第四話 血河のほとりにて
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どんどん、という音がする。
やめろ、攻撃は必要ない。叔父さんの工作は上手くいっている。樹人は魔法式の痕跡を辿れる。魔法攻撃をしたら、取り返しがつかないことになる。
どんどん、という音がする。
やめてくれ、叔父さん。冗談だろ。アンタ帝国を裏切るのか。違うのか。どっちみちそんなことしたら叔父さん死ぬだろ。やめてくれよ。
どんどん、という音がする。
火山の爆発。オーロラが浮かぶ凍てつく寒空を、灼熱の溶岩が焼く。黒煙が星空を覆い隠す。流れる血のように山肌を紅い濁流が落ちてゆく。
どんどん、という音がする。
噴火は終わらない。山を囲うように鬱蒼と茂る森が燃えてゆく。もうだめだ。おしまいだ。北海同盟と築き上げた信頼も、叔父さんの命も。
どんどん、という音がノックなのだと気づき、俺は目が覚めた。
「うるせぇ! 今何時だと思ってンだ馬鹿野郎!」
夢の余韻と、口にした事実が寝起きの頭に沸騰した血を上らせていた。
倉庫兼寝室にしている事務所の照明は落としている。真っ暗闇だ。夜は寝るものだ。あんなに煌々と照らす溶岩の明りなんてなければ――ああ、まだ寝ぼけている。
手探りで熱源起動式のカンテラを取り、俺は熱量操作魔法で明りを灯した。
寝袋から這い出し、まだノックをしている玄関へとふらついた足取りで向かう。
「緊急案件ですかぁ!?」
「はい。ハゲタカさんご指名で緊急依頼が来てますよ」
「くっそ寝覚めが悪ィ!」
ドアの向こうから聞こえてきたのは、聞き覚えのある女の子の声だった。彼女はただのお使いであって、俺が怒りを向けても仕方ないというのがこれまた腹が立つ。
急いで寝巻きからズボンとシャツに着替え、出撃用の簡易装備を身に着けて行く。腰鞄とホルスターをベルトで締め、シャツにも同じようにホルスター付きのサスペンダーを着け、必要な装備一式を常に内ポケットに満載している火蜥蜴の革製外套をコート掛けから乱暴に剥ぎ取って身に纏う。
「お待たせしゃーした」
「では、まずはウチの電話で依頼人さんとお話ください」
目の前にいるのはカンテラの灯りを鋭い瞳孔で反射する、全身を被毛で覆った立ち三角耳が特徴的な、寝人の女の子だった。
夜行性習慣の多い寝人にとって、真夜中は一番元気な時間だ。カラスが着ているようなゆったりとした東方衣装ではなく、太股にやたらと強烈なスリットが入った娼婦寸前のタイトな東方衣装を着ており、種族が同じ平人だったのならかなり心配する姿である。
でも見た目通りに猫と同じような特徴を持つ寝人は夜の王だ。【廃溜通り】を夜中に一人歩きさせても、彼女を襲える人種はそうそういない。
彼女は俺に電話の通知先を書いたメモを握らせた。肉球がぷにぷにしてちょっと心が安らぐ。
「呼び出しご苦労さん。それじゃ、俺は先に診療所に行かせてもらう」
「こちらこそ、夜分遅く失礼しました」
それを最初に言うべきなのではないかと思うのだが、俺はもう玄関の鍵を閉めると、階段の吹き抜けめがけてジャンプし、気流操作魔法で夜の町を飛翔した。
高速で抜けていく町並みを横目に、着地したのは『桃ちゃん診療所』と冗談みたいな看板が掲げられたコンクリート製の建物である。
両開きのドアを開け、俺は一応店主に声をかけておく。
「桃ちゃん先生! ハゲタカ、依頼の件で電話借りますよ!」
返事は無かったが、気にしない。店主の医者は平人なので先生も寝ている可能性はある。
俺は受付カウンターに置いている電話の受話器を取り、交換手の呼び出しボタンを押した。
この【廃溜通り】で電話を引いているような物好きの高給取りは限られており、俺みたいな弱小事務所は桃ちゃん診療所の電話を借りている。中央区に行っても、電話回線の契約料金の高さから幾つかの店や個人が金を出し合って、共同で使っている場合も多い。
交換手はすぐに出た。二十四時間交代制で働いている職場のはずなので、夜中に電話を使う人間が少ない分待ち時間に焦らされなかったのは幸いである。
「北区▲▲―●●―■■に繋いでください」
「はい、承りました。少々お待ちください」
交換手が回線を繋ぎ直し、待ち受け音が受話器から漏れる。
すぐに受話器は取られ、焦ったような男の声が耳元で殴りつけるように聞こえてきた。
『ハゲタカか!?』
「はいこちらハゲタカ遺失物回収屋です。依頼人様、申し訳ありませんがウチは書面での契約形式を取っており、電話のみでの依頼受付はしておりません」
『知ってるよ! だからとっとと書類持ってここ来てくれ! 一刻一秒を争うんだよ!」
「ならそう始めに診療所の受付嬢に言っておいてください。私も依頼人様もこれで貴重な時間を浪費しました」
『嫌味はいいからとっとと来やがれ!』
がちゃんっ、と乱暴に受話器が置かれる音が聞こえた。
俺は受話器の向こうの依頼人に中指を立てた。夜中に人を起こしておいて、段取りが悪いとは相当混乱して緊急案件のようだ。命からがら迷宮から逃げてきて、即座に遺失物回収を頼んだ――よほど持ち逃げされたくないものを置いてきてしまったと考えるべきだろう。
北区の宿屋というあたりからして、中央区に入り口があり冒険者ギルド本部を通らなければ出入りができないツェズリの大迷宮ではなく、街の外の遺跡や迷宮でしくじったといったところか。それならば、ギルドの介入余地が無いので拾った者の早い者勝ちである以上、焦る気持ちもわかる。
「ドロテアさんに書き置き一つでも残しておくべきだったか……」
まぁ、ウチの自慢の出来る事務員だ。朝に出勤してきて、事務所がもぬけの殻だったのならまずこの診療所に来て事情を伺うだろう。
俺は万年筆とメモ用紙を取り出し「ハゲタカからドロテアさんへ。本日緊急案件により出かけます。丸ニ日連絡が無い場合、アトラを頼るように」と書いて電話機に挟み、診療所を飛び出した。
今回電話をかけるシーンが存在しますが、本作の文化レベルイメージは19世紀末~20世紀初頭あたりなので、交換手さんを経由する電話として描写させていただきました。
知らない方へのために解説させていただきますが、電話が発明されてから数十年は、交換手さんたちが務める電話回線管理センターみたいな所にまず電話をかけ、その後人力で回線プラグを抜き差しすることで目的の電話機に電話をかける、という形式だったようです(私もwikipediaとかからの受け売りですのであまり詳しくはないです)。
本作の舞台は島で契約電話機の絶対量が少ないので、回線番号を伝えず直接電話機を置いている店舗名や個人家名を言っても繋がると思います。




