第五話 ハゲタカの休日(あるいは閉店準備)
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がちゃりっ、とドアの鍵が開けられる音で目が覚めた。
寝袋を置いている倉庫部屋に窓は無い。いつだって真っ暗闇で、時間感覚が無くなってよく眠れる。
どうやらドロテアさんが出勤してくる時間まで寝ていた――いや、今日は休みだ。いやいや、休日なんて生やさしい代物で済まされなくなっていた。
俺は寝袋の中で、二度寝したくなった。
「所長さ~ん? 朝ですよ~? いらっしゃるのは熱源観測すればわかるんですから、観念してくださいね~?」
ドロテアさんのねっとりとした甘い声色が部屋の向こうから聞こえる。
恐ろしいが、彼女との約束を破る方がもっと恐ろしい。何をどこまで本気でやるか全く予想がつかないからあの女性は怖い。
寝袋から這い出た俺は、倉庫の横開きのドアを引いてよろめきながら書斎兼客室に顔を出した。
来客用のソファに座るドロテアさんは、いつものなぜか妙に艶っぽい事務員らしいブラウス姿ではなく、萌黄色のワンピースに黒髪を結い上げてその柔らかい印象に合う薄いメイクで、にこにこ笑顔になって俺を見上げた。
「まぁ所長さん。酷いお姿。臭いも正直……昨夜、帰ってからすぐに寝て今起きた、といったところですね?」
「……ういっす。泥のように……眠っていました」
「とにかく身体洗ってきてください。そんな状態で初デートなんて、わたし許しませんよ?」
どこまでも張りついたような笑顔が怖い。これが丸一日続くのかと思うと、始まった今この瞬間から既にして気が重い。
だが昨夜、ドロテアさんに俺の故郷である帝国の事情を話し、彼女の意志をたずねたら返ってきた言葉は
『明日わたしとデートしてください。それから決めます』
という有無も言わさぬ、今と同じ笑顔だった。
「……じゃあちょっくら共同水場に行ってくるんで、待っててもらえますかね……」
「あ、所長さん。これ持っていてください」
ドロテアさんはソファに置いていた小ぶりのバッグから、不似合いな代物を引っ張り出してきた。
様々な色のインクで複雑な紋様が描かれた、木片の札。
法式札である。
「定期的に物理世界に影響しない程度の式を発信していて、わたしの持っている物と対になっています。わたしのは受信用ですね。持ったままでいればもちろん、どこかに放置したり壊せば……どちらにせよこの札の位置や状況は把握できるので、後は言わなくてもわかりますよね?」
「……はい。受け取ります」
「よろしい」
満足そうにドロテアさんはうなずいた。『逃げたらお前わかってんだろうな』という声にならぬ声が、手に取った法式札から伝わってくる。
俺は倉庫からタオルや替えの下着、ズボンにワイシャツなどを持ち出して事務所から出た。
【廃溜通り】などと呼ばれていても、一応人間は住んでいるわけで洗濯やトイレなどのための共同水場が事務所の近くにはある。
共同水場の中には一応、おんぼろで天井もない排水溝が供えられた個室施設が設置されており、井戸から汲んだ水を共同バケツで運び込んで良い。
俺は日々の洗濯物は専門業者に頼んでいるが、ここでタライを持ち込んで洗濯をしている連中の姿も多く、個室も使わず太陽の下で隠すことなく行水している剛の者もいる。
一応俺は個室に入り、バケツに汲んだ水を熱量操作魔法で適温の湯にしてから行水を始めた。
なぜ、こんなことになったのだろうか。
女の考えることはわからない、という一般論で片付けてしまうのが一番だとも思う。考えても無駄なことは諦めて受け入れるのも、処世術として間違ってはいない。
そもそも、ドロテアさんに関しては俺が一方的に悪い。全面的に悪い。言い訳の余地無くとにかく悪い。
俺は、依頼人として現れたドロテアさんに対して仕事を終えた後、何も知らないフリをして放置しても良かった。
俺は、押しかけ事務員として現れたドロテアさんを力づくでも道理で説き伏せてもなんでも、雇用せず放り出しても良かった。
俺は、どんなにドロテアさんに誘惑されようとなじられようと、無視して過去のこともこれからのことも話さなくても良かった。
そういう権利と選択がある中で、俺はドロテアさんに死んでほしくないと口説き落とし、事務員として頼り、甘ったれて寄りかかった。ならば相応のツケは払わねばならない。これは男としてどうかという以前に、人間としての責任問題だ。
だが、なぜデートなのだ。俺の質問は「帝国対世界という情勢を考えて、今後の身の振り方を決めたい」だったはずだ。時間的猶予はある――というより、俺やドロテアさん二人が何をやったところで無駄な現実問題なので、デートを楽しむ余裕くらいはあると言えばあるのだが。
というか、デートって何をすればいいんだ?
髪をわしゃわしゃやりながら、ようやくその恐ろしい事実に気がついた。
一応、十代の頃にそういう知識は任務に必要なので教えられたことがあるし、実践してみたこともある。だが十代のガキに求められるデートプランと、二十代のそれとは絶対全く完全に別物だということだけはわかる。それしかわからないとも言う。
幸か不幸か、このツェズリ都は栄えており娯楽施設には事欠かない。余裕のある冒険者の姿も多く、そういう場所で繋がりを持つ連中も多いようだ。
だが、どこに行って何をすればいい?
俺は別に格好をつけたいわけではない。ドロテアさんをばっちりエスコートして心を掴みたいわけではない。そういうわけではないのにデートというのも変だが、ドロテアさんが言い出したことなので仕方なく付き合わなければいけないだけの話だ。
そう、つまるところ、今日行われるデートとやらは、その実ドロテアさんが圧倒的主導権を握る独壇場なのだ。
どのように料理されてもおかしくない。
恐怖しかない。




