表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ゴーストコミュニティシークレットサークル

作者: 梔子

 死ぬ事が死ぬ程恐ろしい。


 そんな話を友人にした所、それ何かおかしくないか? と至極まともな返答をされてしまった。死ぬ程恐ろしいと最初に口ずさんだ人間は天才だ。全くだ。死ぬ以上に恐ろしい事なんてあるものか。


 自分かどうかというのは問題ではない。自分を含み、家族、友人、たとえ挨拶を交わす程度の知人であったとしても、その人間が死を迎える事を知ることは怖い。たとえ嫌いな人でも、死ぬ事だけは考えたくない。寿命が減り続け等しく死に向かっているのだと思うだけでどんな人間のどんな愚行も迷惑も許せる気がする。実際に許すかは別として。


 とにかく俺は死ぬ事がたまらなく怖い。何よりも恐ろしい。


 しかし気がつけばどうやら明日には二十二歳の誕生日を迎えるらしい。死への恐怖は年齢を重ねるごとに薄れていくものだとソースも曖昧ながらに知識を有していたはずだが、少なくともこの常識は俺には適用されなかったようだ。


 誕生日が十二月だと、家庭内で祝われる際にクリスマスと混合させられがちだというのはよくある話だが、俺の家庭ではクリスマスはまた別の行事として扱われていた。生まれたのが二十五日付近ではなく、六日だった事か幸いしたのもあるが、祝い事に積極的な家族だった事が大きいだろう。別段特別な事だと思ったことは無かったが、同じ月に二度も祝い事があるという事は俺が強い特別感を覚えるには十分だった。


 だが二十二歳になってまで、そんな悠長な事を言っていられるほど俺の心は幼くない。二十歳を超えた時点で、俺の寿命は四分の一を切ったも同然。死ぬ事が既に決まっているのが人生で、それをいつかは受け入れなければならないのだ。今後どう生きていくのか、もっと真剣に考えていかねばなるまい。


「本当に繊細な性格をしているなぁ」


 思考が現実に戻される。


 いつもこうだ。死ぬ事を考えると、ついつい深く入り込んでしまう。


 目前の女性は、ストローをグラスの中で掻き回しながら目線も合わせず口を開いた。


「誕生日って、死に近づいた事に苦悩する日ではないと思うんだけれど。死ぬ事が怖いから以降の人生を何とか豊かにしようだなんて、そんなネガティブな思考でポジティブな未来を描こうとするやつ、深央みおうくらいなもんだよ」


 そう言ってストローに口をつける。グラスに入ったカフェラテは見る見るうちに減っていき、カップいっぱいに入っていたはずが半分ほどにまでなってしまった。彼女に倣い、俺も手元のアイスティを口に含む。甘味の無いすっきりとした味わいが口内に広がり、爽やかな香りが喉へと抜けていった。


「じゃあ桃央もなかは死ぬのが怖く無いのか?」


 向かいの席で首を傾げる女性、桃央は額に手を置き考えるような仕草をわざとらしく作った。


「怖く無い事は無いけど、そんな四六時中考えているわけではないし、多分深央ほどでは無いと思う」


 失礼な。別に俺だって四六時中考えているわけでは無い。


「深央は大分重症だからなぁ。そもそも死ぬ事の何がそんなに怖いの?」


 落ち着きない彼女は、口を動かすたびに体が左右に揺れている。その度に肩まで伸びている手入れの行き届いた透き通るような茶髪がひらひらと踊っていて俺はそんな様子に目を奪われていた。


「理由なんてそんなにたくさん無いだろう。大抵の人間は自身が消滅する事、ただそれだけが恐ろしいもんだ。意識が無くなり、思考が途絶える。考えるだけで鳥肌が立ちそうだ」


「成る程、つまり意識さえ残っていればいいってこと。たとえば死んだとして、その先が永遠に夢を見ているような状態だとしたら問題ないの?」


「仮にそれが事実だと確立したとして、確かに自らが死ぬことに対しての恐怖はなくなると思うが」しかし続けるように俺は否定の意も唱える。「だがそれだと周囲の人間が死ぬ事に対する恐怖や悲しみは拭えない。俺の中で皆が永遠に生きていてほしい」


 桃央は飲み終えたグラスをテーブルに置くと、肘をつき顎に人差し指を立てて天井を見上げた。


「注文が多いですなぁ」


 別に桃央に何かを頼んだ覚えは無いんだが、わざわざ俺のために色々と考えてくれているのに口を出すのも申し訳ない。だがこれは俺の性格や価値観の問題で、俺自身が変わらなければ解決はないのだ。今更話し合ったところで名案が浮かぶとも考えにくい。話題が話題だし、早々に切り上げるのが吉だろう。


 そんな事を考えていた矢先、桃央は何かを思いついたように指を鳴らし、そのまま人差し指をこちらへ向けてきた。何やら自信ありげな態度だがやたら高いテンションに圧されて、少し体を引いた。


「わかった。深央が幽霊の存在を肯定すれば完璧じゃない?」


「肯定しないけど。したとして何が完璧なんだよ」


「もしも幽霊の存在するなら、自分が死んだ後に幽霊になれる可能性があるってことでしょ。それならば死後でも自らの意識を保っていられる」


 他に客のいない喫茶店に新たな客が訪れ、扉についている鈴の乾いた音が優しく響く。同時に十二月の冷たい空気が暖房のついた室内を一時的に青く染めた。薄着になっていた腕を少し擦り、話に戻る。


「悪くない考えだけど霊になると生きてる人へ接触できないし、夢を見続けるって案とあまり変わらないんじゃないか?」


「幽霊関連の話をする時、私いつも思うんだけど」


 幽霊関連の話をいつもしているのか。


「ああ私、心霊スポットとか大好きで友達とよくそういう話するからさ。行ったことは無いけどね」


 顔に出ていたのか、桃央はさらっとそう説明すると話を続けた。


「で、話を戻すけど。人と接触できないっていうのはわかるとしても、誰にも気づかれないっていうのはちょっとおかしいと思うの」


 話の意図が読めず首を傾げてしまう。人と接触できなければ気づくきっかけが無い。この言葉の中に変な部分は無かったと思うのだが。


「よくわかんないな」


「え、だってもし死んだ人間が幽霊になるならその数だけ幽霊が存在するって事だよ。生きてる人に認知してもらえないなら、幽霊同士でコミュニティを作れば良く無い?」


 特異な提案に息を呑む。


 主に創作物の影響だろうが、幽霊が群れて話している場面など全くイメージできないし、そんな発想は全く無かった。怖い話とか心霊系のテレビ番組に出てくる人前に現れる霊も基本一人だ。


 だが確かに理屈としては幽霊同士ならコミュニケーションを取れてもおかしくない。幽霊になってしまった自分が、そこから第二の人生を歩んでいくのも悪く無いような気さえしてきた。


「友人や知人とも死んだ後、また出会えるかもしれないって事か」


「そういうこと。ね、完璧でしょ」


 自信満々なだけあって、彼女の話はとても興味深い。それでも幽霊の存在はやはり信じ難いし、死への恐怖が薄れることは無かったが一つの結論としてはとても面白いものに仕上がった。この答えは俺一人では到底辿り着く事ができなかっただろう。事実は体験してみないとわからないが、体験してから考えるでは遅いのだ。やはり生前を充実させる事を第一に考える方針を変えることは無いだろう。


「それにしても遅いね譲央じょお


 グラスの外側についた水分を中指でなぞりながら、桃央が店の入り口へと視線を向ける。確かに待ち合わせの時間からもう一時間以上経っている。普段から時間にルーズな彼なので気にしていなかったが、連絡の一つも無いのは少し気掛かりだった。


「俺、ちょっと電話してみるよ。寝坊助な譲央の事だから、もしかしたら寝てんのかもしれないし」


「そうだね、よろしく」


 席を立ち入り口へと向かう。扉に手をかけると鈴の音が涼しげになり、ゆっくり押すと涼しげなどという可愛げを通り越した極寒が顔をのぞかせた。


 これは上着の一つでも持ってくるべきだったな。そう思いながらも戻る事を面倒に感じた俺は薄着のまま外へと歩き出した。





















 遠くから電車の走る音が聞こえてきて思わず振り返った。しかし軒の連なる住宅街の中心、見渡しても家ばかりで電車らしきものは見当たらない。


 俺は短く息を吐き向かうべき道へと歩みを進めた。向かうべき道、と言っても目的地がはっきりしているわけでは無い。日本のどこかに存在するシークレットサークル、それを探すために人知れず数多の都道府県を渡り歩いているのだ。とは言っても今はまだ出発地点から二つほど県を跨いだ場所なのだが。


 時刻は正午。高く登る太陽は日陰を作らず、真夏の炎天下の中逃げることも隠れることもできない。先程視界に入った雑貨屋の外にかけられていた温度計には三十八度という数字が記されていた。どうやら地球温暖化の影響は滞りなく全人類、いや全生物に危害を与えているらしい。


 額の汗を拭い、呼吸を整える。


 想定外の状況に舌打ちが漏れる。まさかこんな状況でも暑さを感じるなんて思わなかった。


「しっかし、どこにあるんだろうな」


 中高生の間で話題になっているシークレットサークル。今や誰もが知るその都市伝説を巡って多くの人間が動いている。誰が流したのかも、その噂が本当かもわからない。だがそんな曖昧な情報だからこそ俺はそこにロマンのようなものを感じていた。確かな情報が無いということは一番に見つければ発見者として称えられるかもしれない。そうなればきっと一躍有名人だ。


 そのために一分一秒を争っているのだ。自分の名誉のためにも他の人間にみすみす取られるわけにはいかない。


 暫く歩くと細かった道が急に開けて、大きな下り坂が目前に見える十字路に出た。坂を見下ろすと数百メートル先に駅と線路が見えて、その線路が自分の真横に見える家々のすぐ裏まで来ていた事がわかる。


 もう歩き始めて何時間経ったろうか。脚は既に強い疲労感を覚えており、もう歩きたく無いのだと膝が強く主張している。気持ちはわかる。歩きたく無いのは俺も同じだ。


「……電車に乗るか」


 走る体力があるわけもなく歩いていると、あと数十メートルというところで電車が駅に止まり、そしてあと少しで改札を抜けようというところで発車してしまう。時刻表を見るとどうやら、次の電車は登るにも降るにも三十分ほど待つことになるらしい。炎天下の中、少し走ったこともあり疲労で気が遠くなりそうだったが、幸いホーム内に設置されたベンチのある場所は屋根の日陰になっていたので暫くそこで休める事を前向きにとらえ、一先ずは腰を落ち着ける事とする。


 電車が来たばかりだからかホームに人の姿は見えない。それをいいことに靴を脱ぎベンチの上で横になる。正直、体重があるわけでもないのにこれほど疲労が溜まるとは思っていなかった。


 しかし不思議なもので、日陰にいると意外にもホームを抜ける風が涼しく心地の良い環境へと変貌する。ありがたみを感じ、その気持ちよさに俺は無意識のうちに目を閉じていた。どこにあるかもわからない木の風に当てられて葉を鳴らす音が聞こえる。だがその音が、どこか夏らしくとても心地良かった。


 しかし次に起き上がった時には太陽は思いっきり傾いていて、空が綺麗な茜色に染まっていたので目を開いた俺は面食らってしまった。腕時計に目をやると時刻は六時を過ぎていた。次に時刻表へ目をやると次の電車は六時十八分と記載されていた。あと五分、猶予があることに安堵する。まさかあんな所で昼寝してしまうとは。しかし不覚をとってしまったが、起きるタイミングは悪くない。次の電車を逃せば次は七時二分まで待たされてしまうらしいので、ここは不幸中の幸いであると捉えるべきだ。


「しかしよくもまあこの暑さで熱中症にもならずいられたもんだ」


 誰にも届かない独り言が静かなホームに木霊する。響く自分の声はまるで自分しか存在していないことを強く主張してきているようで、孤独感が浮き彫りになる。


「ダメだな。嫌なこと考えないようにしてたのに」


 子供の頃によく感じていた、心の奥に大きな穴が開くような感覚。その穴の中に寂しさとか悲しさとか、詰め込まれるだけで勝手に塞ぎ込んでしまいそうになる感情たちがブラックホールのように吸い込まれていく。ブラックホールは俺の意思とは関係なくマイナス感情を蓄え続ける。それにより、こんな事なら感情なんて要らなかった、等と訳の分からない事を考えた事もあった。


 だがそれは昔の話だ。一時の妄想に囚われて一喜一憂していては体力も持たない。何より今の俺に失う物なんて何一つ無いのだ。











 見たことのない景色の中を、まるで恐れを知らぬ暴君かのような速度で電車が進んでいく。窓の外はもう陽が沈みかけており、地平線は橙、そこから上へ視線をずらすと紫、青、藍と鮮やかなグラデーションに彩られていく。高くには既にちらほらと星が見え始め、これから訪れる夜の気配が着々と近づく様が連想させられる。綺麗だ、とシンプルな感想が漏れた。


「次は終点、終点。お出口は左側です」


 時計を見る。まだ一時間も経っていないが、どうやらこの電車ともお別れのようだ。名前も知らないローカル線だし、それほど長い距離は走らないのかもしれない。暖かな光に当てられて窓の外に広がる田園風景が活き活きとして見える。自然溢れる良い土地だと思う反面、民家らしき物が一つも見当たらず無意識に頭を掻いてしまう。


 灯りが無いとなると夜間での移動は極力避けるべきだろう。いくら俺が捨て身の旅をしているとはいえ視界の機能しない世界を闇雲に進んだところで目的地に近づくとは到底思えない。


 だがそうなると相反する感情にぶつかってしまう。俺は今、一刻を争っているのだ。時間は進む。ただでさえ昼間の睡眠時間が捜索時間を遅らせてしまっている。もしも体力に上限さえ無ければ止まる事なく永遠に歩みを進めていたい。そう思うくらいに今の俺は強い焦燥感に駆られているのだ。


 少しだけ不快な音を立てながら電車が速度を落としていく。降りてから日没まで、その間にどのくらい進めるだろうか。どの方向へ進めば灯りが見えるのだろうか。窓の外には依然自然がいっぱいだ。それが当たり前だとでも言うように、田畑以外の人工物が姿を見せることは無い。


 ため息をついて、席を立つ。


 完全に止まった電車が勢いよく戸を開いた。その瞬間、認知の限界を超えた無数の虫の鳴く音が響き渡り、冷房の効いた車内に生暖かい空気が入り込んでくる。こういうのを風情と呼ぶのかもしれないが、鳴く虫の種類も知らず、暑さの苦手な俺にとってはただの地獄、風情などもってのほかだ。


 圧倒的に苦手なこの状況。気は進まないがしかし降りなければ始まらない。ゆっくりと時間をかけて、最後に出来るだけ冷たい空気を感じながら夏の世界へと再び足を踏み入れる。


 ホームは最初の駅と同様に人の気配すら感じない無人駅だった。廃れ寂れた様子は電車が通ってる事すらも疑わしくなってしまうほどで、もし俺が何も停車していない状態のここを見たら、時刻表、いや電車が走っているかどうかすら確認せずに立ち去っていた所だろう。


「へえ、お前ここで降りるの?」


 太陽へ視線を向けると先ほどよりも地平線に引っ張られている気がした。いよいよ時間が無いらしい。今後どうするにしても一度ここからは移動した方が良さそうだ。まず陽が暮れる前に休める場所を確保せねばならない。休むに適した場所なんてこんな田舎に期待できるはずもないことは理解しているが、横になる事も難しいような場所で立ち往生だけはごめんだ。


「もしもーし」


 待て、ここは駅だ。恐らく灯りはついているだろうし、そこにはベンチも見える。日が沈みロクに動けない事を考えるのなら、ここは腹を括って夜明けまで全く動かないという手もありなのではないか?


「おい、無視かよ」


「え?」不意に声がして俯いていた顔を上げる。「俺ですか?」


「そう、お前」


 改札の向こう側へ視線を向けると、そこには夕陽に照らされ体を真っ赤に染めた少年が立っていた。気づかれたことに満足したのか、彼は嫌味のない笑顔を覗かせながら改札など気にも留めずに近づいてくる。突然の接触に緊張が走った。


「あ、あの、俺……僕に何のようでしょうか?」


「繕わなくて良いよ。俺もお前と同じだから」


 発言の意味がわからずフリーズする。出会ったばかりだというのに同じと言われても、お前が俺の何を知っているんだ、としか返す言葉が見つからない。しかしあまりにも澄ました顔で言うものだから俺は口を挟むような真似ができなかった。


 考える。他者から見て今の俺はどういう特徴を持っているのか。


「……もしかして、貴方もシークレットサークルを?」


 中肉中背の高校生くらいの見た目をした少年は少しの間、考えるように腕を組みながら目を硬くつむった。それが肯定を表しているのか否か、判断がつかずに俺の方も黙り込んでしまう。しかし彼は時刻表へ視線を向けると目を丸くして俺の手を掴んだ。


「とりあえずもう出発するらしいからさ、乗らない? どうせここにいても何もないし」


 そういって手を引く彼の強引さが何だか子供っぽくて、その不思議な感触に意識を奪われた俺は彼の意のままに再び電車へと乗り込んでしまった。


 席は相変わらず空いている、むしろ埋まったいる席が皆無なので選びたい放題だ。それでも端に二人座ってしまうのはやはり日本人の性なのか、誰に言われるでもなく意味のない遠慮をしてしまう無駄な気遣いは多分俺たち共通の悪い癖なのだろう。


 一つ席を空けて隣に座る彼を見ると、体を揺らしながらご機嫌に鼻歌を歌っていた。楽観的な人だ、と短絡的な思考がよぎる。


「あの」電車はまだ発車していない。しかし俺は待つことができなかった。「貴方もシークレットサークルを探してるんですか?」


 落ち着きのない彼の体がピタリと止まり、影の見えない瞳がこちらへと向く。


「ううん、シークレットサークルを作ったのは俺なんだ」


 さらっと発された言葉に思考が拐われ、強く頭を殴られたかのような衝撃が走る。


 今、この男は何と言ったのだろうか。


「シークレットサークルを作ったのは俺なんだ」


「ごめんなさい二回も言わせてしまって。ちゃんと聞こえてたんで大丈夫です」


「そうか。スルーされたからてっきり聞こえなかったのかと」


 人一人いない上に電車も発進していない。辺りには確実な静寂がある。そんな中で聞き逃せる奴がいるのなら見てみたいくらいだ。と言いたいところだったが、大きく話が逸れる事は避けたいので飲み込む。


「それよりどういう事ですか。シークレットサークルを作ったって。というかそもそも、シークレットサークルって何なんですか?」


「え、知らないで探してたのかよ。大人しそうな見た目に反して中々チャレンジャーだな」


「それは、まあ。そんな事より……」


「わかってる。シークレットサークルっていうのはまあ簡単に言うと」


 言葉を編みながら、人差し指を立てて弧を描くように空を舞わせる少年。そしてその指は彼の言葉が止まるのと同時に俺へと向いた。


「お前を探すために俺が作ったサークルだ」


「はあ」


「信じてないだろ。まあ無理もないか」


 アナウンスが入って扉が閉まる。俺たちを乗せた電車は、今度は初めに乗車した駅の方向へと歩みを進めていく。


 少年は揺れる車内をものともせず立ち上がり、ふらふらと歩きながら言葉を続けた。


「ねえ、お前は運命って信じる?」


 電車がレールの上を走る時の硬い音が微かな騒音を作る。しかしそれでも彼の声ははっきりと聞こえた。

「人はね、死んでも生まれ変わって、前世の記憶が無いままで再び前世の家族や友人と出会う。いわゆる輪廻転生ってやつ。この世界はそうやって回り続けてるんだ。そんな事を言われて素直に飲み込めるか?」


「いや、無理ですけど」


「だよな。もちろん俺も信じてなかったよ」


 彼は暫く、体力を持て余していたのか車内を漂っていたが、言葉が切れるのを引き金に俺の対面の席へと腰を下ろした。一連の動作を眺め続け、彼の動きが止まるのを見計らってから小さく息を吸う。


「その話とシークレットサークルと、何か関係あるんですか?」


「そうだな。お前は何で存在が不確定で不特定なシークレットサークルが噂として強く根付いたんだと思う? 普通に考えたら情報が曖昧すぎて都市伝説にしても誰も話題にしなさそうだろう。というか話す内容が無いから伝染しようにも出来ないはず」


 黙って彼の話に聞き入る。


 彼の言うことは一理ある。実際、俺だって正体もわからないそれを探しに全てを投げ出して国内を放浪しているのだ。普通に考えればおかしな話である。


「でも答えは簡単だよ。みんなシークレットサークルの正体を知ってたんだ。記憶には残っていないだけでね」


 きっと今、俺は怪訝な表情を隠そうともしていないだろう。


「どういうことでしょうか?」


 そんな俺など気にせず彼は言葉を続ける。


「噂を流した人間たちは皆、前世ではシークレットサークルに入っていたのさ。はっきりと思い出せなくても記憶の片隅に不確かな情報として残っている。その差は人それぞれだと思うけれど、もしも色濃く記憶が残っている人がいて、そのたった一人が噂を流したとしようか。そうすれば前世にサークルに入っていた者たちが皆反応する。頭が反応しちゃうんだよ」


 話についていけない。思考が固まって思うように話が飲み込めない。額に手を当てて下を向く。この頭が痛くなる感じ、まるで下手に設定を盛り込んだRPGゲームの冒頭をプレイしているみたいだ。正直、ここから先の話が頭に入ってくる気がしない。


「まあ、もうわかってると思うけど、シークレットサークルっていうのは俺が幽霊内のコミュニティで作ったものなんだ。だからそもそも現世、生きてる人間たちが知る術のないものなんだよ」


「……ということは、やっぱり貴方も幽霊なんですね」


「そうだよ。幽霊は幽霊以外に見えない。それはもうわかってるんだろ」


 確かにそれはもう痛いほどよくわかっている。死んでから数日の間は、家族や知人に片っ端から接触しては存在を主張し会話を試みた。しかし駄目だった。まあ今思い返してみればそれも当然の話なのだが、気が動転していた当時、俺はその事実に強く絶望したものだ。


「正直、自分以外にも幽霊がいて会話ができていることに驚いてるんです。今までここ数ヶ月誰にも会えなかったので」


「そりゃいるだろ。幽霊ってのは死んだ人の数だけ存在するんだから」


 ごもっともだ。自分が幽霊として存在しているのだから何らおかしい話ではない。むしろ逆に今まで誰とも出会わなかったことが不自然なくらいだ。


「いや、転生するやつもいるから死んだ数とイコールでは無いか」


 言われてみればそうだ。生き物は次々と生まれてくる。様々な時代、様々な場所で死んでいった人間が今も尚幽霊として残り続けていたら、それこそ地獄のような光景が広がっていたことだろう。転生という概念の存在に心から感謝する。


 停車しようと電車が減速を始め車内が強く揺れる。俺は近くにある手すりに捕まりながら脳内を目まぐるしく回転させた。しかし気がつけば思ったよりも落ち着いていて、彼との会話は脳内にある程度纏まっていた。自分で何かをしたわけではないが、色々と話している内に脳がうまく処理してくれたのかもしれない。


「えっと」だから今度は俺から話を切り出すことにした。「それで、俺を探していた目的って何なんですか?」


 彼は三秒間ほど目を閉じて、開き俺を真っ直ぐ見た。質問に答える事なく、ただ俺と強く視線を交わし合う。訳もわからぬままに、俺は彼の視線を受け入れたが、沈黙の時間は思いの外長く続いた。これが何かを躊躇っての行動なのか、それとも答える気がないということなのか。どちらにしても気まずかったので痺れを切らした俺が当たり障りのないように沈黙を破る。


「あ、あの、話したいことがあったから探してたっていうことなんですよね?」


「半分正解だが、半分間違いだ」


 やっと返ってきた答えに内心穏やかになる。


「……半分とは?」


「正確には、今はそうだが、前は違った、というべきかもしれない」


「目的が変わった、前は違ったって……。いやそもそも何で僕のことを知っているんですか?」


 彼は電車の外を眺めている。日が沈み真っ暗になってしまった外へ無関心を置く。


「貴方は僕と知り合いだったんですか?」


 虚無に誘われる瞳が揺れる。同時に電車も強く揺れた。


「……復讐だよ」


「え?」今度は聞き取れなくて思わず聞き返す。


「初めは、ただ同志をたくさん集めれば良いと思っていた。子供心を働かせてシークレットサークルなんて呼んでいたが、目的はそんな可愛いもんじゃない」


「目的って?」


 彼の鋭い瞳が俺の左胸を射抜く。


「お前を殺すこと」


 その瞬間、まるで本当に拳銃を放たれたかのように左胸が強く痛んだ。いや銃弾に心臓を貫かれたことは無いけれど、その時に果たして痛みを感じるのかなんて知らないけれど、とにかく強い痛みを覚えたのだ。


 荒くなる呼吸を整えようと強く深呼吸する。


「お前に復讐するための集団、それがシークレットサークルの正体だ。俺は仲間の力を借りてお前を殺すつもりだった。生者を死者にしようとしたわけじゃない。死者に死ぬほどの痛みを、苦しみを、延々と与え続けようとしたんだ。死んだお前を殺すために今日まで生きていたと言っても過言では無い」


 呼吸を繰り返せば繰り返すほど、しかし肺はどんどん苦しくなる。


「……なら、そんなに殺したかったのなら、どうして今は変わったんですか?」


 しかし何故だかはわからないが黙ってしまうのは良くない気がした。今だけは彼に向き合わなければならない気がした。


「冷めたんだよ」


 まるで時が止まったかのように俺の世界が停止する。その間は痛みも苦しみも無の中に消えていたが、すぐに現実に戻ったように呼吸が始まって、同時に彼は言葉を続けた。


「この百年。俺は死んだままお前を待ち続けた。殺意だけを胸に抱いたまま、仲間を集め続け今か今かと待ち望んでいたんだ」


 圧迫感をまとった発言とは裏腹に、彼の声色や表情は至って冷静だ。その違和感が少し怖かったが、彼の話を聞いていると苦しさが紛れる気がしたので気にせず黙って耳を傾ける。


「けど思ったようにはいかなかった。どれだけ待ち望んでも結局現れたのはサークル結成から百年後だ。その間にサークルの霊達は目まぐるしく入れ替わった。入れ替わったと言っても抜けたやつは誰一人いなかった。ただ、成仏しちまったんだ」


「成仏って概念があるんですか?」


「それはそうだろ。じゃなきゃ輪廻転生できないじゃんか」


 それは確かに。


「色んな奴が消滅していくのを目の当たりにしたよ。生きてる頃からの知り合いも、幽霊になってから知り合った奴も、みんな最後は笑顔だった。お前と出会えて幸せだったって、誰もが恥ずかしげもなく口にしてた」


「……よっぽど慕われていたんですね」


 小さく呼吸するが、もう胸はあまり苦しく無い。しかし代わりだと言わんばかりに今度は心に強い翳りが生まれた。あまりにも煩わしい、その感情を殺すように強く拳を握る。


「誰かと別れる度に復讐心は薄れていった。成仏していく奴らを見てると心がすり減って俺だけが取り残されたような気分になる。俺たちは同じ目的を掲げて、同じ時を進んでいる。なのに何故俺は残り、奴らは成仏したんだ。そのうち残っている奴らも全員消えて俺だけが孤独になるんじゃ無いか。そう思った。正直、後半二十年くらいはただ惰性に毎日を過ごしてたよ」


「じゃあシークレットサークルは」


「もう無いよ。俺以外はみんな消えちまったからな」


 彼は言いながら再び立ち上がり、いつの間にか走り出した不規則に揺れる車内を落ち着きなく歩く。そして再び一つ挟んだ隣の席へと腰を落ち着けた。


「それでも復讐心は完全には消えてなかった。お前が転生したのを知った時は漸く訪れた復讐の刻に久々に心を感じたものだ。だから毎日のように監視した。お前が死ぬその時を見逃さないようにな」


 推測がようやく確信に変わった。確かに俺は死んだ。死んだから今、幽霊である彼と会話ができているのだ。だが俺が死んだのはここ数ヶ月内の話であって百年も前の話ではない。それなのに何故、彼は俺を知っていたのか。いや正確には俺は知らなかった。前世の俺を知っていたのだ。


「前世で、僕は貴方に何かをしてしまったんですか」


 それに彼は答えなかった。代わりだと言うように彼は続きを語る。


「でもお前は生きている間、散々な仕打ちを受けていたよね」


 俺は目を見開いた。悪寒が走り全身から嫌な汗が吹いて出る。


「思い出させて悪い。でもお前の事を監視し続けて思ったんだ。これ以上、俺から何か手を加えることは必要ないって」


 深く息が吸えない。目から涙が出てきて、脳が危険信号を出しているのがわかった。手が震え出して顔が熱くなる。苦しくて仕方がないはずなのに息が吸えず、その上嗚咽が漏れる。


「悪いな。苦しませるつもりは本当に無かったんだ」


 その姿を見かねたのか、彼は俺に近づくと背中を優しくさすりながら静かに声をかけてきた。殺そうとしてた、なんて物騒な事を言っていた割に今は俺の介抱をしている。おかしな人もいるもんだと思う反面、呼吸が楽になっていくのも事実だった。


 彼が背中をさするリズムに合わせて大きく深呼吸を繰り返す。涙は止まらなかったが、手の震えは治ったようだった。


「……ありがとうございます。おかげで助かりました」


「無理に喋んなよ。元を辿れば俺のせいなんだから、ゆっくりしてろ。暫くこうしといてやるから」


 他人の体温を背中に感じながら呼吸をするのは何だかとても不思議な感覚だった。カイロやストーブ、太陽などとは全く違う。この輝かしく穏やかな温かさを的確に表現できる気がしない。


 他者と触れ合う機会の殆どなかった俺にとって誰かと隣り合うのは何だかとても不思議だった。話しかければ返ってくるのもそうだが、平気で背中に触れてくるのも、もしこんな状況でなければ動揺を全面に出して相手を引かせていた事だろう。


 だが彼にとってきっとこれは普通なんだ。たくさんの人間と接し、多くの人間に慕われた彼にとってはこれくらい造作のない事なんだ。その事がたまらなく羨ましく、そして妬ましい。きっと彼は俺が体験できなかったたくさんの事を彼は知っているのだ。それは多分、俺には想像もつかないような幸せが山の数ほどあるに違いない。


 しかし現在、その全てを失っている。


 全てを捨てた空っぽの俺と同じ。いや目的さえ失った点では俺以上の虚無に包まれていると言っても過言ではないだろう。


 だとすればこの世界に、もう未練は無いのではなかろうか?


「……あの」


「なんだよ」


「……仲間たちは成仏していき、僕を殺す事も諦めた貴方がどうして未だにこの世界に幽霊として囚われ続けているんですか?」


 もう大丈夫だと判断したのか彼は俺の体から手を離すと、また一つ分の席を離した。その事に少しだけ寂しさを感じたが、顔には出さないようにしながら彼へと視線を向ける。


 どんな顔で何を言うのだろうかと思ったが、彼は意外にも少し困ったような笑顔で戯けるように口を開いた。


「一つは、お前に会いたかったからだ。復習する気のなくなった今、ただ一人でいるのも寂しかったし、百数年ぶりにお前と話がしたかった。俺はお前を許さないが、生まれ変わってもお前はお前だった」


「それ、僕には何一つしっくり来ないんですが」


 そう言って笑うと、彼も小さく微笑んだ。


「もう一つは……」少し溜めて電車の天井を見上げる。「死ぬ事が死ぬほど怖いから、かな」


 すると電車の扉が開き暖かい風が車内に吹き込んできた。


 蝉の声がよく聞こえた昼間とは打って変わって鈴虫の声が車内に響き渡る。窓の外にはちらほらと民家が見え始めて住宅街に差し掛かっている事が窺えた。


 このまま電車がどこへ向かうのかはわからない。目的の消えた今、どこへ向かえばいいのかもわからない。彼は十年以上の間、こんな気持ちのまま意識だけを保って過ごしていたのだ。そう思うと外の熱気にも勝るような冷たさが心を覆って、今すぐにでも消えてしまいたい気持ちになる。


 だが物事はきっとそう単純ではない。死んだ人間には死んだ後の人生があったり、成仏した人間が新たな人間として生まれ変わったり、生まれ変われる事を知ってなお成仏もせず留まる人がいたり、死に虚無を望んだのに死後の世界を彷徨う人もいる。


 だから彼は笑った。長い虚無は明け新たに歩み出す時が来た事を悟った。もしくは俺に出会うことが何かと決別するための一歩だったのかもしれない。そんな人間を目の当たりにして、俺だけ俯くわけにはいかないだろう。


「それ、何かおかしくないですか?」


 電車の戸が閉まり、次の目的地へと俺たちを運んでいく。俺たちも探さねばなるまい。自分たちが進むべき自分たちの目的地へと。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ