第一話 2:依頼、昼下がりに来たる
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事務所兼住居としている集合住宅の一室に、客がやってきたのは昼も大分過ぎた時間だった。
その時俺は迷宮の入り口や葬式屋にでも行って自ら客を捕まえるか、退屈な書類仕事を片付けながら客を待ち続けるのが良いか、迷っているようで実質ただ単にサボっていた。
コンコンッ
半分寝ていた意識がドアのノックで一気に覚醒する。万年筆に蓋をして胸ポケットに挿し、立ち上がりながら俺は声を上げた。
「はい、ただ今出ます」
ノックの音が途中で止む。ドアの向こうを反射的に熱源観測魔法で見ると、まばらな人影が写りこんだ。温度の高い箇所ほど赤く明るく、低い箇所ほど青く暗く見えるように設定している。
顔と手の部分だけがわずかに黄色く、他の部分の色は暗い。背の高さはさしたものではないので、おそらく貞淑な姿の婦人か顔色の悪い小男だろう。
ドアを開くと、はたしてそこには丈夫な革製のコートに身を包んだ、伏し目がちな平人の美人が立っていた。ただ、やけにくたびれた雰囲気をしているせいで、年齢が掴みにくい。
「ハゲタカ遺失物回収事務所にようこそ。どのような要件でございますか?」
慣れた営業文句が口から自動的に飛び出す。場合によっては新聞や宗教の勧誘ということもあるが、会話も戦争も先にやっちまって主導権を握ったものが勝つのだ。
女は少し呆けたように口を半開きにして、俺の頭頂部に少し視線をやった。ハゲタカの名に合わぬ毛量に戸惑っているのだろう。
「あ、いえすみません……。本当に……ハゲタカという名前の事務所なんですね……」
「事務所を立ち上げる前からのあだ名でしてね。通りがいいのでそのまま使わせてもらいました。さ、どうぞお入りください。お履物はこちらへ」
狭い玄関口且つ、いつでも相手が逃げられる場所で話を進めるのは商売人のやることではない。俺は外履きを置く場所と室内履きを指で指し示し、食器棚へと向かう。
「お客様は珈琲とお茶、どちらがよろしいですか?」
「いえ、その……お構いなく」
「ではお茶で。そちらのテーブルでお待ちください」
来客用に用意しているソファとテーブルのセットは、玄関から入ってすぐ二、三歩の距離なので見ればわかる。集合住宅の一室なので、とかく狭いのがこの事務所の難点だ。
俺は水差しから薬缶に水を注ぎ入れ、蓋を閉めると指先を薬缶の側面に当てて熱量操作魔法を起動する。
指先を払った瞬間に魔法が発動。ぼしゅっ、と水が一気に熱湯へと変わり薬缶の口から白々とした湯気が立ち昇る。
「見事な魔法式ですね……」
女の感心したような声が背中から聞こえてきた。俺はティーポットとカップに今し方沸騰させたばかりの熱湯を注ぎ入れ、器を暖める。
「発動速度、調整温度、自身の指を火傷させない起動手順、どれをとっても一流です。シンプルで洗練された綺麗な式……わたしが同じことをしても爆発させちゃうか、二~三分もかかっちゃうだけです……」
「芸は身を助けるといいます。己で式を組んだ魔法を使えるだけ上々でしょう。この街では自称魔法使いが多すぎてどうにも忘れがちですけれどもね」
世界でもっとも冒険者が多く集うと言われるこのツェズリ島では、様々な属性の魔法使いが掃いて捨てるほど居る。その腕前に関してはピンからキリまでだが。
この技術は当人の才能に著しく左右され、オマケに高度な術は覚えるのも使うのも金がかかる。本来絶対数が増え辛い技術のはずなのだ。
「法珠と魔法杖頼りの魔力貯蔵倉に、遺跡から発掘された得体の知れない道具で魔法もどきを使ったり、ごくごく基礎的で簡単な魔法を金で教えるだけでその危険性を教えない魔法使いもいますからね。お客様はその口ぶりですと、危険性を知って安全な運用を模索されている。俺はその姿勢こそが大事だと――いえ、説教じみましたね。申し訳ありません」
「いえ……」
茶を蒸らす段階になって、つい口が余計に滑ってしまった。客の女は見るからにうなだれ、消え入りそうな細い声で返事をするばかりである。
何かはわからないが痛い所を突いてしまったらしい。話題を変え、本題に入ることにした。
「それでお客様、ご用件はなんでしょうか?」
「あ、そうですね、すみません……。その、こちらでは……迷宮から帰らない人の、その、遺品などを……回収してくださるんですよね?」
「ええ。可能であれば。何せ治外法権の迷宮内です。あそこで遺失した物品は、誰か別の冒険者が発見し、回収すると基本的にその拾得者の所持品となります。そうなってしまった場合、わたくしどもの手ではどうしようもありません。回収の依頼は、未帰還からの日時が短ければ短いほど成功率が上がります」
これが俺の生業の【回収屋】である。
遺失文明の遺跡とされる迷宮はどこも非常に危険だ。ただただ深く潜って遭難することもあれば、侵入者を阻む罠で人為的に排除されることもある。迷宮内にしか生息しない固有種の生物【魔物】に襲われて骨となることも珍しくない。さらに治外法権であることと、一攫千金を狙うならず者の冒険者たちがかち合うことから、人間同士の殺し合いが行われる場所でもある。
そうして志半ばに死んだり、生命は拾っても装備品や収穫品を迷宮に置いたまま帰ってこざるを得なかった者たちが、俺のような【回収屋】に依頼することでそれら失ったものを少しでも取り返すのである。
まあ本当にどれだけ取り返せるかは時の運ではあるが。
「それでは、少し質問させていただきます。どうしても答えたくなければ答えずとも構いませんが、その情報が無い分回収成功確率が下がる恐れがあります。それを念頭に置いて、答えてください」
「は、はい」
俺はテーブルに常時置いてある回答用の書類を一枚手に取り、万年筆の蓋を開けた。相手に書き込んでもらうこともあるが、文盲の冒険者も数多いので自分で書くことにしている。
「あなたのお名前と捜索する人のお名前、そして未帰還となった迷宮を教えてください」
「わたしは……サリエです。探してほしいのは、わたしの仲間のロバートという男です。迷宮は【ギャリコの黒い森】」
「そのロバートさんの特徴を教えていただけますか? 背格好、年齢、顔の特徴や、迷宮に赴いた際の装備など覚えている限り全てを」
ざっとまとめると、ロバート某は単独行動を好み最低限の装備で迷宮へと潜り、低コストで収穫を狙うタイプの冒険者だったらしい。
言葉を濁していたが、たぶん俺たち【回収屋】と同業者だ。ただし、依頼を待たず能動的に情報を集めて、未帰還となった冒険者の装備を引っぺがして売り飛ばす【屍肉喰らい】と忌み嫌われる仕事が専門だと思われる。
俺もよくやる仕事だが、これを専門にすると信用を失う。冒険者界隈では【回収屋】全てが【屍肉喰らい】であると思っているヤツの方が多いくらいなのである。いくつかお涙頂戴的な仕事を定期的にこなしておかないと、最終的に後ろから刺される。
どうあろうと常に後ろから刺される危険性があるのが迷宮の日常である、というのも一つの事実なのだがこればかりは仕方あるまい。どうせ冒険者になろうなんていう連中は、それしかやることがない犯罪者か、その予備軍か、命より名声を選んだバカのどれかなのだから。
質問を聞いている間に淹れた茶で俺は口を湿らせる。
「四日前に【黒い森】に出発し、二日で引き上げると言っていたんですね? お言葉ですが、あの森は木に登って上に行かない限り、そう危険なところではありませんよ。収穫が無く粘っているだけという可能性もあります。その場合、回収品はゼロですが最低依頼料金はきちんとお支払いしていただきますので、お客様の損となります。それでも捜索をご依頼なさるのですね?」
「……はい」
「わかりました。仲間のあなたがおっしゃるのなら、ロバート氏は几帳面な方なのでしょう。予定通りに帰るのが不可能だったと想定します。急げばまだ本人が生きている可能性がありますね」
「その場合、救助となりますが……」
「もちろん、救命を尽力致します」
この仕事をやって二年余り、捜索対象が生きていた例は片手の指で余るくらいしかないが。
あまり思い出したくも無い仕事ばかりだったので意識を今に切り替え、サリエ女史に質問を重ねていく。
「嫌な質問になりますが、回収依頼品と『本人』、どちらを優先致しますか?」
「……それは死体となっていることを考えての、質問ですか?」
「その通りです。生きているのなら、どちらを優先するかはロバート氏に質問しますよ」
「そう、ですね。……物品の方でお願いします」
「わかりました。回収リストの中で、とくに優先度の高いものは?」
「えっと……とくに」
「ふむ。それではこちらの都合の良いように立ち回らせていただきます。捜索期間は到着してから丸一日となっておりますが、延長を希望しますか? 一日伸びるごとに、依頼料金は全額込みで一・五倍になります」
「……お、お高いですね……」
「申し訳ありませんが。【黒い森】ですと限界は三日延長ですね」
「……何も見つからなかった場合、一日ごとに延長してください。一つでも見つかれば……それで良いです」
「了解致しました。こちらにサインをお願い致します」
サリエ女史に契約締結の書類を渡す。いくら冒険者に文盲が多くとも、ギルド登録申請しなければいけないので、自分の名前くらいは書けるようになるか、拇印を押すくらいはできる。
一方俺は頭の中でスケジュールを立て始めた。今から装備を倉庫に取りに行き街を出て【黒い森】へと向かい、到着する頃には……おそらく明日の未明だろう。何度も行ったことのある迷宮だが、道行き疲労した状態で夜にあの森に入るのはさすがにぞっとしない。到着したら、入り口に建てられた休憩小屋で少し休むとしよう。
「ああそれと、ロバート氏の身に着けていたものなどはありますか? できれば持ち運びができる小さいものが良いのですが」
「えぇと、何に使うんでしょうか……?」
「匂いですよ。吠人に匹敵する嗅覚を魔法で補えますから。広範囲を無作為に探すとなると、何かしら手がかりが欲しいところです」
「そうですか……。それなら、取りに行ってもよろしいですか?」
「もちろん。俺も今から装備を取りに行くので、互いに都合の良い場所で待ち合わせましょう。俺の向かう倉庫は南区のあたりなのですが、どうでしょうか?」
「少し……遠いですね。でも」
「それなら俺がお客様の都合に合わせましょう。ハゲタカと呼ばれる程度には機動力には自信があるので」
「わかりました……ではこちらに夕方頃いらしてください」
サリエ女史は拠点にしているらしき宿屋だか酒屋だかの名前が書かれたマッチ箱を俺に握らせた。