第四話 7:ありふれた歴史
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背嚢から取り出した物は、襤褸布で包んだうえで一抱えもある歪な形状をしていた。
俺は布を払い、焚き火の横に置く。
「牙人ノ頭蓋骨カ」
ズゥクジャーン師が口元に指を当てて神妙な声で説明してくれた。
「そう、今日未明にアンタら樹人と戦って死んだ牙人だ。俺が焼いてもう骨だけになっちまったがな」
「それがどうしたというのだハゲタカよ。此奴は強かった。生け捕りなどできなかった。本気で殺さねば、こちらの祖霊たちが、仲間たちが傷つき殺された。我々に咎があると?」
「無ーよ。でもな、聞いてほしいんだ。アンタらが言う『人間社会』ってー概念で、牙人がどう扱われているかってことを」
それこそ、ドロテアさんの言うような『善良な小市民』は忘れて久しいであろう歴史の話を、俺は始めた。
「牙人はな。かつてはそこの鱗人と双肩する『地上最強の人種』と言われていたんだ。どちらも生まれ持って屈強で頑強で巨躯い。オマケに好戦的で武術を鍛錬するのが大好き。ここらへんは、ズゥクジャーン師の方が詳しいんじゃねーか?」
「ウム。牙人は鱗人ノ好敵手だッタ。我ラ鱗人は、己ノ肉体と自ラ造ッタ武器のみデ戦うコトヲ尊ブ。だが牙人は平人ノ武器ヲ奪い、平人ヲ暴力デ隷属さセ、平人ノ育んだ作物ヤ家畜ヲ略奪し、平人ヲ喰らッタ」
「だが、実は牙人も常に俺たち平人を襲っていたわけじゃない。山林を主な棲み処にして、飢えたら平人をつまみ喰いする。そういう連中だったそうだ」
「それがどうしたというのだ」
「あのな。島の外にも、アンタたち以外にも樹人はあちこちの森や山林に棲んでいて【森】にしてんだよ。ようするに、牙人と生存圏が被っていたんだ」
「……島の外にも同胞がいるのか」
そんな基本的なことすら知らないのだから、この島の樹人は舐められているのだ。
大陸の樹人は小規模単位の【森】しか持たないが、もっと小賢しく、恐ろしい。
「今から大体五百年くらい前らしい。正確な記録が残っているわけじゃない。鎖国している帝国生まれの俺も他所者で、後から勉強したわけだから惨劇の痕を目にして育ったわけじゃない。でもな、調べればわかる話なんだ」
「いいから本題に入れ」
「樹人は牙人と何度も衝突していたんだよ。搦め手で排他的な樹人と、暴力と略奪を好む牙人が相容れられるはずがない。樹人は牙人のガキを攫って術で操り強化兵にして同士討ちさせるし、牙人は樹人の女子供を攫って嬲って喰うし、互いの憎悪は年月を重ねた分溜まって、遂に五百年ほど前に大きな飢饉が大陸を襲った」
「人種関係なく、ものすごい数の人間が死んだそうですよ。鱗人だけは元気一杯だったそうですけど……」
ドロテアさんが口を挟んできた。この中で唯一、大陸出身の平人である彼女は祖父母たちから連綿と聞かされてきた惨劇の物語を知っているのだろう。
鱗人の名前を出されたことで、ズゥクジャーン師も頷く。
「祖霊タチは今デモあの時代ノ戦ヲ悔い、ダガ矢張り同じ選択ヲするト告げてイル」
「何があったというのだ」
「樹人が鱗人に助けを乞いたんだよ。牙人の蹂躙で、山も森も喰い尽される。平人も吠人も寝人も滅ぼされる。鱗人の戦士が強き者を討ち倒し、弱き者を助けることを誉れとするのなら、今こそ牙人と全面戦争をしてくれってな」
「平人もその懇願に混じったそうですけどね」
事も無げにドロテアさんは俺の話に補則を入れた。
ズゥクジャーン師は、焚き火の傍に置かれた牙人の頭蓋骨を目を細めて見つめている。
「鱗人は、その声ヲ、弱キ者たちノ声ヲ、見過ごすコトはデきなカッタ。否。何ヨリ、好敵手タル牙人ト私闘では無イ正統ナル理由デ以っテ、戦イ、殺シ合イ、流血ノ禊ヲ行えル機会が訪れタコトに、喜ンダのだ」
「鱗人は腐って蛆が湧いた肉だろうが、黴の生えたパンだろうが、喰って平気な胃袋をしている。オマケに暖かい地域ならそれだけで元気一杯だ。一方で牙人は大喰らいで、だから略奪が当たり前になっていた。飢饉になった以上、食い物が無いのは何処も一緒で、牙人は飢えていた。そこを鱗人に襲われたんだ。勝てるはずねーよ」
「ハゲタカ殿。祖霊たちハ、それデモ牙人の戦士たちハ、勇敢ニ勇猛ニ戦っタノダと、それヲ平人にも知ッテ貰いタイのダと、ズゥクジャーンに告ゲタことがアル」
鱗人もまた、祖霊信仰を持つ種族だ。先ほどからズゥクジャーン師が言っているように、祖霊側から子孫に声をかけることもあるらしい。
平人が記した歴史と、鱗人にしか聞こえない祖霊の声と、どちらを信じるかは迷うところだ。
だが、歴史の真実はどうあれ牙人は鱗人に負けた。徹底的に負けた。虐殺だった。
「……ともかく、牙人は飢饉が収まる頃にはほんのわずかな生き残りのみが飢えるだけの種族になっていたらしい」
「……殺り過ぎたノダ。血ノ匂いニ酔イ、鱗人ハ過ちヲ犯シタ」
「だが、今現在牙人というこの種族は生きているではないか。確かに汝らが言うように、強き猛者だった。一歩も退かず、死ぬことをむしろ望むように力尽きるその瞬間まで戦い続けた。……恐ろしい相手だった」
樹人の男が称賛とも取れる言動をしたことに、俺は憂鬱な気分がさらに募った。
「死にたかったんだろうよ。本当に」
「なんだと?」
「五百年も前の、誰も真実がわからない祖先の犯した蹂躙と暴虐と略奪の贖罪を、子孫の牙人たちは今も背負わされてんだよ。あらゆる大陸で人権を認められていない人種、いや家畜が牙人だ」
「家畜……? なんだそれは。我ら樹人にはそのような文化はない」
「牛や馬、豚と同じ扱いなんだよ。計画的に殖やして、計画的に殺して、計画的に使い潰す。生きている道具だ。消耗品だ」
「なんだそれは……なんだそれは! それが人間のやることか! 人間とはそれほどまでに浅ましい生き物なのか! この、この戦士は……この戦士は、確かに敵だったが、同胞を傷つけたが、勇猛な死に様だったのだぞ!」
樹人の男は怒りを露わにし、立ち上がって俺たちを見下ろした。
俺はその、植物の根が額の皮の下で浮き出たような異様な顔を見上げて、牙人の頭蓋骨を見下ろした。
「だから言っているだろ。アンタら樹人も同じ人間だって。アンタら島の中にいる連中とは関係ない話だが、同種の樹人が牙人を家畜にしたも同然なんだって話なんだよコレは」
「そ、そうだ。我らを一緒にするな。我らが――」
「そうだな。でも五百年も前の話だ。罪を犯した樹人の子孫がこの島に訪れて【結界】を張ったのではないと本当に言い切れるのか?」
「それは……」
「そうでなくとも、本当に【森】を失いそうになった時、アンタらを『家畜』にしたい人間がたくさんいるこの島で、アンタら樹人は手段を選んでいられるか? アンタらは俺たち人間が怖いかもしれないけどな。俺も引きこもりで何考えてんのか何を知らないのかもさっぱりわからん樹人が怖ーよ」
【森】の外にいる樹人は、無敵ではない。
だが俺はそれでも樹人が怖い。魔力は平人より高く、魔法式の痕跡を見ることができる特別な眼を持ち、文化が違いすぎて話し合いが通じているのか怪しい樹人が怖い。
だから俺は目の前にいる男に危害を加えようなどとは微塵も思っていない。そんなことをすれば目の前の【森】が黙っていない。屍山血河はいくらでも増やせる機会があるのだ。
樹人の男は座り込んだ。
「それが……それが汝が我らに味方する理由か」
「ああ。ウチの馬鹿兄貴がな。別の国の樹人の話なんだがな。せっかく叔父さんが融和工作していたのに、火山噴火させて【森】燃やしちまってな。自然災害でーす、助けに来ましたーって恩を売ろうって作戦だったんだが、樹人にンなもん利くわけねーだろ。叔父さんは樹人を避難させるために焼け死んで、馬鹿兄貴は今でも帝国で反省せずに踏ん反り返っている。……そんなもん、何度も見たくねーよ」
故郷の話を、ましてや身内の話をこの島に来てから口にしたのは初めてだった。
俺が帝国を見限った事件に、今回の依頼は似ていた。
何かを取り戻すために【回収屋】をやっているのなら、あのオーロラが揺蕩う空の下で失ったモノを取り返すために、燃え盛る山と森を見るだけで何もできなかった無力なあの頃の自分自身を変えるために、俺はこの稼業をやっているのかもしれない。




