第三話 4:ハゲタカとカラスの和解
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依頼内容の打ち合わせが終わる頃には、日は高くもう昼過ぎになっていた。
煙たい魔法具店内を出ればさすがに空腹感を思い出す。話し合いの最中、ずっと店内の物色をしていたドロテアさんの手を引きながら、俺は彼女の方へと振り返る。
店の外に出れば慣れない霊脈制御と精神集中のせいで、かなり気分が悪そうな顔に戻ってしまっている。俺は軽く頭を下げた。
「申し訳ないです。どっかで昼飯でもと思ったけど、その様子じゃちと無理かな……」
「いえ、店内にいる内は好奇心と新しい式のインスピレーションが湧いて気分が良かったのでお腹が空いたなんて思わなかったんですが、今は空腹と疲れがどっと出て……食欲はあるんですけど、歩くのが正直辛いです」
「それなら――」
「わたしの家まで抱っこして連れて帰ってください、所長さん。わたしが何か作りますよ」
「本当にアンタは油断でも隙でもあったら口実にするんだな」
ドロテアさんを雇った日から即刻彼女は同棲を目論んでいたようなのだが、俺の事務所兼住居にしているあの集合住宅の部屋は本当に狭い。必要な書類に、頻繁に使う道具や消耗品などが置かれているうえに、水道も引かれていない劣悪な場所だ。
到底二人暮らしはできないと現実問題を理で説き粘ったら、渋々彼女は通勤雇用に納得した。
しかし、雇ってから二ヶ月そこらだというのに何度彼女の住居に連れ込まれそうになっただろうか。夜は危ないから毎晩住居まで送っているのだが、そのまま力ずくで家の中に引きずりこまれそうになるのは頻繁である。
以前の依頼で失った体力と魔力が回復して事務所経営を再開したその日は本当に危ういところだった。
痴話喧嘩かと近所の連中が出てきたことで『既成事実』がまた一つ出来たことにドロテアさんが満足したことで引いてくれたが、嬉しくもなんともない。
「所長さん……極東の国では据え膳食わぬは男子の恥、という言葉があるそうですよ」
「食い意地張ってんだな、極東のあのサムライとかいう民族……」
「そういう意味ではなくて……でも本当にお腹が空いて辛いです」
「まぁ状況が状況なので、俺が魔法使ってパパッと何か食い物買ってくるんで、ここで待っていたら――」
「女、殺」
うなじに、冷たい棒のようなものが突きつけられると同時に聞き覚えのある訛りのキツい男の声が背中から聞こえた。
冗談ではなく、本当に背筋から怖気が走った。
自分の心臓の音が耳の奥で聞こえるほどの恐怖。だが、右手に繋いだドロテアさんの手の感触を思い出し、俺は振り返らずにできるだけ普段通りの軽い口調で背後に立っている男に声をかけた。
「馬鹿かお前? こんな往来で殺人なんてしてみろ。お前、この島にいられなくなるぞ。船も出してもらえないから脱出できない。お前の大好きな強い奴との闘いができず、多くの雑兵に囲まれ追われて惨めに死んでもいいなら、殺ってみろよ。
大体、お前は隠蔽と機動力がウリの肉体強化特化の拳法家だ。遠くから石でも投げていれば俺を殺すのは簡単にできたはずなのに、後ろを取ったってこたぁ、お話がしたいんだろ? 脅しとハッタリはやめて、ちゃんとお顔を見てお話ししようぜ」
「……チッ」
うなじに触れていた棒が外された。
振り返ると、そこには煉瓦造りの建物に石畳が通る風景に合わぬ、汚れて襤褸切れめいた東方衣装に身を包んだ禿頭の男がいた。
こうして明るい時間、太陽の下で見ると肉体は鍛え上げられているが俺より背が低く、顔つきも何者も受けつけない険しさがあるものの、幼さが見える。東方系の平人は見慣れていないが、おそらく、十代半ば頃の少年だ。
砂埃舞い散る戦場では鱗人と肉弾戦ができる凄まじい拳法家としての印象が強すぎて、相手をきちんと観察する余裕も無かったのだと今更ながらに気づいた。
「しかし、よく待ち伏せできたな。ヤクザあたりから聞いたか?」
生きていたことにはさほど驚かないが、待ち伏せは完全に予想外だった。奴らもタダで情報を渡すわけがないので、何かしらの契約を結んだうえで俺がトンビ女史の店の常連だということを知ったのだろう。
そう思っていたのだが、東方衣装の少年は無表情に貫手の指先を自分の首筋にトントンと当て、もう片方の手で耳を指差した。
……どうやら、暴力で締め上げて聞き出したらしい。報復が怖くないのか。……まぁあれだけ強いと怖くないか。
呆れと恐怖が半々の中、あえて人間らしいやり取りを俺は始めることにした。
「挨拶、していなかったよな? 俺はハゲタカ。【回収屋】だ。こっちの女性はウチの事務員」
「……どうも」
「不知」
「しらねーじゃねーよタコ。お前も名乗って自己紹介するんだよ。俺みたいにあだ名でもいいから」
「――■■■■■。■■■■■。■■■■■」
心底嫌そうな顔で何か悪態のような言葉を母国語で吐き捨てている。
あれから少し【眠れる獅子】の異名を持つ東方の大国の言語を勉強している最中なのだが、ほとんど聞き取れない。かろうじて『悪』を意味する単語の欠片が聞き取れたくらいだ。
「悪いけど俺には発音できない」
「……カラス」
「意趣返しかよ。まぁいい、これでやっとまともに話ができる」
俺のあだ名が鳥だったからか、相手も鳥の名前を返してきたというところだろう。
だが嫌味よりやっと名前で呼ぶという人間らしい会話をできることに安心感が強い。異国人ということもあり、いつどんな理由で襲い掛かるかわからない獣と接しているような気分が大分緩和された。
なので、相手の人間らしい反応を伺うためにあえて会話の主導権をカラスに譲る。
「で、カラスさんよ。なんか用か?」
「我、手前、敗北」
カラスと自ら名乗った拳法家の少年は、まずそう切り出した。
以前、迷宮内で最後に見たコイツの様子とはまるで違う態度だったので、俺も困惑して少し言葉に詰まった。
「……ズゥクジャーン師が俺に負けたって言ったから、お前もそれに同意するって意味か?」
「……? 否。我、心」
俺の投げかけた質問は、カラス自身も当惑させるものだったらしい。視線を泳がせた後、かぶりを振って俺の言葉を否定した。
凄まじくたどたどしい言葉遣いなので翻訳しなければいけないが『違う。オレの本心だ』という意味だと受け止めていいのだろうか。
「じゃあウチの事務員も俺も殺すの止めてくれよ。迷惑なんだよ」
「手前、弱」
「言ってくれるな。事実だけど」
「我、強。否、敗北。不知」
「お前が強いのも事実だけど、常に強い奴が勝つとは限らないんだよ。というか、勝ち負けの問題か? 俺からしてみりゃ文字通りの出血赤字で勝ったとは言えねーよ。世の中白黒付けられない灰色と虹色のまだら模様だぜ、カラス君」
「糞。屑。嘔吐」
「汚い単語だけよく知ってんな」
自然に苦笑いが浮かんでしまう。ある程度打ち解けたところと判断して、俺は手持ちのカードを切ることにした。
「それとな、お前と戦った鱗人の戦士との決闘な。俺があのお日様の下で戦えるよう根回ししてやるから、それで納得して機嫌直してくれ」
「感謝」
「素直だな。お兄さん嬉しいぞ」
「否。我、手前、不知。弱者、不知。我、敗北。何故?」
カラスは人差し指と中指だけ立てて、俺に突きつける。こいつが殺る気になれば、次の一瞬にはその二本指だけで俺を殺せるだろう。
しかし俺はあえてカラスから視線を外し、緊張の目で少年を睨みつけるウチの事務員ドロテアさんを見下ろした。
「俺の持論だが、弱い奴は最強だ」
「……不知」
「お前、蝗に勝てるか?」
「……!」
カラスは目を見開いた。俺の言わんとしていることを理解したようだ。
「東方大陸の蝗害の凄まじさは知識だけでしか知らんが、お前さんは身を以って知っているか、親類縁者から嫌になるほど聞かされてきただろ?」
「……肯定。黒雲。塵。塵。塵。死。死。死」
「蝗一匹一匹を踏み潰して殺すのはたやすい。でも何千万の、黒い雲にしか見えない蝗の群れは、通り過ぎた後の全てを喰い荒らす。カラスの言う通り、何も残らない。残っているのは飢え死にだけだ」
「……ハゲタカ。手前、蝗?」
「そういうことだよ。カラス君」
「糞。糞。糞! 糞! 糞!!」
拳を握り、カラスは天に向かって吠え出した。
「承知! 我、故、此島、来。弱者、蝗、嫌悪。■■■■■! ■■■■■、■■■■■……」
年相応の少年らしい癇癪を見せる姿に、俺はどうしたものかと迷う。
カラスの語彙は少ない。この連邦王国の言語を覚えて使えているだけむしろ凄いと言うべきか、子ども故の吸収力の賜物とするべきか、迷うところだが、しかし現実問題としてカラスと十全な意思疎通の会話はやはり難しい。
そんな彼を、ドロテアさんは憐れんだように見つめている。
「もしかして、カラスの言っている母国語がわかる?」
「いえ。……でも、前後の言っていることと、所長さんから聞いたこの子の話を合わせると、想像がつきます」
「憶測でもいいから聞かせてくれ」
「嫌です」
ドロテアさんは俺を上目遣いに睨みつけた。
俺の手をぎゅっと強く握り返し、吐き捨てるように言葉を投げつけて来る。
「蝗も、ハゲタカも、空を飛べる。所長さんはわたしたち地面を這いつくばっている瀕死のネズミを空から見下ろして、喰い殺せばいいのに手当てして立ち上がって歩けと言う。何様なんですか。ああ、魔法使いでしたね」
「あのねドロテアさん……」
「所長さんはわたしだけのものです。もうこれ以上手を差し伸べさせたりなんかさせません。この子は所長さん自身が言っていたじゃないですか。死ねばいいって。情に流されないでください。わたしを一番に思ってください」
「……あのねドロテアさん。悪いけど、貴女のその怒りっぷりで、逆にコイツが大体どういう経緯でこの島にやってきて、今何に怒っているのかわかっちゃったんだけど、どうすりゃいい?」
「……そういう所ですよ、わたしが所長さんを放っておけないの」
ドロテアさんに関して責任を取ると言ったのは俺自身なので、彼女の面倒を見る義務が俺にはある。
しかし彼女の語った過去と、そんな彼女だから憶測できたカラスの過去が、俺には想像がついてしまった。
おそらく、カラスは拳法家としての才に恵まれすぎたのだ。
誰が相手でも勝つことができる。その圧倒的な強さは、最早常人にとって恐怖と脅威にしかならない。
だから故郷を追われたのだろう。それでも『自分は強い』ということだけを心の支えにして、誰でも受け入れるというこのツェズリ島にやってきた。きっと、強い自分を受け入れてくれる居場所があると信じてやってきたのだろう。
かくて、望み通りカラス少年は地上最強と誉れ高い鱗人の戦士と戦えた。相手もそれに応じてくれた。対等に闘って、二人は至福の時だっただろう。
だが俺が決闘に水を差した。取るに足らない弱者だと思っていた俺に不意討ちされて、逃げられた。
カラスが今抱いている感情は、恐らく怒りというより悲嘆だ。居場所を失った渡り鳥だ。
ドロテアさんは法式札を俺の胸に突きつけた。
「駄目です。所長さんはハゲタカで、この子はカラスじゃないですか。どこかにわたしを置いて飛んで逝ったりするんでしょう?」
「ドロテアさんとの約束の方が先なぶん、そこまで入れこみゃしねーんで。大丈夫、こいつは大した冒険者になれますよ。幸い、トンビさんの依頼がそれに向いている」
「なんでわたしがここまでやって余裕ぶっこいているんですか!」
ああもう、隣には迷子の仔ガラスに、目の前にはすぐ自爆して心中しようとする自慢の事務員がいる。面倒くさい。
面倒くさいが、身から出た錆というやつだ。こういう事態にした俺が悪い。
「ドロテアさんに俺がしたのは『お願い』であって命令ではないから、貴女の意志でやることに俺は止める権利が残念ながら、無い。同じ理由で、貴女も俺をどのような形であれ止めてもいいんですよ」
「それは本気で今ここで痴話喧嘩したら自分が勝つってわかっているヒトの台詞です。だから所長さんは卑怯なんですよ。強い立場と弱い立場を便利に使い分けて、恥ずかしくないんですか」
「だからハゲタカって呼ばれているんじゃないすかね」
「……わかりましたよ。ここは貸しにしてあげます。カラス君も、困っているみたいですし」
俺たちの会話がわかっているのかいないのか、悲嘆に暮れていたカラスはいつの間にか蔑みの目をこちらに向けていた。
それに返してやるのは、したり顔で悪い大人の笑顔だ。
「ってーわけで、だ。一緒に仕事しよーぜ。カラス君」




