第三話 羽ばたく鳥、囀る鳥
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「ドロテアさん、そこレールの上。ぼーっとしていると危ない」
「あっ、はい、すみません」
視線がうつろで上の空の体で歩いているドロテアさんの手を引き、路面電車の路線に足を引っかけかけた彼女の身体を俺は支えた。
ドロテアさんはそれでも足下がおぼつかず、注意力散漫で視線が明らかに泳いでおり、通行人の肩にぶつかっては頭を下げ、その拍子でバランスを崩しかけて手を引いた俺に身体を引き上げられるといった有様である。
路面電車も走るツェズリ都中央区の七番通りは、今日も騒然として雑多に人々が往来する。
燕尾服にステッキを突く吠人の紳士に、パンツスタイルの寝人があくびをかましながら歩いていたと思うと、一足飛びで通りから壁を蹴って次の通りへと移動していたり、荷役の牙人が大量の石炭を積んだ荷車を引いていたり、斧や杖などを持った冒険者の平人の集団が雑談しながら歩いていたり。
一応は【西の覇者】の異名を持つ列強国筆頭の北方諸島連邦王国領海圏内に在るツェズリ島だが、ここまで多くの人種が行き交う都心は世界でも珍しいので、ドロテアさんの様子も『入島したばかりのおのぼりさん』と見れば不審でもなんでもない。
だが彼女はこの島に移住してきて結構長いようである。少なくとも二~三年以上は住んでいるだろう。
それでいて中央区に来たことが無いわけがない。ツェズリ島の治世、経済、物資、娯楽等あらゆるものがここに集中した結果、中央区になっているのだから。
なのに明らかに人酔いしているこの有様には理由があるのだが、俺はこの通りのど真ん中でそれを口にするわけにはいかなかったので、軽口を叩きながらドロテアさんの手を引いて目的地へと急ぐ。
「ウチもいつかはこの中央区の賃貸に事務所置けるくらい、立派になってみたいもんだよなぁ」
「それくらい……稼ぐことができたら……結婚資金に取っておきましょう」
「ほらほらそこ角でぶつかっちゃう。大体俺、一度も貴女と結婚するって言ってないはずなんだけど」
「ふふふ……この……ふらふらした女を手引きする男という、この姿こそがわたしたちを恋人同士だと……周りに見せつけ……うぷっ」
「気持ち悪いですか? 我慢我慢。もう少しで目的地なんで」
かなり苦しいだろうに、普段どおりの結婚を前提とした軽口を交わし続けられるドロテアさんの精神力というか、執念は凄まじい。
まぁ彼女も以前は冒険者として迷宮に潜っていた経験もある魔法使いだったそうなので、この程度にしか人酔いしていないのは霊脈制御に慣れているおかげでものあるのだろう。
俺の苦手な書類仕事はテキパキこなし、経理面の無駄遣いもズバズバ指摘し、俺が理屈で【回収屋】としての金の使い方には理由があると説明し納得したらあっさり自身の経験不足を自認して是正するなど、ドロテアさんは自己申告通り本当によく出来る事務員だ。
そのうえウチの事務所に勤めるならいつか潜ってもらわなければいけない関門を、初体験でこの程度に済ませているのは感嘆するばかりである。俺が初めてやった時なんぞ、当時の相棒に担ぎ上げられてぐったりしていた屈辱の記憶しか残っていない。
脳内で構築した法式を物理世界に展開して起動させるより、法式札を打つ方が得意というあたりドロテアさんは俺より体内の霊脈制御が上手いのかもしれない。
うーむ、正直な所褒めたい。同じ魔法使いとして尊敬に値する。頼もしい部下だと誇りに思う。
でもそれを口にしたら、絶対調子に乗っちゃうからなこの女性。労いの言葉選びを考えなければいけないとは、所長という責任者の立場も中々面倒だ。
「所長さん……今、わたしを……一人の女ではなく……事務員として見て……ますよね?」
「なんでわかんのよ……」
「うふふ……いえ、今はそれで……いいですよ? あせらないあせらない……」
聴覚強化魔法と気流操作魔法を兼用しなければ、この雑踏の中では聴き取れない小声で何やらぶつぶつ呟くドロテアさんの神経には呆れたらいいのか、戦慄すべきか迷うところだ。
とにかく、今は俺も魔法を使わない。そういう約束で、本日はこの中央区へと用事を済ませるためにドロテアさんを連れてきたのだ。
日常的に、最早身体の一部を動かす感覚で魔法を使う俺にとって『魔法を一切使わない』のは、手足や指の一部を縛られたり耳栓や目隠しをされたような窮屈さを覚える。
しかし必要に迫られなければ、中央区みたいな多数の人間が集まり互いが互いを意識せず観測できる状況下ではあまり魔法に頼り過ぎないように俺は気をつけている。
なので、連れの事務員のうわ言を聴き取るためだけに魔法を使うわけにはいかない。
大体聞かなくても想像はつくし……。




