~ おおきな ゆめ ~
秀吉殿、光秀殿は安堵の表情を浮かべていたのが印象的だった。
そして信長殿も…
「はげネズミ、キンカ頭、そんなに俺は天子様をぞんざいに扱っていたか?」
ひと通り話し終わった後の酒宴で信長殿はお二方に冗談めかしてたずねていた。
どう答えようかと困った顔をするお二人に、義昭殿が助け舟を出した。
「信長殿のお話、真意をうかがうまでは、私もいつ首を盗られるか恐ろしゅうござった」
「で、あるか」
酒盃を運ぶ口元に微苦笑があった。
「ですが本当にこの日が来るとも思えませんでした」
家康殿がしみじみと呟き、長政殿がうなずいた。
「夢物語…だったからな」
信長殿はちらと私へ視線を流しながら満足そうに一同を見渡した。
「最初にこの話持ち込まれたときは、仰天してござる」
近衛卿が明るい声を上げると、観修寺卿は小さく笑いながら
「まったく。国の仕組みそのものを大きく変革して行くという発想はなかったですからな」
「武田、今川、本願寺、延暦寺、高野山…信長殿の、いや、信長殿を首座として主上もお認めになったこの構想からすれば、あまりに頑固で腐り切っていた」
近衛卿が指を折りながら続けた。
さして強くも無い酒を飲んだ信長殿が座を立つと、それぞれが城内の寝間に戻っていった。
夜半…
警戒の風魔衆が私を起こした。
「どうしたのだ?」
「羽柴秀吉様、御用があるとか…控えの間においでです」
「そうか…」
来たな、と思った。
そう、私はある意味彼に詫びなくてはいけないことがあったが、大儀の上からはそれは必要なことであったのも事実。
控えの間にひっそりと秀吉殿は待っていた。
「お待たせしました」
「勝手に押しかけて誠、申し訳ない」
しばらくの沈黙。視線が合うと、彼の怒りに似た力が私を圧迫した。
「………」
私は静かに秀吉殿の怒気を全身で受け止め、そして何も言わずに頭を下げた。
その瞬間、彼の怒気は消えた。
「やはり輝信様の仕業でしたか」
「…」
「ですがもう言いませぬ。今宵の殿のお話を聞いた以上、あれは輝信様の立場ではやらなくてはならぬことと理解し申した」
「半兵衛殿は策士に過ぎた…」
「そういうことです」
秀吉殿はふっと吐息をつき、にっと心底から笑って見せてくれた。
「まさかあれほどの遠大なはかりごとがあろうとは思いもよらず…やはり手前は小物ですな」
「ですが今はご理解もご納得もされている。それがなによりです」
「光秀殿も安堵しておりました」
「かなり追い詰められて…というか、ご自分でご自分を追い詰めてお出でのご様子でした。ここが限界と思いました」
「え?」
「秀吉殿を前線から無理矢理呼び戻してまでしなければ…ひと月後にこの首と胴が分かれていたやもしれません」
「……」
「まして信長殿は本能寺の抜け穴の中で蒸し焼きに…」
「げっ」
彼の驚愕のあまり腰が抜けていた。
「信長殿は知らぬこと…私の仲間が探り当てたので、再度開通の手配りはしてありました」
「輝信様は恐ろしいお方ぞな」
「化物のように言わないで下さい。単に心配性なだけです」
「それだけの深謀遠慮があれば、天下盗りに乗り出せたでしょうに…」
「私をおだてて謀反させる気ですか?」
「あああああああああああ、いやいやいやいや、そうではござらぬ!」
「はっはっは、まぁ戯れ言の褒め言葉と聞いておきます」
ひとしきり談笑し、秀吉殿は私の寝間を辞して行った。
竹中半兵衛殿
秀吉殿の寄騎にして三顧の礼で迎えた軍師。
そして秀吉殿と光秀殿を結びつけて信長殿に謀反の旗を揚げさせようとした策士…
半兵衛殿は確かに頭の切れる武将であった。
そして実行力もあった。
が、不治の病が彼を夢想家にしてしまった。
信長殿の言動を、天子様、朝廷、将軍家、過去の権威の完全否定と決め付けてしまった。
秀吉殿は山の民の一族。
天子様の直属の家臣の末裔である。
光秀殿は尊皇の志篤い思想の秀才であり、かつては将軍義昭公の家臣でもあった。
信長は、いつか天子様を廃し、かつての足利義満公や弓削道鏡のようにその血筋を絶やし、覇王としてこの国の頂点に立とうとしている
そう信じて秀吉殿を、光秀殿を動かそうとした。
私は彼の理知的なまなざしも、涼やかで筋道立った弁舌が好きだった…
しかし、ここで信長殿を失うことはすべてをまた逆戻りさせる蛮行である。
私は彼を…
死の直前、半兵衛殿の目は狂気にあふれていた。
己の夢想が妄想になっていたことにも気づきもせず、策士は策に溺れて現実を見る目を失くしてしまった。
私の手にはまだ半兵衛殿の遺体の重み、体温が無くなって冷たくなって行ったあの感覚は鮮明に残っている。
だからこそ私は表に出てはいけないのだ。
【続】
ここまででストックは終了でした…
さてどうするか…一応、未完にしておきます(笑)