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スターター

作者: 嚢中之玉

 ぶれない軸と一定のリズムをキープすることで、意外と長い距離を走れてしまう。

 走りながら腕時計に目を落とし時刻を確認する。午後八時三十三分。八時過ぎに走り始めたからすでに辺りは暗かった。

 三十分を過ぎた私の頭は徐々にクリアに、そしてテンションはハイになってきている。走り出しは目が慣れず、足元に多少の不安を感じる場面もあったが、今のところは一定のリズムをキープしながら安定して走れている。ストライドの短いピッチ走法で走る足音と、吸う吸う吐く吐くを繰り返す小さな呼吸音。前への推進力を生むために地を蹴り、もう片方の足で綺麗で静かに着地する。その流れに合わせるように肘からほとんど九十度に曲げた腕を前後させて勢いを伸ばし、流れるリズムで再び足で地を蹴り出す。手のひらが上手く脱力出来ていることで自然に走れていることを確認する。

 私みたいな市民ランナーにとって、走るコースの選択はなるべく平坦であることが条件になる。気持ちよく走る為の選択肢。だからといって信号や踏切なんかでストップさせられてしまうのもイヤなわけで、許容できる適当なルートを頭に描く。半年近く、この街で暮らし走り回ったおかげで、距離なんかは結構自在に変えることが出来るようになったが、信号待ちや踏切という障害をクリアするのは難しい。この辺りはランナーに不向きな土地かもしれないと思いながら妥協し本日のコースを選択する。少し離れた海沿いの道を走ろうと決めた。

 昔は知らない道を走ってめぐり半分迷子になっても、気ままに、それこそ自由に走り回っていた。どこまでもいけるような気概に満ち、翌日に残る疲労なんかは気にせず、ただ努力を重ねる実感と捉えることが出来て楽しかった。


 ランニング中は普段生活している時と視界から得られる情報が違う。同じ景色でも歩いて観る景色と、走って観る景色とでは異なっていると感じたことがあればイメージしやすいが、自分の足をもって走って過ぎ去る景色には、小さなインパクトが飛躍する。すれ違う車が特別に珍しく見え、建物なんかの細部まで印象として頭に残る。さっと過ぎ去ってしまう為に、そうした数瞬の景色が目に焼きついて頭に残るのかもしれない。

 川に架かる橋の前で右に折れる。線路下のトンネルを潜り、上下する道を越え、再び平坦な道になる。辺りはすっかり人気がない田舎道となり、左手には川が流れ、右手にはぽつぽつと民家がある程度で、あとは田んぼや畑が広がっている。月灯りと、僅かばかりの外灯とを頼りに、乱れないペースで私は走り続ける。

 時刻を確認すると走り始めて四十分を過ぎていた。一キロを凡そ四分弱を目安に走っているはずなので、十キロと少し走ったことになる。このくらいになると、所謂ランナーズハイという状態になってくる。体の細部まで感覚が行き渡り、勢いのままにペースを上げたい衝動が生まれ、日常の悩み事も簡単に吹き飛ぶような高揚感が体中を駆け巡るのだ。我慢出来ずに少しだけペースを上げることにして、私はなおも川沿いの田舎道を走り続ける。まだ海は見えてこない。空で佇む月は明るく、ほとんど満月の輝きが、周囲できらめく星達の光を奪っていた。

 架かっている四つ目の橋を渡り川を越え、川向の道路を上がったままのテンションで駆ける。まもなく信号のある交差点で左折する。そこで、走っている彼女を見つけた。

 ちょうど青信号になった交差点を走って渡る一人の女性。私と彼女の距離は大体三十メートルほど離れていたが、私が行こうとする方向に向かって走っていたので、そのうち追いつくだろうと思った。

 ピンクの蛍光色のトップスが、すれ違う車のライトに照らされて光る。スパッツのようなタイツを履いているのか、遠めでは暗くて分らないが、ライトに照らされた彼女の足に、電流のような筋が幾つかのラインを走らせている。車が過ぎ去る度に光っては消えるイルミネーションみたいだった。

 そんなことを考えながら彼女に釣られるように走った。そして、彼女との距離がほとんど変わっていないということに気がついた。

 ただ同じペースで走っていたってだけで何もおかしなことはないと思うのだけど、それが対異性となると「おかしい」と走って昂ぶった感情の中で冷静になる。

 中学、高校と、陸上部としてそれなりに走っていたから、足だけには結構な自信が溜まっていた。今まで、すれ違ったり追い越したりしたランナーが私より速いか、それ以上であったことは当然無かったし、そもそも高校では一万メートルでインターハイを走ったこともある。女性で、私と同じペースである程度の距離を走っているというのは、目を見張るような驚きを覚えてもおかしくもない事実で、どんな人なのか気になって嬉しくなり、私はペースのギアを上げる。

 後、十メートルをきったところで、彼女のペースに合わせるまでダウンする。こうした動きは後々響くし、メンタル的にも疲れを伴うので滅多にすることではない。それでも、追いつきたかったのは負けたくない気持ちが湧き出ていたから。私は、こうしたランナーを見かけるといつも勝手に相手との勝負を繰り返す。はっきりとしたルールはないが、必ずどこかに公平な勝負であるという根拠を見つけて、自らのジャッジでいつも裁いていつも勝ち、僅かな優越感に浸っている。

 近づいたことで、彼女をはっきりと捉えることが出来た。CMなんかで見るような本格的なウェアで身を包み、右腕に反射板を付け、左腕には音楽プレイヤーなのか、イヤホンのコードが延びているのが見えた。足の運びや、腕の振り方も、体を前に進める為に的確に流れているように見える。

 私は初めて、女の尻を追いかけている。その考えに卑しさも抱くが、そうした気持ちが皆無ではないところで素直に認め、その気持ちを置き去りにするように、より力強く走った。

 しばらくの間追従していると、前方の踏切が鳴り出した。そして、踏み切りで止まる彼女の隣で、私は同じようにその場で走るようにステップすることになった。

「追いつかれちゃいましたか」

 先に話しかけられた私は言葉に詰まった。肩甲骨の辺りまで伸びた髪を一つに束ねた髪が、彼女の上下に合わせるようになびく。息の荒さは感じない。しかし、そうした溢れる余裕が当然だと、踏み切りから漏れた光で照らされた彼女の顔を見て思った。 

 今年の名古屋ウィメンズマラソン。35キロ地点あたりまで海外招待選手の真後ろを走り続けた女性、相馬知里。確か、離されるまでは日本記録のペースで走っていた。実況と解説が、テレビ越しに伝えていた興奮が私の胸の裡で蘇る。

 こぼれた白い歯が背景から浮き、通った鼻筋と開けた額にうっすらと汗が滲んでいるのが見え、薄く微笑む笑顔は綺麗だった。小さく添えられた唇が動く。

「一般の方ですよね? 学生時代に結構有名な方だったりします?」

 彼女はステップを止め体を伸ばし、合わせるように私もストレッチを始める。

「えっと、いや、有名だったとかじゃないです。陸上部だったくらいで……相馬さん? ですよね? 名古屋すごかったです!」

 彼女はアキレス腱を伸ばしにかかっている。

「あっ、ありがとうございます。あんまり気付かれることないので驚いてしまって。えっと、結構前からついてこられてましたよね。見ず知らずのランナーに話しかけるのもあれかなとは思ったんですけれど、私のペースを意識してついてこられて来ている様に感じたので」

 少し恥ずかしさがあって「なんとなくで。なんかすみません」と意味も無く謝った。まさか、プロのランナーを相手に自身の速さを見せつけようと勝負していたつもりだったとはいえなかった。

 それで少し沈黙。電車が大きな音を鳴らしながら通過する。カンカンカンと馬鹿みたいなうるさい音が止み遮断機が開いて、

「よし! 走りますか!」

 彼女が走り出し、私も後を追う。停止させられていた車たちはライトを点け始め、それほど広くない踏み切りを私達が通過するのを待っていた。

 彼女の後ろ数メートルを保ち、フォームを観察しながら走った。動きは軽やかに流れ、軽快な足取りはまだまだ余力を感じる。私は「流石はプロの実力」と舌を巻き、残りの体力の心元なさを案じていた。

 曲がろうと思っていた道は大分前に過ぎた。海沿いの開けた道を進みすぎていた私は、そろそろ家へと進路を切り替え出さなければ「つらくなる」と思い、

「そこで曲がって帰り出しますね! 後ろつかせてもらってありがとうございましたー!」

と後ろから少し叫ぶように言った。

「いいえー! お気をつけてー!」

張りのある声で少し振り返りながら彼女は言い、ペースは合わせていてあげたんだよというように、ギアを上げて走り去った。

 

 次の日、朝から足が重かった。太ももの外側が表も裏も、力を込めてもないのにその筋が張り切っている。歩く動きはぎこちなく、踏み出すごとに足から上へ向かって痛みが流れ、毎歩、背筋が伸びてしまう。「くっそー」と久しぶりの感覚に可笑しくなって面白かった。

 特に指定の制服のようなものが私の事務所にはない。それはそれで毎日服と睨めっこなんてことになって、大変だなと思った時からーー入社して三ヶ月も経ってなかったと思うーー私はチノパンにポロシャツ、冬場は上だけを代え、インナーを着た上に、丸首の長袖シャツとニットのカーディガンを着込み、外に出るならダウンジャケットを重ねる定番を作った。パンツは一年を通してチノパンで、生地の厚みを変えている。これを一週間着まわせるように、色や柄が多少違うものを買い揃えた時の気分の爽快さといったらたまらなかった。

 朝礼を終え、専用のデスクに座ろうとした時、朝から楽しませてくれている筋肉痛が走り、歯を食いしばって座ることになり恥ずかしくなる。

「どっか痛めたんか?」

隣で神埼さんに言われ笑顔を返す。

「筋肉痛で……」

平静を保つように意識して言った。

「そうかそうか。どこや?」笑顔になってイスを近づけて来た。やめてくれ。

 一見強面だったから、昔、話しかけられるまではちょっと距離を空けたりしたこともあったけれど、実際に言葉を交わして分ったこの人は、面倒見の良い頼れる先輩で結構飲みにいったりするくらい仲もいいんだけど、この子供のような楽しそうな性格は如何ともしがたいと改めて思った。

 必死でつついてくる腕を押さえてわが身を護り、飽きてもらうまで耐える。避ける為に身を捩るだけでも響いて痛い。

「今日は府庁行って申請の訂正書類持っていくんですよね神崎さん」

「ああ、そうやな。まぁもう用意しとるし、アポ取った時間までまだあって暇なんや」

「早くいけよこのおっさん」なんてことは作り笑いの中に隠し、高校時代に戻ったようなスキンシップはそれからもう少し続いた。


「楽しそうやったなー」と神崎さんの去ったイスに腰掛けて、前橋さんが言う。

「気付いてたんなら止めて下さいよ」

「仲良さそうでなによりかなぁって。それより、昨日書いてくれた図面チェック入れといたから直しよろしく」

赤ペンでチェックまみれになった三枚のA3用紙が、ひらひらとされながら私の机の上に置かれ、「うえー」とげんなりした声を漏らした。

 前橋さんは風で飛ばされたりはしないだろうかと不安に思うような細い体で、平べったい日本人顔をしていて薄く、着ている服は透けるような薄いものばかりを重ねて大体着乱している。飄々とした見た目で、話し方も飄々としているから、親しみやすく冗談なんかを良く交わし合う。しかし、図面チェックは細部まで観察しつくしていつも真っ赤にして返してくる容赦のない人で、今日も今日とて修正に精を出す一日になりそうだなと思い、私はデスクに向かい取り掛かることにした。

 合間にいくつかの雑務をこなしながら、修正作業に勤しんだ。今回の物件は、私と神崎さん、前橋さんの三人で担当をしている。一般的な低層のマンションで、立地や価格帯的には子育て真っ最中の世帯向けの使用を予定している物件だ。

 一年目の私の勉強的な意味合いもある物件で、着工には多少の猶予が許されており仕事中の雰囲気は明るい。だから私は、心身的な余裕もあってランニングに費やすことが出来たりしている。

 終業時間が近くなり、ミーティングスペースへ移動する。チーム三人で明日の予定と今日の報告、進捗状況や情報の共有を行って終わる。

「筋肉痛は治ったんか」嬉しそうに神崎さんが言う。

「ぼちぼち慣れ来たって感じですよ」と私が返す。

「神崎さん余裕あっていいですねー、私が持ってます物件の相談とかしましょうかー?」前橋さんが乗ってくる。

「そういうのは所長がええよな、前橋。俺はこいつの面倒みないといかんしな!」

 冗談交じりの報告を終えた私は、車を走らせていつもの道を帰った。九月はまだ始まったばかりで、街路樹は青々とした葉が茂り、車内エアコンを強めに効かせた。太陽は漸く落ちる時刻を早め出し、眩しさを防ぐサンバイザーを降ろした。


酷い筋肉痛事件から三ヶ月が過ぎた。あの日から私が走るコースはほとんど変化することがない。また会えるかもしれないという淡い期待を抱いて、大体八時くらいから走り出すのだが、週に二、三回のランニングでは結局再会することはなかった。特別会わなければならないという理由はなかったが、コースが固定されるということになったのは結果的によかったかもしれない。同じルートばかりでは飽きてしまい、走るのがつらくなるだろうと考えていた為に、毎回いろいろなルートを試していたのだが、実際に固定されたコースを淡々と走り続けるというのも悪くなく、ゆっくりと進む季節の流れがよく分った。


 仕事は年末年始の長期休暇期間に入り、私は一路実家へと向かっていた。奈良にある実家は、父と母と今年高校三年になった弟の三人で住んでいる。大阪で働くことが決まってから一人暮らしを始めた私は、今回が五回目の帰省になる。道順もなれたもので、ぐるぐると入り組む天王寺駅で乗り換え、奈良方面へと向かう路線に乗り換える。溢れかえる人の波に高鳴っていた昔の私の面影はなく、落ち着きを払い乗り慣れている一人という動きでまっすぐと目的のホームに降りる。新しい道路がいろいろと整備されたことで、車で向かっても良かったのだが、都会人になったというアピールがしたい私は、「テレビで紹介された」とかいう有名店の土産を持参したいが為に電車での帰省を毎回選ぶ。

 正月休みは実家でなければならない。だらけきって年越しの鐘を聞いてから、大勢の参拝者でごった返す境内に混ざって新年の挨拶をしに行く。それから寝て、起きたら父と共に母の御節を肴に酒を飲む。そして一日をゆっくりと過ごす。翌日はテレビで箱根駅伝を観る。

 そうした予定という信条めいた何かに胸を膨らませながら、駅から家までの道のりを歩く。遠くに連なる紀伊山地に夕日が沈み行く様が見える。部活帰りを想起する夕焼けした故郷の景色は、私を現実へと戻し、複雑な気持ちにさせた。

「ただいまー!、おかえりー!」一人で叫ぶ。

 玄関の引き戸をからからと戸車が転がる音をさせて家に入ると、土間にある弟のでかくて汚れた靴がいやに目に付いた。兄よりも身長が大きくなりすぎた弟は憎いような可愛いような……。

「あーおかえり、おかえり」奥のほうで母の声がした。

 古民家に馴染んだ古めかしい仏壇にお供えを済まし、ざっと荷物の整理を済ます。居間で寛ぐ為にスウェットに身を包みテレビを点けてだらける。キッチンにいる母といくつか言葉を交わし話を聞いた。仕事はどうだ、一人暮らしはどうだ、というような話になると、うまくやっているよとばかり返した。

 午後7時を過ぎた頃に父が帰ってきた。毎年この日は、町のお寄りと言う名の飲み会が、昼間から盛大に催される。付き合いだからという言葉を盾に、仕方なく参加しているという装いで出て行ったであろう父の姿が思い出された。

「俊平帰ってきてたんか、今年の箱根はどんな展開や」

 良い塩梅まで酔っているのであろう父は、無邪気な様子で話しかけてきた。顔にはほとんど出ないのだが、目の焦点が合っていなさそうなところと、少しふらふらとしながら隣にどすっと座った感じで、相当酔っているなと思った。

「今年も青学一強やろうな。勝ちすぎると応援する気がなくなるんやけど、そこを接戦に持ち込んで面白くしてくれそうなとこがないんよな」

「そうかぁ。お前こないだのテレビみたんか?」

「なんのやねん」と間髪いれず父に突っ込んだ。

「ほら、あれや。相馬知里が取上げられ取ったやろ。今度の大阪女子国際で注目選手やいうて」

「へぇー、そんなんあったんや。見てないわ、なんかおもろいこというとったん?」

「ビデオ撮ってあるからまた見たらええぞ。そや、ええ酒あるんやったわ、飲むか?」

手をコップの形にしてくいっと煽る仕草で酔っ払いは言う。

「正月用やって言ったでしょ。明日にしとき」

器に盛られた天ぷらを持ってきた母が叱った。

 晩御飯の天そばをすすりながら、

「そういえば篤志は何処いったん?」兄のせっかくの帰郷にも関わらず、顔を見せていない弟について母に聞いてみた。

「なんか、高校最後やからって、友達と遊び尽くすんやって言うてお昼からどっか行ったみたい」

「ふーん」と興味なさそうに私は言う。人生の先輩として、兄として、大人ぶって話をしたかったので少し残念。

 テレビは年末の特番が流れている。母がちょくちょく紅白にチャンネルを変える。「きゃあ、翔くーん!」とか叫んだり、まだまだ元気そうでなによりかなとか考えたり、こたつに身体の半分を入れて幸せそうに横で眠る父を見たり、繰り返すいつもの年末を私は過ごした。


 新年を告げる音がなった。テレビではクラッカーを一万個くらいつかったような演出が流れていた。

「はい、新年明けましておめでとう」

「明けましておめでとうございます」と母に返した。

「よしっと、お寺に参拝行って来るわ」

 さすがにスウェットで出歩くわけにはいかないので、濃い色をしたデニムに、グレーのセーターと薄いベージュのチェスターコートを着て出かけた。ポケットには携帯カイロを忍ばせ、首元をマフラーで固めて、それでも寒くて吐き出す息が白く現れる。突き刺さるような冷気に震え、縮こまるように身体を曲げながら、早足でお寺へと向かった。

 結構な人でごった返していた寺は、活気に溢れていた。境内は寝るときに部屋で点けている豆電球みたいな仄かな灯りが辺りを照らし、別世界にきたような感覚でなんとなく、時代劇なんかで見る江戸の賑わう街並を思い出した。

 大勢の列に加わって、賽銭の順番を待つ。人混みに入ると多少震えは納まって、余裕みたいなものが出来た。それでやっと今年も始まったんだと思った。変わらない普通の一年であればいいなと願う。

 賽銭を済ませて家に帰ると、母が父を起こしてお寺に向かうところだった。私はそろそろ寝ようかと思っていたが、冷えた身体を温めたいところでもあったし、あとは寝るだけなのだからとお酒を片手に居間のこたつに潜り込みテレビを点けた。そういえば、録画しているどうのこうのと言っていたな。

 映像は夜の情報番組の特集だった。マラソン界注目の新星「相馬知里」選手に密着インタビューとテレビの端にテロップで書かれてあった。

 父が取っておいてくれたいいお酒を仏壇から持ち出し、透明のグラスに注いだ。華やかな香りとこぽこぽと注がれていく音。さすがに御節を肴にまでしてしまったら母の激昂は免れないであろうから、晩の残りのてんぷらを少し持ってきた。

 テレビの映像は、相馬選手の食事のシーンを映していた。色鮮やかな野菜のサラダや、焼き魚と卵焼き、他にいくつかのおかずがあって、茶碗のご飯の量は昔話みたいに盛られていた。女性なのにすごい食べるな。

 とっておいたらしいお酒を飲む。華やぐ香りが口に入れると一層広がって、舌触りの良い滑らかな飲み口。そのおいしさに「うまっ」と思わず呟いて、一升瓶を持ち上げて製造元なんかを確認する。飲みやすさから、ぐいぐいいけてしまいそうで怖い。

 相馬選手の練習シーン。四十キロ走だった。信号のない田園風景が広がっている大きな道路をただひたすらに走っていた。陽射しが彼女を照り付けて流れていく汗が光る。車に乗った監督が横で激を飛ばし、苦しそうに走る相馬選手は大きく頷いていた。

 走り終えた地点のインタビューで、「この練習はどのくらいの間隔で行っているんですか?」という質問に、「週に二回ですね」と笑顔で答えていた。

 昼食を摂り、休憩を挟んでから恐ろしいことにもう一度四十キロを走っていた。

 エンディングを思わせるような音楽が流れ、部屋で椅子に座った彼女にインタビューをする場面になった。インタビュアーの質問がいちいちテロップで流れる。彼女の返答は長かったのか、丁寧すぎたのか、ところどころカットされているみたいだった。

「競技生活の中で、あの時にこうしていればというようなことはありますか?」という質問だった。終始にこやかな彼女の表情が変わったのは。

「私は過去に戻りたいと思ったことはないんです。戻ってまたあんな苦しい練習を超えなくちゃいけないと思うと、絶対に戻りたくないなって。だから、毎日そう思えるように過ごせていたら、最善を、精一杯を尽くして生きていけてる、試合に臨めていると思うんです。これが私の自信で選手としての力だと思っています」

 力強い表情のまま、彼女はそう答えていた。父が私に見せたかった、聞かせたかった、言いたかったことはこれだろうな、まったく。

 良い心地だったので、あまり深く考えたくない気分だったから、テレビを消して、ばれないようにお酒を仏壇に戻して、自分の部屋へ切り上げて眠った。


 次の日、昼前に目を覚ました。昨日は、程よく酔ったおかげできれいに眠ることが出来た。自分の部屋の窓を開けて外の空気を吸い込んだ。冷え切った空気が機械で暖められて濁った部屋の空気を新しくする。雪の姿は見えないが、窓から望む景色は寒さで白まっているように見えた。

 身支度を済ませてーーといってもスウェットのままーー居間に行くと、父と母が御節を囲んで正月の特番を観ていた。

「ああ、昨日言ってた録画のやつ? みたわ」私は自分から切り出した。

 そのまま何食わぬ顔で御節をつつこうとこたつに潜り込む。母が私が届くように、重箱をこちらに寄せてくれた。三段からなる我が家の御節は、母の母、つまりおばあちゃんに母が教わったもので、母なりに手の込んだ詰め合わせになっている。いくつかは買ってきたものをそのままというものもあるが、黒豆、昆布巻き、小魚を煮た田作り、大根や人参の酢の物、綺麗に赤くなった小ぶりの海老、里芋や蓮根などが入った煮物で大方を占め、残りの隙間を彩りを添えるもので埋めている。昨日、これらを仕込んでいた時に、キッチンから居間に向かって、反応しない私に我が家のおせち料理の起源のような話をしていたのを思い出した。「めんどくさいなぁってなるけど、これしてたら私も正月やなって毎年思うんよ」との一言に母の幸せが込められている、現われているような気になって、先でそういう家庭作りたいなぁとぼんやり思った。

「まあとりあえず飲むか、ええお酒とってあんねん」

 遠くなった御節に手を伸ばし、父は小皿にせっせと自分の分を確保しながら言う。大体の想像はつく。未練がましく今もなおランナーとして走り続けている自分への講釈か何かを”あれ”を通じて言いたかったのだろうと。走ることは趣味程度に嗜めれば良いと思うようになったのだから、特に何も気にかかってはいない。

 父は立ち上がって隣の部屋にある仏壇から、私が昨日少しばかり頂戴した一升瓶を持ってきた。「ちょっとへっとる」とか言いいながら戻ってきたので、「ちょっともらった」と素直に返事をする。

「あっそうなん、あんたなん? 仏さんにご飯上げる時へっとったから、てっきりお父さんが昨日こっそり飲んだと思てたわ。あんたも飲み過ぎはやめ時や」

「わかってるわかってる」と軽く言い、透明のガラスコップを父に向けてお酌をしてもらう。仰々しく崇める様にコップを掲げ「戴きます」と言って注いでもらうと、「くるしゅーない、くるしゅーない」って良く分らない調子で、父はなみなみに注いでくれた。

 変わりに私も父のコップに注ぎ、二人でこぼれないように少しだけ飲んでから乾杯を交わした。

「どうや、設計の仕事は楽しいんか?」父は海老の殻を剥きながら私に尋ねた。

「楽しい時もあるし、しんどい時もあるしって感じやけど、総じたら楽しいと思う」

「まあ、あかんかったらうちとこの鉄工所で働きながら他に向いてること探したりも出来るんやし、ぼちぼち頑張れや」

「別にいいよそんなん。向こうならいくらでも仕事あるから心配せんで。それに嫌いとか向いてないとかじゃないし、やめへんと思う」

 そうかそうかと剥きだした海老を頬張り、父は酒を煽った。言いたいことは気まずくて言えず、でもじっとしていてはおかしいだろうからただ手と口を動かしている。そんなもどかしさが見えた気がした。


 家を設計したいと思ったのは高校3年の最後の夏の初め。テレビで古くなった家を新しく、使いやすくリフォームするという有名な番組を見た時に、この家をリフォームして、住み易くしてあげたいという気持ちが湧いた。全然、漠然とした思いだったから、インターネットで簡単に”建築士”になるにはを調べた。「おっけーグーグル、建築士になるにはを調べて」くらいの感じ。

 そこに表示されたいくつかのページ内にあるヒットワードを含んだ二、三行をさらさらとだけ読み、建築系の大学に進まないといけないことが分った。

 進路については、なんとなくいける大学を出ればいい程度に考えていた。あわよくば駅伝の強い大学から推薦をもらえるようなとか、そうした期待をいくらかもったりとか、夢ばかりを描いていたりと、その程度。でも、この時になってようやく気がついた。推薦でいけるような学校は、私の頭と足の速さではなさそうだということに。それで、今更現実をというのには遅すぎた時期だったとその時に初めて感じ、さーっと身体のあちこちから心臓辺りに向かって引く寒気を感じたことを今でも鮮明に覚えている。それだけわき目も振らず愚直に、速く走ることだけに心血を注いでいただけの自分がとても滑稽に見えた。

 私がもって生まれた才能は、特別優れたものではなかったが、そこまで捨て鉢になるほど劣るようなものでもなく、努力っていう可能性に賭けて尽くせば花開くと思っていた。その時まではそれしかないし、きっと結果はついてくるという期待ばかりを膨らませて練習に取り組む自分が誇らしかった。

 しかし、あと一歩で一段上の世界にいけそうな結果しか残せていなかった。限られた枠に滑り込めないまま今日に至り、ふっと湧いた夢への道筋となる進学もままならない現実しか残っていなかった。

 それで自らが生み出した期待を膨らませるだけの妄想の世界から抜け、現実で堅実な当たり前の、普通の世界が自分には相応しかったのだと得心した。

 勉強は嫌いではなかったからなんとかいけると思う、

ーーでも不安だーー

 この時期まで全力で部活動を続けれたのは良かったと思う、

ーーそれで何が残った--

 普通の生活が出来たらいいと思う、

ーー今からで間に合うのか、走ることしか取得がないーー

 自分の今までの努力を全てにおいて否定したくはなかった。だけど、当たり前の普通の世界へやって来た私に相応しい現実のこれからを思うと、役に立つようなことってなくて、敗北感のような悔しさから目に涙が溢れた。

 それから、給料や仕事の規模なんかを気にしなければ、就職先をある程度紹介してくれるという大学に受って今になる。


 気まずい空気の真っ只中に空になったグラスを置くコンッって音がよく響く。その音で父が動き出し、もう一杯飲むか? と尋ねてきたから、遠慮なく頂戴する。そして、何杯目か分らない父のグラスにも注ぎ返す。母がその様子をただ、じっと見ていた。

「お前もっかいランナー目指してみたらどうなんや? スピードがいるトラックとか厳しいかもしれへんけど、フルマラソンやったらなんとかいけるんちゃうか」

 注いだお酒を一口飲んで父が語りだす。

「ほら、公務員やりながらフルマラソンの選手やっとった人とか、あんな感じでやってみたらどうなんや?」

 私はうーんと唸る。考えたことはあったし、当然その選手を知った時は、すごいな、羨ましいな、とも思った。もしかしたら出来るかもしれないと考えたこともある。しかし、現実にする為には、相当の覚悟と力が必要になる。自分にはもう難しい。

「仕事もあるしなぁ。今年でもう二十三やし、今からやるのは厳しいと思う。てか別にそんな無理せんでも普通に生きていけると思うし、やらんかなぁ」

グラスを手に持ち、中に注がれたお酒をくるくる回しながら答えた。

「わしみたいなおっさんはどうにもならんやろけど、二十三言うたらピークはこれからやしそこはいけるやろ。それに、あれや、相馬選手が言うとった過去に戻りたくないくらいなんか一生懸命やってみるんも悪くないと思うんや」

「うーん、別に今の仕事一生懸命やってるし、それだけ頑張ってたらええかなと思うわ」

 酔いが回ってきたのだろうか? 父が私を見つめた後、視線を下げて黙り込む。様子を見ていた母が口を挟んできた。

「あんた高校の時に言うたやん? 今まで走ってきたんが全部無駄やったわー! って、泣いて言うとったやん。そんなことあらへんって、大会で顔こんなして必死で走ってたあんたを応援してる時あたしは思たよ。あーこの子は頑張れる子や、強い子なんや、やっぱし自慢の息子やわって。でも走ること引退してからすっかりおとなしなってしもうて、元気あるんかないんかよー分らんようになってしもて、お母さんなちょっと寂しなってな、それでお父さんに相談してな、新しい生活もうまくやってるみたいやし話してみようってなったんよ。でもこの人お酒飲ませてもなんも良いこと言わへんしで。あたしらもな、あん時心からあんたとぶつかって話ししてあげられへんかったことすごい後悔してたんよ。諦めんな言うたらなあかんかったって。あたしの息子は頑張れる子やて今も思っとるんやから、また挑戦してみたらあかんの? もっとな前見上げ続けてて欲しいんよ」

 そんなことを思ってくれていたのかっていう驚きとどっしりとした母の愛情、そして、戦うという気持ちが薄れきった今の自分、いろんなことを感じて思い、感動してというよりも、どちらかと言えば悔しさから目にこみ上げてくるものがあった。別に下を見て生きていたわけじゃない。普通だ。上もなく下もない、普通の夢を追いかけることにしただけ、あの時から。だから、わくわくするとか、やってやるとか、ちくしょうとか、心が揺れ動くような気持ちを起こすことがなくなった。つまり、「両親の為に自分で家を設計してあげたい」っていうのは本気で目指している夢じゃなかったということ。いつかそうなれれば良いよねっていう希望でしかない。普通に過ごせば、時間が解決してくれそうだよねとかそんなとこ。その程度って分っていたけれど、夢を持って生きている自分がいると思うことで安心し、そんなことしか出来ないなと思い続けて納得していた。

 私は黙り込む。それで思い出す。確かにトラックで競い合っていたあの生活は苦しくてつらい日々だった。でも、でもそれだけじゃなかった。貪欲に練習をしタイムに繋げ、僅かにだけど結果を残す。徐々に伸びたり停滞したりを繰り返していたらあっという間に終わった高校生活。あれだけの充実を、ただ苦しいだけでは得られるはずがない。

 それで、改めて今の自分について考える。普通に生活は出来ている。一生懸命というほどではないけれど、それなりの毎日だ。問題はない。だけど、高校生活のような充実感があるかと聞かれたら、ないときっぱり言い切れる。薄れてきて、実感としてはもう思い出せないあの日々の、あの毎日やってやるという気持ちが今はなく、これからも今まで通りに過ごしていくのなら、きっと湧き上がってくることはないのだろう。そんな人生では悔いが残るな。誇れるような自分でありたいな。

 実際に公務員ランナーと呼ばれる人の話を聞いた時、羨ましかった。楽しいんだろうなと羨ましかった。

「お母さんは、家を綺麗にしてもらうとかより、一生懸命に頑張っている俊平を見ていられる方が幸せやわ」

 走ることに優越感を感じているだけの、普通のランナーの私は、その言葉で踏ん切りがつき、吸った空気を強く吐き出してから告げる。

「とりあえず、一回フルマラソンを走ってみようと思う。まずは今の自分の頑張った力をタイムで出して、そこから挑戦するところを決めようと思う。ちょっと前に調べたことがあって、初めて市民ランナーで走って、二時間半を切れたら日本のトップの世界を目指せるかも知れへんから、そこを目標にやってみる」

ってなんの根拠もないけれど、公務員ランナーの話を聴いた時に、ただの興味から調べて考えた話を実行することを約束した。


 正月休みが明けて、いつもの生活に戻って三ヶ月が経った。実家での話しを経てから、私の心は軽くなったんだと思う。なんとなくこなしていた仕事に、集中出来る時間が増えた。

 夜や、休みを使って走る時間を大幅に増やし、雨の日が続いたり、休みの日が雨となると、天気以上にどんよりとした気持ちになってしまう。毎日が力強いと感じている。だけどそこに実力が伴っているのかという一抹の不安はあって、早く試さないといけないっていう思いと、結果が悪いものだったらどうしようとか、そこも不安。でもとにかく思い切り、六月に開催されるマラソン大会に申し込んだ。それなりに費用がかかるみたいで、参加費は高かった。

 今日もお決まりの相馬選手に出会ったコースを走っている。あれから幾度もこのコースを走り続けているが、あの日以降出会うことはなかった。今日も初めて出会った信号を一人で過ぎた。梅の花が咲き始め季節を感じさせている。川沿いに植えられている木々は閑散とし、川の畔では幾羽かの鳥達が寛いでいる様子が見えた。

 信号のある交差点を曲がり、相馬選手と言葉を交わした踏み切りに引っかかる。足踏みからストレッチに切り替えて伸ばしていた時だった。

「お久しぶりですね」と私の背後から声がした。

「走ってると気持ちがいいですよねー」と相馬さんが言う。

「お久しぶりです。最近ちょっと訳あって、走る姿勢が変わったんですよ」と私は言った。

「そうなんですかぁ、苦しい時もありますけど、走るのって良いですよね」と言って相馬知里は笑い、「そこの信号を過ぎた辺りで見つけたので、後ろつけてたんです」

 相変わらずのバカみたいなカンカンという音が響く。反対側の遮断機で待つ車のライトが眩しい。

 目標を決めたけど、実力が分らなくって不安が残る私は彼女に尋ねる。

「相馬さんってそこまで全力で、走り続けられるのって理由があるんですか?」

 変わらず鳴り響く踏切の音は邪魔で、車のライトは眩しかった。

「理由と言うと照れくさいんですけど、走ることにセンスを感じたと言うか、それしか出来ないやと思ったときから、これに捧げても後悔しないって思って、それでこの世界に入ったんです。単純にそれしかできなかっただけなんですけどね。でも、私の走る姿を見た人が手紙をくれたことがあって、あなたみたいに全力で生きて駆け抜ける、後悔しない人生を送ることを考えるようになりましたって書かれてて、間違ってなかったって嬉しくなりましたね。自分が他人ひとの心を動かせるような今を送れているんだって」

 踏み切りの遮断機が上がり、二人で再び走り始めた。それから数十分彼女の後ろを走った。前回とそれほど変わらないペースだったと思うが、圧倒的に楽に走りきれたことが、多少の自信となった。次の日も筋肉痛を起こさなかった。


 六月になり、初めてのフルマラソンまで一週間を切った。試走という名目で走ってみた50キロ走をこなした疲労が残っており、今日の仕事をやっとの思いで終えた私は、長風呂で身体を休める。やはり二時間半を切りたい。市民マラソン故のスタートの混雑もあるが、そのくらいのタイムで走れなければ今後には繋がらないだろうと思っていた。日々の充実は自信というか誇らしさだろうか、漲るものがある。かつての、忘れようとしていた自分の誇りのような、生きること、日々を送ることが楽しいという感情が溢れる。充実している、自分らしい。そんなことを思っていた私の、湯船に映る目は以前と違っているように見えた。

 大会前日の夜に、母に電話をかけた。結果はどうなるのかわからんけど、全力注いでなんかやってるのってやっぱ楽しいなって言うと、

「近いうちにこっちへ帰ってきいや。あんたの顔はようみたいわ」

そう言って嬉しそうな調子で母は返した。来週の土日にでも早速と帰ろうと思い「そのうち帰るようにするわ」と電話を切った。

 六月のじめじめとした空気は不快で好きじゃない。緊張からかいつも以上にじめっとした汗が身体を覆い、道沿いの芝生でストレッチをする私は、嫌な汗をタオルで拭う。スタートの号砲が鳴るまで一時間を切った。受付でもらったゼッケンを付け終えて、最後の補給をし暖めた身体が冷えすぎないように適度に過ごす。空には厚い灰色の雲が拡がっているが、予報では夕方まで天気は持ちそうだとのことで、走りきるまではなんとかなる。辺りを埋め尽くす人々は、軽食を片手にスキップしたり、私と同じように座りこんでストレッチをしていたり、一緒に参加しているのか何人かで話込んだりしている。どこを見ても緊張の様子は見えず、どこか楽しそうにしていた。

 スタート地点のこの公園は大きなトラックが乗り込んでいたり、大会名が真っ赤に書かれた真っ白のアーチ門からずらっとコーンが沿道に並べられていたり、各種物販なんかの出店が出ていたりで、特別感が溢れ、歌声や歌詞なんかで魅せるようなアーティストのコンサートへやってきたような、そんな感じがした。

 三十分を切りスタートラインから大分離れた、一般参加の列に混じった。大勢がごった返しているので、手前で陣取っているはずの招待選手や、実業団選手の姿は全く覗けない。私の周囲には、この体型で走るのかと思わせるような中年の人や、競技用のユニフォームを着た、初老を越えていそうなのにまだまだ元気な脚を見せている人といった、どこにでもいるような普通の参加者で埋め尽くされている。私はここからもっとずっと前にいかなくちゃいけないと思った。この光景は本当の意味で、自分のスタートだと思って目に焼き付けるように何度も見回した。

”パンッパンッパン”号砲が鳴らされた。腕時計のストップウォッチを押す。進む気配はまだない。気温を示している前方の電光掲示板は22℃。少し高いか。走りながらの水分補給は初めてだ。息を強く吐いて大きく吸ってまた吐く。やっと集団となった固まりが動き出す。流れに乗って走り出した。

 箱根駅伝なんかだと、十人も抜こうものなら大騒ぎになったりするんだが、一般のマラソン大会では、十何人をまとめて抜きされてしまう。何百人と抜いたであろう私の前に、十キロを示す看板と、道路に敷かれたシートが見えた。奥には五キロ地点では取らなかった紙コップを並べた机がいくつも見えた。

 この一キロは三分十八秒。十キロ地点でのタイムは三十九分台と、スタート地点の混雑が大きく影響しているが以降は三分十五秒程度で走れている。

 走りながら紙コップに人差し指を突っ込んで、軽く握ってつぶしこぼれ難くする。少しペースを落として口に水分を補給し、沿道で透明の大きなゴミ袋を抱えた人に向かって投げる。空気も一緒に飲み込んだせいで少し咽たが、水分補給は上手くいった。

 タイム自体は悪くないと思う。このペースを続けられれば、二時間半は余裕で切る。そして、後半に伸ばすことが出来れば二十分の大台も切る。ちょうど良い感じで暖まってきた身体とテンションが、ペースを上げたそうにしているが、まだ初めの十キロを走ったに過ぎない地点。冷静に肩の力を抜いて軽く脱力し、後半へ備えるようにと、綺麗なフォームで安定した軸で走ることを意識する。

 沿道で旗を振る観客達が意外と多くて、走って過ぎ去る流れるような光景は、なんだか自分が風になったみたいで気持ちよかった。

 二十キロ地点でもまだいけるという余裕があった。タイムも維持できていたし、水も上手く飲めた。もう一杯飲みたかったが、リズムが崩れそうだなと思って辞めた。

 三十キロ地点がもうすぐ見える。この三キロあたりで脚に疲労が結構溜まっているなと感じていた。俗に言う魔の三十キロとはよく言ったもので、やはりこのあたりから苦しくなりそうだと上がりつつあるあごを意識して下げる。それでもペースは変わらず、一キロを三分二十秒は切れている。目標の二時間三十分はどうにかなりそうかもしれない。しかし、この三十キロ地点での水分補給が上手くいかず、ほとんどを顔にかける形でこぼしてしまい、気持ちが急く。奥に用意されているもう一箇所の補給所の水を取り直し飲む。今度はきちんと飲めた。こぼした水は、服を濡らし、汗とは違い身体を冷やす。切った風がそこに当るとより冷えて心地よかった。ラスト十二キロ、ふーーと長い息を強く吐いた。

 しかし、そこからしばらく走っていると、蓄積された脚の疲労が両太ももの外側の筋肉を一気に張り上げた。奥歯を時々食い縛り、ペースを落とさず走り続ける。痛みから、この三キロはとても苦しく、限界を感じ歩きたかった。後残り八キロ。八キロもあると思うと脚がますます重くなった。半年程度真剣に練習したくらいでは、終盤の粘りが出なかった。ペースはこの一キロを三分半と落とし、フォームが崩れているのが分る。あれだけいた大勢の一般ランナーの姿はすでになく、実業団専用のナンバーを付けた人達をぽつぽつと抜き去る程度。沿道の応援には熱が入り、チョコレートや飴玉、バナナなんかを走りながら食べやすいようにと工夫したものを、ざるや皿に載せて掲げる人達が多かった。「頑張れー、あんた速いよ」「もう少し前に行ったらまた抜かせるー」などと、私に直接向けた声援も送られる。包装が剥かれた大量のチョコレートの山を鷲づかみ、いくつか手にしてほうばる。甘さが口から全身へ流れるように行き渡った。噛み砕いて飲み込むと少し息がしづらくなり、水が欲しくなった。

 三十五キロ地点の補給所で水を二回飲んだ。この一キロを三分五十秒。確実に痛みと疲れがタイムにも表れていた。苦悶しながら、ただ耐えて走り続ける。二車線の道路の片方を使って走る私の横を、軽快に抜き去っていくもう一つの車線を走る車が憎らしい。「走る脚を止めるな、止めたらもう走れなくなるぞ」言い聞かせるように心の裡で強く唱える。余力のある腕を普段よりも大きく振ってスピードをつける。最後の悪あがきのようなアンバランスなフォームでの走りが続いた。

 あと五キロを切った。ラストスパートには長いと思った。まだ五キロもあるのかと気持ちが沈む。落ちたペースをどうにか保ち、この一キロは三分五十秒で走った。それを腕時計で確認し終え、顔を上げて走っていた時だった。遠くーーといっても数十メートル程、その先から自分の名前を応援している声が聴こえて来た。「俊平頑張れー、ラスト五キロー」と大きく叫ぶ声は最初から最後の「ロー」まできれぎれてかすれている。沿道から身を乗り出して大きく手を振る母が私を応援していた。

 疲れが飛んだ。疲労と残りの距離で不安ばかりが占めていた頭が元気になる。それでも、張った脚は痛い。しゃべるような余力はない。だから軽く簡単に数回だけ手を振り返す。同じく沿道で応援をしている観客の何人かが大変注目して見ているのが見えて、少し恥ずかしいなって思ったが、一生懸命に声援を送ってくれている母の方に近づいて、腕を伸ばして良い音をさせてハイタッチを交わした。まだいける、力強く息を吐き出し、よしっと小さな声が出た。

 四十キロ地点のタイムは二時間二十二分。持ち直したペースをラストスパートでさらに上げることは難しいが、このペースさえ維持出来さえすれば、二時間半の壁は越えられる。あとたったの二キロだと思えばさっきもらった声援と気力だけで走っている身体もなんとか持ちこたえられそうで、普段の半分くらいまでしか上がってない足に力を込めた。


 大勢で作られた花道を抜けゴールラインを越える。駆け寄ってきた係員に支えられるようにして倒れこむ。バスタオルを背中に被せられ、両方から持ち上げられてずるずるゴールから離される。ゴールと同時に止めた腕時計のストップウォッチの表示は二時間二十九分三十秒だった。息をしているのに、ごろんと救護所で寝かされているのに、苦しくてたまらなかった。痛んだ脚の感覚は薄く、脚があることを確認しなければ、そこにあると掴めない程だった。荒い呼吸を繰り返し、金属のパイプで作られたテントの屋根の骨組みを、何も考えられない頭で見つめた。

 二三十分寝転んで、ようやく腰を上げて歩けるまでは回復したけれど、張り切った全身のあらゆる筋肉が悲鳴を上げて、一歩一歩踏み出す度に痛かった。腕を少し上げるのもしんどかった。壊れたおもちゃみたいにかくかくと歩いている様は、端で見ていると面白そうだと思うと恥ずかしかったけど、飲み物をもらいにいったり、自分の荷物は取りにいかないといけないしで、諦めをつけて懸命に歩いて周った。

 ようやく一段落つけて、設置されている休憩所の簡易ベンチに腰かけて、自分の荷物から携帯を取り出す。着信が一件とラインが何件か、母から来ていた。

 着信はスタートの二十分前にあり、荷物を預けていたから出られる時間ではなかった。ラインのメッセージは、

9:23ーー「応援に来ています。」

10:16ーー「十キロ地点に着きました。駐車場が無くてうろうろしましたが、間に合ったみたいです。頑張れ。」

10:45--私が写った写真が貼られている。多少ぶれてぼやけていたが、自分だと分る程度に写っている。

10:45ーー「余裕そうだったので安心。頑張れ。」

11:57ーー「ラスト五キロの地点に着きました。何人かは過ぎたみたい。間に合ったかな?」

12:25--遠くの方に私っぽい姿が写った写真。

12:28ーー「間に合って良かったです。しっかり応援出来ました。高校時代を思い出す顔をしていました。大変苦しそうに走って行きました。変わりませんね。」

12:29ーー私の背中が写された写真。

12:40ーー「お疲れ様でした。タイムはどうでしたか。迎えはいる? 返信ください。」

12:42ーー「それと、安心しました。やっぱりこっちの方が嬉しいですね。」

 以上だった。早速迎えは要らないことを返した。次の文章を打っていると、すぐに既読がついていた。結果が気になって心配してくれているのだと思った。

13:32ーー「タイムはどうにか二時間三十分を切りました。一般参加者で一位みたいで、表彰式に出てから自宅に帰ります。応援ありがとうございました。」

 いつの間にか出た元気のせいか、空いたお腹から催促の音が小さく鳴った。近くに用意されていたトン汁をもらいに行こうと、私は再び立ち上がって歩き出した。

 ラインの通知音が鳴った。母からだった。

13:36ーー「良かったですね。また帰ってきた時にでも詳しく聞かせてください。」

 トン汁の器を両手で包み込むように受け取った。伝わってきた温度が手のひらを温める。割り箸を手にふうふうして摘んだ豚肉と人参をほうばる。うまさが口から身体に染込んだ。胃を介さなくてもエネルギーに変わったんじゃないかと思うほど力が湧いたような気がした。

 目指す舞台で戦う為には、今回のタイムではまだまだ厳しい。記録的には後二十分以上は縮めなければならない。後発スタートの分を差し引いても十五分近く。だけど、後一年。体幹を強くし、筋肉を選んで絞って身体を整える。それから、きちんとした栄養管理をし、伸び代である体力をつけるようにすれば、回数を重ねるうちにいける。そういう自信を得れる結果だった。

 そして、それくらいのタイムで幾度もゴールをしていれば、強化選手として選ばれるなんてことが起きるかもしれない。そうなってくれば、スポンサーとなってサポートしてくれるような企業が付いてくる。そして、世界で戦う。そんな”夢”を叶えることが出来たなら、きっと多くの挫折した人達に希望を持ってもらえるようになるのかもしれない。その光景をイメージすると、すっかり消えていた緊張がやってきて、私は大きく息を吐き、緊張を吐き出した。

 そして、これが自分が目指したかった”夢”なんだよなって心で思った。



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