第五話 3:反転する砂時計
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午前中の俺は、着せ替え人形扱いだった。
「所長さんって、なんかこうバシッと決まるわけじゃないんですけど、何着ても無難なんですよね……」
難しい顔であれこれ着せられ、あっちの紳士服店に連れていかれたと思えばこっちの古着屋に引っ張り込まれ、間違いなく今までの生涯で一番色々な服を着させられた時間であった。
俺はもうお腹いっぱいで買わされた服の紙袋は既に四つにもなるのだが、ドロテアさんは納得しがたい不満足そのものなお顔で、煮込んだ赤ワインソースのスパゲティをもぐもぐしている。
スーツ姿に着替えさせられた俺は、チキンサンドを手に取りながら言った。
「昔同じことを叔父に言われて褒められましたよ」
「それって褒めているんですか?」
軽食屋でテーブルを向かい合わせに昼食を摂りつつ、思い通りにならず不機嫌なドロテアさんをなだめるというか、正直に過去のお話をした。
「目立ちすぎず、存在感が無いわけでもなく、でも記憶にあまり残りにくい背格好や顔立ちは一つの才能だと言われました」
「……ええと、一応所長さんって貴族のお家のお生まれなんですよね? それでいいんですか?」
「俺が子爵邸で育ったのは三つ四つ頃まで。その後は分家の叔父に引き取られて、魔力量が少ないなりの魔法の使い方を仕込まれました。叔父も俺と同じで生まれついて保有魔力量が子爵級としては非常に少なかったので。で、国外の情報収集やちょっとした工作をする諜報の仕事を継がされる予定だったんですよ」
「…………ちょっと待ってくださいね?」
なぜか会話を止めるという宣言をしてから、ドロテアさんは心ここに在らずという面持ちでスパゲティを作業的に口にし始めた。
何か考えていることは一目瞭然である。今日何十回目かわからない嫌な予感がしつつも、俺も黙々とチキンサンドを腹に収めていく。
二人ほぼ同時に食事を終え、ドロテアさんは食後の薬草茶を、俺は珈琲を口にする。
ドロテアさんはカップに口をつけた途端にますます不機嫌な顔つきになった。
「……香りもほとんどしないし、これは色のついたお湯ですね」
「それは残念」
「所長さん、昨夜わたしがお出しした薬草茶はどうでしたか? よく眠れる作用のある調合をしたつもりなんですけど」
ほう、そんな気遣いをされていたのか。ドロテアさんはおっかない女性だが、細かい所で不言実行に相手を労わる心遣いができる人間でもある。
「それはありがとうございました。おかげさまでよく眠れました」
「いえ、そういう他人行儀なお礼は構いません。味や香りのお話です」
「え……? ああ……暖かいものは、腹に沁みるなって」
「ぶちギレますよ?」
「おわっ?」
ドロテアさんらしからぬ乱暴な言葉遣いに、思わず変な声が出た。
真っ赤なソースに染まったフォークを俺の方へと向け、ドロテアさんはやっぱり笑顔のまま怒気の孕んだ静かな暗い声で語りかけてくる。
「薬草茶ってクセが強くて飲めない人も多い調合もあるんですよ? 所長さんは平気なんだなーって昨夜は思ってましたけど……考えてみれば、所長さん食事は大体チキンサンドと珈琲ばかりですよね?」
「いや、たまに野菜スープくらいは……栄養的に」
「味とか、好みとかで、食事を決めないんですか?」
「……ええと、その……」
正直なところ、俺は食事に関しては栄養や利便性だけで考えている。珈琲は趣味と言えば趣味だが、豆も挽きも焙煎も抽出方法もどうでもいい。
酒も酔わないように肉体強化魔法の一種を使い、アルコールを早期に中和、分解してしまう。使わなければ酔えるが、俺はどうも悪酔いしかできないようなので、好んで飲むことはない。
チキンサンドは片手を空けてながら食べができるし、栄養的にも野菜が適度に挟んであれば問題なく、値段も適当だから選んでいるだけで、執着心はとくにない。
この思考をそのまま正直に言えば、おそらく話が拗れる。
だが、俺が食事に興味が無いのは、いや選り好みすることを忌避している理由はいくらドロテアさんにでも言えない話だ。真実はボカして話すしかない。
「て、帝国の貴族は……美食主義者が多くて、諜報役の俺は逆に、泥水啜ってでも生きて帰るのが任務だったわけで……味覚が鈍ったと言いますか」
「今は好きなように生きて、好きなものを食べていいじゃないですか。前々から思っていたんですけど、所長さんってご趣味あります?」
「……新聞読んだりラジオ聞いたりはしますけど」
「それ、情報収集の一環ですよね? 世界情勢が気になっているだけですよね? そういうのじゃなくて、好んで読む下世話な雑誌とか小説とか、スポーツで贔屓のチームや選手とか、感心はしませんが賭け事とか。そういうのないんですか?」
「…………いや。いやいや。知らないわけじゃないですよ? 回収屋として、一見くだらないガラクタに見えるものでも、大事な形見の品に成り得ることがあるわけですから」
「――――はぁーーーっ…………」
平人はここまで、心底呆れたというため息を肺の中いっぱいの空気を吐き出して表現できるのかと、感心するくらいにドロテアさんは自分のこめかみに指を当てて、苛々していた。
そして目を開くと、こめかみに当てていた指で俺を差す。
「所長さんって仕事人間ですよね。聞けばご郷里のことも、未だに気にしていらっしゃるようですし。それに、このツェズリ島で冒険者をやっていた期間、諜報員として潜り込んで情報収集と人脈を作っていたと解釈できることに、自分でお気づきですか?」
「いや。いやいやいや。まさか。俺は嫌われ者の回収屋、屍肉漁りのハゲタカですよ? 人脈や信用なんて」
「この島で指折りの【狩人】アトラさん。多くの弟子を抱えるズゥクジャーン師。地元の樹人に恩を売って、新米冒険者の面倒も見て、わたしみたいな技師の腕以外は性格が最悪なバカ女を拾う。さてこの行動のどこに、所長さんの利がありますか? 帝国にとっては利と成り得る要素はたくさんありますが」
魔力切れが起こった時のような、視界が真っ暗になったような錯覚。地面、いや床が泥になったかのような、不安定な感覚。
今さっき胃袋に入れたチキンサンドが喉元までせり上がってきて、肉体操作魔法を起動して嘔吐はなんとか避けた。
いつのまにか、手をついたテーブルの上には雫の玉が一つ二つ落ちている。それが自分の汗だと気づいたのは、額から顎を伝う感覚が戻ってきたからだ。
「ち、違い……ますよ。お、俺は、そんな、そんなつもりじゃ……」
「はい、知っています。今わたしが口にした所長さんがこの島で結んできた信頼の絆は、ただ単に所長さんがお人好しなせいで結果的に出来たものです。そんな計算づくのものじゃありません」
ヤバい。今まで怪しい新興宗教や妙ちくりんな政治主義に足のつま先から頭のてっぺんまでどっぷり浸かってしまい、周囲に傍迷惑な行動を取る人間のことなどまるでわからなかったが、今、心ではなく本能で理解した。
己を己たらしめているもの。俺にとっては、故郷と肉親に対する憎悪。それを根っこから引っこ抜かれて、目の前に晒され、別の土壌に植え替えるような言葉を囁いて、考え方を改めさせる。
ドロテアさんが今俺にやってみせたのは、そういう行為だ。俺がお人好しだと言いくるめるのも含めて、俺は思考操作されている。
「所長さん、こちらを見てください」
ドロテアさんはバッグから化粧用の手鏡を取り出して、俺の顔を映した。
そこには、脂汗を垂らしながら猜疑心たっぷりに己を見つめる男の姿があった。
「自分に正直に生きましょうよ。今まで誰からも教えてもらえなかったのなら、今日わたしが教えますから」
優しい声色でドロテアさんは俺に話しかけ、ハンカチで汗を拭いてくれた。




