第四話 3:愚者と隠者
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寒い。
当然だ。季節はまだ夏を迎えていない。そのうえ一日で一番気温が下がるのが夜明け前だ。
既に太陽は登り始めているのだが【森】の中ではどうせ日光は覆い茂る木々の葉で遮られる。年がら年中そんな感じなので地面からの放射熱も無く、外套を脱いで部屋着姿に等しいこの身が凍えるのは仕方のない話だった。いや真冬だったら冗談抜きで死んでいるぞコレ。
敵対意志は見せないために魔法は使っていないつもりだったのだが、どうやら俺は今まで【森】の外で無意識に自分周辺の空気だけ温めていたらしい。魔法が使えなくなった途端、『寒い』という感覚自体をここ数年まともに味わっていないことを思い出した。
「裸になった気分はどうだ? 魔法使い」
「ああ……珍しい体験、あ、ありがとうよ……」
暗い森の奥に入った俺を出迎えた男は、自分の肩を抱きガタガタと震えるみっともない平人を嘲弄の目で見下ろしていた。割と本気でぐうの音も出ない有様なので怒る気力も出てこない。
腐葉土のむせ返るような匂いに、暗闇、そして考える力を奪う気温は下手な迷宮の罠より悪辣で強烈だ。
真夜中のように暗い森の中で悠々と歩み出てきた男は、見た目には四~五十代頃に見える。葉が覆い茂る外套を身に纏っており、一見すると平人と区別がつかない。
だが、背中から放射状に延びる枝葉が外套の一部ではないことを俺は知っている。
「さっそくだが、こちらの意向を率直に伝えよう。今回の件を人間たちに抗議するうえにおいて、汝は人間社会で我ら樹人の益となるか? 味方となるのか?」
「益にはならない。俺は嫌われ者の【回収屋】だ。だが味方になるつもりでここに来た」
凍える空気は喉をひりつかせる。それでも、俺は淀み無く男の目を見て言ってのけた。
その後、くしゃみが出て鼻水を啜ったのは勘弁してほしい。いや本当にこれ辛い。どれだけ気温調整魔法に今まで頼っていたのか思い知らされる。
男は相変わらず俺を嘲りの目で見下ろしていたが、そこにはどこか親しみが込められた……ように思いたい。信じたい。正直仕事をとっとと終わらせて風呂屋に行きたい。
そんな情けない俺から視線を外し、ツェズリ都がある南側の方角に向かって男は鋭い視線を投げつけた。
「人間社会は意味がわからない。フォレスは樹人に対して生涯全面的に味方すると盟約を立てた。そして奴は人間社会の長になったらしいではないか。なのに、この有様はどうだ?」
「そう言われても、俺は健常で日常なこの【森】の姿を知らないんでね。実際、どんくらい被害が出たんだ?」
「貴様ら人間に言ってもわかるまい」
「俺もアンタも同じ人間だろうが。平人と樹人って違いはあってもよ」
「定命たる者、魔の真髄も知らず弄ぶ愚者、盟約を違える裏切り者。そのような者たちと我ら樹人が同じだと?」
「アンタら樹人は先祖代々の【森】と一体化して擬似的に生まれ変わっているだけで、一個体としては寿命があるだろうが。魔に関しても【森】の魔力と霊脈を自在に使えるから無敵なだけで、【森】から出れば俺たちと平人と大差はない。ご先祖様の御威光だけで威張ってんじゃねぇぞ、引きこもり種族どもが」
ああ、調子が出てきた。『自分は強い』と勘違いした大馬鹿野郎を相手にすると、怒りで腹の奥から熱が煮えたぎる。
眉根を寄せる男を、俺は指差した。
「この島が拓かれて何十年経っているかわかってんのか? 【森】の中でこのまま何百年とうずくまって、今まで通りの暮らしができると思ってんなら大間違いだ。早晩この島全土が消し飛んでもおかしくないんだぜ」
「……汝は我らに味方すると言ったが、翻すのか?」
「はぁ? 忠言と助言と世迷言の区別もつかねぇってのか? 頭にキノコでも湧いてんのか?」
「森の外では礼節を払い、森の中では挑発と愚弄を行う……逆だろう。汝は、やはり人間は理解不可能だ」
「わけわかんねー連中だからってビビってんのか? 頭引っ込んでいりゃ俺らみたいなバカな人間は寿命で死んでそのうちなんとかなるとか思ってんのか? 何度でも言うがな、アンタら甘いよ。そんなんだから河に【森】の一部削られたんじゃねーか」
足下を何かが過ぎ去った。
体勢を崩した俺は、腐葉土に頭から突っ込んだ。反射的に顔を上げると、硬質な樹皮に覆われた、錐のような形状の植物の芽が地面から生えて喉元に突きつけられた。
男は唇をわななかせて、背中から伸びた枝葉を腐葉土に突き刺していた。
「人間の汝でもわかりやすいように命の危険を教えてやった」
「ああ、空気と一緒に取り込ませて肺を冒す胞子でも、樹木を活性化させて俺の周りの酸素濃度を異常に上げても、簡単にブチ殺せる虫ケラだもんな。ンなこた先刻承知でわざわざ腹ン中来てやったんだよこのクソ寒い中な」
「…………汝は、昨夜【森】に訪れた愚者どもに比べて知識はある。知恵もある。だが言動と振る舞いがあやつら以上に無謀に過ぎる。無知故に蛮勇なのではなく、知ったうえでなぜ我らを愚弄する。意味がわからない。これが同じ平人なのか?」
「だから、アンタも俺も同じ人間だって言ってんだろうが。今のアンタも大概混乱ンなって最高にウケる顔ァしてやがるぜ」
男は、目を閉じた。
俺はあからさまな脅しにも馬鹿馬鹿しくなって起き上がり、腐葉土の上に座り込んだ。尻から湿気と一緒に冷気が腹に響いて地味に辛いなこれ。
男が何をしているのか、俺は知っている。だから黙って待っていた。
樹人は背中から枝だか蔓だかよくわからない器官を生やした、それ以外は外観上平人に酷似した人種だ。
この背中から生えた枝葉は【樹羽】と呼ばれており、生まれ育った【森】の土地や草木に触れることで、自身の霊脈と周囲の植物の霊脈との交信が可能になる。
それを部族単位で行えば、部族全体と意思共有がたやすく行える。そして肉体が死んでも霊脈を樹木に埋め込むことで【森】と一体化して子孫を見守ることができる。なんなら特定の霊脈を妊娠中の母親が胎児に移すことによって、擬似的な転生すらできる。
木々もいずれは個体としては死ぬが【森】全体で霊脈を移していけば、故人の霊は死ぬことなくずっと在り続けることができるという。
結果が異常な魔力量を保有した【森】という樹人の巣だ。彼らは生まれ育った【森】では祖霊たちに守られて無敵に近く、個人個人の意志共有もしやすいので争いも起こり辛い。そもそも個人意志自体が希薄な傾向にある種族なのだ。
ようするに、今俺の目の前にいる男はたった一人のように見えて、この【森】そのものと話しているのとあまり大差はない。現状、俺の処遇を巡って他の個体や祖霊たちと脳内で話し合いをしているのだろう。
「実際、どれくらい被害が出たんだよ」
だが待ち疲れて、俺はもう一度男にたずねた。
樹人の生死の概念は確かに他の人間と違う。だが【森】を構成する木々一本一本に祖霊が宿っており情報交換の根となっているため、木を一本伐られるだけで人間社会で考えれば歴史的損失と虐殺を同時に行っていると翻訳はできる。
実際のところ、失ったモノの大きさは彼らにしかわからない感覚なのだろうが。
「……人間は恐ろしいな。汝にもわかりやすく例えると、奴らめ、病気を撒き散らしおった」
「なるほど。直接一本一本の木々を狙うんじゃなくて、弱った木を保つために【森】全体の体力を減らすよう仕向けて機能不全を起こす作戦か」
「汝、理解が早いな。今回の襲撃に関わっていると疑いたいところだ」
俺を睨みつけてくるが、今更疑いをかけられて怯えるのなら最初から相手の腹の中に飛び込まない。いい加減そろそろ学習してほしい。
だから俺はもう少し丁寧に状況を解説してやった。
「あー、確かにそうなるな。【森】を弱らせて、困った樹人に手を差し伸べて政治的主導権を握る。実際そういう計画なんじゃねーのかこれ? アンタら、助けに来た人間が腹の底で悪意を抱いているか、単にお人好しの阿呆なのか見分けつかねーだろ? どっちの人間だったとしても利用するとかいう腹芸もできんだろ? 俺の処遇に困っているのが何よりの証明だ」
「なるほど。確かに汝は益にはならないが、味方にはなる。敵対するのならば、そのようなことを口にする必要もないゆえに」
「この程度で信用するなら、ガキより嘲弄いけどな」
男の顔が苦々しいものになる。
会話の主導権はどうやら俺に向いたようだ。そろそろカードを切る頃合である。
「交換条件だ。俺の力じゃ、悪いが今回【森】に病気撒き散らかしたクソ野郎を裁くどころか、尻尾を掴むことだって難しい。実際に行動した冒険者どもはただの馬鹿だから、あいつらシメたって無駄だ。
だが、今ならまだ間に合う。俺の信用できる人間をこの事件の『第一発見者』にして、あいつらに樹人を助ける英雄を演ってもらう。ようは相手のやろうとしていることを先に横からかっさらうって話だ」
我ながらハゲタカというよりトンビみたいな計画である。
だが、俺にできることと言ったらこれくらいしかない。俺は嫌われ者の【回収屋】なので、俺が助けたところで意味が無いのだ。人徳を持っている奴が助けなければ、人間社会というものは動かない。
樹人の男は俺を睨み続けている。
「汝の紹介する人間は、信用するに足り得るのか?」
「さあ? アンタら次第だ」
「……わかった。平人にこの秘術を使うのはフォレス以来だが、行おう」
「あ?」
男は何かを決断したかのように樹羽を腐葉土に突き刺し、周囲の木々に絡ませ、俺に向かって腕を伸ばした。
なんだ、何をしようとしている。霊脈を活性化させて魔法式を観測しても、式が見えない。これは魔法じゃない。だが霊脈と魔力を用いた何かをしようとしている。
魔法使いの俺が知らない、未知の技術が行使されようとしている。




