第一話 7:回収完了
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「それで……貴女は知ってしまったんですね。自分の作った札がどのような使われ方をされているのかを」
「はい。わたしは札の起動場所と起動時期を割り出せますので、その時期、その迷宮で未帰還となった冒険者がいないか調べるだけで……もっと……早くやっておけば……」
血が滲む指で彼女は自分のスカートを握り締め、搾り出すような声で続けた。
「わたしは……仲間を失う辛さを知っています。ぬけぬけと故郷に帰ることのできない気まずさも知っています。そんな中で、思い出の品がどれだけの救いになるか……それを奪われる憎しみも、殺意も、全て知っています。
わたしは、預かった鞄の中身を見たと彼に伝えました。遠い何処かの国に行って、これを売って、二人で静かに暮らさないかと提案しました。……彼はそれを受け入れてくれました。これが最後の仕事だと言ったんです。わたしは彼にこの胸甲を着せて【黒い森】に送り出しました……見送りました」
猿に食い荒らされたこの男の心情など俺は知らない。知りたくもない。
だが、想定以上の法式札を打つ力量の成長速度に驚き、利用し、強奪品の管理まで任せていた女に、一定以上の信頼を寄せていたのは間違いないだろう。
だから、彼女の着せてくれた胸甲を素直に何も疑いもせず着て、仕事に出かけた。
そう、狙撃銃を持って、誰かを殺すための道具を持って仕事に出かけたのだ。
「先ほども言いましたが、【黒い森】に貴女が二日前に出かけていたことについても、俺は裏を取っています。……ドロテアさん」
「ええ、わたしも、休憩小屋で聞きましたよ。あの人が来ていないか、あの人の特徴を、休憩小屋で休んでいた新米冒険者の子たちに。あの子たちの師匠も、同伴していたようですから……躊躇いは、もうありませんでした」
法式札の起動条件は式を打った当人が自由に決められる。
まして、札の製作者本人が札の近くにまで訪れたのなら、いくらでも起動手段は存在するだろう。
彼女は俺を見据えた。
「ねえ回収屋さん。彼が【森】に持っていった装備は他になかったんですか?」
「ほぼ確実に未回収の装備はあります。でもね、似たような稼業の人間として言わせてもらいますが、商品に手をつけるような奴は三流ですよ。貴女が思うようなものは、この胸甲以外にないでしょう」
「……そうですか。なら……回収屋さん、最後の頼みです。依頼料金をいくらでも上乗せしてくださって構いません。監視付きでもいいです。彼の……この人の遺品を整理して、奪い取られた物を元の持ち主に返すまでわたしを公安に突き出すのは、待っていてもらえませんか?」
女史の目には、今まで宿っていない確かな生気の光が灯っていた。俺は彼女の血に濡れた指が、コートを握っているのを見る。
おそらくコートの裏に法式札が貼り付けられている。断ったら自爆する気なのだろう。俺の手持ちの魔法では、この至近距離だと防ぐのも避けるのも逃げるのも間に合わない。
俺は肩をすくめた。
「待つも何も、迷宮の中で間抜けが死んで猿に食われただけですよ。証拠も何もない」
「なら回収屋さんは、何を望んでいるのですか?」
不審な目で俺を見る女史に、今まで持ち続けていた書類を彼女に手渡す。
怪我のない手で彼女は書類を受け取り、俺を見つめていた。
「ご覧ください。そこに俺が貴女に望んでいるものがあります」
女史は怪訝な面持ちをしつつも、コートの内ポケットから眼鏡を取り出して書類を読み始めた。あっという間に眉根が寄せられ、一枚目を読み終えただけで俺に非難のような視線を投げかけてくる。
「どういうつもりなんですか」
「読んだままですよ。貴女向けの、新しい職場を探しておきました。とくに土木建築関係で、貴女の法式札の腕前は真価を発揮すると思います」
「わたしは……わたしは人を、殺したんですよ?」
俺が昨夜の内にまとめておいた書類は、女史の能力を生かせるような堅気の職業の資料だった。
魔法を使うのは何も冒険者だけではない。そもそも、限られた才能の持ち主しか扱えない技術の使い手を、命の危険が及ぶ非生産的な冒険者にすることが俺には愚かに思えてならない。それだけ遺跡から発見されるモノの恩恵が大きいということなのだろうが。
もちろん、女史が思うことはそういうことではないのだろう。
「でも証拠がない。殺された場所が治外法権の迷宮内ではさらに立証しようがない。大体貴女は俺をごまかそうとしたじゃないですか」
「……最初から全てを正直に話せば、依頼を断られるかと」
「それほどまでに、奪い取った装備を元の持ち主に返してあげたかったんですね。でも、それはよした方がいい」
「回収屋さんに何がわかるんですか?」
「わかりますよ。物が返ってきても還らないモノがあるってことくらいは。俺は回収屋ですよ? 喪ったモノは帰って来ない。癒してくれるのは時間と忘却だけです。貴女が成したいことは、その忘却を掘り返して古傷を抉ることになりかねない」
「……皮肉ですか?」
「図星ですか?」
睨みつけてくる女史に対してそう返すと、彼女はコートの裏に血に濡れた指を突っ込みかけた。
俺は改めて、彼女に渡した書類の封筒を指差す。
「貴女のその技術は、人を殺傷するためのものじゃない。例えその目的のために教えられ、そのために使われ続けていたとしても貴女は貴女自身の意志で自分の技術を磨き、真実に気づき、そして止めた。人を殺すことでね。貴女が貴女の意志で殺した人間はこの男だけです」
俺と女史は性別も、経歴も、得意とする技術も、何もかも違う。
だが同じ魔法に携わる者として、迷宮に関わる者として、故郷から抜け出した者として、俺は彼女を尊敬する。
自らに打ち込まれた頸木を自力だけで抜くことなど、俺には出来ないから。
だから俺は頭を下げて、ドロテア女史に頼んだ。
「……貴女の意志で人を殺めるのは、これを最初で最後にしてくれませんか?」
俺を睨んでいた女史の怒りと殺気の気配が、少しずつ霧散していくのを感じた。
泰然とした態度は崩さず、俺は内心胸を撫で下ろした。怖くなかったと言えば嘘になる。それでも、説得が成功したようで何よりだ。
「回収屋さんは、なんの権利があって遺族の方々にわたしを仇だと教える機会を、奪うんですか?」
女史がうつむいて、拗ねたような声で問いかけてきた。
「俺は生きている人から奪いやしませんよ。ハゲタカなんだから、俺が掻っ攫うのは死人からだけです。貴女も、貴女が遺品を返したいと思っている人も生きている。だから俺は、お願いしているだけです」
「回収屋さんはバカなんですか? わたしはお願いしてもなんにもならなかったことなんてたくさんありますよ」
「そうですね。まぁ俺の『殺さないでほしいなー』ってお願いがどうしても守れそうにないくらいのことがあったら、俺に相談するなり愚痴るなりしてくださいよ」
「は?」
彼女は本当に俺を呆れるような目で見てきた。
「就職先を斡旋して、人生相談に乗るって、あなたは本当に回収屋さんですか? わたしに何かどうこう言う前に回収屋さんが自分のお仕事忘れていません?」
「俺はちゃんと回収屋ですよ。お客様が失っていた生きる気力や目的、取り戻せたと自負していますが?」
言った途端、彼女は顔を真っ赤にすると、腕を振り上げて俺の頬をひっぱたいた。
頭部を中心に衝撃が走ったのでたたらを踏んで体勢を立て直すと、既に女史はコートと書類を手に玄関へと肩を怒らせ向かっていた。
「請求先は契約書に書いた住所でお願いします!」
「毎度あり」
玄関のドアが激しく閉じられ、事務所全体がびりびりと音を立てた。