第五話 終:翼で荷物は一緒に持てない
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かくて、俺はドロテアさんが紹介した菓子専門店に連れて行かれ、即日見学させられるハメになった。
そんなに簡単に話が通るわけが無いだろうと甘く見ていたのだが、ドロテアさんに促されて水を煮え立つ熱湯から氷塊にしたり、玉子を割らずテーブルの上に放置したまま中心の黄身だけ熱凝固させて白身は生のまま維持したり、鍋に入れた砂糖を熱で溶かして徐々に温度を上げていき指示に応じて上昇を止めたりすると、なぜか一発で見学許可が下りた。
というか、ただ厨房で働く調理人さんたちを眺めているだけでもう「お湯作って」「氷作って」「シロップ――この砂糖水ドロドロになるまで加熱して」「オーブンの中身の温度見ておいて」と軽く働かされた。いや本当に調理器具扱いだな。
「いやぁ、助かったよ。魔法使いって杖持っているおっかないならず者ばかりだと思っていたけど、君すごいね」
「俺としてはあなた方の手際の方がすごく見えましたけど……。魔法というのなら、お菓子作りの方がおとぎ話に出てくる方の魔法のように見えますが」
暖めておけと言われた砂糖水が美しい立体細工になったり、卵白と熱した砂糖水を混ぜたクリームを平らに垂直に滑らかな曲線も自在に塗りつけたり、紙袋に入れたクリームを搾り出して鮮やかに見栄え良い形を作り出していく様の方が、俺には称賛すべき技術に思える。
もちろん、これらを実現する職人の腕前もすごい。だが、そもそも菓子を作るためだけにそんな技を生み出す発想力がすごいのだ。
「お菓子やお料理はね。まず目で見て味わうものなのよ。なんなら見栄えだけで味は二の次って場合もあるくらい」
「おおう……目的と手段がひっくり返っている」
「元々、ウチみたいな店が扱うお菓子はお貴族様のお茶会やパーティーに振舞われるモノだったからね。見栄っ張りでしょあの人ら」
「めっちゃわかります」
店長だという口髭を生やした平人の菓子職人は中々気さくなおっさんだった。店頭に出ている奥方に時折ドヤされている姿はちょっと哀愁が漂っていたが。
見学というのは、それだけで十分相手から経験や知識という大きな恩恵を貰うモノだ。俺はそのため、一応閉店直前まで邪魔にならない程度に店の片付けを手伝ってから帰宅することにした。
「ドロテアちゃんの彼氏ってどんなのと思ってたけど真面目だねぇ。アンタ明日からでもウチで働かないかい? ウチの旦那もアンタ気に入っているしさ」
「申し訳ないんですが、ドロテアさんともども本業がありますので。少しずつこちらで修行させていただく時間を都合します。……あと彼氏じゃなくて、俺は彼女の雇用人です」
奥方に挨拶してから事務所に戻ると、件の自称彼女ことウチの事務員が、ただでさえ狭い事務所内に山積みの本をテーブルに置いて待っていた。
外はもう完全に夜も更けて暗いというのに、この女性は何やってんだ。
「あ、所長さん、お疲れ様です。見学、どうでしたか?」
「ぶっちゃけ何やってんだかさっぱりわかりませんでした。少しずつ見慣れたお菓子の形になっていくのは見ていて面白くはありましたが……で、この本なんですか? ドロテアさん」
「お菓子作りの本です。手順は詳しくわかりやすく書いている本ばかり選んだつもりですが『なぜケーキ生地は膨らむのか?』とか『なぜアイスクリームはなめらかな食感になるのか?』とかの理屈は書いてないので、そこらへんはわたしがみっちり注釈して教えてあげます」
「いやもう帰りましょうよ。いい時間なんですから。家まで送ってあげますから」
「む……」
どれだけドロテアさんは俺を振り回せば気が済むのかと、コート掛けに掛けていた外套の裏ポケットから懐中時計を引っ張り出して突きつける。
時刻を見たドロテアさんは納得したような、不満そうな面持ちでぽんぽんと自分が座っているソファを手で叩いた。
『座れ』という仕草だというのはわかったので、俺は書斎机に腰掛ける。ますますドロテアさんの目が吊り上がるが、傍に座ったらつけ上がるのでこれが適切な距離感なのである。
彼女は諦めたようでこのまま話を始めた。
「今日デートして、昨夜所長さんがわたしに質問した答えが固まったので、聞いてくれますか?」
「――あのデートで、何がわかったんだかよくわからないですけど、聞きます。この島に留まり続けるべきか、島を出て戦火から逃げ続けるか、の返答ですよね」
「はい」
ドロテアさんは、山積みにされた本のうち二冊を横並びにする。そして、一冊を指差しながら話し始めた。
「この島に留まれば、所長さんが島で築いた人脈を活かせます。対帝国戦でどれほどそれが活きるかどうか、帝国の戦力を知らないわたしにはなんとも言えません」
「まぁ侯爵が出てきたら終わりですね。手始めに地震と津波がやってきて、都市機能と船が全部ぶっ壊されます。侯爵だと樹人の【森】も燃やすことができますし、仮に遺恨を断ってツェズリ島全土の戦力をぶつけても保ちません。遺跡を気にしなければ一日、気をつけても三日あれば更地になるかと」
「必ず死ぬ選択ですね。もう一つの逃げ続ける選択ですが、これはわたしが選びたい道です」
もう一冊の本を指差し、ドロテアさんは少し上擦ったような声で話した。
「わたしは自分が他人を傷つけるのは嫌ですが、他人同士が勝手に争い合っても知らんぷりします。火の粉が飛んでくるなら、跳ね除けるより逃げる方を選びます。所長さんと世界中あちこちを飛び回りながら、生きていくのも悪くないかと思います。でも、これじゃわたしのもう一つの夢が叶えられません」
「夢ですか」
「はい。子どもは二人か三人くらい欲しいですね。わたしはもう二十三だから二人くらいに抑えておいた方がいいかもしれませんね。集合住宅じゃなくて、小さくても一戸建てで、都心から離れていてもいいから静かな暮らしがしたいです。そして、子どもたちにはとびきりのなんでもできる未来や資産を用意してあげたいです」
「……夢というか人生設計じゃねーですか」
「夢ですよ。こんなもの叶うわけありません。子育ては大変でしょうし、ツェズリ都は特殊だから魔法使いを受け入れてくれるだけであって、今日から学んでもらおうとしている魔法を使ったお菓子作りを生業にする、なんて道は世界中どこでも通用するわけじゃありません。何より所長さんの言う帝国対世界の戦争が始まれば無理な話です。満足に愛情どころか食事もあげることのできない、その日その日戦火に怯えて我が子を抱えて逃げ暮らす毎日なんて、わたしは選びたくありません」
子どもっぽいと思えば妙に聡いドロテアさんらしい意見だ。というかこの女性俺より年上だったのか。
「じゃあ、どうするんです」
「こうしましょう」
テーブルに並べた二冊の本を置き去りに、まだまだ山積みになった本をドロテアさんは持ってきて俺に手渡した。
だが、ドロテアさんも半分持っている。お互いにこの重い本の山を持ち続けている状態だ。
「言いましたよね? 一緒に荷物背負ってくれるかって」
「……まぁ、言いましたが」
「ぶっ壊してやりましょうよ。わたしたち二人で魔法帝国の世界征服なんて子どもじみた真似、ぶん殴って止めてあげましょう」
「気持ちはありがたいですが、それができたら苦労はしませんよ……」
それこそ、この本の山の重みより重苦しい問題を帝国は抱えている。
「三百年、極北圏近くの人類が住めないはずの島に追いやられて、それでも生き永らえて、魔法技術を開花させて繁栄して、子々孫々に祖々代々の恨み憎しみを語り継いで、凝りに凝り固まった魔人たちの選民意識と復讐心は一朝一夕、たった二人だけでほぐれるような問題じゃありません。感情論で戦争するんですよ。馬鹿げてますが、だから止められない。天災起こせる幼児の集団が、魔法帝国の実態です」
それが、幼い頃から帝国の外を見て育った俺の――いや、叔父の意見だった。
あの人も祖国を守るため、祖国を止めようと必死だった。そして甥に殺されて死んだ。
「そこですよ」
暗澹たる気分に沈む俺と正反対に、明るい声で、しかし場違いなほどに凶悪に唇を吊り上げてドロテアさんは笑って俺の顔を見上げていた。
「今日話して確信しました。所長さんは、ああだこうだ言って、今も故郷の帝国を心配しています。大切な人を残しているんじゃないですか? 何かやり残したことがあるんじゃないですか? なら、勝ち取りに帰らなくっちゃいけませんよ」
「本場の魔人たちは天災起こせるんですよ? 何かできるわけが」
「できるできないかなんて知ったこっちゃありませんよ。わたしはあなたが失ったモノを取り戻すお手伝いをしたい。あなたがわたしの失ったモノを取り戻してくれたように」
「だから死ぬって」
「死んだように生きるくらいなら、生きるために死んじゃいまいしょうよ」
俺の言葉を次々と遮り、輝いた眼で――ギラついた眼でドロテアさんは破滅的な提案を投げかけてきた。
無難で慎ましい小さな幸せを望むだけの人生設計を夢物語だと一笑し、世界征服を企む悪の魔法帝国相手に飛んで火に入る虫だとわかって突っ込もうと、この女性は笑って言う。
その笑顔は、今年の冬の終わり頃に見たものとどこか似ていた。
「……すみませんドロテアさん。俺は、自分を買い被っていました。貴女の依頼を果たして、不要ないことを言ったあの日、俺は貴女に生きる気力を取り戻して欲しくて、それがどんな形であれ実現できていたのなら良いかと思っていました。でも、失敗していた。貴女はただ死に場所を探しているだけだった。……不甲斐なくて、申し訳ありません」
俺は渡された本の山を、ドロテアさんの手から全て取ろうとした。
だが彼女は抵抗し、バランスが崩れて様々な菓子の絵や写真が描かれた本が床に散らばる。
それでも、ドロテアさんは笑っていた。
「あはは。落としちゃいました」
「そうですね。止めましょうよ。死んだように生きることのどこが悪いんですか」
「良し悪しの問題じゃありません。好き嫌いのお話です。それから、あなたがくれた言葉を何度だって返してやります。『失ったモノは戻らない。時間と忘れることだけが癒しだ』って。回収して取り戻したモノは、あの時手にしていたモノじゃなくなっているんです」
「ならなおさら、故郷に帰って取り戻せるものなんてない。ドロテアさん、後生ですから俺のことはもう、気にしないでください」
「ねえ所長さん。気づいていますか? あなたはなぜわたしをそんなに大切にしてくれるのか、って」
「そりゃ」
言葉が喉につっかえた。
でも、飲み下さずに吐き出した。
「貴女が好きだからなんじゃないですかね」
「断定しましょうよ、しょうがない男性ですねホントに」
くすりと笑みの形が変わり、ドロテアさんは床に落ちた本を一冊ずつ拾い上げて行く。
「所長さんはね。【回収屋】でも、ましてやハゲタカでも無かったんですよ。あなたがこの稼業を始めたきっかけをわたしは知りません。でも少なくとも、わたしと出会った時のあなたはもう変わってしまっていた」
「ご冗談を。今日も見たでしょう? 俺がハゲタカだってわかった途端、みんなドン引きです。嫌われ者の疎われ者、薄汚い屍肉漁りが俺です」
「みんながそう言っても、わたしはハゲタカではないあなたを知っています。あなたは、失って取り戻せないものは、新しいナニかで埋め合わせしようとしている、不器用な魔法使いです」
ドロテアさんは拾い上げきった本の山を、再び俺に突きつけた。
「失ったモノは取り戻せない。わたしが殺した方々も生き返らない。でも、わたしはこんなわたしを想ってくれるあなたと出会って、昨日のことなんか『それはそれとして』って考えられるようになりました。あなたと一緒に迎える明日が楽しみで仕方なくなったんです」
「でも俺の昨日に、ドロテアさんの明日を巻き込むわけにはいきませんよ」
「あなたが囚われているのは昨日なんかじゃありませんよ。怖い明日に怯えているだけです。失うどころか、何も決まってなんかいません。取り戻すんじゃなくて、掴み取りましょう。わたしたち二人で」
そうなのだろうか。
頭の中では、おぼろげに忘れていく過去とぼんやりと思い描く未来の境目なんて曖昧だ。
俺は故郷に未練を残しているのか、祖国を守りたいのかなんて自分でもわからない。
俺は他人の失ったモノを取り戻したかったのか、別のモノを手渡してごまかしたかったのかなんてわからない。
でも、一つだけわかっていることがある。
それは、本の山を抱えて重そうにしているドロテアさんが目の前にいて、そんな状況を作ったのは俺のせいだということだ。
俺の負けだ。
「わかりましたよ。……俺も、ドロテアさんに振り回される毎日は中々楽しいですから」
「はい、お任せくださいね」
ドロテアさんの手に触れて、俺たちは本の山をまた一緒に抱えた。




