どうにもできない現実
毎月、毎月。この瞬間が来るたび、私は欠陥品なのだと痛感する。
お臍の少し下。定期的に用意した寝床がまたもや不必要だと私をあざ笑うから。
「また、きてしまったのね……」
体が正常に機能していること。それを喜ぶべきなのに、お腹が、心が痛い。
「神様、どうして」
じっとベッドで丸まり、月のものが来て痛む腹をさすりながら頬に涙がつたう。
「私は欠陥品なのね」
呟いた瞬間、さらに気持ちが落ち込んだ。
月のものが変わらず訪れることは欠陥ではない。立派な大人の女性である証だ。
「でも、与えてもらえないもの」
呟いて、まるで走馬灯のように自分の人生が蘇る。
侯爵家の娘として生まれ育った私こと、セシルの人生は、まさに絵に描いたような理想的なものだった。
口にしたことはないけれど、類まれなる美貌と聡明な頭脳に恵まれていることを自覚していたし、幼い頃から周囲の期待を一身に集めながら、それに応えることを決して苦だとも思わなかった。
努力したぶん、周囲が与えてくれる自分への称賛も、当たり前だと受け止めていた。
そんな私は、二十歳になって婚約者だった王家と縁ある公爵家の嫡男アンドリューと結婚した。
何年もかけて信頼関係を築いた二つほど年上の彼は、見た目も爵位も申し分ない上に、私の全てを受け入れ、深く愛してくれる理想の人。
戦争のせいで少し遅れて行われた私たちの結婚式は、世紀の祝典と謳われるほどの華やかさだったし、誰もが、そして自分自身も、これからも順風満帆な人生が続くと信じて疑わなかった。
けれど――。
二十歳で結婚してから五年。いくら待てども、私の胎には何の兆しも訪れない。
最初は気にしていなかった。他の人がそうであるように、いつか授かるものだと信じていたから。けれど、月日が経つにつれ、私の心は焦燥と絶望が蝕んでいく。
まるで真新しく取り出した便箋に垂らしたインクのように、じわじわと。
不妊について医師にも相談した。祈祷師や占い師の言葉にすがったこともある。
妊娠の可能性を高めるという薬を飲んだり、パイナップルが効くと聞いて、舌が痺れるほど食べ続けたこともある。
出来る限りのことをしたつもりなのに、結果は変わらない。
この腕に抱かれるはずの命は、未だ宿る気配がない。
「アンドリュー様の血を引く子がほしい」
切なる願いは、下腹部を襲う痛みによって、またもや無惨に打ち消された。
*
「子どもって、本当に手がかかるのね」
サロンに響く友人の声に、優雅に紅茶カップを傾ける。
幼馴染である友人たちと囲む、週に一度のお茶会。かつては楽しみにすらしていた午後のひとときが、今では微妙な緊張を伴うものとなっている。
それでも欠席しないのは、自分が欠陥品だと認めたくないから。
難なく二人目、三人目に恵まれた友人たちから発する妊娠菌の洗礼を浴びたいから。
出産後、独身時代の輝きを失い腰まわりが明らかに太くなった友人たちを見て、「私はドレスのサイズアップをしていない」と、優越感に浸りたいから。
どれも口外できない仄暗い理由ばかり。
実際は妊婦の友人のお腹をいくら撫でても私には幸せが訪れないし、誰よりも細いウエストを維持し続けて、自己顕示欲を満たす作戦は「シシーは、もっとしっかり食べなきゃ駄目よ」と不妊の原因とされる始末。
母親になった女性にとって、ウエストの細さなんて優先順位の低い悩み。むしろ太ったことは、妻として、人としての責務を果たした証らしい。
独身時代は、ウエストの細さ一ミリで大騒ぎしていた友人達は、すでに次のステージを生きていて、私だけが取り残されている。
子ども、という与えられない存在のせいで。
「散々悪戯をしたあと、『お母様どうぞ』と、庭のカスミソウを摘んできてくれたの。そういうことをされちゃうと、なんだか憎めなくて」
先ほどまでため息をついていた友人の表情が、柔らかな愛情に満ちた微笑みへと変わる。
テーブルを囲む他の友人たちから「まあ、可愛らしい」と歓声が上がった。
微笑みを絶やさぬよう心がけながら、カップを受け皿に戻す。
窓の外を見つめると、赤いバラが目についた。すぐそばに、ふわふわとした小さな花を沢山つけた、繊細なレースのような可憐な花が揺れていることに気付く。
(カスミソウだわ)
カスミソウは、決して主役にはなれない花だ。だからカスミソウを贈られたって嬉しくはない。
羨ましくもないし、私はバラが好き。
自分に言い聞かせる。
けれど、カスミソウの清らかな美しさは、他の花を引き立てるには必要不可欠なものに思えた。
バラで揃えられた花束より、カスミソウを加えた花束のほうが、ずっと見栄えがする。
(それと同じ)
夫と妻、二人だけの家族より子どもがいた方がずっと華やかだ。
景色を目にして、美しいと思う気持ちで終了できない状況に心がズキンと痛む。
「思い通りにいかない。子どもなんて、そんなものよ」
「そうよね。でも、子どもは成長していくわ」
「ええ、昨日できなかったことが今日はできるようになっているしね」
「そんな小さな喜びの積み重ねがあるから、不思議と子育てを頑張れちゃうのかしら?」
「そう言えば、うちの子ったら、この前また」
話題は尽きることなく続く。子どもたちの愛らしい悪戯や、成長の喜び。それらの言葉の一つ一つが、胸に小さな棘となって刺さっていく。
チク、チク、チク。
出来損ない、不完全、妻失格。
誰も口にしないけれど、内心そう思っているに違いない。
どす黒い思いが心で渦巻いて、慌てて紅茶を口に運ぶ。やたら苦さを感じた。
「将来が楽しみね」
子どもの話題についていけない。そう思われたくなくて、笑顔で相槌を打ち、時には相応しい質問を投げかける。
「シシー、あなたも早く……あっ、えっと」
友人が気まずそうに、口を噤む。
「気にすることはないわ。結婚して数年してから子宝に恵まれるなんて、よくある話だもの」
「夫婦水入らずの生活は羨ましいしね」
「ええ、本当に。シシーはいつまでも美しいままだし」
取り繕うように発せられる言葉の嵐。ずっと気の置けないと思っていた友人たちにまで気を遣わせていることに罪悪感を覚える。
「ええ、そうね」
それ以上の言葉は続かない。代わりに、完璧な微笑みを浮かべる。
精一杯の強がりでしのぐお茶会は、自分の中に生まれた歪みを増すだけだった。