4月25日
4月25日——
昨夜も昨夜でよく眠れなかった。
お昼休みのことを思い返すと、悲しくて、つらくて、そして悔しくて寝つけない。
萩野谷さんに拒絶されたのは、もちろんわたしの自業自得ではあるが、萩野谷さんも萩野谷さんで、あんな言い方をしなくていいはずだ。
昨日は自分ばかりを責めていたが、一日置いて冷静になると、萩野谷さんにも非はあると考えるようになっていた。
だからと言って、わたしの萩野谷さんに対する想いは変わらない。
昨日のことで萩野谷さんがわたしをどう想っているか、距離感はある程度掴めた。
正直、仲よくなるには絶望的な距離。
ここから運よく巻き返せる、などと楽観できるほど、わたしも頭の中がお花畑ではない。
なので、今日の作戦が上手くいかなかったら、きっぱり萩野谷さんのことは諦めようと思う。
わたしにいつまでもつきまとわれたら萩野谷さんも迷惑だろうし、わたしだって何度も萩野谷さんに冷たく拒まれて平気でいられるほどメンタルが頑丈なわけじゃない。
あとは、自分の睡眠時間だったり体調だったりもあるが、それは置いといて。
萩野谷さんにフラれて、毎日教室で顔を合わせるようになるのはつらい。
けれど、脈もないのに延々想い続けるのは、間違った接し方だとわたしは思う。
だから、萩野谷さんを誘うのは今日で最後。
作戦も昨日と比べたら雑なものになった。
『お昼を一緒に食べよう』と誘うのはそのまま。
用意したお昼は萩野谷さんが毎日食べてるカツサンドだ。
昨日の反省を踏まえ、自分の分ひとつしか用意してない。
見方によっては十分引くレベルだが、一応彼女と同じ価値観を共有した中でお昼を食べたいと思う。
何となく普段より早く家を出て、重い足取りで学校へ向かう。
それでも、いつもよりは学校に早く着く。
クラスメイトと挨拶するが、昨日のことがあってか誰もそれ以上話しかけてこない。
ぼけっと窓の外を眺めていると、昨日と同じように萩野谷さんが教室に入ってくる。
見た感じ彼女から何の変化も見て取れない。
クールで他人を寄せつけない鎧を今日も身にまとっている。
ちょっとだけでもわたしのことを気にしてるかと期待していたが、わたしの方を見ることもなく席に着く。
期待したわたしが間違っていた。
わたしの知る限り、萩野谷さんにとって昨日のことは、自身にとって取るに足らないこと。
そう推察している。
こんな状況で本当にもう一度お昼を誘おうというのは正気の沙汰じゃない。
胃がキリキリと痛み出して、思わず机に突っ伏してしまう。
しかし、声をかけなければ状況は一切変わらない。
きっと『あのとき』と同じように後悔することになるだろう。
身体を起こし、前に座る萩野谷さんの方を見る。
萩野谷さんには申し訳ないが、あと一回だけわたしのわがままにつき合ってもらおう。
昨日と違い、気持ちは逸っていたが授業の内容は頭に入ってきた。
黒板と時計と萩野谷さんを順番に見ているうちに、お昼休みを知らせるチャイムが鳴る。
迷ってるヒマはない。
萩野谷さんがカツサンドを食べ始める前に声をかけなくては。
「萩野谷さん」
萩野谷さんの席の前で声をかける。
昨日と違うのは、きっと笑顔を作れなかったこと。
どんな表情で話しているのか、自分自身でもわからない。
「よかったら、一緒にお昼食べない?」
そう言って、萩野谷さんと同じ銘柄のカツサンドを見せる。
ここまでは昨日と同じ。
違うのは、萩野谷さんの表情。
眉をハの字にして、悲しそうな顔をしている。
その顔もはじめて見るものだった。
「昨日みたいなことがあって、どうして私を誘うの?」
声もどこか張りがない。
「萩野谷さんとお話してみたいんだけど、それじゃ理由にならないかな?」
「私と……仲よくなりたいから?」
「うん」
私がそう答えると、萩野谷さんはしばらく固まって動かなくなった。
10秒以上はそうしてたと思うが、急にすくっと立ち上がる。
「ど、どうしたの?」
「教室の外に移動しましょ。ここだと……注目されるから」
「わかった」
わたしは萩野谷さんのあとをついて行くように、教室から出た。
それにしても拍子抜けだった。
昨日みたいに一悶着する覚悟をしていたのに、今日はあっさりとわたしの誘いに乗ってくれる。
どんな心境の変化があったのだろう。
聞いてみたい気がするが、余計な詮索をしてこの状況をご破算にするのはもったいない。
とりあえず、事態は好転しているので、しばらく様子を見てもいいだろう。
何より、念願叶って萩野谷さんと一緒にお昼を食べられるのだから。
昨日わたしが座った中庭のベンチが今日も空いていて、わたしたちはそこに腰かけた。
「吉岡さん」
「はい?」
カツサンドのフィルムを剥いでいると、急に名前を呼ばれて驚いてしまった。
萩野谷さんはさっきと同様、ベンチから急に立ち上がって頭を下げる。
「昨日はごめんなさい。私……あんなひどいこと言ったのに……」
「い、いいの! 頭を上げて!」
綺麗な髪の先が地面についてしまっている。
わたしは慌てて萩野谷さんの髪の毛を持ち上げた。
「あっ……」
「ごめんね、勝手に触って。けど、こんな綺麗な髪、汚れたら大変」
「私の髪……そんなに綺麗かな?」
「うん。後ろの席からうらやましいなっていつも見てたよ」
「いつも?」
「あ〜……」
もう誤魔化しようがない。
「はい……いつも見てました……」
「そうなんだ。いつも……」
萩野谷さんが笑ってくれる。
一昨日、スーパーで見た笑顔だった。
さっきまで結構ガチガチに緊張していたのが、この顔を見て一気に緩む。
諦めずに誘ってよかった……
「さ、休み時間がなくなる前に食べよ」
「うん」
ふたりでカツサンドのフィルムを剥ぎ、一口食べる。
「萩野谷さんはどうしてこのメーカーのカツサンドのばかり食べてるの?」
「と、特に理由はないんだけど……食べやすいから、かな」
「へー、そうなんだ」
言われてみれば、あまり脂っこくなくて口当たりがいい気がする。
カツサンドなんて食べ比べたことないから、本当かどうかはわからないけれど。
二口、三口とわたしと萩野谷さんは黙々とカツサンドを食べ続ける。
確かにお昼を一緒に食べようと誘ったのは私だ。
だけど、それは方便みたいなもので、もっと色々聞きたいことがあったはず。
何かしゃべらなきゃ、と思ってもなかなか切り出せない。
そう思っている内に、萩野谷さんの方から話しかけてきてくれた。
「吉岡さんって、中学のとき文芸部だったんだよね?」
「うん」
わたしの自己紹介、覚えててくれた!
「今も本を読んだりするの?」
「読むよ、毎日。寝る前とかに」
最近、萩野谷さんのことばかり考えていて読書はしてませんでした、などと口が裂けても言えない。
「どんな本読むの?」
「純文学に偏ってるけど……お恥ずかしながら、ミーハーだから芥川賞とか賞を取った本ばかり読むんだよね」
「そうなんだ」
「萩野谷さんは? いつも本読んでるけど、今は何読んでるの?」
「今はシェイクスピアのテンペストかな。外国の作者の本読むことが多いと思う」
「ほぁ〜……」
こんな近くに読書ガチ勢がいたなんて。
他人を寄せつけないために読んでいたと思っていた私が恥ずかしい。
本の話をきっかけに、お互いどんどん饒舌になっていく。
どういった話が好き、とか、こんな本読んだけどお勧めだよ、とか。
ちなみに、萩野谷さんのお勧めは、シェイクスピアやマーロウなど。
昨日のことが嘘のように、わたしは最高の昼休みを萩野谷さんと過ごした。
けれど、楽しい時間ほどあっという間に過ぎていく。
間もなく休み時間は終わり、午後の授業が始まる。
よし、思い切って聞いてみよう。
「萩野谷さん!」
「は、はい」
「LINE使ってる? ID交換しよ!」
「吉岡さん、顔……顔、近い……」
「ご、ごめんなさい! つい……」
「ふふっ……落ち着いて。私はもう逃げたり突き放したりしないから」
「はい……ごめんなさい……」
つい興奮してしまった自分が恥ずかしい。
お互いスマホを取り出して、IDを交換する。
これでいつでも連絡が取り合える状態になった。
この短い時間だけで何という進歩だろう!
趣味が同じだったところがかなり大きい。
文芸部、がんばってよかった。
ありがとう、中学時代のわたし。
「教室に戻りましょ、吉岡さん」
「うん」
わたしたちは並んで歩きながら、教室に戻った。
(えへへへぇ〜〜……)
午後の授業。
わたしは萩野谷さんの笑顔を思い出しながら、何度もにやけていた。
端から見たら危ない人この上ない。
午前中はちゃんと授業の内容が入ってきていたのに、午後は萩野谷さんのことで頭がいっぱいでダメだった。
『お医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りゃせぬ』か。
昔の人は上手いこと言ったものだ。
現在進行形で病人のわたしは、今度は早く授業が終わらないかとソワソワしてしまう。
今なら萩野谷さんを放課後どこかに誘っても断らないのでは?
いやいや、『急いては事をし損じる』とも言う。
今日はお昼を一緒に食べられた成果に満足して、あまりガツガツしない方がいいような気がする。
けど、放課後遊びに行って親睦を深めるのは定番だし……うーん……
萩野谷さんのことを考えているうちに、授業の終了を知らせるチャイムが鳴った。
ホームルームでいくつか連絡事項を聞いたあと、直ぐさま終わって放課後となる。
部活に行ったり数人のグループで移動したり、教室が喧騒に包まれる中、わたしはまだ萩野谷さんを誘うか悩んでいた。
すると、視界に立ち上がった萩野谷さんが目に入り、彼女はそのままわたしの方へ近づいてきた。
「吉岡さん」
「は、はい」
声をかけられちょっとびっくりしてしまう。
「その……あの……」
言い淀み、どこか落ち着かない様子の萩野谷さん。
こんな姿を見られるなんて、思ってもみなかった。
なんて失礼なことを考えていたら、彼女から驚愕な言葉が飛び出した。
「よかったら……一緒に帰らない?」
「……」
デレ期? デレ期なの!?
「ど、どうしたの?」
「あ……うん……驚きすぎてちょっと固まっちゃった……」
「そんな大袈裟な……」
まさか……萩野谷さんの方から誘ってくれるなんて……
わたしは数秒頭が回らなかったが、途端にキビキビと動いて帰り支度を済ませる。
「よし、帰ろう!」
「う、うん……」
萩野谷さんの顔が引きつっていたが、気にしないことにしよう。
一緒に教室を出て昇降口に向かう。
その間にお互いどこに住んでいるか話したが、全く反対の場所だった。
残念ながら一緒に下校して……みたいなシチュエーションにはならなそうだ。
「駅前のお店で何か買ってお話するのはどうかな?」
「そうしよ」
わたしは萩野谷さんの提案を二つ返事で受け入れ、学校を出たあとは駅前に向かう。
駅にほど近いファストフードで、わたしは飲み物だけ買ったのだが……萩野谷さんはハンバーガーのセットを頼んだ。
「この時間、お腹減っちゃって……」
「そうなんだ……」
今度はわたしの顔が引きつっていたと思う。
萩野谷さんって腹ペコキャラだったんだ。
予めカバンを置いてキープしておいた席に着き、今度は悩むことなく話し続けた。
お昼休みの続き……自分たちが読む本についてだ。
なんて幸せな時間だろう。
ずっと仲よくなりたいと思っていた萩野谷さんと、本について話し合えるなんて!
夜の自室。
わたしはベッドに横たわってぐったりしていた。
今日ははしゃぎすぎて、勉強や読書をする気力がない。
だけど、長くて濃密な一日を過ごせて、このまま果てても悔いがないほど満足感に満たされていた。
おもむろにスマホを取り出し、LINEを立ち上げて今日増えた萩野谷さんのプロフィール画面を見る。
どこもいじっていないようで、アイコンはデフォルトのままだし、メッセージには何も書き込まれていない。
あまり使っていないのかなと思いながら画面を眺めていると、萩野谷さんからメッセージが届いた。
『こんばんは』
たったそれだけのメッセージなのに、胸が高鳴ってしまう。
わたしもすぐに——
『こんばんは』
とメッセージを返信した。
『メッセージ、届いていますか?』
『うん、ばっちり』
『よかった。実は使い方がわかっていなくて』
ふむ……やっぱりそうなのかな。
『使ってる内になれるよ』
『ありがとうございます』
丁寧な言葉で返信してくれる萩野谷さん。
ちょっとのやり取りでも、人となりがにじみ出ている。
人を寄せつけない孤高のイメージあったけど、親しくなったら普通だし。
本のことを話しているときなんて、結構興奮気味だった。
『突然こんなこと言うと失礼なのかもしれないけど』
『うん?』
まあ、言葉遣いが固くてまだちょっと距離感あるかな……
『よろしければ、明後日の日曜日、一緒に出かけませんか?』
……………………
わたしは夢でも見ているのだろうか?
萩野谷さんから……お出かけのお誘い……?
まともに話したの、今日だけなのに?
そんな都合のいいことある?
目の前のメッセージを読んでも、現実として受け入れられなかった。
レスしないまま10秒くらいぼーっとして、そのあとさらに1分近くどうレスしようか悩んだ。
『誘ってくれてありがとう』
『急な誘いでごめんなさい。もう少し吉岡さんと話してみたくて』
わたし……このまま死んでもいい……
『待ち合わせはどうしようか?』
『10時に駅前の広場でどうですか?』
『わかった。遅れないように行く』
冷静にレスを返したが、このときすでに外に向かって叫びたい気分だった。
『それでは、おやすみなさい』
『おやすみ』
萩野谷さんとのLINEのやり取りが終わり、わたしは仰向けになる。
心臓がバクバクして、しばらく収まりそうにない。
明日は土曜日で午前中だけ授業がある。
当然、萩野谷さんとも教室で会うわけだけど、果たして普通に接することができるだろうか。
浮かれすぎてヘンに思われなければいいけど。
いや、それはもう今更か。
(日曜日、楽しみだなあ)
萩野谷さんと親しくなれても、寝不足になるのは変わりなさそうだった。