~ であい と えにし ~
正直、文章硬い
話し言葉も硬い
固有名詞も読み方面倒…とはいえ、なんとかお付き合いください(笑)
足利8代将軍義政公の正室日野富子という傑出した女性がいた。
彼女の行動がきっかけとなり応仁の乱という騒乱が起こり、それは戦国時代の幕開けとなった。
長い長い戦乱の世は人を土地を苦しめ続け、やがては実力がモノを言う世になってきた。
家といい、血筋という伝統よりも、衣食住を保障してくれる者を主人として認めはじめ、秩序は実力者が作り出し古い権威は形と名前だけになっていた……
「俺は天皇に会いに来た」
初対面の私に言った信長殿の第一声だった。
「?」
将軍仮御所の前庭で私は弓を引いていた。
まだ幼かった私は小さな弓をも満足に引けなかった。
前日の夜中にいきなり京市中の商人の紹介で、尾張の小領主の嫡子が小姓数人といきなり上洛してきたといって泊まっていた。
「お前、名はなんだ?」
いきなりの発言にあ然とした私の横にやってきていきなりそう尋ねてきた。
「口がきけないか?」
「あ、これは失礼をいたしました」
「俺は織田吉法子だ」
私より三つ四つ年上と思われた彼の笑顔がまぶしく、さわやかだったのを今も鮮明に覚えている。
「私は牛若…鶴岡牛若です」
「面白い。源氏の者で牛若の名をつけられるとはな」
「はい。庶子ですし、鬼っ子ですから」
「鬼っ子か!」
彼は私の顔をまじまじと覗き込んで
「気に入ったぞ。俺と尾張に来い」
「え?」
「決まった。目的がすんだら尾張へ戻る。支度しとけ」
呆然とする私の手から弓を取り、矢をつがえた。満月にひきしぼり更に
「知りたいことが多い。誰に聞けばいいか?」
「長岡藤孝殿と沢庵和尚」
「わかった」
「呼びましょうか?」
「くどい」
私は彼のせっかちな一面を何の抵抗もなく、むしろ気持ちよくすら感じた。
父義輝公の奉公衆になったばかりの藤孝殿を見つけ信長殿に引き合わせ、仲のよい門衛に沢庵和尚へ使いに走らせた。
信長殿は丸2日小御所の一室で藤孝殿から朝廷の成り立ちや将軍家のこれまで、応仁の乱の発端や今のこの国の情勢を聞いた。
そして…
「沢庵和尚に会いに行く」
「呼びますよ」
「ならん。教えを乞うのに呼びつけることは不遜」
私は驚いた。
この信長殿、とんでもなく天衣無縫と思える言動をするにもかかわらず、モノの順序や決まりはきちんとわきまえているのだ。
「間違うな。教えを乞うから出向くのだ。沢庵に敬意を表しているからではない」
それからはまさに三顧の礼で沢庵和尚に教えを乞い、許されるやまず一声。
「和尚、何故すぐに許さなかったか?」
「まことに教えを乞いに来たのかを知りたかったからじゃ。それに今の世は物騒じゃからな」
にやりと不敵な笑みを見せる和尚に信長殿も皮肉な笑みを返した。
「刀を置いて、牛若とふたりならよかったんだな?」
「左様」
「無駄をした。俺の心得違いだった、許せ」
何のためらいもなく彼は深々と和尚の前に手をついて頭を下げた。
「が、呼びつけなんだは正解じゃの」
「当たり前のことだ」
それから今度はほぼ十日の間、沢庵様の庵に泊り込みで教えを受けた。
小御所に戻ってきた信長殿は父に拝謁して尾張へ戻ると報告した。
「そうか、戻るか」
「御意」
「まもなく長尾影虎も上洛するとのこと、会って行かぬか?」
「いえ、我が領地尾張は油断のならぬ土地柄。ちと騒がしくなっております」
「左様か。寂しくなるな」
「つきましては」
「牛若か?」
「はい」
「連れてゆけ」
「御意」
「いつ三好や松永が囲むやも知れぬ。尾張で預かってくれ」
「はっ」
「ただし」
ぐっと上体を乗り出して父は私の前で信長殿にこう釘を刺した。
「わしに何かあっても、決して牛若をここへ座らせてはならぬ。守れるか?」
信長殿はいきなり脇差の鍔で、キンと金打を打った。
父も真顔になって打ち返し、その瞬間私の将軍継承権は失われたが、幼心にそれでいいと満足に思ったのを覚えている。
翌早朝、私は信長殿と馬を並べて王都京の街を駆け去った。
私が彼と出会ったこの縁が、これからのこの国に何をもたらすのか…
大きな希望が小さな不安を蹴散らして、ひと目で魅せられた信長殿とこれからを歩むことが出来ることが、ただただ幸せだった。
【続】
金打…わからんわな(苦笑)
脇差を打ち鳴らしあうことで、硬い約束を交わした誓いとすること
で、合ってると思います。