第三章:運命の日
その日、烈月たちは儀式のためにまずは山へと入った。
冷たい風が岩肌を撫で、遠くで鳥の鳴き声が響く。崑崙山の空は青く澄み渡り、日差しが崖の斜面を照らしている。その岩の中には、赤黒く鈍く光る鉄鉱石が埋まっていた。
そこから生まれた精霊たち——彼が望んでいた「強き存在」たちが、静かに彼を見つめていた。
一体目の精霊は、磨かれた鉄鉱石のように滑らかで硬質な身体を持ち、その目はまるで試すように烈月を射抜いていた。
「お前に俺を使いこなせるか?」
二体目の精霊は、赤熱した鉱石のように燃えたぎる気配を放ち、歩くたびに小さな火花が散っていた。
「選べ。私がお前の力になってやる」
三体目の精霊は、まるで静かな山のようだった。動かざることを誇りとし、ただ何も言わずに烈月を見下ろしている。
確かに——どれも強そうだ。
烈月が求めていた「力」がまさに今、目の前にある。
だが、烈月は歩みを止めなかった。
一体目の精霊の前を、二体目の精霊の前を、三体目の精霊の前を——ただ、通り過ぎた。
そのとき。
「おい、烈月……お前、いい加減にしろよ」
凌岩の声が響いた。
彼は苛立ちを隠そうともしていない。子どもの頃から競い合い、いつか強い精霊と契約したら勝負したいと思い描いたはずだった。それなのに。
「何を迷ってる? こいつらは、どれも村の中で最上級の力を持つ精霊だぞ? まさか——」
凌岩の目が鋭く細められる。
「お前、本気で決める気がないのか? そんなに迷うなら、いっそ俺が決めてやろうか」
烈月は静かに息を吐いた。
「……いい。自分で決める」
「だったら、さっさと決めろ!」
凌岩は拳を握り、岩を殴りつけるように吠えた。
烈月は、なぜか決められなかった。
そして、頭から離れない。
——『あなたの隣に立ち、あなたと共に歩むことなら、私にもできるはずです』
花英のあの言葉が、烈月の中で静かに——しかし確かに響いていた。
◇
同じ日の夜、蕾村の広場。
松明の炎が揺れ、夜闇に橙色の輪を描いていた。
長老・嘉凛が杖を掲げ、儀式の始まりを告げる。
「契霊の儀を始める。精霊の導きを受ける者は、前へ」
少年少女たちは、緊張に喉を鳴らしながら進み出た。
凌岩は、迷いなく大岩の精霊へ手を伸ばす。
ズズン——!
大地が震え、精霊の形が変わる。石の鎧をまとった巨大な獣が、咆哮を上げた。
「おお……!」
「流石だ。ここまで力のある精霊は近年見たことがないぞ」
村人たちの間に歓声が湧く。
続いて烈月が、拳を握りしめたまま、前に進んだ。
しかし——。
彼の前に、契約すべき精霊の姿は、どこにもなかった。
——俺は、何を望む?
その問いが脳裏をよぎった、その瞬間——。
——風が、吹いた。
ひときわ冷たく、それでいて甘い風。
桃の花の香りが、広場に満ちる。
そして——彼が、そこにいた。
静かに歩み寄る銀色の影。夜の帳から浮かび上がるように、花英は現れた。
村人たちは、一斉に息を呑む。
「……あれは、植物の精霊……?」
その声には、困惑と軽蔑が混じっていた。
凌岩の目が怒りに染まる。
「烈月、まさかお前……あいつと? ——正気か!?」
怒りのまま、烈月の腕を掴もうとするが、すぐに別の少年に止められる。
「凌岩、やめろ……」
しかし、その少年の目にも、烈月に向ける疑惑の色がありありと滲んでいた。
「これは何かの間違いだろう」
「あの烈月が選んだ精霊のはずがない」
「神聖な儀式に呼ばれもしない精霊が立ち入るなんて……不吉だわ」
大人たちの交わす言葉が、ざわめきが、静かに広場を満たしていく。
だが、どんな言葉を向けられても、花英は怯まなかった。
「私は、あなたを導く定めにある精霊です」
彼の目は、ただ烈月だけを見つめていた。その言葉に、烈月の心臓が跳ねる。
「ふざけるな」
凌岩が低く呟き、烈月を睨んだ。
「お前、本当にこいつと契約するのか?」
烈月は、ゆっくりと息を吐いた。
「……俺は……この精霊と契約する」
それまで堂々としていた花英の瞳が、一瞬だけわずかに揺れた。
烈月は内心の迷いを振り払うように、震える手で花英の手を取る。
「……この場で改めて、俺を主として認めてくれるか?」
花英は、一瞬目を伏せ——
「——心得ました」
その瞬間だった。光が——弾けた。
突如、風が広場を駆け抜けた。だが、それはただの風ではなかった。
まるで夜空から舞い降りた星屑のように、無数の金色の粒子が宙を巡り、烈月と花英を包み込む。
烈月の手のひらから、温かく、それでいてひんやりとした感触が広がる。
まるで春の朝露が指先を伝うような、静謐で繊細な力。それが、次第に彼の腕へと流れ込んでいく。
——烈月の鼓動が、世界と重なった。
身体の奥底に眠っていた何かが、ゆっくりと目覚めていく。
まるで、失われた記憶が呼び戻されるかのように。
——やがて、烈月の肌に契約の印が刻まれた。
右腕に走る契約の紋様。滑らかな蔓のような模様が彼の腕を伝い、血脈にまで浸透するかのように絡みつく。
これまで感じたことのない感覚に、烈月は戸惑うように自分の手のひらをじっと見つめた。
「……あなたに仕えます、烈月様」
花英の言葉に、光は収束し、静けさが広場に戻る。
最後に、一枚の桃の花弁がまるで何かを祝福するかのように、烈月の指先に触れた。
だが。
その場にいる誰もが、沈黙したままだった。
村人たちの視線は冷え切り、凌岩は拳を握りしめている。
「烈月、お前は何を考えてるんだ……!」
烈月はそれには答えず、ただ黙っていた。
彼はまだ知らない。
——この契約が、村の運命だけでなく、この世界の均衡さえも揺るがすことを。
(第三章・了)
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます!
これから、いよいよ物語が動いていきます。
次回もどうぞお楽しみに。




