消えた少女と探せない彼と
何かを探していると、それがなんだったのか分からなくなるんだ。
日も傾きかけた放課後、いつものように図書室でぼんやりと本を読んでいると、いつもは見ない顔が目の前に座り、そう言い放った。
突然現れ訳の分からないことを言い出す奴はどんな野郎だと、顔だけでも見てやるかと目だけ向けてみたが、夕日の逆光で顔は分からなかった。
「なんで僕のところに来たの?」
夕日で紅く染まったソイツは、ただえらく背が高いなという印象だった。それに反して、やたら小さい陰が隣にあるから、随分とまあ凸凹な2人組だと、顔が見えないのを良いことにぼんやりと考える。
大きい方が、身を乗り出すように机に肘をついた。
「超能力があるんだろ?」
「君、そんな噂、本当に信じてるわけ?」
友達付き合いが苦手というか面倒で、いつも本ばかり読んでいる僕を揶揄うために出来たような噂だ。
超能力や幽霊などオカルト全般の本や、過去の未解決事件や犯罪心理の本ばかり読んでいた僕にももちろん原因はあるだろうけれど。そんな奴らに良いネタ提供をしたという意味で。
だけど、そんなくだらない噂を間に受けるような奴が存在するなんて思わなかった。いや、顔も見えていないし、ただ揶揄っているだけかもしれなかった。
「信じてるから来たんだ」
相変わらず顔は見えないが、声は至って真剣だった。見えないとなると、一体どんなバカが来たんだろうとますます顔が拝みたくなってくるから不思議だ。
「あるのか?ないのか?」
「ある訳ないだろ」
そう即答すれば、困ったように肩を落とす。邪魔して悪かったな、そう残念そうに言うと席を立とうとするので引き止める。
それは親切心なんかではなく、純粋な好奇心からだった。
「ねえ、それ、不思議な話?なら興味あるな」
馬鹿にされたとでも受け取って怒るだろうか。言った後でそんなことを考えたけれど、目の前の相手の反応を見てそれはなさそうだな、と自然と口角が上がる。
日が落ちきり、薄暗くなった中初めて見えた相手の顔。たしか、隣のクラスのいつも人に囲まれて賑やかにしてる奴だ。
その表情はいつも見る馬鹿みたいに楽しそうな顔とは違い、不安と少しの期待が浮かんでいた。
………
何かを探していると、それが何か分からなくなる。
それは単純に忘れっぽいとか、そういう次元ではなさそうだった。
探しものはなんでも構わない。あのさ、この前使った○○はどこにしまったっけ?とか。△△を見かけなかった?とか。××がいないから探してくれる?とか。モノでも人でも、どんなことでも『探す』という行為に対して記憶を保てないというのだ。
約束を忘れるとか、忘れ物をするとか、相手の名前を忘れるとか、そういうことは一切ない。ただ、何かを探している時に、何を探しているのか、それ以前に探していた事実すら忘れてしまう。
綺麗に忘れてしまうのだから自覚はないけれど、あまりに周りに指摘される上、全く身に覚えがなかったのでだんだん恐ろしくなったという。
「でもさ、探してる時だけなんだろ?そう頻繁に何かを探すわけでもないし、そんなに困らないんじゃない?」
面白い話ではあるけれど、かなり限定的だし、そう困ることでもないんじゃないか。現に、目の前の彼はいつも人の輪の中で笑っている印象が強いのだ、そこまで真剣に困っているとも思えなかった。
「昔から、何かを忘れてるなとは思っていたんだ。俺がそう思う時、何かを探している時なんだよ」
「何かって?」
「分からない」
「いつから?」
「小学生くらいの頃から、かな…」
曖昧な回答の割に、頭を抑え顔をしかめる素振りをする。まるで思い出すのを脳が拒んでいるようだった。
下校時間はとうに過ぎていたので、並んで校舎を後にする。その間にもいくつか質問してみたが、あまり要領は得なかった。
どこの小学校?どのあたりで良く遊んでいた?どんな遊びが流行っていた?担任の先生の名は?クラスは何組?仲の良かった子の名前は?同じ中学に来たのは他に誰がいる?
スラスラ答えられるものもあれば、抜け落ちたように、単語すら出てこないものもあった。
意外なことに、彼の家は中学から程近いところにあった。住宅街の中にある、ごく普通の一軒家だった。
「今日は悪かったな」
「別に。揶揄ってるわけじゃないことは分かった」
「聞いてもらえて、助かったよ」
「本当に聞いただけだけどね」
困ったように眉を下げる彼は、いつもの自信満々に笑う彼とは別人のように見えた。とはいえ、隣のクラスで別に親しくもないので話したこともなかったし、元々僕のイメージとは違っていたのかもしれない。
それでも、いつも明るいからこそ、こんな変なことを話せる奴なんて周りにいなかったんだろうとも容易に想像がつく。普段から馬鹿騒ぎしかしないような集団の中で、こんな話をするタイミングなんてどこにもなかっただろう。
「まあ、中々面白かったよ」
「俺は面白くなんてねーけどなー」
そう言って軽く手を振れば、少しだけ恨めしそうな声が返ってくる。
「何かいい案が浮かんだら声かけるよ」
目の前の彼が本当に信じているのなら、こういう一言が気休めになるかもしれない。「あんま期待しないで待ってるわ」そう言って家の中に入っていった彼の背中は、心なしか身長よりも小さく頼りなく見えた。
「さて。それで君は、僕に何が言いたいのかな?」
玄関の門から先に入らず、僕の隣に立つ小柄な影に向き直る。
小学校中学年くらいの、本当に小さな女の子。小柄に見えるだけの中学生というわけではない。その背にはピンク色のランドセル。この子は、見た目だけでなく、本当に小学生なのだ。
図書室の時から、その子は彼の隣にいた。いいや、もうずっと前から彼と一緒にいるところを僕は見てきている。だから他人に興味がない僕ですら、彼の顔を覚えていたのだ。
僕はたしかに超能力は使えなかった。
だけど、それはあくまで超能力なら、という話なのだ。
…………
今から6年前。僕らが小学3年生の時。この辺りでちょっとした騒ぎになった事件があった。
被害者は同じく小学3年生の女の子。加害者は不明。未だに犯人は捕まっていない。
少女は他の友達と遊んでいる最中に忽然といなくなり、首のない死体だけが発見された。その首は今も見つかっていない。
未解決事件を調べるのも趣味のひとつのような僕にとっても、身近で起きたこの事件は印象深いものだった。
だから、目の前の少女が、この事件の被害者の女の子と全く同じ顔をしているのにも最初から気が付いていた。
「君はアイツを恨んでるわけじゃなさそうだよね?」
声を掛けても、特に反応はない。
彼らに話しかけるのは初めてではないけれど、一度も会話は成立したことはない。彼らは口が効けないのだ。
でもまあ、答えなんてどうでも良かった。少女の彼を見る目が恨みを含んでいないことくらい、見れば分かることだった。
「じゃあ、どうしてアイツのそばに居るのかな?」
言葉を理解できているかは分からない。じっと僕を見つめた後、ゆっくりと歩き出す。着いて来いと言うことなのだろう。
すっかりと暗くなった空は、真っ暗な海の底のようだった。ゆるやかに流れる夜の雲は、まるで打ち寄せる波のように。雲の隙間からは、時折鋭く欠けた月が見え隠れしていた。
少女に連れられて来たのは、小学校裏の少し古びた一軒家だった。木造で縁側でもありそうな、良く言えばレトロで、悪く言えばお化け屋敷のような。
ここがどうしたのかと目を向ければ、家の裏手に回り込み、勝手口まで連れられる。木が生い茂る中にある勝手口は、街灯も少ないこともあってか、そこにあると言われなければ全く気が付かないほど存在感は希薄だった。
ぼうっとしていると、少女が勝手口をすり抜け中へと入って行く。それに気が付いた頃にはもうすっかり中に入るところで、着いて来いとでも言うように、手招きしていた。
どうしたものかと少し迷った後、勝手口に手をかければ元々壊れていたのかあっさりと扉は開く。庭は雑草が膝まで伸びきっていて、屈めば体は埋まりそうなほどだった。これは不法侵入だぞ、そう考える反面、不思議な状況に僕の胸は高鳴っていた。
手入れを全くしていない庭の雑草をかき分け、少女の導くままに他人の家の中を進む。灯は着いていたけれど、住民の気配は全く感じられなかった。
他の部屋よりも薄暗い電球の部屋の窓の前で、少女は立ち止まる。指差されるままに中を覗き込み、そこで僕は少女の行動の意味を理解した。
壁一面に置かれた本棚に、並べられた数え切れないほどの首。
美容師が使うような、明らかにマネキンのようなものから、本物と見間違えるほどに精巧なものまで。たくさんの首が綺麗に整頓されていた。
このうちのいくつがダミーで、このうちのいくつが本物の首なのだろう。
「みぃつけた」
一体何人の人を。
それは分からなかったが、目の前の少女の首がそのうちのひとつであることは、紛れもない事実だった。
…………
「いい?これを良く見て」
翌日の放課後、人気のない空き教室で、紐の先についたガラスの重りをゆらゆらと揺らす。
多分、どうにかできると思うよ。そう声を掛ければ、彼は簡単に着いてきた。騒がしい周りの奴らは、不思議クンと噂されている僕が何の用かと訝しんでいたけれど、他人がどう思おうがどうでも良かった。
静かになったところで、落ち着かせるようにゆっくりと話しかける。
「揺れと、自分の呼吸をあわせて。ゆっくり、吸って、吐いて」
大人しく僕の言う通りにする。何度か深呼吸をさせたところで、ぼうっとしてきた目つきから、もうそろそろかなと判断する。
「後3回呼吸したら、君は小学3年生の事件のあったあの日だ。いいね?」
僕に超能力はない。催眠術なんて、かけたこともなければ、試したことすらない。今問題なく出来ているのは、少女が助けてくれているからだ。
「君はその日、何をしていた?」
「…かくれんぼ」
「死んでしまった女の子も?」
「…うん」
「女の子はどうしていなくなったの?」
「…分からない。遊んでいたら、あの子だけ見つからなかった」
苦しそうに顔をしかめる彼に可哀想だと思いながらも、質問を止めることはできない。こうでもしなければ、彼は探しものを忘れ続ける。
「それは君が探しものを忘れてしまうのと関係はある?」
カーテンを背にして椅子に座る彼の横には、ランドセルを背負った少女がいた。彼らはいつも無表情だから、何を考えているのか表情からは分からない。けれど、ずっと彼のことを心配していたのだろうと思う。
これは少女の望んだことだった。
「…おれが、鬼だったんだ。でも、見つけてあげられなかった」
彼が探していたのは、忘れていたのは、少女のことだった。
「暗くなっても見つからなくて、もう帰ったんだろうって、みんな気にしなかった。一緒に遊んでた先生も、親には連絡しておくから大丈夫だって」
「でも、君は気になった」
「うん、そう。あの子、最近誰かに見られてるみたいだって言ってたから、気になった。でも、みんな大丈夫だって言うから、おれも帰ったんだ。探さなきゃ、いけなかったのに」
段々と、質問に答える彼の呼吸が荒くなる。確信に近づいているのだろう。可哀想だと思いながらも、静かに淡々と問い続ける。
「どうして探さなきゃいけなかったの?」
「おにだったから、見つけなかったから、探さなかったから、あんな、あんなことに」
「あんなって、どんな?」
「首だけ、見つからなかった」
どんな?と言う問いに彼は答えなかった。おそらく、答えられなかったのだろう。
「首を探してるの?」
「せめて、それだけは、おれが見つけてあげないと。でも、いくら探しても、どこを探しても、見つからないんだ、どこにもないんだ」
その言葉に、足元にしゃがみ何を考えているのか分からなかった少女が立ち上がる。呼吸が荒く、取り乱す彼の額に触れようとしたところで、それを止める。僕はそのために、催眠術の真似事をしているのだ。
「いい?僕の目を見るんだ」
強く低く、彼に声を掛ける。催眠術でやや虚ろな目で、それでも言われた通りに彼は僕を見る。
「君は、探さなくていいんだ」
言い聞かせるように、強く、はっきり、ゆっくりと繰り返す。
「君は何も悪くない」
何度も、繰り返し、同じことを、脳に刻み込まれるまで。次第に、粗かった呼吸も落ち着きを取り戻す。
深くゆっくりとした呼吸になる頃、僕は最後の仕上げをする。
「君はあの日、鬼ではなかった」
「君はあの日、かくれんぼをしなかった」
「僕が3つ数えたら、君は元の中学生だ。今話したことは深く沈めて、思い出してはいけない。いいね?」
コクリと頷いたのを確認し、僕はゆっくりと3つ数える。
数分後、意識がはっきりとした彼は、僕の言った通りしっかり何も覚えていなかった。
…………
僕が小学校裏の古い家で首を見つけてから数日後、6年前の未解決事件はニュースになった。
ずっと見つからなかった少女の首は剥製にされた状態で飾られていたこと。他にも行方不明になっていた少女たちの首もあったことで、余罪は数え切れないこと。
事件の犯人は、一緒にかくれんぼをしていたという当時の担任の教師だった。
「小3の時の担任がさ、まさかこんな変態だとは思わなかった」
「君はその先生と親しかったの?」
「全然?」
何でそんなこと聞くんだとキョトンとする彼に対し、本当は放課後一緒に遊ぶ程度には親しかったはずだよ、そう言うのは心の中だけに留める。
彼が開けたのか、大きく開かれた窓からは心地の良い風が入ってくる。よく晴れた太陽が、図書室の中を満遍なく照らしていた。そのあまりの眩しさに、思わず目を擦る。
「女の子の方はさ、初恋の子だったな」
「ふうん、そうなんだ」
それが恋愛だったかは知らないけれど、少なくとも、少女も彼のことを好ましく思っていたんだろう。じゃなきゃ、自分を責めて探そうとし続ける彼の記憶に手を加える必要なんてない。
「ところで、どうして君は今日もここにいるわけ?」
最近は本を読む中学生はほとんどいないのか、放課後の図書室はいつも僕の貸切のようなものだった。それが、あれからもう1人利用者が増えたのだ。とは言っても、本を読むわけではなく昼寝をするだけだったけれど。
「よく覚えてないけど、お前のおかげで探しものを忘れなくなった」
日当たりは良いのに、珍しく昼寝せずにこちらを眺めたり話しかけたりしてくるので居心地が悪くなって問い掛ければ、はにかみながらもそんな返事が返ってくる。
「そう。でもそれは、僕のおかげじゃないよ」
僕が感謝されるのは違うだろう。そう思い訂正すれば、眉間に皺を寄せ、不思議そうな表情を隠しもせず聞き返す。
「じゃあ、誰のおかげなんだよ?」
「さあね。君もよく知っている人じゃない?」
まだ何か聞きたそうにしている彼を完全に無視して、読書に没頭するフリをする。それを見て諦めたのか、彼はいつものように鞄を枕代わりにして昼寝をし始める。
窓の外の校庭では、運動部の生徒の賑やかな声で溢れている。その全員が、数年前は同じようにかくれんぼをして遊ぶような子供だったんだろう。
催眠術をかけたあの日から、少女の姿を見かけることはなかった。
少女にとって、自分の首を見つけてもらうことよりもずっと、気掛かりで仕方がないことがあったということなのだろう。