~すてるものと のこすもの~
将軍御所に信長殿が足お運び足利義昭殿と対面したのは信玄殿が逝き、延暦寺粛清、本願寺永久和睦締結の直後だった。
三日にわたる信長殿と義昭殿との会談。
それが済むと朝廷へ参内、正親町天皇にも拝謁しただけでなく関白近衛前久卿などとも数日にわたって会談している。
「首尾はいかがでしたか?」
「頭の固い連中であるな」
薄い苦笑いを浮かべながら信長殿は私の立てた茶を喫していた。
「では…」
「ふむ。そうすぐにどうこうも出来まい。これまで形だけではあっても律令によって生きてきた者どもだ」
「それをお許しになりますか?」
「そうは言っておらぬ。骨子は理解させた」
「それで動きますか?」
「動かさねば戦国は終わらぬし、この国は伴天連どもに乗っ取られる」
「でしょうね」
「この後はどういたしますか?」
「家康殿と義重には官位を申請した。長秀、光秀、秀吉にも相応のものは与えるつもりだ」
「将軍職…義昭殿は辞してくださいましょうか?」
「ふん。味方がいなくなればそれまでだろう?」
すでに細川藤孝殿、荒木村重殿は義昭殿から完全に織田軍団に鞍替えしていた。
「だが、義昭将軍殿は阿呆ではない」
「では…」
「うむ。槇島城の改修をして引き移ることで了解した」
「将軍職はいかがします?」
「それはこれからの動きが、俺の言うとおりに動くならばこだわらぬと言っていた」
「ほう…」
「油断はせぬが、まず間違いはなかろう」
「朝廷をおさえねばいけませんね」
「うむ」
武田勝頼殿が若さに任せて家康殿の領域にたびたび侵入してくるという行動に出始めた。
北条氏政と氏直親子、佐竹義重殿、上杉輝虎殿が信長殿の意を汲んで勝頼殿の軍事行動を阻止するが、彼は血気にはやって駿河侵攻をさらに激化させるという暴挙に出てしまった。
「空気の読めんたわけめ」
信長殿は一度は養女として縁組をした勝頼殿をなんとか自陣に復帰させようとしたが、穴山梅雪、小山田信茂といった武田の身内が信勝殿を担いで勝頼殿に叛旗をひるがえすと、遂に跡取り息子の織田信忠殿を大将にして木曽を巻き込んで西から信濃甲斐に侵攻。同時に東から北条、南から徳川、北から上杉が勝頼殿を目がけて進軍して行った。
私はこのとき徳川、北条、佐竹、里見という東海道から関東各所の有力諸将の連絡をとっていて、信長殿とのつなぎは滝川一益殿が当たってくれていた。
武田勝頼 自刃。
信長殿と外孫にあたる信勝殿との対面が終わった後に私は呼ばれた。
「あとは毛利、長宗我部、島津とみちのくの仕置きだな」
「関東は北条殿と佐竹殿に?」
「うむ。家康殿にも手伝ってはもらうが、まぁ義重がいれば大事にはなるまい」
すこしだけ信長殿の顔に安堵が浮かんでいた気がした。
「どうした?」
信長殿には珍しい間の抜けた声での問いかけに、私はいつも以上に厳しい視線を返した。
それに気づくと信長殿は、いたずらを見つかった子供のように照れた笑いを見せて大げさに私に頭を下げて謝った。
「まだ、気は抜けぬな」
「御意」
「で、あるか」
「左様です」
「なにかあるのか?」
「ちと気になる話を耳にしましたので…」
「なんだ?」
「光秀殿、秀吉殿です」
「あのふたりがどうした?」
「そもそもあのお二方には信長殿のお考えを細かには話す必要を覚えておりませんでした」
「うむ」
「ですが、どうやら話した方が良さそうです」
「どういうことだ?」
私は百地殿や服部殿、秀吉殿の客将である竹中半兵衛殿、細川藤孝殿などから得た話を信長殿へ説明した。
安土城が半ばまで出来上がり、石山寺の跡地に大阪城の築城が始まったとき、信長殿は光秀殿、秀吉殿を呼び寄せた。
光秀殿は数日前から上洛していた徳川殿の接待をしており、秀吉殿は毛利攻略戦の前線から無理やりだった。
対面の場には信長殿、家康殿、浅井長政殿、関白近衛前久卿、伝奏勧修寺晴豊卿、そして足利義昭殿もいた。
光秀殿も秀吉殿もその状況に仰天し、落ち着きなく大広間の信長殿の前に座していた。
「朝廷を天皇陛下をどうこうする意思は俺にはない。それをまず言っておく」
信長殿は前置きなくいきなりそう切り出した。
「ましてや廃帝だの、俺への譲位だの、そんな馬鹿げたことは欠片も考えたことはない」
しんと静まり返った安土城大広間に信長殿の声が響いた。
「これより話すことは秘中の秘であるが、すでにここにおられる諸卿は知っておることであり、越後の上杉輝虎や佐竹義重、北条氏政他主だった同盟者は承知のことである」
秀吉殿が身じろぎをした。
「キンカ頭にはげネズミ、面をあげぃ」
あだ名で呼ばれて顔をあげたふたりの表情は緊張と苦笑いで複雑だった。
【続】