで試すように烈月を射抜いていた。


 「お前に俺を使いこなせるか?」


 二体目の精霊は、赤熱した鉱石のように燃えたぎる気配を放ち、歩くたびに小さな火花が散っていた。


 「選べ。私がお前の力になってやる」


 三体目の精霊は、まるで静かな山のようだった。動かざることを誇りとし、ただ何も言わずに烈月を見下ろしている。


 確かに——どれも強そうだ。


 烈月が求めていた「力」がまさに今、目の前にある。


 だが、烈月は歩みを止めなかった。


 一体目の精霊の前を、二体目の精霊の前を、三体目の精霊の前を——ただ、通り過ぎた。


 そのとき。


 「おい、烈月……お前、いい加減にしろよ」


 凌岩リンイェンの声が響いた。

 彼は苛立ちを隠そうともしていない。子どもの頃から競い合い、いつか強い精霊と契約したら勝負したいと思い描いたはずだった。それなのに。


 「何を迷ってる? こいつらは、どれも村の中で最上級の力を持つ精霊だぞ? まさか——」


 凌岩の目が鋭く細められる。


 「お前、本気で決める気がないのか? そんなに迷うなら、いっそ俺が決めてやろうか」


 烈月は静かに息を吐いた。


 「……いい。自分で決める」


 「だったら、さっさと決めろ!」


 凌岩は拳を握り、岩を殴りつけるように吠えた。


 烈月は、なぜか決められなかった。


 そして、頭から離れない。


 ——『あなたの隣に立ち、あなたと共に歩むことなら、私にもできるはずです』


 花英のあの言葉が、烈月の中で静かに——しかし確かに響いていた。



 同じ日の夜、蕾村の広場。


 松明の炎が揺れ、夜闇に橙色の輪を描いていた。


 長老・嘉凛カガリが杖を掲げ、儀式の始まりを告げる。


 「契霊の儀を始める。精霊の導きを受ける者は、前へ」


 少年少女たちは、緊張に喉を鳴らしながら進み出た。


 凌岩は、迷いなく大岩の精霊へ手を伸ばす。


 ズズン——!


 大地が震え、精霊の形が変わる。石の鎧をまとった巨大な獣が、咆哮を上げた。


「おお……!」

「流石だ。ここまで力のある精霊は近年見たことがないぞ」


 村人たちの間に歓声が湧く。 


 続いて烈月が、拳を握りしめたまま、前に進んだ。


 しかし——。


 彼の前に、契約すべき精霊の姿は、どこにもなかった。


 ——俺は、何を望む?


 その問いが脳裏をよぎった、その瞬間——。


 ——風が、吹いた。


 ひときわ冷たく、それでいて甘い風。

 桃の花の香りが、広場に満ちる。


 そして——彼が、そこにいた。


 静かに歩み寄る銀色の影。夜の帳から浮かび上がるように、花英ホワインは現れた。


 村人たちは、一斉に息を呑む。


 「……あれは、植物の精霊……?」


 その声には、困惑と軽蔑が混じっていた。


 凌岩の目が怒りに染まる。


 「烈月、まさかお前……あいつと? ——正気か!?」 


 怒りのまま、烈月の腕を掴もうとするが、すぐに別の少年に止められる。


 「凌岩、やめろ……」


 しかし、その少年の目にも、烈月に向ける疑惑の色がありありと滲んでいた。 


 「これは何かの間違いだろう」

 「あの烈月が選んだ精霊のはずがない」

 「神聖な儀式に呼ばれもしない精霊が立ち入るなんて……不吉だわ」

 

 大人たちの交わす言葉が、ざわめきが、静かに広場を満たしていく。 


 だが、どんな言葉を向けられても、花英は怯まなかった。


 「私は、あなたを導く定めにある精霊です」


 彼の目は、ただ烈月だけを見つめていた。その言葉に、烈月の心臓が跳ねる。 


 「ふざけるな」


 凌岩が低く呟き、烈月を睨んだ。


 「お前、本当にこいつと契約するのか?」


 烈月は、ゆっくりと息を吐いた。


 「……俺は……この精霊と契約する」


 それまで堂々としていた花英の瞳が、一瞬だけわずかに揺れた。


 烈月は内心の迷いを振り払うように、震える手で花英の手を取る。


「……この場で改めて、俺を主として認めてくれるか?」


 花英は、一瞬目を伏せ——


「——心得ました」


 その瞬間だった。光が——弾けた。


 突如、風が広場を駆け抜けた。だが、それはただの風ではなかった。

 まるで夜空から舞い降りた星屑のように、無数の金色の粒子が宙を巡り、烈月と花英を包み込む。


 烈月の手のひらから、温かく、それでいてひんやりとした感触が広がる。

 まるで春の朝露が指先を伝うような、静謐で繊細な力。それが、次第に彼の腕へと流れ込んでいく。


 ——烈月の鼓動が、世界と重なった。


 身体の奥底に眠っていた何かが、ゆっくりと目覚めていく。


 まるで、失われた記憶が呼び戻されるかのように。 


 ——やがて、烈月の肌に契約の印が刻まれた。


 右腕に走る契約の紋様。滑らかな蔓のような模様が彼の腕を伝い、血脈にまで浸透するかのように絡みつく。


 これまで感じたことのない感覚に、烈月は戸惑うように自分の手のひらをじっと見つめた。


「……あなたに仕えます、烈月様」


 花英の言葉に、光は収束し、静けさが広場に戻る。


 最後に、一枚の桃の花弁がまるで何かを祝福するかのように、烈月の指先に触れた。


 だが。

 その場にいる誰もが、沈黙したままだった。

 村人たちの視線は冷え切り、凌岩は拳を握りしめている。


「烈月、お前は何を考えてるんだ……!」


 烈月はそれには答えず、ただ黙っていた。

 

 彼はまだ知らない。

 ——この契約が、村の運命だけでなく、この世界の均衡さえも揺るがすことを。


(第三章・了)

ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます!


これから、いよいよ物語が動いていきます。

次回もどうぞお楽しみに。

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