あやふや問答
グロテスクな表現等はありませんが、殺人事件に関するお話も入っております
もし、お心にさわるようでしたら読むのを避けてください
えぇー、今日はえらいいい景色でありますが、
これが贅沢と言うのか、はたまたまずい奴のとこに当たってしまった、ちくしょうっちゅうのかはこの後直ぐにもう分かりますゆえ、何卒、なにぞと、最後までお席立ちのないようお願い致します
ええ、つまらんからと言って傘などを投げつける事のないようにね、ええ
いやぁ、いるんですよ
やあ、今日は随分と顰めっ面のお客様ばかりやなぁと話しているとね
皆の気持ちを代弁しようかといい歳したお方がね
「やいやい、こんなじじいの話聞く為に金払ってんじゃねぇ」って、持っていた杖やら何やらを投げ込むんです
いや、何を言ってますのあんた
じじいですよ、そりゃ
夏梅亭月丸なんて名前で若いおなごが出る訳がない訳であります訳でございますよ、そうでしょ?ぇえ
杖を投げるなら、小銭を投げてくれ、ちゅう話なんですが、まぁこの話はここらでやめておきましょ
まだ喋り足らんうちにお客さん帰られたら困りますですからね
はい、それではじじいの話につきおうてもらいます
この時期といえば、なんですか、やはり気味の悪い話、恐ろしい話、誰も彼も暑くてたまらん訳ですから背中がぞぞぞーと冷える、そんな話が好まれるわけです
そんで、そうなると大抵幽霊やら物の怪やらに纏わる話をするわけですが、実はこりゃ大きな間違いですよ、ええ
怖い話っちゅうもんは、柳の木ぃの横にいるんでも、辻で「あー、誰かこねーかなぁ、はよ驚かしたいなぁ」とうずうず待っている異形の輩でもありやせん
なんてこたぁない日に家でゆるりと日々の疲れを癒やしている時にね、床にごろりとまぁ転がってるわけですよ
で、大して興味もないテレビなんかをぼーっと見る
ええ、これが世間の旦那方の9割の休日の過ごし方です
勿論、ここにいらっしゃる方は意識の高い残りの1割だとは分かっております
はい、そうです
休みの日に落語なんかに金を払いに来るのは、とてつもなく学識高い方々、高等な笑いを堪能する上流階級の方々でございます
どうか、その1割であり続ける為にこれからもお布施の程、よろしくお願い致します
へへ、冗談はさておき
そんな風に旦那がぼぉーとテレビやらを見ていると、ふと、昔行った事のあるどこかの観光地の映像が流れてくる、
「この湯は、いいとこだったよなぁ
お前さんも美人の湯だ言うてなんべんも入ってたからすっかり茹であがっちまってなぁ
あぁ、そうだここの近くの蕎麦屋が美味かったよなぁ、
ありゃなんて名前の店だったかな」
とまぁ、こう問いかける訳です
すると、奥で夕飯の準備をしていた嫁さんが手を止めます
「……あんた」
旦那ははっとして嫁さんの不穏な気配を察して体をゆっくりと起こし振り返る、
「あんたぁ、そりゃ私じゃありませんがな」
ーーええ、恐怖と言う奴は平穏な日常に突然訪れるものです
魚を捌いていた包丁が飛んでこないだけ御の字でございます
つまり、結論から言いますと、本当に恐ろしいものと言うのは人間のここでございます
脳味噌、頭脳様で御座います
この記憶違い、と言う奴がほんとうに怖いわけであります、はい
ええー、いつの時代も人でなしという奴は、ある一定の数いる訳でして
人通りの無い道端にまだうら若い娘っ子が可哀想に胸を一突きされておりまして医者が言うには即死だとのこと
花盛りのおなごがこんな寂しい通りで1人最後を迎えるとは……これには、皆が女を憐れんで、こんな事をした奴を野放しにはできんと、下手人を捕まえる為に躍起になっていた、とまぁこんな事がありました
そうするとですねぇ、その甲斐もあってか怪しい男の1人や2人か挙がってくる訳ですよ
「おい、お前
被害者と知り合いだったな」
「いや、知り合いだなんてそんなただの店員と客の関係です」
「ふん、そんな事は口先でどうとでも言える
それよりこれこれのこの時間、お前さん何をしていた」
「へぇ、家にいました」
「それを証明できる奴はおるか?」
「ええ、おります」
「なに?それは本当か」
「ええ、ずっと一緒におりましたゆえ
なぁ、ミケ」
「にゃああ」
……皆さん、猫なんて拾うもんじゃありませんよ
いざ、殺人事件の容疑者にされた時アリバイを立証してくれませんからねぇ
えぇ、猫の方は懸命に証言するわけですよ
「お上の方々ぁ
こいつぁ、ここ数年女のなまっちろい手すら繋いでおりませんですよ
たまのついとる野郎の毛むくじゃらの手ぇさ握ってにやけておる気色の悪い男でございます
気色の悪くはありますが、気の優しい奴であります
そんな男がおなごを殺めるなどそんな恐ろしい事出来る訳がありません
どうか、よくよくちゃあんと調べてくだせぇ
どうか、どうかーーにゃあにゃあ」
こういう訳です
いくら警察でもにゃあにゃあでは分からない訳であります
猫ばかりにのめり込んで人間との付き合いをおなざりにしている男ですから、男の為に弁解するような親しい者もおらずになんなら、
「いやぁ、私は分かっておりましたよ
あの男は何か危ない気配がする
仕事は真面目にこなしていましたが、時折見えるあの鋭い目つき
ありゃあ、性根に鬼を住まわせている奴の目でさぁ」
こんな具合で御座います
近眼の方々、どうか物を見る時は「あぁ、よく見えんよく見えん」と呟きながら目を細めるようおすすめ致します
「大人しそうだけど、いつかやると思った」
「優しそうだったけどねぇ、まぁそういう人ほど恐ろしい事ができるって言うからねぇ」
いやぁ、こんな風に言われては世の真面目な人間はやってられませんねぇ
しかし、まぁこれらはよくある世間の声な訳です
ええ、そんなこんなで暫く経つと、何と男を殺害現場の近くで見たという男が現れます
「お前
これこれこの時間に、この写真の男を現場の近くで見たと言うが、本当か!?」
「へぇ、これこれこの時間にこの写真の男を現場の近くで見ました」
「よし、目撃者が出た
あいつは家にいると嘘をついたのだから
これで犯人なのは間違いない」
ええ、間違いな訳であります
皆様はご存じの通りミケが家に男がいたのを見ておりますから
男がその時間に現場の近くにいる訳がないのでございます
ではこれは一体どういう事だと言うと、実はこの目撃者という男
実に正義感が強く人様の役に立とうと立派な志を胸に抱いている一般的な男であります
そんな男がある日、殺人事件の捜査と言われて刑事に尋ねられる訳です
「この写真の男を見ていないか」
「う〜〜ん、ん!はっ!おりょっ!!
この男!!」
「見た事があるのか!?」
「ええ!見たことあります、はい、ええ、本当です!」
「なに!?
それはこれこれこの時間にここら辺で見たのでは無いか!?」
「ええと、そこの曲がり角で見たような気が…はて、いつだったかなぁうーん、なにぶんもう3週間も前のことですからなぁ」
警官も意気込みます
「いいか、これは殺人事件なのだ
若い女性を殺めた残忍な犯人に罪を償わせなければならないのだ
よくよく思い出しなさい
貴方の記憶が彼女の無念を晴らす唯一の手段になるのかもしれないのだぞ」
こう言われますと、男の中のもやもやとした記憶の影が段々と形を成していくわけですよ
う〜ん、ありゃあ昼間だったかな、いや夕暮れ時か?いや、もう少し暗かったかもしれん
いや!そうだ、確かあの時サスペンスドラマを見ていてそれを見終わってから少し散歩に、と思って家を出たんじゃ
あのドラマは夜の9時からやっている奴だから間違いない、男を見たのは夜の事で間違いないっ!QED証明完了!!
「ええ!間違いありません!
その男を見たのはこれこれこの時間で御座います!!」
……人の記憶と言うのはほんにあやふやなもので危なっかしい物です、恐ろしい物です
この男がはっきりと断言したこれ、間違いでございます
何この男は録画したドラマを昼間に見た事をすっかり忘れているのです
それで、お天道が少し曇っていてうすらさむい夕方が一気に真っ暗闇、街路灯がてんてん、とまぁこういう風に頭の中で作り替えられてしまった訳なのです
ほんに人間の記憶なんてものは頼りになりません
記憶違いほど、恐ろしいものはありません
はぁ、昼間が夜中にねぇ、なんとまぁあやふやな事か、しくしく
ええ、これお話でしたら笑いどころではありますが、現実でしたらとてもじゃありませんが笑ってる場合じゃありしません
この男の証言でね、無実の男が犯人にされる訳ですよ、へぇ
確かに間抜けではありますが、心根の優しい男がね、とても誰かを傷つけようなどと恐ろしくて出来ない男です
雨の日に道端に転がったきたねぇ子猫を懐に抱えてね
直ぐにおっ死んじまうそいつの体の虫やらを丁寧にとって綺麗にしてやり、あったかい寝床作ってやって寝ずに世話をするような男です
それから何年も何年もそいつに構ってばかりいるからただでさえ少ない出会いを更に少なくして嫁さんも出来ないようなそんな阿保な男であります
ねぇ、分かりますかあんた
嫁さんの機嫌損ねるのとは訳が違うんですよ
人の人生がかかっているんです
悪事などに手を染めた事のない男が罪を負わされるのです
それをたぁんと理解して、親身になって、自分の事のように思ってよくよく思い出しなさい
本当に男をその時間に見たのか?
男はレジ袋を腕に下げて帰っていたのではないか?
半透明の袋から飛び出た青ネギに覚えがないか?
そんなはっきりと見えておいて、暗い夜などとよく言えたもんだ
ちゃあんと思い出したか、ならばさっさと間違いを正しに行け!!
このばかたれが!!シャアー!!
……とまぁ、どうやら唯一のお客様もお帰りになったようなのでこれにて終いにさせて頂きます
「あやふや問答」で御座いました
じじいの話に最後までお付き合い頂きまして誠に誠に有難お御座いました
《とん、とん、でけてんてん、とん》
最近、落語にはまっていましてついつい書いてしまいました
最近と言っても3日前からでございます
何故わざわざそんな事を申すかと言うと、語り口調とかがおかしいぞと言われても、「いやまだ3日目ですので」と言い訳が出来るからです
影響のされやすい人間です
人生楽しくて仕方がないのだろうなと呆れております
最後まで読んで頂きありがとうございました