第一話 5:依頼人と遺骸人
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地上に戻った後、ほとぼりが冷めてから樹上に戻り他の遺失物も探そうかと考えたが、普段より下の方まで猿どもが下りている気配を感じられたため、それ以上の捜索は断念することにした。
オオミミザルは個々の危険性は低いが、どれほどの社会性と知性を持っているか把握できていない。自分たちの獲物を奪い取り、巣を滅茶苦茶にした人間に対して報復を考えるかもしれないし、それをどのような手段で実行するかも予想しきれない。
そういうわけで俺はツェズリ島首都であるツェズリ都東区の我が事務所に帰り、翌日の昼下がりにサリエ女史に事務所へ来るよう電話をかけて連絡しておいた。
徹夜明けで事務所のベッドで昼寝をこいていた俺は、待ち合わせの時間を知らせる時計の鐘の音に起こされた。
ざっと身だしなみを整え、待合室兼書斎にしている部屋の窓を開く。
ツェズリ都東区のこの通りは、通称【廃溜通り】とすら言われるような場所で、どの建物も傷んで汚れて煤けている。
そこに住む人間に至っては荒んでいるか生気がないかその両方の目をしている連中ばかりで、野良犬とモノの取り合いをしてるような奴までいる有様だ。
あまり見ていていい気分のする光景でもないが、冒険者を志して思うような成果を得られず、さりとて故郷にも帰れない半端者はこのあたりに辿り着き、細々と暮らすようになっていく。
そんな通りを、やはり生気のない目をした若い女がとぼとぼと歩いていた。窓から見下ろす俺に気づいたようで会釈され、俺も頭を下げて玄関に向かい、出迎えることにする。
「やぁすみませんね。お客様からご足労頂いて。荷物が少々問題ありましてね」
「いえ構いません……それにしても、昨日の今日なのにもう回収し終えたのですか……?」
集合住宅の入り口で依頼人のサリエ女史を出迎えた俺に、彼女は感心するような困惑するような視線を送ってきた。
本当は昨夜のうちに帰宅しており、ほぼ丸一日近くの時間を空けたのだがそれを今言う必要はない。
「回収品をお見せするので、さぁどうぞ事務所の中へ」
一昨日と同じようにサリエ女史を事務所の中へ引き入れ、茶を沸かしたもののカップの中には注がず、俺は床の上に昨日回収した品物を倉庫兼寝室にしている隣部屋から運びこんだ。
最後にベルトでぐるぐる巻きにされた大きな襤褸布を見た時、女史の顔が明らかに曇る。中身は言わずとも察したのだろう。
「回収できましたよ。低温魔法で傷まないようにしていますが、残念ながら発見した時には既に猿どもに食い荒らされていました。顔なども……まぁ酷いモンです。それでも確認しますか?」
「……はい」
悲痛な面持ちで彼女が応えたので、俺はベルトを外していった。襤褸布を外すのは本人に任せ、俺は一歩引いた所から胸に手を当てて女史の判断を待つ。
震える指で布を払うと、肉がこそげ落ちて空っぽになった眼窩が露わになり、彼女が息を呑むのが伝わった。
女史は下唇を噛み締め、さらに布を取り払いじっくりとかつての仲間の成れの果てを検分している。その唇に朱が挿し、白い顎に血の珠が伝い、布に落ちた。
俺はその様子を見て、やりきれない気持ちになった。だが、書斎机から徹夜をしてまとめた書類と、大穴の空いた胸甲を手にして彼女に語りかけた。
「それで、貴女がロバート某と仰ったこの人物は間違いなくモーリス氏ですか? サリエさん――いや、ドロテアさん?」
依頼人の女性がとっさに振り向いて俺を見た。その顔は、驚愕で目を見張っていたが身体は身構えるということもなく、呆然として何もかもを受け入れるというように俺には見えた。
単に、俺がそう願っているだけかもしれなかった。
俺はため息をついて来客用のソファに向かい、胸甲を置いてカップに茶を注ぐ。
「ウチの依頼人が偽名を使うなんて当たり前です。本来ならそれの裏をわざわざ取る必要もないのですが、今回は別でした」
「……何を言っているんですか? 回収屋さん」
「そもそもおかしいと思ったのは、あまりに回収依頼が早すぎたことです。三、四日危険度の低い【黒い森】から帰ってこない程度で依頼を出すなんて。依頼を出すとしても、まず救助や捜索活動を専門とする業者のはずです。それに、特定の装備を指さずとにかく一つでも回収できたらと言う。依頼された段階では、不躾な推測ですが恋人なのかと思いました」
女史の目が険しくなっていく。俺はそれに気づかないフリをして、彼女にティーカップを渡した。
受け取らない彼女に俺は言葉を継いでいく。
「そしてその危険度の低いはずの森で、彼は死んでいました。こう言ってはなんですが、三、四日も行方不明になっていた割には損傷も軽いものです。恐らく俺が発見した時にはサルどもは食事を始めたばかりだったのだと思います。装備もあちこち散っているばかりで、枝から落下していませんでしたしね。言い方は悪いですが……つまり、死にたて、ということになりますかね」
「……わたしの依頼に何か問題が?」
「そうですね。その問題はこの胸甲に収束します」
俺は手放していなかった胸甲を彼女の前に出した。大きく風穴の空いたそこから、俺は彼女の伏せられた目を見つめる。
「見てくださいよ。ほとんどの魔法を弾き、大砲すらも防ぐという白大蛇の胸甲にこんな大穴が」
「……そうですね」
「これほど立派な白大蛇の胸甲なんて持っていたのなら【黒い森】で何か仕事をするようなちんけな冒険者でもないはずです。これ一つで豪邸が建てられますからね。逆に言えば、それだけ目立つということでもありますが……これを装着して活動していた冒険者の名前は、ロバートでもモーリスでもありません。そして、彼が活動していた時期も一年は前の話になります。このツェズリ島に住んでいる者なら誰でも知っているくらい、彼は強豪冒険者だった」
「そう、ですね……」
「ドロテアさん。【森】にいた冒険者から聞きましたが、二日前に若い女が【森】から出て行くのを見たそうです。そして、この胸甲の背中側の方に、貴女の書いた法式札の破片がこびりついていましたよ」
彼女はそれを聞くと、ため息をつきどこか安心したかのように微笑んだ。