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ふたりの命

 夜が明ける前だった。


 リリアーヌの苦しむ声が、屋敷の静寂を引き裂いた。


 離れの部屋に響く悲痛な叫びと、助産婦の慌ただしい指示。扉の向こうで何が起こっているのか知るすべはなかったけれど、それでもわかってしまった。


 何かが、取り返しのつかない方へ向かっている。


 廊下の壁にもたれかかりながら、祈るように指先を強く握りしめた。


 ——神様、どうか。


「……産まれました!」


 助産婦の震える声が響く。


 その瞬間、全身の力が抜けた。


「おめでとうございます、男の子です」


 男の子——そうか、リリアーヌの子は男の子だったんだ。


 安堵が胸に広がったのも束の間、再び悲鳴が上がる。


「もうひとり、まだ!」


「……え?」


 思わず顔を上げる。


「双子よ! もうひとりいる!」


 悲鳴に近い声で誰かが叫ぶ。


(双子?)


 そんなはずはなかった。何度も医者に診せたのに、一度たりとも、そんなことは。


(いいえ、双子かどうかは生まれてくるまでわからないって、本に書いてあったわ)


 同時に、現代医療技術では多産は母体への影響が大きいことを思い出し青ざめる。


「リリアーヌ!」


 気づけば、扉を押し開けていた。


 目の前の光景は、あまりにも残酷だった。


 リリアーヌの全身が、血に染まっている。


 生気のない顔。汗に濡れた額。紫色になって震える唇。


「リリアーヌ!!」


 駆け寄ろうとしたその時、赤子の産声が響いた。


 今度は、女の子の泣き声。


「……ふたり……いたのね」


 掠れた声が、布団の上から聞こえた。


「リリアーヌ!」


 駆け寄り彼女の手を取る。


 信じられないほど冷たい。


「ねえ、シシー」


 息も絶え絶えに、彼女は微笑んだ。


「ふたりも、産んじゃった。でも、あなたに、ひとりあげられる……わね」


「何を言ってるのよ」


「ねえ……お願い……」


 リリアーヌの手が、ゆっくりと私の頬に触れた。


「ちゃんと……育てて……愛してあげて……」


「リリアーヌ!」


「……私……母親になれた……?」


 こぼれる涙とともに、震える声で答えた。


「ええ、なれたわ。最高の……母親よ」


 きっぱり告げた私の言葉に、彼女は満足したように微笑み。


 次の瞬間、その手がふっと落ちた。


「リリアーヌ……?」


 何度呼びかけても、返事はなかった。


 ただ、双子の元気な産声だけが、夜明け前の部屋に響いていた。



 *



「リリア、 もうやめてよ!」


 気弱なところがある五歳の息子、オリバーの泣き声が、屋敷の廊下に響き渡った。


「いやよ! せっかくつかまえたのに!」


 誇らしげに笑うのは、少しやんちゃな五歳の娘、リリアだ。


 彼女の両手にしっかりと握られているのは、オリバーが大事にしている木彫りの兵隊人形だった。


「リリア、それはオリバーのものでしょう? 返してあげなさい」


「えー、だってオリバーばっかり遊んでるんだもん。 わたしだって遊びたいわ」


「貸してって言えばいいでしょう?」


「でも、おねがいしてもオリバーは、なかなか貸してくれないんだもん」


「だ、だって、だいじなものだし……」


 オリバーは泣きながら必死に訴える。


「リリア。お兄ちゃんの大切なものを奪っちゃダメよ」


 リリアのブルーの瞳をジッと見つめる。すると彼女は渋々といった様子で、木彫りの人形をオリバーに差し出した。


 オリバーは無言でリリアから人形を受け取る。


「お母様。オリバーは私より一分しかはやく生まれてないのに、どうしてお兄ちゃんなの?」


「一分でも先に生まれたらお兄ちゃんよ」


「ずるい!」


 リリアは頬を膨らませ、腕を組んで不満そうに唇を尖らせた。


「家族なんだから仲良くしないとダメ。いつもケンカばっかりしていたら、みんなが悲しい気分になっちゃうわ」


 リリアは少しばつが悪そうに目を逸らし、オリバーも涙を拭いながら頷いた。


「……人形を勝手に持っていって、ごめんなさい、オリバー」


「うん、僕も貸してあげなくて、ごめんなさい」


 二人はぎこちなく手をつなぐ。


 微笑ましいけれど、次の瞬間にはまた何かいたずらを思いつくのだろう。


 二人の様子を見守っていると、後ろからくすくすと笑う声が聞こえた。


「君の言うとおり、二人とも元気いっぱいだな」


 アンドリューが新聞を折りたたみながら、楽しそうに目を細める。


「あなたが甘やかすから、リリアがどんどん手に負えなくなっていくのよ」


「僕はただ、彼女の自由な精神を尊重しているだけだよ」


「それを“甘やかし”って言うのよ」


 ため息をつくと、アンドリューは肩をすくめて微笑んだ。


「そういえば、今日はミシェルが来るんだろう?」


 彼の言葉を拾った双子の目がぱっと輝く。


「ほんと!?」


「やった。 おじさまが来るんだ!」


 さっきまで喧嘩していたのが嘘のように、二人は手を取り合ってぴょんぴょん飛び跳ねる。


「ミシェルおじさま、大好き」


「うん。いっぱい遊んでくれるし、お菓子もくれるし」


「それに剣の振り方も教えてくれるし、海の話を沢山してくれるもの!」


「そうそう。すごくかっこいい」


 二人は興奮しながら口々にミシェルの魅力を語り出す。


「まったく、ミシェルも甘やかしすぎよ」


「ミシェルにとっては、リリアとオリバーは宝物だから」


 アンドリューは微笑みながら告げた。


 そう、ミシェルは双子が生まれてからずっと、彼らを溺愛してきた。


 リリアには「将来は立派な女騎士になれるぞ」と言い、オリバーには「泣いてばかりじゃ女の子を守れないぞ」とからかいながらも優しく励ましてくれる。


 アルコールも絶ったし、海軍にも復帰した。


 責任を伴わない関係に身を任せ、妻でもない女性を妊娠させた時の彼はいない。


「ねえねえ、おじさま、まだ来ないの?」


「ちゃんと時間通りに来ると思うわ」


「早く会いたい!」


「うん!」


 二人は手を取り合って玄関の方へ駆け出した。


「待ちなさい! まだ朝食も食べてないでしょう!」


 慌てて声をかけると、二人はくるりと振り返ってにっこり笑った。


「じゃあ、ご飯を食べたらすぐ迎えに行く」


「ぼくもちゃんと食べる」


 まったく、言うことを聞かないんだから——そう思いながらも、彼らの無邪気な笑顔に目を細めた。


 リリアもオリバーも、愛おしくてたまらない。


「仕方ないわね。ちゃんと食べるのよ?」


「はーい!」


 二人の弾んだ声が、朝の屋敷に響き渡った。

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