最終話 2:狩人は死臭に敏い
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アトラが彼と出会ったのは、多くの冒険者がそうであるようにギルド本部であった。
その時アトラは、まだギルドというもの自体を理解していなかった。故郷でも狩人の家系に生まれ生業としていたアトラは、取引相手から時折ツェズリ島という不可思議でこの世のモノとは思えない遺跡と動物――魔物が徘徊する場所があるのだと聞いて育ち、少年時代には遂に好奇心を抑えられなくなった。
生業を唯一継ぐことになる妹に何度も頭を下げ、父には笑って行って来いと言われ、母には他人様に迷惑かけるんじゃないよアンタバカなんだからと注意され、祖父は死に目に会えなくても気にすんなと軽く背中を押されて船に乗り、港につき、まぁそこまでは良かった。
そこから迷宮やら魔物とやらの居場所を探るのに手間取った。というか、見たこともない数の人間と人種の多さに圧倒された。今では大分慣れたが、しかしやはり人間密集地の匂いは酷い。頭がくらくらして集中力が削がれる。
なんとかこうにか冒険者ギルドとやらに行くことで迷宮に行くことができる、というその時点で摩訶不思議な仕組みを知った時には頭が熱を持った。
そしてギルドで冒険者登録手続きをしろと言われたことで遂に意味不明理解不能初体験未知との遭遇に耐えきれなかった頭が、爆発した。実際に爆発したのかどうかはともかくアトラの中では爆発した。
「さっさとしろ間抜け。順番待ちしてんだよこっちはよ」
受付の女の子の前で固まるアトラに声をかけてきたのは、灰色の髪に暗い目をした平人の少年とも青年ともつかない年齢の男だった。
アトラは彼を見て、彼のような人間がすぐ背中にまで寄ってきていることに気づいていない自分も含めて、驚いた。
死臭と殺臭が半々に混じった、明らかな危険人物だった。
後にこの時出会った危険人物本人から教えられたことだが、アトラや家族が皆当たり前に嗅ぐことができるこの「死臭」に類する匂いは本来平人が嗅げるものではなく、吠人や鱗人が鍛えた先に獲得できる第六感の一種だろうとのことだった。
死臭は元気溌剌活力全開に見える生物であっても、わずかながらに帯びている。全く無い生物は存在しないと言っていい。
アトラたち狩人の家系は、死臭がとくに強い獲物を狙う。身体的に弱っているのではなく、何かよくわからないのだが、とにかく死臭が強い個体は狩りやすい。そして、見逃してもなんらかの別件で死ぬことがほとんどだ。
他の動物に狩られたり病気などで死ぬのはまだわかるが、同種族同士の争いに負けて負傷し衰弱死、けつまずいて足の骨を折り群れから落伍し補食される、肉食動物の場合は喉に骨が突き刺さって死ぬ、一回だけだがものすごい死臭を感じて逆に危険だと思ったら、落雷に打たれて死んだ時は「なるほどなー」と納得した。
ようするに、死に逝く運命を嗅ぎ取る能力なのだろう。
これを自覚してからは「死臭」の微妙な違いを嗅ぎ分けられるようになり、「死」というモノが結びつく言葉にし難い感覚を少しずつアトラは覚えていった。
結果、明確に言語化して嗅ぎ分けられるようになった匂いが「殺臭」――殺意の本気さを嗅ぎ取る危険察知能力だった。
つまるところ、冒険者ギルドでアトラに文句をつけてきた同年代の少年は「お前を今すぐ殺してもいいし自分も死んでもいい」という自暴自棄極まりない心理状態なのだと悟り、そんな危険を感づけないほどにアトラはその時余裕が無かったのだ。
「いや――わけわかんなくて」
「あ? 簡単に言やぁ『アンタに今から首輪付けるから名前教えて』って言ってんだろーがよ」
「あの、そういう言い方はちょっと――」
ギルドの受付の娘が喋りかけた途端に、少年の暗い目に火が灯った。
「うるせーなぁ黙ってろよなぁキンキンうるせーんだよなぁいらねーことばっか言っているからおのぼりさんの阿呆と馬鹿は理解できねーってわかんねーお前らギルドも頭湧いてんだよなぁちゃんと仕事もできねーんなら今すぐこんな役立たずの施設も人間もみんな吹っ飛んで死んじまえばいいんだよなぁ何が自由の島なんだよ結局どこ行ってもお役所仕事は一緒で幻滅したぜなぁアンタもそう思わねーか思うのかどっちなんだよおいこらあぁん?」
一息にまくし立てていた。「よく舌が回る奴だな」というのが、アトラがハゲタカと後に愛称をつけることになった少年の第ニ印象だった。
第一印象であった死臭と殺臭の濃密さは、口にしている内容の物騒さの割に喋っている間は薄まっていた。
会話を続けないと、こいつは死んでしまうとアトラは瞬時に理解してとにかく口を開いた。
「おう、おいらはアンタの言っていることも意味わかんねーよう」
「まぁそうかお役所に来たのが初めてだからわけわかんねーんだもんな仕方ねーなっつーか時間の無駄だなおいそこの受付女アンタ無能だから俺がこいつの登録書いてやるから書類とペン寄越せ」
「え、あの、ご本人でないと」
「サインか拇印一つあったらそれでいいだろ気配りしろってんだよ臨機応変って言葉を知らねーのかよ阿呆に合わせて馬鹿ばっかなのがここの職員なのかよあぁ?」
「おいらはそっちの方が助かる」
「ほーらご本人もそう言ってんじゃねーか後ろに行列できてんじゃねーかもういいだろはいよくなったおうアンタ名前は?」
「え? あー」
会話を続けなければいけないが、アトラは故郷から出る時に「真名は伏せなさい」と家族に言われたことを思い出し、事前に考えていた名前を口にした。
「アトラトアー」
「性別男年齢はまぁ見た感じ十七くらいでいいだろ出身国は?」
「あー、今は合衆国? ってーなってんだっけ?」
「なってんだよ田舎出身だなアンタあーあーこれ面倒だわこの欄面倒だわでもまぁ管理に必要なのかおいアンタ特技は? 家業は? なんかできることは?」
「ウチの家系は代々狩人やっていて」
「ハイ【狩人】ねもうこれでいいだろおら名前ココに書けはいおしまいおしまいったくこの島も世の中も全部一緒におしまいになっちまえばいいんだよくそくずああ腹が立つ」
ぶつくさ言いながら、灰色髪の少年はアトラの後ろに並び直した。
その時アトラはまだツェズリ島で使われる連邦王国語は喋れはしたが、読み書きができなかったのでサイン項目は拇印で済ませた。
そうして、順番がやってきた灰色髪の少年は自分の書類は一瞬で書き終えて、ポケットに手を突っ込んでどこかに行こうとしたのを、アトラは呼び止めることにした。
順番待ちしている間に、書類を書いている間に、せっかく霧散しかけていた死臭がまた彼から滲み出てきたからだ。
「おうアンタ、あんがとな。助かったよう」
「アンタの頭の悪さに付き合っているギルドが悪ィんだよギルドがよぉ」
「さっきから思ってたんだけどよう。アンタおいらにキレてるんじゃないよな?」
「どっちでもいいだろなんなんだようぜーんだよほっとけばいいだろ俺みたいなクズはよぉ」
「いやアンタどう考えても親切なあんちゃんじゃんかよう。だから助かったってお礼言ってるんだよう。なんか恩返しできないのかよう?」
「――親切? 何言ってんの?」
この一瞬、完全に死臭はともかくとして殺臭は消えていた。
呆気に取られた、という顔だった。
異様によく回る舌も必要最低限のことしか言わなかった。
狩人の感覚で言えば「隙ができた」一瞬だった。
「そうだ、アンタ、おいらと組もうぜ」
「あぁ?」
「おいら確かにバカだからよう。見たこともない魔物? っての狩りたいから来ただけの、家族みんなからバカって言われた本物のバカだからよう。アンタみたいな親切で頭の良い奴、いたら助かるんだわ」
「……狩人か。まぁ確かにコンビとしては悪くないな。前出て斬ったり殴ったりしかできそうにない奴よりは、ずっとマシか。俺も一人じゃやれること大したこと無いし……じゃあ条件付きで組んでやる」
「条件?」
「さっき親切って言ったの撤回しろ。俺はただこの島に逃げてきたクズだ」
なぜ褒められたのを嫌がるのかアトラは考え、そして可愛い可愛い妹の言葉を思い出した。
『お兄ちゃんは恥ずかしいって感覚わかんないの?』と。
「うん、やめる。ありがとう、気の良いあんちゃん」
「同じよーなもんじゃねーかそれも撤回しろ」
「お節介焼き?」
「だからやめろって」
「良い奴?」
「てめーいい加減にしねーとぶっ殺すぞ」
「ははっ、わかったわかった。今言ったの全部無かったことにするからよう、今後ともよろしく」
「ああはいはい俺の負けだよったく」
アトラが伸ばした手を、粗雑に握って灰色髪の少年はぶんぶんと腕を乱暴に振った。
死臭もだいぶ薄れ、いい相棒になれると思った。
その予感は間違いなかった。今のアトラの地位があるのは、その基礎は、全て相棒で親友のハゲタカが築き上げてくれたものなのだ。
誰に言っても、本人に感謝しても、認めてくれないことではあるけれど。




