~ いくさ ゆめ ~
信長殿の号令に大会堂にいたすべてが動きだした。
九鬼、毛利、熊野、島津、長宗我部、村上の西日本の各水軍が一斉に船団用意に走った。
また、若狭から
「関門海峡を経て大阪に向かった津軽の舟あり」
と早馬で明智左馬助殿から知らせが入る。
徳川信康殿かも北条の軍船が吉良の湊にたどり着いたと報告が入った。
「詳細はこの文に」
早馬で駆け込んできた井伊直政殿は長い文を私に託すとその場に倒れた。
「どうだ?」
「ひどいことになっているようです…小田原も城郭は半壊。相模、武蔵、常陸、房総三州は城郭、町屋、橋は全、半壊。津波に外海沿岸はほとんど飲まれているようです。またわかっているだけでも里見頼義殿が圧死、佐竹義宣殿も大怪我を負っているようです」
「茶々の乗っている舟はいつ出る?」
「今夕でます」
「いつ着く?」
「三日後」
「水軍全軍揃うのは?」
「早くて二十日」
「遅い」
「順次出向させる手はずはつけています」
「抜かるな」
「御意」
「阿呆なことを考えるものはいるか?」
「この機に乗じて騒乱を起こそうということですか?」
「くどい」
「おりません」
「そちらも抜かるな」
「秀吉殿、光秀殿が小早川殿、細川殿、木曽殿とすでに固めておりますので、まずは大事無いかと」
「うむ」
再び大会堂から休息の間へ戻った信長殿と私はこの後の仕置きを固めて各奉行、目付などの中央官僚へ指示を行った。
最初の報から四日。やっとのことで体勢が整った。
また津軽の舟の持ち込んだ情報は更に事態の悪化、深刻化を物語った。
津軽、陸前、陸中、出羽もほとんどの建物が全壊。
橋も落ち、火災も頻発。総代国独自の判断で被災者の救出、火災などを食い止める作業に取り掛かってはいるが、あまりに大きな人的被害と寸断された交通網によって人の行き来もできず、状況の把握すらできていないとのことだった。
「かなり荒れてもいるようです」
「で、あろうな」
「盗賊、山賊の出没もあるようです」
「ふん。坊主どもはどうしておる?」
「本願寺、延暦寺を中心に各宗派ともに一斉に喜捨を求めて辻に立っており、商人有力者への浄財の寄進に動いております」
「商人どもの反応は?」
「茶屋殿初め、動きはこちらより早いようです」
「で、あるか」
「堺から二艘、相模へ早速出航しているようです」
「ならば良し」
信長殿は立ち上がって大きく伸びをした。
「輝信」
「やはり行かれますか?」
「行く」
私は予想通りの信長殿の反応、行動に爽快なものを感じた。
「準備はできているな?」
「もちろんです。伊賀越えで志摩へ向かいます」
「九鬼の鋼鉄艦か?」
「いえ、安宅船です。鋼鉄艦では速度がでません」
「うむ。それで良し」
それにしても…
いきなりの事態になっても、叛旗をひるがえす勢力がひとつもない、というのにはやはり驚いた。
それだけ今の日本の仕組みがしっかりとして、そして十分に機能していると言うことなのだろう。
信長殿、謙信殿の先見の明なのだと思う。
天下の統一
確かに奇麗事だけではなかったが長く続いた戦国の世を終息させ、日本をひとつにまとめ上げ、そして戦のない世を続けている。
ここへくるまで道のりの中で誤ってはいけないいくつかの選択肢があった。
信長殿も私も行く道を選ぶときの決断、行動は本当に怖かった。
そう…あのときも……
間違っていれば、信長殿は今、ここにはいなかったかもしれない…
謀反すら起きかねない薄氷を踏むようなときがあった。
延暦寺を粛清した後、武田信玄殿を甲斐と信濃に封じ込めた。本願寺も永久和睦を飲んで軍門に下った。
そして私は信玄殿を亡き者にして武田の自滅を図った…そう百地三太夫殿、風魔小太郎殿とともに、甲斐の府中にある躑躅が崎、信玄殿の居館へ潜入して……
こういう手段は信長殿は好まれない。ましてや謙信殿が知ったら…
私は信玄殿が亡くなってから謙信殿に目通り許されず、遂に謙信殿ご存命中には会うことはできなかった…
そう、最大の危機はあのときだったかも知れない…
信長殿の天下経略の構想を織田の各武将と朝廷に伝える時期を間違ってはいけない。
強く感じたのはあの時だった…
【続】
実はこの作品、未完です…
どうにか続けるか?
それともバッサリ未完は未完のままにするか?
正直迷ってます(;^_^A